迷走
「それでね、成也――?ねえ、成也」
「…………」
「ねえってば!」
「……あ、ああ。なんだった?」
「もう……どうしたの、ぼーっとして」
「いや……なんでもないよ」
嘘だ。なんでもないはずがない。
嵐の日に聞かされた、真実。残酷なそれは、俺を苦しめてやまなかった。
世界の銀も、川の青も、空の白も、全てが薄れて見える感覚。成也は、恐れていた。
「なんでもないわけない……どうして?ねえ成也、悩んでるなら言ってよ……隠し事なんて、絶対やだ」
「…………世界」
悲しげに眉を寄せる世界を抱きしめる。
彼女の体は、相変わらず冷たくて。
「なあ、世界……」
「……なに、成也」
「…………」
切り出そうとしても、言葉が出ない。
昨日の荒れ方が嘘のように晴れ渡る空に吸い込まれてしまったかのように、言葉が出ない。
結局、あの女性が誰だったのかは分からずじまいだった。こんなことを俺に教えて、どうするつもりだったのだろうか。
逃げないと決めたはずなのに。成也の喉は、まるで自分のものではなくなってしまったかのように言うことを聞かなかった。
「成也……?」
「…………俺は」
それでも、絞り出すようにして紡ぎ出す。その一言一言が、彼の魂にまで深く食い込んでいくように感じる。
「俺は、人間じゃないんだ――って言ったら、信じるか?」
「信じるよ」
はっとして彼女の顔を見る。気づかぬうちに下を向いていたようだ、彼は顔を上げる形で世界の表情を伺った。
それは成也にとっての救いだった。
心からの笑み――優しいその微笑を、彼はもう一度抱きしめた。
彼の決意は固まった。
そして告げる。残酷なことこの上ない、世界の真実を。
・・・・・・・・・・・・・・・
カーテンを締め切った部屋の中、彼女はひとりきりでベッドに座っていた。
昼間なのに暗い部屋は、彼女の心の内をそのまま体現しているかのようだった。
しかし彼女の顔は、ぼんやりとした光に照らされて見えていた。光っているのは、ある人物の電話番号の表示された画面。
しかし彼女は画面をひとつ戻して、連絡先の一覧に戻してしまった。あてもなく画面上を彷徨っていると、ひとつの名前に目が留まる。
そして、その人に教えてもらったことを思い出した。
「もしどうしても、誰が悪いって決めたいんだったら――いい方法、教えてあげる」
もしかすると、この胸の内のどす黒いものをどうにかするのには、この方法がいいのかもしれないな、と。
そう思って独り言を呟いた。
「…………神様の、大馬鹿やろう」
憎しみを込めて放った、恨み言。
その一言で、ほんの少し体が軽くなったような気がした。
それなら何度でも言ってやろう、と。少女は一人、神への冒涜を繰り返した。
もっともっと軽くなって、いつか空をも飛べるようになってしまえばいい――。
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二人は日没を眺めていた。言葉も交わさずに、ただ冷たい手と手を暖め合うように握り、遥か彼方に目を向けていた。
静寂が心地よく感じるのは久方ぶりで。彼の心の内もまた、久々に晴れやかだった。
二人で事実をあるがままに受け入れ生きていく――それが決断だった。
誓い合うように身体を寄せ合うふたりを、遠くから眺めるものがあった。
それは静かに二人に近づくと、驚かせないようにまずは目の前に姿を現した。
黒いドレスは、焼ける夕日と対照的に映る。
「……碧」
「え……?」
その名を呼ぶ少年と、驚く少女もまた対照だった。
「あ、お……?」
「……久し振り、世界。本当に……久し振り」
唐突に立ち上がった少女は、もうひとりの少女に飛びついた。
再会を喜ぶ、それだけではおさまらないほどの様々な感情が彼女の中で渦を巻いていた。
とにかく、なんでもいいから久々の友達の体に触れたい――それだけだった。
「どうして……どうして、ここにいるのぉ……碧ぉ……!!」
「うん……話すと、長くなるわ」
そう言って世界にわけを話し始める碧は、世界を――彼女の本当に大切なひとを、愛情のたっぷりこもった目で優しく見つめていた。
話し終わると、世界はきょとんとした顔で、
「えー……つまり、どういうこと?」
「……あなた、相変わらず頭は弱いのね、世界」
「う、うるさいなぁっ」
じゃれるふたりの少女はどちらも、最早表情とは言わず全身で歓喜を示しているようだった。成也は、碧のそんな笑顔を初めて見た。
しかし、成也は何故か碧のその笑顔の裏になにか、一抹の寂しさのようなものを感じていたのだ。なぜなのだろうか――。しかしそんな疑問は、その楽しげな様子を見ているうちに吹き飛んでしまっていた。
すると、もう疲れてしまったのか世界が成也の胸へもたれかかってきた。
それを見て少し笑った碧は、若干離れた場所から話を始めた。
「あのね、二人とも。今日はひとつだけ、聞きたいことがあって来たのよ」
「んー?なに、碧?」
「どうしたんだよ、改まって」
抱き合うような形になっていた二人の和やかな雰囲気とは対照的に、碧はその特徴ともいえた無表情を取り戻していた。
人形のような顔の少女は続けて言った。
「ええ……これは、とても大事なことだから――」
そして、尋ねる。
「あなたたちは今、……幸せかしら」
二人は顔を見合わせると、満面の笑みを浮かべて答えた。
「……うん」
「ああ……これ以上はないほどに」
尋ねた少女は、満足げな表情を浮かべ――すぐに、崩した。
一瞬だけ泣き出しそうな表情になる。
しかしそれは本当に一瞬だけのことだった。二人が見逃してしまうほどに。
そして今にも消えてしまいそうな微笑みをたたえて言うのだ。
「そう……。これで、やっと……私は――」
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何度その憎悪を吐き出しただろう。
もう数えることを諦めた、それほどまでに回数を重ねたのだろう。
そして――これで百回目だと、自分で勝手に決め付けて言い放つ。
「……神様なんて……いなくなっちゃえ……」
それでも彼女の中の何かが汚い言葉でその口を汚すことを無意識に拒んでいるようで、まだその怨言には可愛げがあった。
それでもそれは、彼女の中のドロドロとしていた感情を吐き出すのに大いに貢献した。
もう既に彼女の心は羽のように軽くなっていた。
今なら許せるのかもしれない、と。
彼女はメールの作成画面を呼び出した。
「…………先輩」
しかし、その呼び方ではいまいち気持ちが乗らない。
もう一度、今度は違った呼び方で。
「……成也、先輩」
その名前を呼ぶだけで、いまだに胸が焦がる。火照りが静まらない手で、文章を入力する。
明日の朝、校門で待っています――。
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夜の川辺に、猫が一匹佇んでいた。
夜闇に紛れて色はよくわからないが、恐らく黒猫だろう。
その猫は、口に咥えていたリボンをそっと川へと落とした。
暗がりにあってより一層際立ってすら見えるその闇色のリボンは、静かに、音も立てず――ゆっくりと、川を下っていった。
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