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暗雲


「先輩……先輩……」


俺を呼ぶ声が聞こえる。


そうだ、俺は何をしているんだ。


俺には行かなければならないところが、


「先輩っ」


「お?さ……早夏か」


「もう……早く起きないと、遅刻しちゃいますよ」


隣からの声に首を回すと、可愛い後輩の顔があった。しかしここは学校ではない。俺の家、俺の部屋、俺の狭いベッドの上。そして息がかかるほどに近い距離。


昨日のことが思い出され、急激に体温が上昇したような錯覚に駆られる。


「えっと……昨日は、ごめん」


「へ?なにが……ですか?」


「いや、なんか変な感じになっちゃってさ……その、あんなことを」


「…………」


無言で頬を赤らめる早夏。その些細な仕草にさえ、意識を奪われる。


俺はもう、早夏に釘づけになっていた。


「……いいですよ」


「え?」


「先輩になら……いつ、どんなことをされても……いいですよ」


誘うような台詞。


まだ、学校が始まるまでは時間があった。






・・・・・・・・・・・・・・・






「先輩のばかぁ……」


「いや、ほんと、ごめん……」


何度確認しても、時計の針が指している時間は授業真っ最中のものだった。


しかし俺たちはまだベッドの上にいた。


「出席日数足りなくなったら先輩のせいなんですからねっ」


「うん……ごめん」


「でも……先輩と一緒にいられるなら、それで……」


「早夏……」


確かめるように、唇を触れ合わせる。


壊れ物を扱うように、優しく。


今日は精神的にも余裕がある。気遣いは大事だと、父も常々言っていた。


しかし早夏が求めているものは全く違っていた。


「先輩……もっと、激しくしていいですよ――昨日みたいに、もっと乱暴なくらいが……」


「あ……でも早夏、学校は」


「サボっちゃいましょう」


「えっ」


「学校で教えてくれないこと……ありますよね?先輩……」


相変わらずベタベタな誘い方。


しかし、俺はそんな文句にも乗っかってしまいたかった。


もっともっと、早夏が欲しかった。






・・・・・・・・・・・・・・・






「ナリヤ……」


か細い声は、吹き寄せた風にかき消される。


目の覚めるような緑の中、少女は孤独だった。


身の拠り所としていた約束は果たされず。踊っていた心は急激に凍りつき、動かすだけで鋭い痛みが走る。


断続的に聞こえる流れる川の音すら、彼女の不安を掻き立てる材料でしかなかった。


そんな彼女は、音を聞いた。草を踏みしめる、靴の音――


「ナリヤっ!?」


期待に満ちて振り返るも、そこには待ち侘びた姿は見えなかった。


代わりに、女の子が立っていた。


覚えがあるような、ないような。


記憶を探っていると、凛とした声が耳を刺した。


「彼は来ないわ」


「……どういうことだ」


「待っているだけでは駄目。時には自分から動かなければならない場面があるのよ」


「だからそれはどう言う意味だ!?それに、貴様は何者だっ!?」


わけのわからない台詞に、苛立ちが募る。


思わず叫んだ問い掛けに、少女は冷たい声で答えた。


「今は教えられない。それはあなたが自分で気づくべきこと」


「なっ……ま、待て!言うだけ言っておいて逃げるな、無礼者っ!!」


言い終わるやいなや、踵を返して悠然と去っていく少女を呼び止めようとする。


しかしその声は虚空に吸い込まれてしまったかのように、少女は聞く耳も持たず、その歩みを止めることはなかった。


そして彼女は再び一人になった。


今度は、消えることのないもやを心に抱えて。






・・・・・・・・・・・・・・・






「先輩。お昼ご飯、何食べたいですか?」


「もしかして、作ってくれるのか?」


「もちろんっ。それが、新妻の務めですから」


すべすべとした頬を朱に染めながら言う。


新妻。その言葉には奇妙な現実味があった。


すぐにでも早夏を自分だけのものにしたい。俺は、自分でも知らなかったが、独占欲の強い性格らしい。


しかし、そんな自分をどこか冷めた目で客観的に見つめる自分の存在にも気づき始めていた。


その自分は、こう問いかけてくるのだ。


何をそんなに焦っている?


言われて考えると、確かに少しでも早く、早く、と生き急いでいるかのような気持ちがある。


しかしそれは早夏をほかの誰かに奪われてしまうのが怖いからだ――そう勝手に結論付けて、


「じゃあ、あの卵焼きをもう一度食べたいな」


「先輩……ええ、任せてください!愛情込めて、美味しく作りますからっ」


若干張り切りすぎて力んでいるようにも見えるが、そんな早夏も愛おしかった。


昼ごはんが待ち遠しい。本当の幸せというのは大事な人と過ごす日常なのかな、そう思えた。






・・・・・・・・・・・・・・・






「なんだ、志島はまたサボりか」


「……成也君」


茜は、心配していた。


やはり彼の身になにか起こっているのではないか。そんな確信とすら言える予感が、彼女の内に芽生えていた。


二日も連続で成也が学校を休むのは、彼女が知っている限りでは初めてだ。それも当然とは言えるが、彼は今日は連絡もなしに来なかったのだ。


机の下で、携帯電話の電話帳を呼び出す。


目的の名前を見つけ、メールを作成しようとして、手が止まる。


「…………」


何をしたいのだろうか。


私は、一体彼をどうしたいのだろうか。


疑問は渦を巻き、彼女を苛んだ。見えない鎖が今も彼女を縛っているかのように、彼女の手は小刻みに震えながら止まったままだった。


「おい、茜。どうした、もう授業終わってるぞ?」


「優人君……」


いつの間にか自分を呼び捨てにするようになった、成也の親友がこちらの顔を覗き込むようにして話しかけてくる。


その顔を見て、一つの考えが浮かんだ。


「ねえ、優人君」


「ん?なんだ、愛の告白か?それなら人気のないところで――」


「冗談を言っている場合じゃないの。今日、放課後付き合ってくれる?」






・・・・・・・・・・・・・・・






新婚のような幸せな時間は、もったいないほど早く過ぎてしまった。


気づけば、もうクラスメイトたちは授業を終え下校の準備をしているであろう時間にまでなっていた。


早夏は携帯を見て、お母さんが心配している旨を俺に伝えると、帰り支度を始めた。


「先輩、明日はちゃんと学校に来るんですよ?」


「ああ。早夏に会いたいしな」


「先輩……!大好き、大好きです、先輩!」


「早夏……」


別れを惜しむように、お互いを激しく求め合う。


舌を絡め、唾液が口の中を右往左往する音が室内に一層淫靡な雰囲気を漂わせる。


しかし、名残惜しいが早夏をあまり引き止めるわけにもいかない。唇を離すと、


「そろそろ帰りなよ。親が心配してるんだろ?」


「……そう、ですね。また、いつでもできますもんね」


早夏はまるで自分に言い聞かせるように呟き、体を離す。


そして、ちょっと困ったような顔をして言った。


「お母さんにどう説明したものでしょうか……えへへ」


「う……そ、それは」


「先輩の家であんなことやこんなこと、しちゃってましたって正直に言っちゃいましょうか」


「やめておこう」


「ですよね。お友達の家に泊まってたことにします。連絡しなかったことでこっぴどく怒られるでしょうけど……」


「ごめんな、俺のせいで」


「いいえ。先輩が謝っちゃダメです。それに、先輩といられるならこのくらいへっちゃらですから」


満開の笑顔。俺は、本当に幸せ者だと思う瞬間。


俺は本当に幸せ者なのだろうか。


そんな疑念すら抱くことはなく、笑顔で手を振りながら、最初の角を曲がるまで何度も何度も振り返る早夏を玄関先で見送った。






・・・・・・・・・・・・・・・






「成也君、元気ー?」


「おい成也ー。見舞いに来てやったぞー」


インターホン越しに聞こえてきた声は聞き間違えようもない、クラスメイトの声だった。


鍵を開けて二人を迎え入れると、茜は優人が両手に下げたビニール袋を掲げさせ、


「今日は茜ちゃんがカレーを作ってくれますよー!やったね!」


「おい、見舞いとか言っておきながら何だそのメニュー選択は」


「まあまあ。どうせただのサボりなんだろ?体調悪そうには……見えないし、な」


「ああ。意味もなく学校行きたくなくなる時期が俺にだってあるんだよ」


友人がふたりして自分を心配して家まで来てくれて、更には飯まで作ってくれる。これはこれで楽しく、なんて俺は幸せな人間なのだろうか、と再び思わざるを得なかった。


その幸せを誰かに分けてやるのも悪くないかもしれない、そう思ったときに心のざわつきを感じた。その誰か、に心当たりがあったような気がしたからだ。


しかしその思考は、漂ってきた芳ばしい香りに遮られた。


「じゃーん!茜ちゃん特製ごろごろカレー、完成!ささ、遠慮しないで座って」


「ここ俺の家だぞ。――って、なんだこれ……具がでかい」


「うおっ、なんじゃこりゃ!?じゃがいもなんてこれ、ただ四等分しただけだろ!?」


「あは、途中でめんどくさくなっちゃってさー」


「なら全部自分でやろうとするな、優人にやらせれば済む話だろ」


「えー。優人君にやらせると小指とか入ってそうでイヤ」


「なんだそのイメージ!?野菜切るくらい、俺にだってできます」


「嘘つけ。俺は覚えてるぞ、小学校の家庭科の調理実習」


「あ、あれは……い、今の俺は一味違うんだよ!」


「え、なになに。何やらかしちゃったの?」


「ああ。その時は味噌汁を作るんだったんだけどな。こいつ、何を思ったのか豆腐をみじん切りし始めて……」


「うっわ、流石に意味がわかりません」


「それもまともにみじん切りじゃなくて、なんか乱切り混じりのみじん切りみたいな。わかるか?こう、こんな感じで――」


話しながら頬張った茜製のカレーは、意外と美味だった。


大きすぎる具材にもなぜだかいい感じに火が通っており、柔らかくて食べやすかった。


食べ終わると、一人で片付けをしようとする茜を制して、


「いいよ。俺がやっておく」


「え、でも。私まだいるつもりなんだけど……」


「そうなのか?――っと、俺は帰らないと。仮面レンジャーが始まっちまう」


「……お前まだそんなもの見てたのか」


「わ、悪いかよっ!いいか、仮面レンジャーにはな、漢の浪曼が詰まっていて――」


「いいからさっさと帰れ」


「ちくしょう!釈然としねえが、帰る!」


「あ、ばいばーい。また明日ねえ」


慌てて、玄関先で靴を履くのに失敗して転がる優人を二人して冷ややかな目で見送ると、折角だから手伝うよ、という茜の言葉に甘えて一緒に片付けをすることにした。


二倍の速度で片付いたテーブルを拭き終えると、手持ち無沙汰になった茜に言う。


「ありがとな。でも、まだ帰らなくて大丈夫なのか?親が心配したりとか――」


「成也君は、迷惑?」


「……え?」


「私がここに居ると、迷惑なの?だから帰れって」


「違う、違うって。そういう意味じゃない」


「じゃあどういう」


「そのまんまだよ。心配かけちゃいけないだろ……茜?」


ずっと視線を膝に落としたままの茜に呼びかけるが、反応がない。


しんと静まり返った室内では、物音一つ立たない。


すると茜が突然口を開いた。


「成也君はさ、覚えてる?ちっちゃい頃のこと」


「……いや、全然覚えてない」


「そうだよね。――あのね、私、いないんだ。お母さんも、お父さんも、いないの。どこに行っちゃったかわからないの」


「…………」


「それでね、ちっちゃい頃のことは覚えてるんだ。でも、そこには私の両親は既にいないの」


思わず聞き入ってしまう。


もしかすると、彼女はその明るい性格からは想像もつかないほどの、暗く重い過去を抱えているのかもしれなかった。


「遠い記憶の中で私は、どこかよくわからない施設にいるんだ。それでね、毎日、毎日、大人たちがやってきて私に何かをするの。彼らはそれを研究、って言ってた」


「研究って……一体、何を」


「わからないの。でもね、ひとつだけ、知ってる」


そう言うと、茜は手を胸のあたりまで持ち上げ、右手で左手を撫でるようにして触れた。


そして手のひら全体を使うようにして左手の人差し指を握ると、


「こんなことが、できちゃうんだ。私」


曲げてはいけない方向に、曲げた。


ぼぎり、と嫌な音が耳に張り付くように響く。


茜の左手のその指は、力なくだらん、とぶら下がっていた。


まるで踏み潰された道端の花のように。


「おい、茜!?」


「あは。痛そうに見えるでしょ?」


「当たり前だ!何してるんだよ、お前……!」


「大丈夫。すぐ治るし、それに……痛くないの」


息が詰まる。


今目の前で起こっていることが現実的ではない上に、普通だと思っていたはずの友人が、明らかに異常な行動を示している。


こんな状況で、平静を保っていられるはずがなかった。


「そんなわけが――」


「あるんだよ。無痛覚症って、知ってる?」


「知らない……けど」


「そう。言葉通りだよ。私の痛覚はね、皆死んじゃったの」


そう言って笑う茜は、本当に痛みを感じていないようだった。


そしてその歪んだ笑みをこちらにゆっくりと向けると、


「本当に……覚えてないの?成也君。――小さい頃のこと」


「俺、は……」


思い出せないんだ、と。


俺は答えることができなかった。






・・・・・・・・・・・・・・・






「もう大丈夫だから」


「茜……」


「そんな心配そうな顔しないでってばー。ほら、私はぴんぴんしてますよ、っと」


そう言って手を開いたり閉じたりして見せる茜は、まるでいつも通りに見えた。


しかし、ついさっきこの部屋で繰り広げられた異常な光景は、瞼の裏に焼きついて離れそうもなかった。


茜の左手の人差し指には指の太さが二倍になるほど厳重に包帯が巻いてある。しばらくしたらくっつくからそれまで固定しなきゃね、と茜が言うので俺が処置したのだ。手先があまり器用でないからか、そのギプスもどきはどこか不格好に見えた。


「本当に大丈夫なのか?病院に行ったほうがいいんじゃ……」


「だから大丈夫だってば。心配しすぎは心に毒ですよん」


「でも……」


「あ、また言った。――だって、とでも、は禁止だって言ったじゃないの。もう忘れちゃったの?」


「あ……」


「ね?今は、私を信じて」


この様子では、何を言っても駄目だと思った。


もし明日になって様子が少しでもおかしいものなら、優人と二人がかりでも病院へ無理矢理かつぎ込んでやろう、そう思うのが精一杯だった。


「……わかった。信じるよ」


「うん。ありがとね――ばいばい。また、明日」


「ああ。また明日」


玄関で、去ってゆく茜の後ろ姿を見送る。


その背中は、心なしか寂しそうに見えた。






・・・・・・・・・・・・・・・






眠れなかった。


色々なこと――早夏とのこと、茜のこと、そしてどうしても思い出せないこと。それらを順繰りに考えていってしまい、どうしても眠りにつくことができなかった。


俺は一体何を忘れてしまっているのか。それが思い出せない自分が、まるで自分ではない誰かにすり替わってしまっているような気がして、怖かった。


今日は久々に徹夜かな――そう思った俺は、ベッドから飛び起きると本棚を漁り始めた。


すると、何やらごちゃごちゃと自分のものではない、つまりは両親のものと思われる書物がぎっしりと詰まった一角を発見した。すると普段は絶対に起こらないような掃除欲がむくむくと身をもたげてきた。


書類が詰まっていてずっしりとしたファイルや、アルバム、様々なものが乱雑に詰め込まれている。ここに俺が一人暮らしを始めると決め、引っ越してきた日に優人に片付けを手伝ってもらった記憶があるが、確かあの時は本類は重いから下の方に積まれていて一番後回しになったはずだ。このぐちゃぐちゃは、優人のせいに違いない。どうせ疲れてきて面倒になって適当に済ませたのだろう。明日会ったらしばいてやろう。


そんな楽しげな想像を巡らせていると、あるひと綴りの書類の表紙に目が留まった。


「第03研究所における実験の推移と結果からの考察」とある。


どうしてこれに俺が意識を奪われたのか、全くわからなかった。


しかし、俺はなぜだかこの紙切れのまとまり一つが何か俺にとって大切な意味を持っているように思えて仕方がなかった。






・・・・・・・・・・・・・・・




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