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メビウス・クラウン ~あなたに至る為の物語~  作者: 野久保 好乃
――mission 6 王と魔王と操りの神
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55 願うものは此方の内に




 その日、ロルカンの街は慌ただしく行き来する人々で溢れていた。

 街に来る者は旅慣れた軽装で、大きな袋の他にどこぞで仕留めてきたのだろう魔物の皮や角を抱えている。

 対して、街から出る者といえば、なにやら夜逃げのように大荷物を抱えて動く者が多かった。

 そんな状態で旅が出来るのかと不安に思うが、向かう先は門ではなく他の街へと向かう定期馬車だ。御者には嫌な顔をされるだろうが、徒歩で行くよりはよほど確かなものだろう。

 それより荷物の少ない者の中には、己の足頼みの者も多い。皮肉なことに、魔物の数が激減している今だからこそ出来る旅とも言えた。


 大荷物を抱えているのがいかにも町民であるのに対し、小荷物なのは冒険者か旅人といった風情だった。

 ここ数ヵ月、好景気に沸いていたのとはまた違う人の動きに、見下ろすヨーゼフは暗い顔でため息をついた。


「……やはり、街を離れる者もいますか……」


 新しく作られた冒険者組合ロルカン支部の三階、大会議室からは街の様子がよく見えた。

 特にここからは正面の門がよく見える。いつになくゾロゾロと人数が動くのに、久方ぶりに帰ってきたのだろう冒険者達が首を傾げている。彼らもまた、噂を知れば街を出ようと思うのだろうか。そう思うと苦いものがこみあげてきた。


「……所詮、好景気にあやかろうと擦り寄って来ただけの者じゃからの」


 隣で同じ光景を見ていた老爺が淡々と呟く。

 小柄な体だが、日に焼けた肌は黒鉄のように硬く、大きめの服に包まれた体も鋼のように引き締まっていた。

 その右足が義足とも言えぬ棒でできているのは、かつて海で魔物に奪われた為だ。だが、今もこの男の声は港に響き、時に大海原でも響き渡る。

 海の荒くれ者を束ねる頭領――ロルカン漁協組合長バルバロスである。


「しかし、常に魔物の脅威に立ち向かわねばならない冒険者が、親とはぐれた子ネズミのように狼狽えた挙げ句逃げ去るとは、なにやら情けないやら、あの方達に申し訳ないやら……」


 新たにこの街に来た冒険者達が、何かに追われるように出て行くのは胸にくるものがある。結局はその程度の者だと、古株はむしろ鼻を鳴らしたものだ。その目が軽侮よりも憤りを強く表していたのは、この際仕方の無いことだろう。

 あの日、同じ場所で共に戦った彼らは、今もこの街でいつも通りの生活を営んでいる。


「それならよぅ、あの騒ぎで街ごと守ってもらいながら、こそこそ逃げていく古馴染みの姿も情けないものでねぇかよ?」


 のしのしと近づいてきた大男に、二人は苦いものの混じった笑みを零す。

 大樽の上に小樽を載せたような巨漢は、窓から街を見下ろして鼻を鳴らした。


「なんでぇ、意気地の無ぇ。魔族がどうだか言う前に、受けた恩ぐれぇ返していけっつーんだよ」


 昔から街で小売業を営んでいた者が、馬車に積めるだけ荷を積んでえっちらおっちらと出て行くのが遠目に見えた。今から呼び止めたとて逃げるように去られるだろうことは目に見えている。


「魔族と噂され、どうやら教会に目をつけられているらしい、とくれば、仕方のないことなのでしょうね」


 穏やかな声が聞こえて、ヨーゼフは後ろを振り返った。

 会議室の中には複数の人がいたが、席についているのはそのうち半分以下でしかない。ほとんどはヨーゼフと同じように窓から街の様子を眺めている。

 丁寧な口調だが、この中で最も高位なのは先の発言者――アヴァンツァーレ領主ジルベルトだ。ちなみに、年は一番若い。


「出ていく者の大半は、最近来たばかりの者ですからね」


 魔族というのは、それほどに恐ろしい存在であり、『教会に目を付けられている』という状況は、あらゆる意味で死を意味する絶望的な状況なのだ。

 この大陸における教会の立ち位置は、それほどに大きい。

 社会的にも、生命的にも、グランシャリオ家の命運は風前の灯火にしか見えない。

 そしてそれは、彼らが活動の拠点としているこの街にもいえる。巻き添えを恐れ、逃げるほうが普通なのだ。


「うーむ。儂等がオカシイのだろうのぅ」

「あの『死の黒波』以前から居る者は……まぁ、一部を除いてわりとケロッとしてますものな」


 状況を振り返って苦笑した二人に、ジルベルトは穏やかに笑う。


「そうだね。一緒に戦った人達は特に、揺らがないでしょう。……もっとも、いち早く『避難』していた人の一部は、先を争うようにして街から出たけれど」

「ああ……街の神官もいましたな……世も末なことで」


 ロルカンが今のような状況になったのは、街にもたらされたある噂のせいだった。


 曰く、グランシャリオ家の連中は皆、魔族だ。

 教会はこれを殲滅させるべく、神殿騎士団を内々に招集しはじめているらしい。

 いや、もう集まっている。

 『神敵』の公布は時間の問題だ。

 その力を鑑み、『聖戦』の発動まで考えているらしい。

 などなど。


 あらゆる中心人物が集う王都はロルカンから遠く、人々は誰もそれを確認することが出来ない。

 だが、本来ならこれから乱れに乱れるだろう人心をなだめ、諭さなければならないはずの街の神官が、あろうことか率先して街にその噂を広め、なおかつ真っ先に街から出て行った。

 突然、面会を強要してきた神官のことを、領主はよく覚えている。目的は、この街を出て他所へ移る為の通行証を貰うためだった。


『お若いながらも先代の跡を継ぎ、立派に領をきりもりされている当主殿にはいささか酷い気がいたしますが、これも上からの指示ですので、私は王都へ戻らせていただきます! 私の上司が言うことには、あの連中が魔族であることは明白である、と。とてもソレが住む町に私のような者を住まわせておくわけにはいかん、と、こう言うわけです。連中は今は大人しく善人を装っておりますが、なにしろ魔族、狡猾さと残忍さでは他の者の追随を許さぬ者共です。いずれこの街にも未曾有の災いを(もたら)すことでしょう。本来ならば街を破棄し、皆して逃げなくてはならないところでしょうが、それをすると大人しいフリをしている魔族を刺激することになりかねない! ああ、分かっております。何も言わなくても結構。領主様の苦悩は分かっておりますとも。これだけ立派になった街を破棄するのも苦しいものでしょう。長年守ってきた砦がまさか魔族に支配されるとは……! 私はこれから王都に参りますので、領主殿の苦悩もよくよくお伝えしておきましょう。街の他の信徒? ああ、声はかけましたよ。信仰厚き者は私と共に王都に逃れるそうです。ですがまぁ、俗世に染まり今の安穏とした生活に浸りすぎて先の不幸が見えない者……いえ、魔族のもたらした富に縋りつきたい者が多くおりましてな。少々遺憾でございます。この街の信仰はどうなっているのかと。教会の建物ですか? 以前の神父はここに残ると言っておりますので、任せております。魔族に汚された地を浄化したいのでしょう。尊いことです。勿論、大神官様達にもお伝えしておきますとも。ああ、出立の時間が迫って参りましたな。ではこれで』


 それはそれは素晴らしい早口で蕩々と語ってサッサと身を翻したのには、その場にいた一同揃ってポカンと口を開いてしまった。

 ちなみに領主はといえば、これまたさっさと通行証を書いて渡したという。


 街に残された教会へと出向くと、逃げた神官の言う「富に縋りつきたい者」達は、残された教会の窓や壁、床に至るまでを丁寧に拭きあげ、道を掃き清め、清々しい顔で祈りを捧げていた。実に信徒の鏡たる姿だ。

 昔からいたという老神官は、信徒と一緒に道を掃き清めていた手を止めてこう言った。


『あの方は第二神殿におわす大神官の遠縁で、聞けば今度の噂でたいそう商会の方々を色目で見ておられるのも第二神殿の方々とか。第一神殿におられる大神官も、あの神騎士ロモロも静観の構えだそうですが、第二神殿の方々はどこにいても皆、魔族という名に過剰に反応されるのでしょうな。お逃げに、いえ、失礼。お引き上げになっても仕方なきことかと』


 のんびりとした様子に、現状をどう思われるのかと問えばただ穏やかに微笑まれる。

 周囲と違い、『噂』ではなく神官から直接『彼ら』が『魔族』だと言われたはずだが、老神父に憂いも悲壮さも焦燥も無い。

 かつては第一神殿にいた老神官は、新しい街並みを見ると無しに見て、世間話のように話し始めた。


『この間、ロモロが来ました折、話をする機会がありましてな。……我々を救ってくださった方々と偉業に触れたおり、こう申しておりました。「勇者なんてものに心を縋らせるのはやめなさい」と。ああ、珍しいですか。そうですね……教会の者としてはいささか問題ではあるようですが、あの子は昔から、勇者という存在を快く思っておりませんでして……。妙に静かな顔で「彼らが勇者であるかどうかは考える必要はない」とも言っておりました。思えば、あの子はあの当時から、何かに気付いていたのかもしれませんね』


 街に向けられた目は、彼方を思ってか、どこか遠い。


『それから……なら彼らのあの大きな力はどう判断すればよいのかと戸惑った時、こうも言いました。「彼らが、彼らだからこそ出来る何を、どう行ったのか。それを己の目で判断しなさい」と』


 神騎士と知り合いかと問えば、穏やかに微笑まれる。


『あの子が小さい時に、世話をしたことがあります。副官のラウラもね。ただそれだけですが、今もこうして、近くに来ればなにかと声をかけてくれます。あの子達も一角の人物になったのだから、捨てられた老人になど構わず栄達を望めばよいのに。……本来、優しい子なのですよ。真っ直ぐで。……だからこそ、定められたものを愚直なまでに邁進してしまう時もあるのでしょう。……かつての私がそうであったように』


 グランシャリオの人達のことについてどう思っているのかと、問えば穏やかな笑みを深くして言った。


『「光天の裁き」』


 呟くようにして告げられたのは、聖書の一説にある勇者の偉業の一つ。

 だが、何を指して言っているのか、詳しく聞かずとも分かった。


『――私達は、あの日の光景を決して忘れることはありません。例え誰が何を言おうとも。あの日のことが無くなったりはしないのですから』







 街の人々の大半は、老神官と同じ様子だった。

 だが無論、そんな人達ばかりでは無い。


「クザンの倅なんぞ、『あの魔族共にアパートの住民を奪われた』とか吹聴しながら出て行きおったなぁ」

「ほー? ボロアパートを売り払って、儲けたと言っておったのにのぅ」

「先祖代々のアパートったって、掃除もほとんどされとらん、ろくなもんじゃない物件じゃったが……まぁ、税もまともに払わず滞りがちじゃったけ、いなくなるならせいせいするがな」

「ゴードンの所はアレじゃろ? 嫁の実家がそりゃあガチガチの教会信徒で」

「ありゃー。そりゃー、引っ越せ引っ越せ言われるわけじゃな」

「本人は残りたかったらしいがなぁ……いい包丁を売ってもらったと、喜んでおったに」

「あそこの臓物煮込みは美味かったんだがなぁ……」


 古馴染みが出て行く姿に、街を代表する人々は溜息をつく。年長者が多いが、これは仕方のないことだ。かつては立身出世など出来そうもない古い街だったのだ。そうなると、どうしても代表者は年嵩になる。


 この日会議に呼ばれたのは、現在のロルカンを代表するメンバーだった。

 ロルカンにおける冒険者組合長、商業組合長、パン組合長、漁業組合長、木工組合長、裁縫組合長、鍛冶組合長、彫金組合長。また、薬に関して元締めの立ち位置にいる練金術師の老婆に、今も残ってくれている老神官。そして、領主。

 それぞれに副組合長や補佐を伴っており、領主の所からは老執事が来ている。

 グランシャリオ家からは誰も来ていない。

 自分達がいるとなかなか本音で話し合えないだろうから、という理由からだった。


「逃げたんじゃないのだろうな!? 連中は!」


 会議が始まって議題に入るより早く、銅鑼声が響いた。会議直前に到着したパン組合の長だ。


「逃げる必要もなかろうて?」

「議題がアノ噂じゃろ? 本人達が来たら言いにくいだろうちぅ配慮じゃろな」

「面と向かって言う度胸がないなら、わざわざ話し合いになぞ来るか! 来るよう言うてやったらどうだ!」

「いや、組合長、それはちょっと……」

「さようさよう。向こうが遠慮してくれとんだから、ええではないか」


 ふくらせたパンというよりハムのような腕をしたパン組合長に、慌てたようにパン組合と商業組合の副組合長二人が声をあげる。こちらはどちらかと言えば『面と向かって言う度胸は無い』側だ。

 ジロリと睨む組合長に、二人が視線を逸らす。


「皆が揃ったことだし、まずは議題を進めましょう」


 一方的な喧嘩が始まるより早く、ジルベルトが声を上げた。

 年若い領主の声に、全員が姿勢を正す。パン組合長もひとまず声を呑み込み、姿勢を正した。


「我が領を救ってくれたグランシャリオ家が、現在この国、というよりも、主に王都ですね。そちらでどのような状況になっているのか。――支部長」

「はい」


 指名されて、ヨーゼフは立ち上がる。


「噂の発生は先月未明。場所は王都。市井の男衆の一部を中心に噂が流れ、次にそれを話された主婦達が噂を拡散。貧民層や富裕層でなく、一般層を中心に広がりました。組合が知ったのも、とある主婦が組合に討伐依頼などはあるのかと内々で尋ねに来たのがきっかけでした。噂は、グランシャリオ家が魔族である、というものです」


 噂の中身はすでに皆が知っている。

 なにしろ、街から出て行った神官が盛大に吹聴してくれたからだ。おかげで、王都に次いで他のどの街よりも早くこの街に噂が広まった。


「当然、魔族なんてものが本当に出現したのであれば、討伐どころではありません。足止めがせいぜいで皆して逃げなくてはならないからです。王国軍ですら対応が可能かわからないですからな。一般的な返答として、まぁそう説明したところ、その魔族が王都で店をしているじゃないかと大騒ぎしてくれたようです。どうも錯乱状態にあるようだと街の医術師とご主人に連絡して引き取ってもらったのですが、他にも同様の相談が窓口に寄せられておりました。のみならず、冒険者からもどういうことなのかと問い合わせが来る始末です。ほとんどは悪質な噂だと思っているというのが実情ですが、こうなっては放置しておくことも出来ません。お家の方にご連絡して、直接お話しようかと思ったところで、王室からお達しがありました。グランシャリオ家に一切の手出しはならない、というものでした」


 どよめきがあがった。

 思わず近場の者と顔を見合わす一同を、領主と支部長は静かに見守る。


「それは、王家が彼らへの詮索を禁じた、ってぇことか?」

「そいつぁ、彼らを刺激するな、っつーことで?」


 パン組合長と樽のような大男――木工組合長の声に、支部長は肩を竦めてみせる。


「まぁ、そう考えるのが妥当でしょうな。とはいえ、詳しい指示は一切なかったようで、王家の思惑までは分からなかったそうですが」

「ふーむ……王家は、噂はどうあれ莫大な利益を生む商会を敵にするつもりは無い、っつーことじゃろうかな」

「まぁ、賢明じゃな」

「馬鹿な! 相手が魔族なら、一夜で街そのものが灰にされるのですぞ!?」


 慌てて叫ぶパン副組合長の声に、隣で叫ばれた組合長が顰めっ面になった。


「まず! そこだ! ……連中は、本当に『魔族』なのか?」


 全員が押し黙った。誰も答えられなかった。


「……まぁ、おっそろしいぐらい強いのは確かじゃな」

「大魔導師じゃ思うたからの」

「弓もよく使うらしい」

「勇者じゃいう噂もあったしの」

「めちゃくちゃ強いのは確かじゃないか? 種族は知らんが」

「冒険者カードはどうなんじゃ?」

「種族は人間で登録されてますね」


 一瞬、ホッとした空気が流れた。


「ですが、あれは自己申請ですので」


 次の瞬間には撃沈した。


「なんで正体看破の魔法ぐらいかけておかんのじゃ!?」

「カードにいちいちそんな魔法つけてたら登録料が金貨払いになりますが? 魔物を退治してくれる冒険者が減ってもいいので?」

「そもそも、そういう魔法を物体にかけれる魔法使いがおらんじゃろ」

「あの商会の人等なら出来そうじゃないか?」

「おお! それもそうじゃな」

「本末転倒じゃないですかそれ!? 彼らの正体が問題なんでしょう!?」


 また叫ばれて、パン組合長は怒鳴った。


「やかましわ! 金切り声あげたいなら余所でやれ!」

「おまえさんの声もデカイわい」

「組合長! 分かってるんですか!? 魔族なんですよ!?」

「だーかーらー、それが本当かどうかも怪しいっつってんだろ。本人に直接聞けると思ったら、来てねーし」

「来られたら怖いじゃないですか!? ここで暴れられたらどうするんです!? 年末のパン祭りに向けて、今から色々しないといけないのに、なんで魔族なんかが!」

「落ち着け。そもそも、大前提がまだ確定してないっつー状況だっつってんだろが」

「教会が言うんですから間違いないですよ! 神敵討伐の発動が秒読みなんですよ!?」

「あのクソ神官が言い捨ててっただけだろーが。発動してりゃ、それこそあっちの商会の連中やそこの支部長が何か動くだろ。何にもねーじゃねーか。噂鵜呑みにすんなっつーの」

「なんじゃい。パン組合は内部で意見分裂しとんのか」

「意見どころか! 組合長は『魔族か! そりゃ恐ろしいな! なんかやったのか! なんでぇ、してねーなら放っとけ』ってそれっきりですよ!」

「組合長よぅ、せめて下の者の話ぐれぇは聞いてやれや。ここでキャンキャン吠えられても困るんじゃ。内部でやっとけ」


 言外に叫ぶだけなら黙っておけというニュアンスを込めたのだが、副組合長には伝わらなかった。


「だいたい、なんで皆さん、平気そうな顔してるんですか! 魔族がそこにいるっていうのに! うちは子供も小さいんですよ! 困るんです!」

「困るならとっとと引っ越せ」


 面倒そうに鍛冶組合長が手を振る。


「誰も止めやせん。他の連中だって嫌だと思った奴ぁとっとと街を出とるわ」

「私は! 私が! この街でどれだけ! やっと副組合長に!」

「そりゃあ、おまえさんの勝手な都合じゃろ。今の地位捨てたくないから、自分が嫌な思いせんために他の奴を追い出したいっつーことじゃろが。まぁ、儂も威張れる組合長の座譲る気ないから居座っとるがの!」

「な……な……」


 副組合長は真っ赤な顔で口をぱくぱくさせる。怒りと羞恥でかえって声が出ないようだ。

 直属の上司である組合長はちょっと気の毒そうな顔になった。


「爺さん、ぶっちゃけすぎだろ。ちったぁ若い者の矜持とか保守とか考えてやったれよ」

「イヤじゃわ。めんどくさい。だいたい、おまえさんがビシッとやっつけておかなんだのが悪いんじゃろ。うちは内部でとっととやったぞ」

「あー。追い出せ派いたわけか」

「儂等年寄りはそうでもないんじゃが、まぁ、家庭持ちの若ぇのがな。特に最近来た連中に多くてなぁ。そんなに不安なら安全な場所に逃げていけ言うたら本当に一部は逃げおった」

「へぇ。一部」

「あの商会のおかげで、うちの鍛冶場はそりゃあ凄まじい設備が揃っとるんじゃ。なかなか手に入らん鉱石やらが入るようになったし、燃料も豊富になって、これからまさに職人の力量を試せるってぇ時に! なんでまたここを離れるよ? 相手が魔族? 知らんがな。儂等にゃあエエお得意様じゃわ」

「背信者になるつもりなんですか!?」

「言葉ァつつしめノイス!」


 パン組合長の怒声が響き渡った。


「てめぇの勝手な尺度で他人の信心をどうこう言うんじゃねぇ!」

「ですが、魔族を!」

「だからその前提がっつーかもうめんどくせぇな……おめェ、そんなにあいつら嫌いか?」

「好きとか! 嫌いとかじゃなく! 魔族なんですよ!?」

「……おめェ、教会の熱烈な信者か?」

「そんなことはどうでもいいでしょう!?」

「いンや大問題だ。おめぇの頭が固すぎて問題だ」


 ビシッと額を指で弾かれて、副組合長(ノイス)は目を白黒させた。

 パン組合長は情けない顔で太いため息をつく。


「おめーが言ってるのはな? 言っちまえばだ、おめぇがちょくちょく女房の目ぇ盗んで行ってる娼館のお嬢さんがたをだ、『あの連中は娼婦だから汚れている! 追い出さなければならない!』つってるのと同じよーなもんなんだが、理解してっか?」

「はぁ!?」

「……あーこりゃ根深いわ……」


 ぴしゃりと片手で顔を覆ったパン組合長のかわりに、商業組合長が訝しむように眉を寄せる。


「どうも理解しとらんようだから言うが……儂等は別にお前さんの言動を理解しとらんわけじゃ無い。子供も小さくて旅にも出にくい、綺麗な家も持ててようやく運が向いてきたような気がしたのに、それを手放して女房子連れで外に出て、はたしてうまくやっていけるのか将来に不安もある。他の街に行ってもすぐにパン組合に入れるとは思えんしな」

「…………」

「そんでだ、原因が魔族にあるなら、どっか行って欲しいと。そういうわけじゃろ? そんな怖いもんに関わりたくない。そういうわけじゃろ?」

「……誰だって、そうじゃないんですか」

「それがなぁ、お前さん、気づいてないのか分かってて見ぬふりしてるのか知らんが――この街を綺麗にしてくれたのも守ってくれたのも、『今』のこの街がこうしてあるその全てが、お前さんが魔族だからどっか行ってくれ、っつっとる人らのおかげだろが?」

「…………」

「それともなにか? 元の形に全部戻して、景気もよくなくして、それからサヨナラしたいか?」

「な……」

「今の街も欲しい。景気も良いままであってほしい。でもそれをくれた人は追い出したい。……お前さんの言ってることは、傍から見たらそういうことだ」

「ですが! 魔族は悪魔みたいな連中で!」

「そもそもだが、儂、魔族なんて今まで会ったことないからのぅ……。悪魔みたいだなんだと言われても、悪魔にも知り合いおらんしのぅ」

「存在そのものが悪なんですって! 魔族なんですから! 悪魔ですよ!?」

「もっとよく分からん。悪魔と別の種族じゃろ? 別物じゃろうと思うんだが? なんで同じ扱いなんじゃ?」

「な……なに言って……」

「いや、魔族と悪魔、同じ種族なのか? よぅ分からんのだが。聖書に載っとったかの?」

「悪魔族と魔族は、別の種族のはずですね」


 やりとりをずっと見ていた領主が口を挟んだ。


「古い聖書と新しい聖書では内容が少し違っていたはずです。リヒト神父、詳しい話をご存じでしょうか?」

「左様……領主様は博識でいらっしゃいますな。旧約聖書には悪魔が、新約聖書には魔族が、悪の象徴として書かれております」


 品よく微笑んで頷く老神父に、今まで黙っていた彫金組合長は首を傾げる。


「名前を変えただけでは無いんですな?」

「明らかに別物でありましょう。旧約の一節にこうあります。『其は形無き者。常に人の世の傍らにあり、心に忍び込み災いの種を植えゆく』。新約にある一節はこうです『其は強大な魔力を有し、美しき人の姿にて人心を惑わす者也』。無形と有形。同じものが姿を変えたにしては、あまりにも違いすぎておりましょう。別の者に変えたと見るほうが納得がいきますな」

「……なんで、そんなことを?」

「さて。我々の曽祖父どころかこの国すら生まれる前の出来事ですから、その時何が起きてそうなったのかまでは、分かりません。さすがにその文献は教会にもありませんでしたからな」

「……そうか。私が読ませてもらった文献にも、さすがにその当時のことは書かれていなかったな」


 二人の会話を聞いていた裁縫組合長が手を挙げる。


「ぶっちゃけ、問題の焦点は二つよね? 一つは『グランシャリオ家は魔族かどうか』。もう一つは『教会が敵視しててもしかすると神敵発動で戦争を仕掛けられるかもしれないが、どうするか』。あってる?」

「あっとるあっとる」

「ついでに『実際に教会は動くのか』と『国はどうするつもりなのか』も問題かのぅ」

「じゃあさ、一個ずつ片づけていこうよ」


 ぽんぽんと机を叩いて、四十半ばの裁縫組合長は言った。


「まず、『グランシャリオ家は魔族かどうか』。これは?」

「グレーじゃの」

「限りなく黒に近いグレーっぽい気がするの」

「あれだけ全員強烈な魔法使いだったら、そういう魔法使い軍団なのか、種族なのか、っつーところだわな」

「容姿端麗だったしのぅ」

「そういや新約の聖書にゃそう載っとったか。じゃあ、あの神々しいぐらいべっぴんな商会長さんは、あれだな。魔王だな」

「えらくまた可愛らしいべっぴんな魔王じゃなぁ」

「子供の魔王とか初めて見るわ」

「それどころか魔王とか夢物語じゃわ」

「それ以前に魔族がハジメテじゃろ」


 年寄り連中が笑うのをパン組合副組合長は信じられないものを見る目で見ていたが、まさか本当にそれが真実だとは誰も知らない。


「んじゃ、結論は『たぶん魔族』ぐらいで」

「「異議なし」」


 さくっと決められて、若い領主がおかしそうに口元を抑えて笑いをかみ殺している。


「次が問題だねぇ……『教会・神敵発動』、はい、どうするか」

「そこ、略すんか」

「うーむ。やっかいじゃのぅ。正直、儂は魔族云々より教会のほうが怖いわ」

「儂もじゃ」

「神敵発動したら逃げるしかないからのぅ……連中、生きながら火あぶりぐらいするじゃろ?」

「……なんかどっちが悪魔か分らんやり方じゃよな……」

「ほんまな……」


 しみじみ言いあう組合長達に、老神父がやや困り顔。


「んじゃ、結論は『教会がコラァ言うてきたらケツまくって逃げる』ぐらいで?」

「「異議なし」」

「いやまて、どこ逃げるよ?」


 思わずツッコミいれたパン組合長に、老人達は唸る。


「あほぅ。海があるだろが」


 漁師組合長がギロリと睨んだ。


「おお、それだ」

「それじゃあ。グランシャリオ家に頼んで船出してもらおうかねぇ。お代がいくらかかるのかちょっと要相談だけれど」

「あー……その手があったか」


 彫金組合長と錬金術師の老婆の隣で、パン組合長も納得する。反対側の隣にいる副組合長が絶句しているが、誰も気にしなかった。


「まぁ、そこらへんは後で細かくつめるとして、次だね、次。『実際に教会は動くのか』と『国はどうするつもりなのか』だけど……」


 裁縫組合長はチラッと老神父と領主にそれぞれ視線を向けた。

 二人は苦笑する。


「……教会は、おそらく、一部は動くでしょう。どう動くかまでは、今のところ分かりませんが」

「国は、教会しだいでしょうね。おそらく、国だけの問題なら何もしないでしょう。ですが、ここに教会が動くという布石がある。――教会の圧力に屈するのか、それとも跳ねのけるのか。ある意味未知数ですが……」


 そこまで言って、領主はうっすらと微笑んだ。


「第一王子の一件もありますし、あちらの方々の反応も良いようですから、全てが敵に回る可能性は少ないでしょう」

「そういえば、領主様は宰相閣下に後見をお願いしていたのでしたか」


 領主就任時のことを思い出して言った老神父に、領主は微苦笑を零す。


「はい。厳密に言えば父の縁ですが」

「……もしや、今も時々便りなどをされておられますかな?」


 微笑みながらの問いに、領主は笑みを深くした。


「ええ。度々(・・)

「それは重畳」


 領主の後ろに控えている老執事が深く頷く。グランシャリオ商会の長が街を発ってから、主が方々と頻繁に手紙のやりとりをしていたのを老執事は知っていた。その中には勿論、宰相も含まれる。


「宰相は、商会のことをなんと?」

「お人よしすぎて心配だ、と」


 どよめきはわずかに笑いを含んでいた。組合長の座にいる者達は、それぞれが商会の長と面識がある。その魂すら奪われそうな美しさと共に、言動もまた脳裏に深く刻み込まれていた。

 年齢故か、それとも性格か――とかく、あの商会の長は妙に将来が心配になるほど、お人よしなのだ。


「あれはなんだろうな……人が良すぎてこう、かえって商売っ気を出しにくいというか」

「わりとシビアなところもあったがのぅ。じゃが、なんというかこう、お菓子一個でなんでも『いいよ!』と言いそうな危うさがあるというか……」

「ああ、分かる分かる」

「あれだな。知らない人について行っちゃいけませんと言わないといけないタイプだよな、あの坊ちゃん」

「どこぞの変態にお菓子あげるからこっち来なさいとか言われんか心配でしょうがないのぅ」

「お目付け役がおるから平気じゃろ?」

「いたか?」

「おらんかったか? 顔も覚えとらんが」

「なんかおった気はするのぅ……どんな背格好かも覚えとらんが」


 真剣に語り合う面々に、直に会ったことのない副組合長クラスの面々が困惑顔になり、領主はそっと視線を遠くへ馳せる。


「んじゃ、結論。『教会はなんかやらかす』『国は教会次第の日和見だが、上の人の一部は好意的』。こんなとこ?」

「「異議なし」」


 これまたサクッと決めた裁縫組合長は、視線を領主へと向ける。


「まぁ、こんなところです、領主様。色々ぶっちゃけちまいますとね、いい暮らしさせてくれるなら、どこの国だろうがどの民族だろうが、暮らしてるあたし達にはどうだっていいんですよ。もともと、こう言ってはなんですけど、この辺って見捨てられた感が酷かったじゃないですか。神様が見捨てて魔族が拾って助けてくれるってんなら、そっちに縋りたいって時代を生きてきましたからね」

「よく分かるよ」


 領主は若さに似合わない深みのある声で答えた。実感のこめられたそれに、裁縫組合長はホッとしたように笑う。


「不敬罪やらなにやら言われなくてよかったですよ。……ですがまぁ、教会が敵になるのは、正直怖いっていうのはあるんですよね。そこらへん、領主様としてはどうお考えです?」


 まだ二十歳にもなっていない領主は、この問いに静かな表情で答えた。


「死の黒波を超えるほどの恐怖を、彼等がもっているとは思えない」

「……それは……確かに」


 言われて、裁縫組合長は妙に気持ちが落ち着いているのに気付いた。納得したのだ。

 なぜ、今まで、自分達が『教会が敵に回る』ことにそれほど怖がらずにすんでいたのか――その理由を明言してもらって。


「もちろん、魔物ではなく人間相手だから、違う意味で怖い状況になりそうだ、というのは分かっているんですけどね。経済制裁や流言飛語などの攻撃もされるだろうし、おそらくそれは長くに亘って行われるでしょう。この街だけならとてももたないはずです。どことも繋がっていないのなら」


 例え街を包囲されようと、海側さえ封鎖されなければ、ロルカンは長期間にわたって籠城戦も出来る。

 それになにより、この街はあの商会と繋がっている。


「私はね、あの人達が人間かどうかについては、実際のところ、どうでもいいことだと思っている。それよりももっと大切なものを、私達は知っているはずだから」


 領主は全員を見渡す。


「私は覚えている。飢えと悲しみと苦しみと絶望を。泥のように疲れて、満足に眠ることも食べることもできなくとも、ひたすら頑張れどもなお、決して良くならなかった暮らしの日々を。彼等が現れてから、その全てが変わった」


 一度瞑目するように視線を落とし、もう一度上げた時には強い色がその目にあった。


「飢えに苦しまずにすむようにしてもらった。今まで見たこともないような清潔で居心地の良い住居を与えてもらった。もう死を覚悟しなくてはいけないような貧困にあえがなくてもよくなった。街のそこここにあった病魔はいつの間にか消えていた。冒険者達が警備をしてくれるから、物陰で弱者が虐げられることも少なくなった。今まで食べたことのない美味しい物が店に並ぶようになったし、皆に笑顔が戻ったように思う。若い娘や子供を――大切な家族を――売らなくてもすむ家が増えたと思う。誰かを殴ったり虐げたりしようとする者も随分減ったよね。お年寄りや、他の人のように動けない人達も、出来る仕事を沢山もらって生き生きしている。それに、来年には新しい家族が増えるという家庭が増えているんだ。子供を産んでも育てれる環境が出来たからだと思う。……それらを用意してくれたのは、彼等だ」


 一つ一つを挙げていけばきりがないほどに、沢山のものを与えられているのだと領主は暗に告げる。


「私は、あの人達ほど誠実で、優しい人達を知らない」


 ただの事実を、万感の思いで告げる。


「私達は皆、それを知っているはずなんだ。例え彼等が『誰』であろうとも。私達は彼等の正体を知っているはずだ。――優しくて、温かくて、頼もしくて、時々窘めてくれて、時々不思議で、安心感のある――父や母のような隣人を」


 誰よりも仁慈深く、愛を与えてくれる人。

 善き隣人。

 自分達にとっては、正しく救世主であった人達。


「私は、彼等を父母に等しく愛している。彼等の真っすぐな行いも、その強さも、心から敬愛している。――それなのに、私は未だにただの一つも、彼等に借りを返せていない」

「……儂もじゃ」


 鍛冶組合長が頷き、次々に声があがった。

 領主は続ける。


「与えられたものを、ただ受け取っているだけでは駄目だと私は思う。今までの私達は赤ん坊だった。けれど今、ここにいる私達は、まだ赤ん坊のままだろうか?」


 組合長達は向けられた眼差しを見返す。

 強い意思をこめて。


「私達は自分の足で立てるようになったはずだ。自分で自分を支えれるようになったはずだ。なら、もし誰かが彼等の足を払おうとしたのなら、倒れてしまわないよう手を伸ばすことが出来るんじゃないだろうか。あの日、あの時、倒れ伏していた私達を助け起こしてくれた彼等を」


 今度は、自分達が。

 一同を見渡し、領主は告げた。


「共に在れないと思う人はこの街を――いや、この領を出てもいい。その為の費用がいるというのなら、家屋を引き取るかわりに出来るだけの工面はしよう。無理につきあえとは命じない。通行証はいつでも発行する。――それを前提として、私はアヴァンツァーレ家領主として明言する。我が領においてグランシャリオ家を害することは決して許さない。それが国であれ教会であれ、我等の恩人を傷つけんとする者は我が領を傷つけんとするのと同じだ」


 例えそれが国を裏切り、教会に背信と呼ばれることになろうとも。




「我が領は、グランシャリオ家と共に在る」






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