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メビウス・クラウン ~あなたに至る為の物語~  作者: 野久保 好乃
零: Je veux vous voir à nouveau.
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序章 滅びの魔王




 闇を走る炎が、貪欲な蛇のように屋敷中を這っていた。その身に絡み取られたタペストリーが燃え上がり、周囲を一際(ひときわ)明るく照らす。

 砕け散り、もとの形すら分からない柱と壁。屋敷のいたる所に横たわる、物言わぬ(むくろ)達。

 炎の赤に照らされて、血溜りは逆に闇の色を深めていた。人々の欲をかきたてた金も、優雅な大理石の彫刻も、今はもはや朱と黒の色に染まりきっている。


 何故、と。幾度となく思った言葉が脳裏をかすめた。


 絶望的な戦乱の中、何度同じ言葉を繰り返しただろう。最初に家族を喪った時に。愛する者を奪われた時に。世界から敵と定められた時に。何度も。何度も。


(何故)


 ただの戦場であれば、この胸に過ぎるのは憤怒と復讐心だけだっただろう。こんな虚無を抱くことはなかっただろう。だが、ここは常の戦場では無かった。倒れ伏した影は小柄な者が多い。十にも満たない幼子。母に抱かれた赤子。枯れ木のように細い体の老婆。


(何故)


 戦に巻きこまぬよう、遠くへと逃していた女子供達の隠れ住む屋敷だった。深い渓谷の奥の奥。知らなければ見過ごされるだろう辺境の地。地図も持たない人間達が、都心部から離れたこの地を襲うとは考えられなかった。まして非戦闘員ばかりの屋敷だ。襲う道理は無いと思った。それが間違いだった。


(何故……!)


 急襲の報を受け、必死に駆け込んだ時には隠し通路にすら攻め込まれていた。

 どれほどの命が失われか。どれほどの惨劇が行われたのか。それ程の死がそこにあった。千切れ、串刺され、原型すら留めぬほどに打ち殺された躯が。


「――!」


 声にならない慟哭(こえ)(ほとばし)る。それを嘲笑(あざわら)うかのように、逆巻く炎が揺らぎ踊る。切り飛ばされた部下の首が、その炎へと消えた。身を挺して俺を庇ったその体に、幾つもの剣が突き立っている。

 一瞬にも満たない刹那に合った部下の瞳。俺を見る眼差し。そこにあった祈るような思いと安堵の色。――自身は切り裂かれ、命を失ったというのに。

 

 逃げてください、と。


 幾度も言われた。

 神族に(そそのか)された人族の数は膨大だった。十の民に千の数で挑まれるほどに。まして神族から過度な力を与えられた彼らは、その刃でもって自分達の体を易々と切り裂いた。だから言われたのだ。――『逃げてください』と。

 戦が始まった時から負けは決まっていた。覆された戦力差。世界中から向けられた殺意。どれほどの罠が張り巡らされていたのか、今となっては(よう)として知れない。滅亡は間近で、その中にあって尚、先陣に立とうとする度に命がけで引き戻された。――守るべき愛する民の手で。『貴方だけは失えない』からと。


『生き延びてください』

『貴方がいる限り、魔族は滅びない』

『たとえ何があろうとも、貴方だけは――』

 

 強大な力を有する魔族の中にあって、最強の存在。

 力の全てを解き放てば、世界すら数度にわたり滅ぼせると言われし者。


 それが『俺』――第百九代目魔王。


 だが、実際にはどうだろう。

 この『戦争』が始まるより前にかけられた【神の呪い】のせいで、俺の行使できる力は上級魔族程度に押さえつけられていた。無理に使えば、自らの魔力で全身が切り裂かれる呪いだ。たとえどれ程強い魔力をもっていようと、使える力が抑えられていては意味が無い。

 いっそ、最初の被害が出た時点で、人間を滅ぼしていれば良かったのだろうか。こんなことになる前に――まだ、同じ世界に生きる他種族を信じていた、あの時に……


(俺は、間違った)


 他の種族を――精霊を、妖精を、妖魔を、人間を――信じたのは誤りだった。

 呪いをかけられた瞬間に、連中の策略に気付いた。人族や精霊族の一部に虐殺された魔族(なかま)は、神族が呪詛を発動させる為の贄だった。だが気づいた時には遅かった。

 時をかけて数を減らされた民。

 削がれた力。

 世界規模で展開された殲滅の為の包囲網。

 その全てが一つの目的の為。


 俺を――魔族を――滅ぼすこと。


(よくも)


 憎しみが深まる。だが分かっている。滅びは間近。死は免れない。

 この地を救いに行くことも反対されていた。罠だからと。

 力を十全に発揮できぬように仕組まれた、俺を死地に誘う為の罠だからと。

 けれど、民すら守れない王に何の価値があるのか。首を失い倒れる部下の体を抱きとめたとて、その命を呼び戻す術は無い。


(見捨てられるものか)


 罠と分かっていようと、助けないという選択肢は無かった。例えその先に自身の死があろうと。どれほど俺の生存を願われようと。

 ――せめて、少しでも次代(民)の命を。


「【滅びを(シュト・)齎す者(アポフティレィ)】! 貴様の悪行も――」


 襲撃者の口上をみなまで言わさず、手の一振りで辺り一面を塵に変えた。片方の屋敷を崩し、外へと続く隠し通路の入口を塞ぐ。退路を断った形だ。だがこれで、僅かでも時間稼ぎになるだろう。


(逃げよ)


 せめて、護衛につけてある部下と共に、僅かに残された彼女達だけでも。

 すでに防衛の仲間は全て殺された。塞がった出口を背に、此処(ここ)を守れるのは俺一人。

 人族はまだ残っている。屋敷に突入していない兵だけでも十万を超えるだろう。

 目の前、こちらの魔法を強固な守護結界により生き延びた者は数名。神の尖兵――『勇者』の一行。

 互いの目にある怒りと憎悪。

 刃が閃く。受け、切り返す。

 死に対する死。

 報復に対する報復。

 復讐の連鎖は、もはやどちらかの種族が滅びない限り消えないレベルにまで達していた。――人と、魔族の間で。


「魔王め……! 皆の仇、討たせてもらう!」

「戯言を。我が民を虐殺した報い、受けるがいい!」


 勇者の魔法と俺の魔法が正面からぶつかり合う。

 呪いで抑えられた力では、相殺させる程度の威力しか無い。だが高い魔法耐性のある俺と違い、抱いたままだった部下の骸は塵と化した。――骸すらも、残してはくれぬのだ。

 勇者が連続して魔法を唱える。仲間と共に行使される集団殲滅型魔法――この周辺全てを吹き飛ばす程の。


(馬鹿な)


 共にある他の命を一切考慮しない大魔法。俺自身でいえば、防御魔法を使えば凌げれる程度の。

 ――いや、ならば、勇者一行なら耐えられるということか。


 けれど、この背に庇った通路の先、

 まだ避難中の女子供は――

 転移魔法で逃がせば、俺自身の防御は無く――

 そも、世界が敵に回った状態で、転移程度では逃したと言えず――


 思考は一瞬。瞬き一回分にも満たない刹那。

 選ぶ。残すべき命を。

 編む。世界への魔法を。

 発動させる。――選んだ命を守る為の防御と異空転移の魔法を。

 例えそれで魔力を枯渇させることになろうとも。――呪いでこの身が滅びようとも。



 全てを滅ぼす白き光の中で、嘲笑う声が聞こえた。

 未来は定まった。

 死の痛みは、けれどこの胸臆の思い(痛み)程では無い。

 あらゆる思いが爆発する。もう留める必要は無い。この世界を呪ったとて、逃がした同胞には及ばない。

 ならば、

 ならば、



【――世界よ、滅べ】



 全身全霊で願う。



【――命ある者は全て争い、絶望の果てに死に絶えればいい】



 裏側で全てを企み、こちらを嘲笑う神族が、どんな反応をしたのかは知らない。

 目の前の勇者が驚いていた気配だけは覚えている。

 同じく、少し遠いどこかで誰かが泣いていたのを――……





 けれど俺の意識は白い闇に溶け――誰かの掌の感触を最後に、途絶えた。







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