12部
次の日の朝、つけはもう支払われていた。
「この味噌汁、味が薄くないか?」
「え? そう? 美味しいけど」
ツキはちょっと不機嫌そうに答えた。直後にダイは思い出した。毒を飲んだ事を。
味覚が消えていたのだ。飯も漬物も、あんなに美味かったツキの料理がまるで、古くなった茄子を生で噛んでいるようだった。
「いや、勘違いだ。美味い」
「もぉ。さっさと食べて仕事にお行き!」
「ああ」
ダイは小さくため息をつき、箸を茶碗の上に置いた。
「え、ちょっとお前さん、まだ残ってるよ」
「うん? もう出るよ。今日も朝から山本様に呼ばれているんだ」
嘘だ。今日は午後から一件、寺の住職に呼ばれているくらいだ。
「へぇ……じゃぁ支度しなくちゃね」
ツキは膳を簡単に片付けるといつものように手早くダイを着替えさせる。しかしダイはノロノロと動きに精彩が無かった。
「あんた、どうしたんだい? 大丈夫?」
「ああ、行ってくるよ」
ダイは力なく答えた。
玄関を出てからも、ダイの足取りは重かった。
別に味覚が消えたことが悲しいからではない。
自分の姿のあまりの変貌ぶりが、たまらなかったのだ。
冷静に考えてみれば当たり前なのだ、自分はもう将来有望の二十二歳の若い大工ではない。ずっとあん摩で暮らしてきた三十六歳の中年。色も白いだろうし腹も出る。失明して使ってないのだから瞳が濁っていても仕方がない。数年後にはお得意客の山本様と同じ歳だし同じ体になっていく。だが……
(ツキは幸せなのだろうか? )
賃金は全部ツキに管理してもらっているので、ダイは正確な自分の収入を知らない。しかし、ツキのあのやせ細った体、内職の時間を見ればわかる。生活は苦しいのだ。
まだ鮮明に心に焼きついたツキの美しい姿を思い浮かべる。
あんなに美しく気立てのいい女だ。もっと幸せになれたろうに。
そう思うと自分が情けなくなった。涙が溢れ止らなかった。
(一生、こんな男といていいのだろうか )
杖が止り、ダイの足も止まる。
幸い二人の間には、子供はいない。昨日見たツキの美しさなら、どこの誰だろうともらってくれるのではないか?
ダイは杖を動かし、歩き始めた。
(恩を返さなくては、本当にツキを幸せにしなくては……)