8部
「おい、ツキ。 ツキや」
自宅の玄関を開ける前から、ダイはツキを呼んだ。なにしろ客は好き勝手に呼ぶくせに待つ事はこの上なく嫌いなものだ。早く行かなければ何を言われるかわからない。ダイは思い切り玄関の戸を開けた。
「ツキ、ちと災難にあってな。すぐ着替えて行きたいんだが……」
玄関を入ると、すぐ酒の匂いが鼻についた。ツキの返事も無く、家の中は静まり返っている。
「ツキ? 留守なのか?」
手探りで部屋の中に入り、居間の隅を探ると何も無い。そこにはいつも内職の提灯が置いてある。だいたいは店の者が取りに来て代金を置いていくのだが、たまに店が忘れてしまい、ツキが品を届け代金を受け取ることもある、と前に聞いたことがあった。おそらくそれだろう。
しかし、この酒の匂いは? ダイは代わりの着物がいつも掛けてある壁側を探っていると、足元に何かあたり、倒れた。
トクトクトク……水がこぼれる音がすると足元が濡れて冷たくなった。ムンと一段と強く酒の匂いがした。
「ああ、そういえばハチが……」
今朝ハチが地酒がどうのと言っていたのを思い出した。おそらくこれはハチが持ってきた酒だ。昔馴染みのハチは当然ツキのことも知っている。二人で味見くらいしたのかもしれない。
その時、遠くで鐘の音がした。
「しまった。約束の時間だ」
ダイは慌てて代わりの着物に着替え、杖を取り草履を履いた。
「あ!」
こぼした酒の始末をしてなかった。あーいうのは放置すると後で匂う。しかし今は急いでいる。
「すまん。ツキ」
そう呟くと、ピシャンと戸を閉め足早に次の客に向かった。