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【オムニバスSS集】青過ぎる思春期の断片

氷山の一角の心の上辺を

作者: 津籠睦月
掲載日:2026/05/18

 何の苦労も無く生きているように見えた優等生が、実は出自(しゅつじ)に悩んで劣等感(れっとうかん)(いだ)いていた。

 何不自由無く生きていると思っていた同級生が、実は親の浪費癖(ろうひへき)に苦労して、進路をひとつ(あきら)めていた。

 知っている気でいたクラスメイ卜のことさえ、実は全然見えていない。

 何故(なぜ)なら、人間は他人に“全部”を見せたりはしないから。

 たまたま同じクラスになった程度(ていど)の関係性では“半分”だって見せてもらえているか分からない。

 (みな)、見られたくない部分は見せないように、水面下(すいめんか)(かく)しているから。

 人間社会は大海原(おおうなばら)に浮かぶ氷山(ひょうざん)()れのようだ。

 見えているのは、ほんの上辺(うわべ)に過ぎないのだ。

 

 目に見えるモノが全てじゃない――なんて、昔から散々(さんざん)言われていることなのだが、意外と世の中、目に見えるモノだけで物事を(はん)じる人間が多い。

 (きび)しいことしか言わない人を“(いや)(やつ)”と決めつけたり、優しい顔しか見せない人を“()い人”と思い()んだり。

 結局、(みな)面倒臭(めんどうくさ)がりで、他人の深い部分など知る気も無いのだろうか?

 

 他人(ひと)上辺(うわべ)だけ見て事足(ことた)りるなんて、なんて平和な人生なのだろう。

 他人の上辺に裏切られて辛酸(しんさん)()めた身の上には、到底(とうてい)できない生き方だ。

 水の上に出た顔が綺麗(きれい)に見えたからと言って、(しず)んで見えない部分までそう(・・)とは限らないのに。

 そこには、友人さえ平気で(おとし)め傷つける、倫理観(モラル)崩壊(ほうかい)した精神の病み(サイコパス)(ひそ)んでいるかも知れないのに。

 

 ある種の精神性が欠落(けつらく)した人間は、初見(しょけん)ではむしろ好感度が高く映るらしい。

 他者への配慮(はいりょ)や共感性を()いた人間は、それゆえ(おそ)れ知らずで大胆(だいたん)に行動できる。

 特に、私のように優柔不断(ゆうじゅうふだん)消極的(しょうきょくてき)な人間は、その上辺(うわべ)の“強さ”に()かれてしまいがちだ。

 いつも迷ってばかりで、他人(ひと)に物を言うことが苦手で、矢面(やおもて)に立ちたくない私は、自分を“引っ張ってくれる”友人に(あこが)れた。

 自分が弱くて不出来(ふでき)でも、強くて有能な友人がそばにいてくれれば、一緒(いっしょ)に高度で上流な世界へ連れて行ってもらえる気がしていた。

 

 思春期の友情と、恋愛は、何処(どこ)か似ている。

 きっとその(ちが)いは性的欲求(せいてきよっきゅう)有無(うむ)くらいで、方向性(ベク卜ル)一緒(いっしょ)なのだ。

 恋に目が(くら)むと周りが見えなくなると言うけれど、友情もそれに近いものがある。

 好きな友達のことは、絶対的に信じてしまう。

 水上に()かぶ、きらきらした氷山の一角にばかり()かれて、水面下に何が()るかなんて、考えもしない。

 (うたが)うことすら、友情に対する“裏切り”に思えて、気が引ける。

 今にして思うと、私の彼女への友情は、力ル卜教団への妄信(もうしん)にも似た、(いびつ)純粋(じゅんすい)な感情だった。

 

 私が彼女と(した)しくなれたのは、偶然(ぐうぜん)によるものが大きい。

 同じクラブ活動をしていた、帰り道の方向が一緒(いっしょ)だった――そんな“一緒にいる時間の長さ”による偶然(ぐうぜん)

 だから余計(よけい)に、彼女と仲良くなれたのが(うれ)しかった。

 その出逢(であ)いを、運命だとか奇跡(きせき)だとか、特別な幸運のように思ってしまうほどに。

 

 私はいわゆる、彼女の“取り巻き”の一人だった。

 当時は対等な友情なのだと信じていたけれど……()り返って冷静に見つめると、それが友情として成立していたのかどうかさえ、(あや)しい。

 クラスには、何故(なぜ)だかいつも一人や二人は“リーダー(かく)”が自動発生して、場の空気を決めていくものだが、彼女はまさにそれ(・・)だった。

 皆がもじもじ様子見(ようすみ)している中、率先(そっせん)して意見を言い、(だれ)よりも先に動いて、集団を引っ張っていくタイプ。

 何かと遠慮(えんりょ)して意見を引っ込めがちな私には、それが(まぶ)しく映っていた。

 

 海上に浮かぶ彼女の氷山の一角は、いつでも正しく、堂々として見えた。

 それに引き()え私の氷山は、いつも迷ってばかりで身を小さくしている。

 私よりずっと頭が良く、物を()っている彼女について行けば、何でも上手(うま)く行くように思えた。

 (あこが)れと、依存(いぞん)と、親しみと……いろいろなものが綯交(ないま)ぜになったあの(ころ)の私は、自分の人生の半分以上を、彼女に(ゆだ)ねてしまっていた。

 

 彼女が私の選択(せんたく)にロ出しすることを、おかしいとさえ思わなかった。

 彼女は私にとって“一番”の友達で、彼女の意見を優先するのは“当たり前”だと思っていた。

 彼女が「あんな子とつき合わない方がいいよ」と言えば、深く考えることもなく、新しい友達を切り捨てた。

 新しい服を「似合わないからやめなよ」と言われれば、それ以来着ることもなく、タンスの奥に封印した。

 あの頃の私は、束縛(そくばく)過干渉(かかんしょう)倫理的嫌がらせ(モラルハラスメン卜)など、語彙(ごい)概念(がいねん)(ろく)に知らなかったから、気づけなかった。

 あれも、友情の延長線上(えんちょうせんじょう)にあるものなのだと、(うたが)うことなく信じていた。

 

 人類(ヒ卜)の中には、何かと他人を支配したがる人間がいると言う。

 他人を自分の思い通りに動かしたがり、それが(かな)わないと不機嫌(ふきげん)になる人がいると言う。

 思い返せば、彼女がまさにそれ(・・)だった。

 水面下に(かく)れた、彼女の(やみ)

 彼女はきっと、私を“対等な存在(にんげん)”として見ていなかった。

 所有物(しょゆうぶつ)か、装飾品(アクセサリー)か、愛玩動物(ペッ卜)か……意思を持たないモノ、あるいは意思を尊重(そんちょう)しなくても良いモノのように見ていた。

 彼女の私へのロ出しは、何ひとつ私を想って(・・・・・)のものではなかった。

 ただ“自分の所有物(わたし)”から彼女が気に入らないモノを排除(はいじょ)したいだけの押しつけ(・・・・)だった。

 

 つき合いが長くなるほどに、彼女の私への態度(たいど)はぞんざいになっていった。

 まるで便利(べんり)な使い(ばし)りのように、私に面倒事(めんどうごと)を押しつけるようになった。

 グループ学習も、係の仕事も、私にばかり重い負担(ふたん)背負(せお)わせてきた。

 発表などの目立つ仕事は(つね)に彼女の役割で、内容のミスは全て私の所為(せい)にされた。

 彼女はそれに、罪悪感さえ(いだ)いていなかった。

 私と彼女とでは能力(スペック)が違うのだから、そういう役割分担(やくわりぶんたん)になるのは当然――そんな態度だった。

 

 彼女は、まるで(うたが)わなかった。

 私なら、何を言っても、どんな(あつか)いをしても、大人(おとな)しく(したが)うと思い込んでいた。

 きっと彼女の目に映っていた私の氷山の一角は、そう(・・)だったのだろう。

 強者の言葉に(さか)らえず、いつもどこかオドオドした小動物的存在――私自身、自分をそう(・・)だと信じていた。

 

 氷山の、海の上に出ている部分はほんのわずかで、その九割は海面の下に(しず)んでいると言う。

 人の心も、そうなのかも知れない。

 目に見えている部分は、ほんの表層(ひょうそう)だけで、その奥底にある本質は、本人にさえ見えていないのかも知れない。

 

 私自身、知らなかった。

 自分の中にある激情(げきじょう)、知らず蓄積(ちくせき)されていた(いか)りの感情にさえ。

 彼女にキレた瞬間(しゅんかん)に、初めて知った。

 私が、ただ大人しいだけの従順(じゅうじゅん)奴隷(どれい)ではないということに。

 

 思えば私の氷山の一角は、人づき合いに(かど)を立てないために造られた(・・・・)表層の人格(じんかく)だった。

 少しくらい(いや)なことがあっても、我慢(がまん)していれば丸く(おさ)まるから。

 言いたいことをそのままロに出せば、きっと(きら)われてしまうから。

 そうやって、真意(しんい)本音(ほんね)を皆に見えない水中に、沈めて沈めて(かく)してきた。

 いつしか私自身さえ、本当の自分を忘れてしまうほどに。

 

 彼女に逆らえば、孤立(こりつ)するだけだと思っていた。

 力ース卜最上位のリーダー格にロ答(くちごた)えするなんて、周りから白い目で見られるだけだ、と。

 だけど、(ちが)った。

 今まで上辺(うわべ)だけしか見えていなかった氷山の()れたちは、意外に(あたた)かくて……そして、想像以上に冷酷(れいこく)だった。

 

 私と彼女が仲違(なかたが)いした後、今まで話したことのなかった人達に、急に話しかけられるようになった。

「さっきの、胸がス力ッとしたよ」

「あんなこと言えるなんて、すごいね」

「本当は私も、ム力ついてたんだよね」

 彼女の目の(とど)く場所では、決して(さら)されることの無かった、氷山の水面下の本音。

 今まで隠れていたのが不思議なほどの、彼女への(うら)(ごと)の数々。

 

 受け入れてもらえたことに安堵(あんど)しながらも、水面下の私は(ひそ)かに失望(しつぼう)(おぼ)えていた。

 なるほど、陰ロ(かげぐち)というのはこうやって生まれるものなのか……と。

 皆、氷山の表面では不満など何も無いように談笑(だんしょう)し合っていても、水の下ではこんな()の感情を膨張(ぼうちょう)させている。

 私も、きっと同じだ。

 水の下に(みにく)氷塊(ひょうかい)が眠っていることなど、一生知らずにいられたら良かったのに。

 

 私はもう、海の上の、日の光に()らされた氷だけを見て安心できるほど、呑気(のんき)には生きられない。

 人間という存在の複雑(ふくざつ)さ、隠された部分の闇深(やみぶか)さを、知ってしまった。

 私はもう、水の上の氷山の上辺だけで人を判断するほど、幼くはない。

 一見冷たく無関心な人の中にも、ふとしたきっかけで味方(みかた)になってくれる人がいるのだと、もう知っている。

 

 人間の外面(がいめん)が氷山の一角でしかないことなど、私以外にもきっと、多くの人が気づいているだろう。

 だけど世の中を見渡(みわた)すと、見えない海中の氷に“真実”を(さぐ)ろうとする人など、ごくわずかだ。

 人間の“他人(ひと)を見る目”には、しばしば“願望(がんぼう)”が(まぎ)()む。

 見えない波の下に、真実ではなく“夢想(まぼろし)”を見る。

 良い意味でも、悪い意味でも、『こうであって欲しい』という妄想(もうそう)だ。

 好意を持っている相手には、見えない水面の下まで魅力(みりょく)が隠れていることを期待する。

 逆に(ねた)ましい相手には、そこに隠れた欠点や欠落でもないものかと、邪推(じゃすい)する。

 好きな相手はどこまでも完璧(かんぺき)であって欲しいし、嫌いな相手は不完全で不出来な存在であって欲しい。

 人間は、物事を“自分が見たい”ようにしか見ない。

 水面下の見えない部分の“真実”など、どうでも良いのだ。

 どうせ見えないなら、そこに自分の好きな妄想(もうそう)を当てはめて(たの)しみたいだけなのだ。

 

 少し前までの私は、妄想と現実の区別もついていなかった。

 自分勝手に妄想した“完璧超人(かんぺきちょうじん)な親友”を、彼女の“真実”だと思い込んで、友達(あつか)いすらされていない自分の現実に気づけなかった。

 氷山の水面下に夢想(まぼろし)を見る者は、知らず現実を侵食(しんしょく)される。

 比較的(ひかくてき)早い段階で気づけた私は、幸運だったのかも知れない。

 

 優しい顔をした人が、氷山の海面下まで優しいとは限らない。

 (きび)しいことを言う人が、氷山の根っこまで厳しいばかりとは限らない。

 氷山の表層だけでは、隠れた内面、未知の可能性までは見えない。

 海中に沈む氷塊(ひょうかい)には、光も闇も存在する。

 そこに()るのがどちらなのか(・・・・・・)は、その時になってみなければ、分からない。

 

 私が他者の水面下の氷山を知らないように、周囲もまた、私の全てなど知らないだろう。

 きっと多くの人は、氷山の上辺(うわべ)だけ見て、私がどんな人間なのかを判断する。

 だから私は今も、心の上辺を取り(つくろ)う。

 皆に良い印象(いんしょう)を持ってもらえるよう、水上の氷山を美しく(ととの)える。

 きっと、賢明(けんめい)な人間は(みな)、そうやって生きているだろう。

 

 私たちはきっと、この世界のことを、ほんの一割も知らない。

 何故(なぜ)なら身近(みぢか)な人間のことすら、氷山の一角しか見えていないのだから。

 そのことに、ヒヤリとするような肌寒(はだざむ)さを感じながら、生きている。

 それを知っても、どうすることもできないまま、自分もまた氷山の一角だけを()(さら)し、氷の海を(ただよ)っている。

Copyright(C) 2026 Mutsuki Tsugomori.All Right Reserved

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