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未来へ


 とある部屋――大小様々な機械が、これまた様々な色合いで光を放っている。

 その部屋の唯一の扉が開き、疲れた様子の――しかしそれでいて満ち足りて見える女性が室内へ入ってくるのを迎える男性がいた。



「ただいまー」

「ああ、おかえり……どうだった」

「あの子ったら……しばらく見ないうちに大きくなっちゃってさ。大人っぽくなって……」

「そうか……。それはそうと、その後の経過はどうなんだ?」

「それでさー、気づかれないように変装したはいいんだけど言葉遣いも仕草も性に合わないっていうか――ああ、そっちね。見た感じでは、二人の方は順調よ……信じられないくらい」



 半ば暴走気味に、自分勝手に喋り始めていた女性がふと気づいたように言う。

 しかし男性はその言葉のある一部分が引っかかったようだ。



「……二人の方は、ということは」

「ええ。もう一人――ちょっと、心配でね」

「……だが二人はうまくいってるんだろう?それなら心配することも――」

「私たちの仕掛けが気に食わなかったみたいで、さ。その子、意外と行動力ありそうだからどう出るかがちょっと予測がつかないのよね」



 しばし言葉が途切れる。

 しばらくして、指を組んで画面を見つめていた男性が重い口を開いた。



「……信じよう」

「え?」

「俺たちの子だ。信じるしか……今はできないだろう」

「それはそうだけど……」

「今更何をしてやれるわけでもないんだ。信じるか――祈るしか、俺たちには残されていないだろう。違うか?」

「…………」



 女性はそれに対して言葉を返さず、机に無造作に置かれていた便箋と万年筆を手にとった。

 そして手紙を書き出すのだ――彼らのたった一人の子どもへ宛てた手紙を。



・・・・・・・・・・・・・・・



「先輩」

「……早夏」



 約束通り、そこにはひとりの少女が佇んでいた。

 まだほとんど誰も登校してこないような時間。それでも彼女は場所を移すことを提案した。



「誰にも……聞かれたくない話だから」

「…………」



 彼女は前よりも痩せて見えた。もともと華奢な体は一層儚げで、乱暴に扱えば脆くも崩れ去ってしまいそうな。

 外見に出てしまうほどの苦悩――それを与えたのが自分だということを改めて自覚する。

 償うためならどんなことでもしよう。そのつもりで、今日この場に臨んでいる。

 依然として全く人気のない所。屋上が、彼女が望んだ場所だった。



「先輩に、話しておかなきゃいけないことがあるんです」



 そう彼女は切り出した。

 よく笑う、感情表現が豊かな後輩だったはずの少女は蝋で固めたような、およそ感情というものが読み取れないような顔をしていた。

 風が強い。少しだけ開いていた扉が煽られて、寂しげに悲鳴を上げる。

 まるでそれを待っていたかのようなタイミングで、少女は口を開いた。



「あのね、先輩――」



 視線を足元に落とす。

 何故だか嫌な予感が背筋を撫でて、



「生理が……こないんです」

「…………な」



 嘘だ、と叫びたかった。そんなはずがないと。

 そして面を上げた彼女は言葉を続けた。



「……冗談です」

「…………っ」



 質の悪い冗談だと思った。そう言いかけたが、喉まででかかった言葉を飲み込む。

 真実を明かすとき、必ずいたずらっ子の笑みを浮かべていた少女はそこにはおらず――ただ人形のように眉一つ動かさずに淡々と事実を告げるものが立っていた。

 そしてそのままの顔で彼女は口だけを動かすようにして言葉を発した。



「……やっぱりダメな子ですね、私。昨日メールを送ったときは……その時は、もっと落ち着いて話ができるって思っていたのに。いざ先輩の顔を見ると――どうしようもなく黒いものが胸の奥から湧いてきて……だから、それで」

「…………早夏」



 屋上を囲んでいるフェンスがぎしぎしと鳴いている。

 何か言わなければ、そう思っても成也の口は何も伝えることはできなかった。

 すると早夏が、唐突に空を見上げた。顔全体を上に向けて、何かをぽつりと呟く。



「…………ろう」



 成也の耳には届かないほどのか細い声。

 しかし次の瞬間には、成也は見た。



「神様の……ばかやろぉぉぉぉ!!!!!

 信じない……もう二度と、お祈りなんてしてやんないんだからっ!!

 絶対に……絶対に、許すもんかぁぁぁ!!!!」



 声を張り上げて宣言する、見たこともない後輩の姿。

 それは彼の心に何かを刻み込んだ。

 気づけば、彼は慟哭する少女を抱きしめていた。



「ごめん……許されるとは思っていない。ただ、――ごめん」

「う……あ、あぁぁぁぁ……」



 少年は、少女が泣き止むまでその細い体を離すことはなかった。



・・・・・・・・・・・・・・・



 もう授業は始まっている時間だった。こんなことが前にもあったな、と思い出すだけで成也の胸は締め付けられるように痛んだ。

 泣き止んだ早夏は、しばらく呆然と屋上の隅で体育座りをしていた。

 急に優しくなった風が早夏の髪を揺らし、そのせいで表情を伺うことはできない。

 すると長い髪の毛の向こうから声がした。



「……先輩」

「どうした?」

「私……たぶん、大丈夫じゃないと思います」



 立ち上がり、乱れた髪をかき上げる。その中から現れた彼女の顔には、清々しい表情が浮かんでいた。



「でも……いつか。いつか、この心に整理がついたら――その時は」

「ああ……待ってる」



 別々の方角を眺める二人は、しばしその静寂の時間を過ごした。

 成也が見ている空は、雲が立ち込めていて――そして、ゆっくりと流れていく。

 前みたいに、笑って話が出来たらいいですね――そんな当たり前で、しかしこれ以上ない幸せな言葉が背中から聞こえてきた。



・・・・・・・・・・・・・・・



 街の全てを見渡せる、高い建造物の屋上。そこに、立っている。

 俯瞰する街並みはどこもかしこも賑やかで、悩みという言葉とは無縁にすら見えるほど満ち足りて幸せそうだった。実際はそんなはずもなく、学生も、その親も、八百屋の店主も、一家を支える大黒柱も、余生を満喫しているご老体も、どこかに心配事を抱えて生きているに違いなかった。

 そしてその街を南北に貫く川が、落ちかけの日を反射して輝いていた。そして彼女が最も見たかった二人の姿がその川辺に見える。彼らもまた、至福の時を過ごしているようだった。

 しばらくその幸福に寄り添うように二人を眺めていたが、彼女が望まない時が来てしまう。夜――暗くなれば、その姿は闇に紛れて見えなくなってしまうだろう。河原の道には壊れた街灯がぽつんと立っているだけなのだ。照らす明かりがなければ、やはり彼女の視界は深い闇に遮られてしまうのだった。

 それでも彼女は半ば満足だった。こうしてこの場所から幸せな風景を見渡すのがここ最近の彼女の日課となっていた。

 間に合ってよかった――そう彼女は呟き、本当に嬉しそうな笑みを浮かべる。

 夜闇が完全に街を覆い隠すまで、彼女は目を凝らしていた。そして完全に帳が降りると、彼女はそこを立ち去ろうとする。その時、彼女は苦しそうな顔を浮かべると一度二度と咳をした。口元を覆っていた手のひらをぼーっと眺めながら、諦めたかのような口調で言う。



「そっか……私のタイムリミットも、もう近いんだね」



 そして彼女は静かに、もう一度だけ街を眺めた。

 そして――今度は、本当に口惜しそうに言った。



「残念だな……本当は、あの子の幸せな姿を……最後まで――」



 見届けたかったのにな、と言い終わるやいなや彼女はその場に崩れ落ちるように座り込んだ。そして彼女は静かに涙を――枯れるまで、流した。



・・・・・・・・・・・・・・・



 それは、悲しい愛の歌だった。

 互いを思い合う恋人たち――しかし彼らは、様々な困難や思惑に巻き込まれてしまい、とうとう引き離されてしまう。

 だがその歌には二番があった。世界が――彼女がまだ「メシア」だった頃には歌わなかった、否、歌うことのできなかった二番が。



  それでも生きた 去り際の誓いを信じて

  この灯火を絶やさぬよう 闇が満ちる度に思い返すの

  いつかまた いつかまた この手は再び結ばれると

  そして出会う 新しい二人は

  この世界に 二つとない奇跡――



 歌い終えると、世界は一つ隣の愛しき人を見て少し笑った。

 少し恥ずかしいね、と言って。そして川面を見つめながらまた口を開く。



「この歌……似てると思わない?」

「……そうかな」

「私たちはお互いに忘れてしまっていたけど……でもそれって、この歌よりももっと、ずっとすごい奇跡なんじゃないかな」

「奇跡、か」



 成也もまた、赤く光る水面を世界と同じように見ていた。



「俺たちが出会ったのは奇跡なのか?」

「わからない。……でも、多分それは奇跡でもあるし、同時に必然でもあるのかも」

「頭弱いくせに難しいこと言うなよ」

「あ、頭弱くないもんっ!……とにかく、もう私たちは愛し合っちゃってるんだから。今更あれこれ考えたところで何も変わらないよ、ね?」

「自分から言い出したくせに……それに、凄い恥ずかしい台詞言ったぞ、今」



 思い返すような仕草を取ったあと、世界はいつものように顔全面を真っ赤にして、いつものようにうるさい、うるさいと言いながら成也をぽかぽかと叩くのだ。

 そして今日は、日が沈んでも二人は寄り添っていた。

 ふとした瞬間、視線が交差する。いつもなら思わず二人して顔を逸らす場面だったが、彼らはそのままじっと見つめ合っていた。目配せを交わし、互いの想いを確認し合うと――そっとその距離をなくして温度と温度を触れさせる。冷たさと暖かさの接点になったその場所は生ぬるく、しかしこの世のどんな場所よりも心地よかった。



・・・・・・・・・・・・・・・ 

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