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想起

これは。体中を高圧電流が駆け巡るような衝撃が突き抜けていく。まさか、これは。


資料に目を通していた俺は、ある項目を見つけた途端に石のように硬直していた。


言葉も出せずにただ、両手に紙束を広げ持ちながら立ち尽くしていた。


夕方の出来事が呼び起こされる。こんなことが、できちゃうんだ。私――


「茜……まさか」


急いでページをめくっていき、目的のものを見つけた。


実験者――志島悠一。


そこに一番書かれていて欲しくなかった名前を、見つけた。見つけてしまった。


その名前は見紛うことなき父の名だった。


どうして――!?


茫然自失としていた俺は失意の中でほとんど無意識にレポートのページをめくっていた。


そしてそのページに差し掛かったとき、何も見ていなかったかのような俺の目の焦点があった。その実験には、「閉鎖空間におけるR.H.P.及びCN-messiahの観察記録」という題がついていた。専門用語は全くわからなかったが、二つだけ俺の目を引いた単語があった。


まず一つ目。「被検体0341(痛覚喪失)」――これが指す人物に、俺は心当たりがあった。


そして二つ目。「CN-messiah」――辞書で調べてみると、後半部分は、カタカナで書くとこうだ。


メシア――。


思わぬところに現れた繋がり。どこがどうして、どうなっているのかがきちんと整理できないまま、焦る俺はどんどん自分を追い詰め混乱させてしまっていた。


まだこの件とあの河原の少女との関係性が明らかになったわけではないだろう、と自分に言い聞かせる。


そこでふと気がつく。河原の少女と、約束。忘れていた、その存在。


閃めきの刹那、俺は着の身着のままで外へ飛び出していた。






・・・・・・・・・・・・・・・






「待っているだけでは駄目。時には自分から動かなければならない場面があるのよ」


謎の女の子の言っていたことを、再び思い返す。


これで何度目だろうか。繰り返す思考は幾度も同じ答えを導き出すのだが、どこかにそれを否定する自分が現れて自問は振り出しに戻るのだ。


本当はこう思いたいのだ――ナリヤに、会いに行きたい。


しかし、ナリヤは約束を果たしに来なかった。その理由を想像すると、胸が締め付けられるように痛む。


きっと我が会いに行ってもナリヤは――そうして、もう一度ループする。


しかし、少女は今度はこう考えた。


ナリヤは我の僕なのだ。


だから、文句など言わせるものか。


知恵の輪が解けたような――そして、銀の髪の少女は走り出した。


棲み慣れた河原をあとにして。






・・・・・・・・・・・・・・・






通い慣れた河原に辿り着いた。


首を半ば振り回すようにして辺りを見回すが、目的の姿は見つけられない。


我慢できずその名を呼ぶ。


「メシア――――!!」


「あなたは……?」


しかしそれに応えたのは、名を呼ばれた少女ではなかった。


黒づくめの全身が、橋の影から音もなく現れる。


「志島成也……?どうしてここに」


「お前……碧!?どこだ、メシアはどこにいるんだ!?」


「……落ち着きなさい。志島成也」


「これが落ち着いていられるかっ!メシアは……メシアはっ!!」


「落ち着けと言っているの。聞こえなかったのかしら」


凍てつくような声が浴びせかけられた瞬間。俺は金縛りにあったように動けないでいた。


手指の先すら思う通りに動かない。辛うじて声を発することはできたが、叫ぶことなど到底できそうもない。


「な……んだよ、これ」


「少し頭を冷やしなさい」


言われた通りに、とも言えないがマグマのように煮えたぎる激情に任せて動いていた体を縛られたことで、俺は肉体的にも精神的にも落ち着きを取り戻しつつあった。


やがて体の火照りがほぼ収まった頃、体の自由が返還された。


「……落ち着いたぞ」


「それはよかった。衝動に突き動かされていては自らをも滅ぼしかねないもの」


「……だけど、メシアは」


「あの子ならあなたに会いに行ったわ」


「……え?」


その言葉の意味を理解するのに数秒の時間を要した。


そしてその数秒の間に浮かんだ疑問を、ぶつける。


「なら……どうしてお前はそのことを知っているんだ?それと、どうしてお前がここにいるんだ?」


「どうしてどうしてと質問の多い男ね。――いいわ。答える」


そして一息つくと、少女は答えた。


「まずは一つ目。これに関しては――私は彼女のことなら何でも知っている、としか答えようがないわ。それ以外の表現方法を、私は知らないもの」


「つまり……ストーカー、みたいな……?」


「失礼極まりない発言ね。無視するわ。――それで、二つ目。ここに私がいるのは……そうね、私が既に失われた存在だから。とでも言うのかしら」


「失われた……ってどういう意味だ」


「不躾な質問ね。そのくらい察しなさい」


と言われるものの、俺には思いつくことが一切なかった。


そんな俺の様子を逆に察したのか、碧はため息をつきながら話し始めた。


「はあ……。本当、鈍感な男。――仕方がないから教えてあげるわ、特別に。……私は今、ここにいるべき存在ではないのよ。それでも私は、意志と執念の力でこの世に留まっている」


「それって……まさか」


「そうよ。だって……こんな未練を残したままで、常世へ逝ける筈がないじゃない」


「つまり……お前はすでに死んでいる……ってことなのか」


「……そうとも言うわね。――それと、あなたは今の台詞を言いたかっただけと私は推測するのだけれど」


「そこは言わないで欲しかったよ……」


相変わらず、この漆黒の娘は掴み所のないような不思議な雰囲気を持っていた。そして彼女は墨で染めたような髪を揺らしながら、次の言葉を待っているかのようだった。


「……それで、そのお前が失われているっていうのとお前がここにいるのとどういう関係があるんだ?」


「私はこんな体のおかげで、どこへだって行けるのよ。どこにだっている、神出鬼没、そんなところかしら」


「それじゃあ俺の質問には答えていない」


「欲張りね。じゃあ、言うわ。たぶんそれは、こうなることが薄々わかっていたから」


言い終えると、碧はにわかにその表情を崩した。


見たこともないその表情に俺が驚く間もなく、彼女は服の裾を風にはためくカーテンのごとく翻してそっぽを向いてしまった。


そしてそのままの体勢で言った。


「あなたはあの子のことをどう思っているの?」


「…………それは」


「答えて」


再度こちらへ向けられた碧の顔は、いつも通り無表情に見えたが、どことなくいつにない真剣さを醸しているようでもあった。


催促するようにこちらを見つめる碧に、しかし俺は答えられないでいた。


俺は。


本当は何を望んでいるのだろう。


……そうだ。


俺が求めているもの、それを考えれば今何を言うべきかは自ずと見えてくる。


俺は決意したように口を開いた。






・・・・・・・・・・・・・・・






「……やはり、彼は」


「まだ……まだよ、まだ終わってない」


「夏葉……」


「終わらない……絶対に、諦められない……!」


「…………」


「……碧」


「こうしていると、同性の恋人のように思えない?」


「ああ……そういえば、あなたそんな趣味があったわね」


「失礼な言い方ね。それに、昔の話よ。まだ恋愛のれの字を、その本当の意味を知り始めた頃だったもの」


「…………ごめんなさい」


「どうしてあなたが謝るの?あなたには何も責められるところはなかったじゃない」


「でも……あの時私が」


「今更もしもの話をしたところで何も変わらないわ。あなたは何も悪くない。私がそう言うんだもの。それでいいじゃない」


「……それもそうね、なんて言ったらあなたは幻滅するかしら」


「そんな心配はするだけ無駄よ。私はずっと……ずっとあなたを」






・・・・・・・・・・・・・・・






家に帰ってからも、俺は気に病んでいることが頭にこびりついて離れなかった。


メシアはどこへ行ってしまったのか。


そして彼女は約束を破った俺を、どう思っているのか。


考えても仕方のないことだと分かっていながらも、考えずにはいられない。


そうして発展のない思索を続けながら、少しづつ眠りの淵に堕ちていく。


今日はまた夢を見るのだろうと、不思議な予感が俺の中にあった。






・・・・・・・・・・・・・・・






俺は二人の少女と一緒にいた。


そのうちの一人がこう言う。


「三人で、ずっと一緒にいれば――」


その言葉は最後まで続かなかった。


途中で切れてしまった言葉とともに、まるで電源を急に落としたかのように少女が床に倒れ伏す場面が目の奥に焼き付く。


次の瞬間、俺の視界は暗闇に支配された。


その闇の向こう側から、身の毛がよだつような絶叫が聞こえてくる。


もう……止まり……止まる……。


そう言っているようにも、ただの意味のない叫びにも聞こえるそれは、この世のすべての音を塗り替えながら響き続けた。


俺は黒一色の場所で、それをぼんやりと聞き続けた。






・・・・・・・・・・・・・・・


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