7部
山本邸を出ると歩きながら、すぐに毒屋はこらえていたかのように笑い出した。
「ぷわははは、まったくお歳だというのに」
訳の解らないダイは面白くない顔をして毒屋に聞いた。
「いったい何があったんだ?」
「いえね、あのお客さんに売ったのはコリを取る毒だけじゃないんですよ。ほら、アッチが元気がなる毒もお売りしたんです」
「アッチってアッチか?」
「ええ。コリをほぐす毒は全身の血行をよくすると共に肉を柔らかくする作用があって、元々ひと月はだるさが残るけど、その後は回復するというモノでした。一方、アッチの方は血流を普段の二倍以上に変え、その血流がとくにアッチの部分に集まるようにした毒で、心の臓の悪い方には非常に危険な毒だったのですが、なにせどちらも血の流れを良くする毒ですから効果が倍増してしまって、アッチは元気いっぱいですし、体の力は異常に抜けていくってことになっちゃって、せっかく買ったのに使えない状態になっちゃったわけですね」
ダイも、思わずふきだした。
「そら難儀だぁ。ははは」
「まったくです。ぷぷぷぷ」
ダイが笑っていると、毒屋は突然ダイの手に金を握らせた。
「あの先程のお弁当のお礼です。今のお客様から毒消し代として頂きました。少ないか高いかわかりませんが……」
ダイは握った金をそのまま毒屋に突き返した。
「何言ってんだ。一文無しなんだろ? 少しでも持ってた方がいい。そうだ、あんた変な毒いっぱい持ってそうだな? 一つ俺の目が見えるようになる毒なんてないのかい?」
ダイは冗談交じりで言った。どんな医者に見せても回復しないと言われ完全に失明した目だ。治す薬も毒もあるはずない。まぁこの憎めない毒屋の旅路のはなむけに、胃薬くらい買ってやるつもりでいた。
「……無いこともないですが……」
「あ?」
ダイは耳を疑った。
「実は、この毒は誰も使ったことがないのです。ちょっと笑えない本作用がありまして、あまりオススメ出来る品ではありません。」
「本作用って、どんな?」
「失明の場合、目の内側にある膜と、その神経がやられている場合が多い。その神経にそっくりな性質を持つ根をした小さな小さな植物の種を点眼するのです。すると植物は人の体の中に寄生し神経と入れ替わろうと根を生やすのです。それで一瞬のことですが、その根が光をもたらす。……というものです。」
「み、見える? 一瞬でも見えるようになると言うのか!?」
ダイは毒屋の言っていることがよく理解できなかったが、一瞬見えるようになるということだけは理解した。
「はい。ですがおそらく、その植物の根は目の神経に留まらないのです。確実に他の神経にまで根を伸ばす。そうすると、何かしらの感覚が失われてしまうのは間違いないです。消えた感覚は元に戻りません。元々寿命が短く人間の体では生きられない植物ですから、全て奪われる前に枯れて体外に自然排出されていくと思いますが、なにぶん使ったことがないのでわからんのです」
「感覚って……」
「五感ですよ。視覚、聴覚、嗅覚、触覚。味覚、それのどれかが失われていくはずです。ですから、ちょっとこれを渡すのはいくらなんでも気がひけます」
ダイは緊張して体が固まった。もしこれ以上何かを失ったら生きていけるだろうか?
『……あんた……』
その時、ツキの声を思い出した。最後にツキの顔を見たのはツキがまだ十六歳の頃、あどけなく少し垂れた目が可愛らしい顔だった。今のツキはいったいどんな顔をしているのだろう。見たい、見てみたい。ダイは迷わなくなった。今更暗闇の一つや二つ増えたところで何が怖いものがあるものか。
「くれないか? その毒」
「でも……」
立ち止まって頭を下げた。
「たのむ」
毒屋は困って無言になり、しばし考えこんでいる。カラスがどこかで鳴き、共鳴するように遠くでも鳴いた。
「わかりました。目が見えない苦しみは私には計り知れない。ただし、出来るだけ歳を召してから使うことをオススメします」
「すまない」
毒屋は通りの端っこに座りこみ、荷物をあけ手早く何かの作業をはじめた。おそらく毒をを調合している。作業はほどなく終わり、小さな油紙の包みがダイの手に渡された。
「私の名前はミコトと言います。もし服用するなら立会いますので、なるべく草木の多いところで呼んでください。遠くにいても出来るだけ早く会いにきます」
「草木の多いところで呼べって…… ないだいそりゃ。それでアンタに声が届くのかい?」
「それは、アナタの運次第でしょう」
「アンタ、いったい……」
ミコトはニッコリと笑ってダイの肩をポンと叩く。
「お弁当、ご馳走さまでした。では! 」
そう言うとミコトは、すっくと立ち上がり人ごみの中に紛れていった。
「おかしな男だ」
ダイはゆっくりと首をかしげつつも、もらった毒の包みを大事に胸の財布の中にしまい込んだ。その時、ふと体の匂いが気になった。あまりに臭いあのミコトとかいう毒屋をふん捕まえて連れてきたので、多少だが匂いが着物に移っていたのである。あん摩は客に近々に近づき触れる商売。こんな匂いがしていたのでは商売にならない。杖をまた自宅の長屋の方に向けた。
「ここからなら、長屋まで半刻もかからんだろうからな、次の客の宅にほんの少し遅れる程度だろう」
ダイは足早にむかった。