13部
カン、カン、カン。 トントントン。
懐かしい音が、そこかしこに響いている。ダイは昔、大工の時に世話になっていた
木材加工所にいた。ここでは、現地で組み立てる前に木材を加工する場所だ。
「あれ? ダイじゃねーか。なんだ? どうしたんだよ」
「ああ」
ハチだ。ダイと同僚だったハチは今や、ここの長だ。
「話があるんだが、大丈夫か?」
「あ? まぁ少しなら、なんだ? 話って」
「人に聞かれたくないのだが……」
「……そうか」
ハチは見習いを呼びとめ、ちょっと出て来ると伝えダイと共にその場を後にした。
二人は、加工所の前に流れる川の土手に来た。川沿いの通りに往来はあるが、ほとんど聞こえやしないし、ここで人の話を盗み聞きしようと思うモノはいないだろう。
「なんだよ。話って」
「実はこの間、毒屋ってのに会ってな」
ダイは、この二、三日のことをかいつまんで話した。山本様の腰のこと、毒屋の事、目が見えたこと、味覚を失ったこと、そして自分の姿を見てしまったこと。
「み、見えたってお前。いつからだ。今も見えているのか?」
ハチは奇想天外な毒の話に、驚きを隠さなかった。
「いや、今朝までだ。もう元の暗闇だよ」
ダイは一呼吸おき、杖の柄を握り締めて言った。
「なぁハチ。もし俺にもしものことがあったら、ツキの面倒を見てやってくれないか? 」
ハチは一瞬無言だった。当然だろう。誰でもそんなことを言われたらどう答えていいか困るはずだ。だが、ダイにとって友人はハチだけだ。出世もしていて顔も広い、ツキにふさわしい相手を探すのも容易なことだろう。もしハチが独身であるなら、ツキを幸せにも出来たろうがハチには妻も子供もいた。
「何、言ってるんだお前」
「このままツキを俺のような者の世話で一生終えるのを、俺は耐えられないのだ」
「お前、いったい」
「断らない……よな?」
ダイは見えない目を開いてハチの方を見た。自分が真剣である、との意思表示だ。
「いや、しかし……」
「じゃ、頼んだぞ。ああ酒、ありがとうな美味かったぞ」
ダイは今は、変に断られる前にこれ以上語らず去った方が後々、ハチは必ずツキの面倒をみてくれる。そう思った。
「おい。どうする気だ。バカな真似はよせ」
「とりあえず整理するさ。色々とな」
それからダイは、昼夜かまわず働いた。
あん摩師の仕事というのは、客の自宅でやることが多く、元々夜寝る前や深夜にいたることがほとんどだった。だが、それでも一般客相手だと仕事は限られてしまう。そこで、ダイは遊女やスジ者相手にも仕事をしはじめた。あん摩をし始めたころ、遊女相手に一度仕事をしたとき、逆に金を巻き上げられた事があり、それ以来、夜の商売をする相手には仕事をしてなかったのだが、もうそうも言っていられない。
(金を貯めなければ……)
自分が居なくなった後、当面の生活費をツキに残さなければならない。若い頃と違って徹夜は体に答えた。家に帰らない日も出るほどだった。ボロボロに疲れきって帰ってくるダイを、何も知らないツキは心配そうに迎えるだけだった。
そうして時間は経ち、すっかり初夏は過ぎ、緑まぶしい隆盛の夏を迎えていた。
ダイは、かけそば一杯六文の時代に、わずかひと月半の間に、銀が八匁、銅銭が千五百文の金を貯めた。これだけあればなんとか一年は暮らしていける。
目標の金額に到達した日、ダイが帰ったのは朝方であった。
ツキはもう眠っていてが、戸は開いていた。昨日も遅くまで待っていたのだろう。
汗を流す気力もなく布団に寝転がった。となりでツキの寝息が聞こえていた。
「そろそろだな」
ダイは、そう呟くと意識が遠のくように眠った。
となりでその呟きでうっすらと目を開けたツキを知るよしもなかった。