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メビウス・クラウン ~あなたに至る為の物語~  作者: 野久保 好乃
――mission 6 王と魔王と操りの神
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60 未来を手繰るもの




 広い室内を幾つもの明かりが照らしていた。

 光源は幾つもの蜜蝋だ。枝付き燭台(ジランドール)に飾られた水晶のプリズムが、その光を周囲に拡散している。美しく、どこか暖かみのある光だが、高い天井には届かない。

 その闇の中から、密やかに笑う声が聞こえた。


『着いたかな』

『着いたかな』

『今頃、戦争、始まったかな』


 肉声のようでそうでないような、奇妙な響きの『声』だった。

 クスクスと笑う声は若く、幼く、どこか臈長(ろうた)けて、おぞましい。


『辺境は遠い?』

『馬なら早い?』

『飛竜、飛んだね』

『もう着いたよね』


 人ならざる者にとって、人の時間は分からない。

 常に見張っているつもりで一年毎だったり、ついこの前と思っていることが十年前のことだったりもする。

 有限の時を生きる者の『時の認識』と、無限の時を生きる者の『時の認識』の違い―― 

 物質界に転移して囁き動く神族もまた、自身の動きが人の時の流れで一月もの間の空いた動きだとは気付かない。そして、気づいたとしても気にしない。

 動きが気に入れば笑い、気に入らなければ呪うだけ。

 無邪気で、無慈悲で、残酷な――それはまるで、幼児のような魂。


『蟻みたいなことにならないかな』

『惜しかったよね』

『残念だったよね』

『『せっかく教えてあげたのに』』

『人間は愚かだから』

『人間は愚図だから』

『『仕方がない』』

『人同士ならきっと上手くいく』

『楽しみだね』

『楽しみだね』


 クスクスと、純粋な悪意のみで嗤う声が静かな空間に響く。

 恐ろしく分厚い深紅の絨毯。柱一つ、壁一枚に刻まれた荘厳な彫刻。光を鈍く反射する金。

 遙か頭上、今は闇に沈む中にあるのは精緻な宗教画。

 柱の最上部には美しい神々の彫像。

 僅かな地上の明かりに照らされることなき上部の闇は、しんと静まりかえった広間に無邪気な嗤いだけを響かせる。

 その凝った闇の中へ、無造作に声をかける者があった。


「随分と、はしゃいでいるな」


 声は肉声のそれであった。

 意志と半物質化した肉の声が大気を振動させる『声』と違い、完全な血肉を備えた者の声だ。

 その姿は見えない。

 闇が揺らぐ。一瞬のそれは戸惑いか、あるいは逡巡か。


『お楽しみなの』

『お楽しみなの』

『『楽しい宴を考えているの』』

「ひとの箱庭(・・)をつつき、ひとの()を動かしてまでか?」


 その言葉に、『声』の主達はその存在を揺らした。怯え。警戒。けれど、恐怖では無い。


『邪魔はしてないの』

『向かう先は同じなの』

「こちらが長い時をかけている計画を、勝手に前倒しするような真似をしておいてか」

『変わらない』

『たいして違わない』

『『人の時は常に一瞬』』

「貴様等にとってはそうでも、人間にとっては違うぞ、小娘共(・・・)


 ふいに空間に満ちた殺意に、文字通り声もなき悲鳴をあげる存在が二つ。

 だが、無限の時を生きる者の『死』が発生するより早く、それらは『声』を飛ばした。


『“水”の協力をした!』

『力を貸してやった!』

『『ならばそちらも力を貸すべき!!』』

「……減らず口を」


 忌々しげに吐き捨てて、声の主は淡々とした声をあげた。


他神(ひと)の領域で身勝手はしない――神族内での取り決めを破ったことだけは覚えていてもらおう。二度は無い」

『身勝手なの!』

『助力には助力を返すべきなの!』

「私は事を成す前に全てを話し、協力を要請し、承諾を得てから実行した。お前は何も告げず勝手に動き、他神の計画を混ぜ返して手駒を勝手に動かした。意味が違う」

『違わないの!』

『結果は同じなの!』

「その『結果』が、出されば良いが、な?」


 あからさまな嘲笑に、二つの存在が大きく震えた。大気を揺るがすのは怒りだ。


退()がれ。此処は我々の(・・・)領域だ。死神に突き出されたくなくば己の領域に去るがよい。――それともここで裁可を受けるか? 結界で半物質化した貴様等なぞ、一秒も持たぬだろうがな」


 言い終えるより早く、大気を揺らしていた怒りが霧散した。その存在ごと別の場所へと転移したのだ。


「……フン。アレで二級神というのだから、世も末だな」

「随分と、幼い神も、いたものだ、な」


 声に、その時初めて別の存在が声をあげた。こちらも肉声だ。

 小さく揺らめき輝く蜜蝋の光の中、最も豪奢な椅子に腰掛けていた『何か』が口を動かす。

 それは人の姿をしていた。

 かなりの高齢だ。顔の皺はあまりにも深く、多く、かつての顔がどうであったかすら分からない。豪奢な衣の裾から覗く手は細く、骨に直接皮を張り付けたかのようだった。長い髭は細く、艶は無い。窪んだ眼窩の奥に意志もつ瞳が見えるが、生きているように思えるのはその瞳だけだった。

 ミイラだと、人は言うだろう。

 ――その身に纏う、神の威光を示す教会の最上位第一礼装に視線を奪われなければ。


「ここ数千年の間に生まれた神族は皆、あんな程度だ。かつての原初の御方々、あるいはその次世代たる一級神の末裔、それらに遠く及ばぬ塵芥のような存在だ。所詮、人の子が生み出した神など、その程度ということだろう」

「つれない、ことを、言う。おぬし、とて、同じ、だろう、て」


 ミイラの声に、男は鼻を鳴らした。けれど答えは返さない。

 ひゅ、ひゅ、と短く風が漏れたような音がした。

 ミイラからだ。――笑ったのだ。


「幼い、とて、神、は、神。そそのか、され、随分と、迷子が、出た、よう、だ、な」

「ようやくこぎつけた計画までひかっきまわして、な」

「どうせ、いずれ、落とす、もの、だ。この、機会、とて、悪手、では、あるまい」

「落とせれば、な」

「……?」


 声に、ミイラは不思議に思ったらしい。怪訝そうな気配が伝わってきた。


「あの、ような、辺境、で、騎士、達が、失敗、する、と?」

「魔族が来ている」

「……ほ、ほ」

「死神の姿すら、確認された」

「!」


 初めて豪奢なミイラに動揺が走った。恐怖に震えるミイラに、声は僅かに笑う。


「死神を連れた魔族など、魔王以外に存在しない。今もいるのかどうかは知らんが、少なくとも一度は確認された。ということは、あの街には魔王が関わっているということだ」

「魔王……!」

「下っ端が来ているのならともかく、魔王が関わっているのだとすれば、そもそも話が違うだろう。最初の攻撃がこれではな。……もっとも、逆手にとって民の感情を煽るには丁度良いか」


 いっそ、神殿騎士達は全滅してしまっても良い。

 ――いや、むしろ全滅したほうが『結果』としては良いだろう。

 民の中には、未だ一定数の慎重派が存在する。魔族に関わりたくない者や、魔族の悪性を懐疑的に思う者など、その内情は様々だが、魔大陸に侵略の手を伸ばすべからず、という意志においては一致している。

 だが、もし、同胞が向かった先で魔族の手で全滅させられたとしたら――


「……ふむ。計画を前倒しにするべき、か」

「おお……おお……それは、良い。早くなる、のは、とても、良い」


 ミイラが別の意味で震えた。あまり震えると砂になるのでは無いかと心配するような枯れた肌が、興奮と喜びで僅かに血の色を増す。


「生命、を。早く、早く、無限に、近い、魔族の、生命、を」

「――『薬』が来たようだな」


 狂気を滲ませたミイラの声に、もう一人は冷めた口調で告げた。

 遠く、大扉が開き、しずしずと女神官が銀盆に不思議な形の器を乗せて歩いてくる。


「『  』、薬水(・・)をお持ちいたしました」


 呼ばれて、ミイラが女を招く。

 ふと、腐臭がした。

 器に入っているのは水色の水(・・・・)だ。透明度は、無い。


「早ぅ、早ぅ、命、の水、を」


 女は畏まり、ミイラの近くへと傅く。

 それを見ながら、もう一人の声の主はふと顔を顰めた。耐え難い臭いから遠ざかるように、その場を後にする。

 液体からは何の匂いもしない。

 それなのに、腐肉の(にお)いがした。









 一つの場所で人ならざる者が集い、離れ、

 一つの場所で人と人ならざる者が語り合い、

 一つの場所で殺意もつ者と守る者が戦っている頃、

 何処とも表現のできない場所で、とある『意志』達がその権能を振るっていた。


 白い世界で『其れ』は手を伸ばす。

 無形の手だ。

 血肉として存在はしていない。

 ただ、遠く、果てしなく遠い場所に手を伸ばす。


 ――時は巡る


 言霊を紡ぎながら。


 ――未来はやがて現在になる


 紡がれる言霊は呪となって世界繋ぎ、揺らす。


 その傍らでもう一つの意志も手を伸ばす。

 それはすでに失われた形。

 喪失した姿。

 ただ、遠く、果てしなく遠い流れに手を伸ばす。


 ――運命は巡る


 言霊を刻みながら。


 ――願いはやがて世界を繋ぐ


 紡がれる言霊は、絆を繋ぎ、世界を引き寄せる。

 二つであり一つである『其れ』は手を伸ばす。

 引き寄せる。引き寄せる。引き寄せる。引き寄せる。

 誰にも知られることのない時と空間の中で。

 誰にも知られることのない一つの願いと共に。

 長い長い時間をかけて――……








 ポムが映し出した光景は、神官長の言葉を裏付けるものだった。


 ロルカンが、人間に(・・・)攻撃された。


 そう認識した途端、視界が一瞬で狭くなるのを感じた。

 この感覚は危険だ。意識が深い穴に落ちるように暗く沈む。駄目だ。落ち着け。――何度同じことを繰り返すつもりだ。

 潮騒の音を振り払った。

 脳裏にチラつく光景が精神を蝕むのを感じる。


「これ、馬蹄か!? おい、燃えてるの攻城槌じゃねぇか!」

「集まった魔力が濃すぎて景色が揺らいでいますわね……あら? これは……」 


 ロベルトとシンクレアの声が聞こえる。

 ポムがどうやって遠くの光景を物体に映し出しているのか知らないが、既存の魔法で言うなら【遠視】と【念写】だろう。よほど高性能なのか、その地に満ちた様々な色の魔力まで見える。圧倒的なのは黄金の波に似た強大な魔力だ。所々にあった数多の魔力の残滓を呑み込み、破壊の痕跡を舐めるように広がっている。


「……あの槍、聖王国の神殿騎士のものだ……」

「……すでに動いておったか……連中、余程長い手と耳を持っておるな」


 愕然と呟くリベリオの声に、忌々しげな神官長の声が重なる。

 その声を聞きながら、浅くなる自身の呼吸を数えていた。

 ――ロルカンが、人間に攻撃された。吹き飛ばされた大地は赤茶の土を露わにしている。

 覚えているのは、肥沃な土地に生まれ変わった荒野だ。

 街壁の上に立った時、目に入る一角だけ黒々としていた大地。荒れた赤茶けた荒野の中にあって、ある意味異様な光景だった。

 テールに土地を調べてもらい、思いがけず手に入った肥料と、魔大陸で作った腐葉土と、元々の土を混ぜ合わせて作った局地的な沃野。――実験的な田園。

 俺が作り出した巨大な堀から引いた水が、降水量の少ない土地に水の道を作っていた。

 黒い田畑の真ん中を通る一本の道。

 両脇の柵に、水路。

 春まき小麦が上手く育てば、夏から秋にかけての間に綺麗な黄金の畑を見せてくれたことだろう。

 楽しみにしていたのだ。

 きっと、黄金の畑は美しかっただろう。

 ……きっとジルベルト達も喜んでくれただろう。

 けれど、今はもう、どこにもない。

 無残に踏みにじられ、吹き飛ばされ、柵どころか途中に作ってあった農業用倉庫すら砕かれていた。


「……ロルカン……は……」


 黒い板に映し出された光景――荒らされた畑の、夥しい蹄跡と砕けた金属片、折れた槍。倒れている馬と、人と、燃える倉庫。

 普通、畑に馬を乗り入れさせたりはしない。ロモロ率いる第七王国軍ですら、畑に配慮して道なりに長く隊列を組んでいたほどだ。畑に馬を乗り入れるのがどれほど非常識なことか、人間にだって分かっている。それを行われたのだ。一切の配慮の無いその行為だけで、馬に乗っていた人間の土地に対する害意が把握できる。

 大地に残った馬蹄の跡。あまりにも多く入り乱れているその痕跡で、動員数のおおよそが分かった。

 百ではきかないだろう。

 二百ですら無いだろう。

 そんな騎馬の人間が――神殿騎士が――ロルカンを、攻めたというのなら……


「大丈夫ですよ、坊ちゃん」


 ポンと頭を撫でられた。

 温もりを感じて瞬きをする。

 俺の頭を軽く抱えて、ポムがいつもの手つきで撫でてくれた。


「あの街は大丈夫です。そもそも、滅びに(ひん)するようなことがあれば、まず坊ちゃんに連絡が飛んできますよ」


 温かい掌の温もりに、目から何かが零れる。


「奥様が少しずつ増やしてくれている通信具は、大事な所にちゃんと配っていっています。ロルカンにだって渡してあります。どうしようもない危機に見舞われたのなら、必ず連絡が来るはずです。……来ていないでしょう?」

「……ジルベルトは……」

「きっと大丈夫です。信じてやってください、あの土地に残して来た家人達を。あなたが守りたいと願い、大切にしているものを彼等が放っておくはずがありません。そうでしょう?」


 くしゃりと撫でられて、頷いた。


「彼等を守る為に、堅固な街壁を築き上げたんです。完璧でなくとも、きっと彼等の助けになったはずです」

「……ああ」


 そうだ。

 彼等を守るために壁を作ったのだ。

 愛着の沸き始めた街。大切な人間達。彼等があの門の内側にある限り、俺の作った街門が彼等の身を守るはずだ。

 ――きっと、まだ間に合う。

 視界を揺らすものを乱暴に袖で拭って、こちらを見る一同に声を放った。


「ロルカンへ跳ぶ(・・)。例え何があろうと、ジルベルト達に危害を与える者を俺は許さない」

「わかった」

「人の軍など、蹂躙してさしあげますわ」

「わか……いや、その、蹂躙は控えていただけるとありがたいのですが。下手に全滅させたら、聖王国が本腰をあげて攻撃して来ますよ」

「まぁ、リベリオの言うとおりだろうな。そちらが聖王国と、いや、人類と完全に敵対するというのなら殲滅させるべきだろうが、違うのなら追い払うなり眠らせて捕虜にするなりしたほうがよかろう」


 ロベルト、シンクレア、リベリオ、神官長とそれぞれの声をあげるのに、俺は頷いてポムを見た。

 ポムはいつも通りだ。


「では、昏睡させて封じ込めた後に交渉するか、あるいは追い払って延々と聖王国に逃げ延びてもらうかしますか。あんまり言葉通じ無さそうな気がするんで、交渉というより捕虜ですかねぇ……無理そうなら装備だけ没収して隣国に分散してポイしましょう。ま、出来るだけ殺さない方向で」

「うむ。ジルベルト達の無事だけが最優先だ」


 俺の報復など、後でいい。大事なのは今生きている者なのだ。俺の大事な、今度こそ守らなくてはいけない『あの子(・・・)』達の……


「目標は、ロルカン及び知己全員の救出。敵は可能な限り生け捕り、または追い払う方針で。殺傷力の高い炎、光の魔法は禁止。水、闇、風、土、空間、他にも有効な弱体魔法系を優先で。――では、行……」

『お待ちください、レディオン様』


 力強く告げかけた途端、黒真珠から思いもよらない声が届いて思わず息を呑んだ。


「な……」

『ロルカンのこと、ご心配には及びません。ポムがそこにいますね?』

「えー、いや、いますけど、貴方が(・・・・)そこに居る(・・・・・)理由がサッパリですよ?」


 何故かポムが俺と相手の会話に混じってきた。……サリの時も思ったが、新しく増やしてる通信魔具、前の通信具に横やり出来るの……?


『ポム、連結無限袋の中に転写映像具を入れてあります。試作第一号の第九魔力結晶石をレディオン様へお願いします』

「了解しました」

『レディオン様』


 困惑している俺に、本来ロルカンのことで俺に連絡してくるはずのない相手はしっかりとした声で告げた。


『……こちらは大丈夫です。領主殿も無事です。例え何が相手であろうと、我々が決してあの方を傷つけさせません。……もっとも、その後の結果はレディオン様の意に沿わないかもしれませんが……』


 今なんか不安になる一言を聞いた……!


「待て、なんで、なんでそこにお前がいる!? ノーラン(・・・・)!」


 俺の声に、本土グランシャリオ家の家令は朗らかに笑って言った。


『全ての答えは第九魔力結晶石の中にございます。本土グランシャリオ家の総意と共に』

 




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