第九話 能條久
「しゅうかく?」
「哀愁の愁に覚えるで愁覚。夜墨村で二十四年に一度の周期で行われる珍しい祭事なんだよ」
十二月六日の正午。橙屋で昼食を食べながら、塔子は長士郎に、村の祭事である愁覚についての知識を授けていた。なお塔子は、長士郎のおごりなのをいいことに、ちゃっかり一番高額な全部乗せ夜墨ラーメンを注目していた。だからこそのサービス精神でもあった。
「それも御山様を敬う文化の一つ?」
「うん。初めて開催されたのが、常夜山に隕石が落下してから二十四年後の一九二七年で、以降二十四年周期で開催されてるんだ」
その言葉を聞いた瞬間、長士郎の箸の動きが止まり、掴んでいたナルトがスープに落下した。
「二十四年周期ってことは、もしかして今年も?」
「気づくの早いよ。私の口から発表したかったのに」
「ごめんごめん。だけどその愁覚だっけ。郷土資料館では特に触れられていないみたいだったけど」
常夜山の隕石落下から始まった御山信仰。それが祭事として形になった愁覚は、夜墨村の文化として重要な立ち位置のはずだ。村の歴史や文化を懇切丁寧に解説していた郷土資料館が、愁覚関連の情報だけを扱っていないのには違和感がある。
「郷土資料館を建てた権俵をはじめとした、偉い人たちの判断なんだって。村の中だけで完結した祭事だから、神秘性を重要視しているとか。難しいことは私には分からないけど」
「ちょっと塔子さん。よそ者にその話をするのは流石に」
厨房にいた小柄な女性が耳ざとく二人のやり取りを広い、洗い物も途中に割って入ってきた。その目は裁判で意義を唱えるかのように鋭く、それまでは観光客としてもてなしてきた長士郎に対しても、よそ者と強い言葉を使っている。温厚な印象だった分、より豹変さを感じる。
「はっ? 誰に対して物言ってんの?」
鋭利さでは塔子も負けてはいない。女性の顔は見る見る青ざめていき、塔子が完全に圧倒していた。
「あんただって元々はよそ者でしょう。それなのに、どの口が言ってるのかな?」
塔子が一際強く睨み付けると、女性は完全に萎縮してしまった。それ以上は何も言わずに、背中を丸めて厨房へと引き返していった。
「田舎のこういう排他的なとこって嫌になっちゃうよね。そもそも八割が移住者の村で何言ってんだか」
「庇ってくれたのは分かるけど、年長者にちょっと言い過ぎでは?」
「長さんが気にすることじゃないし、その論調は夜墨村には当てはまらないよ。村には村の力関係がある。私に意見できる人間なんて、村にはそうそういない。てか、この言い方じゃ私が排他的みたいだね。反省反省」
根本的に何かが噛み合っていないような気はしたが、それこそよそ者がとやかく言えるような問題ではない。調子は軽いが一応は塔子も反省と言っているし、この件について長士郎はそれ以上塔子を咎めることはしなかった。
「それはそれとして、実際問題僕に祭事について話してもよかったの? 神秘性を大事にしてると言っていたけど」
「それこそ、よそ者の権俵が言い出した話だし。別に外部の人間に話してはいけないなんて約束事はないよ。あれはただ、自分たちの利益を優先して言っているだけ。そんな連中よりは、夜墨の歴史や文化を真摯に学ぼうとしてくれている長さんに知ってもらえた方が私は有意義だなと思うな」
「村の事情はよく分からないけど、僕の姿勢を評価してくれたことは、素直に嬉しく思うよ」
直前の鋭利さは錯覚だったのではと思える程に、今の塔子は屈託のない笑みを浮かべている。疑問は山ほどあるが、それだけで全てを許せてしまいそうな魔性を塔子は秘めている。長士郎は危機感を抱きながらも、その笑顔から視線を外すことはできなかった。
「卒論では触れないけど、二十四年に一度の祭事というのは気になるな」
「だったら今日帰るのは止めない? 愁覚の開催は今日だよ」
「そうか。そういえば隕石落下も十二月六日だったね」
御山信仰のきっかけたる隕石落下。その日に合わせて祭事が開催されるのは必然だった。
「一日ぐらい滞在を伸ばしても大丈夫でしょ? 費用が不安ならうちに泊まってもらってもいいし」
「貴重な機会だし、もう一泊していくのも有りか。お金は余分に持ってきてるから、後で宿の延泊を申し込んでおくよ」
大学の単位は問題ないし、アルバイトの予定も調整はきく。二十四年に一度の貴重な機会の優先順位は高い。
「別にうちを使ってくれても良かったのに」
「女の子があまり気軽にそう言うものじゃないよ」
「そう? 長さんは人畜無害そうだし、そんなに心配はしてなかったけど」
思わね発言に長士郎の方が面食らってしまう。流石に冗談だとは思うが、塔子はその境界が読みにくい。まだ十代の少女のはずなのに、いつだって自然に主導権を握ってくる。
「ところで、愁覚では何をするんだい?」
若干感じた気まずさを誤魔化すように、長士郎は祭事に話題を戻したが。
「それは夜になってからのお楽しみ」
塔子は小悪魔ちっくに微笑んだ。
「そもそも部外者の僕が参加しても大丈夫なのかな?」
「そこは私が上手くやっておくよ。最悪ひっそり紛れ込んでも平気平気。一人増えたところで誰も気づかないよ」
「塔子ちゃんには適わないな」
根拠なんて何もないのに、塔子が平気だというだけで長士郎も根拠もなく大丈夫だと思えてきた。
※※※
長士郎が橙屋で塔子と食事をしていた頃。記者の能條は、夜墨村役場の駐車場に白いセダンを停めて、タバコに火を点け一服していた。滞在する時間を増やすために宿は村の木月荘を利用したが、村には元々自家用車で来ていた。
もちろん何かの手続きで村役場を訪れたわけではない。記者らしく、目的は張り込みだ。記者として能條は様々な人脈を持っており、その中で、国会議員の総角松之丞がお忍びで夜墨村を訪れるという情報を掴んだ。その議員は地元選出というわけではなく、公私共に夜墨村に縁はない。それにも関わらずお忍びで夜墨村を訪れる理由があるとすれば、真っ先に思い浮かぶのは表舞台から姿を消した大富豪、権俵喜一郎の存在だ。総角議員が村役場に入っていく様子は確認した。権俵は政界にも広く顔が利く。何か意見を求めにきたのか、あるいはもっと直接的に何らかの便宜でも求めにきたのか。いずれにせよ、村役場で権俵と総角議員が密談を交わしている可能性は高い。それが終わるのを待っていれば、表舞台から姿を消していた権俵の近影を収めることが出来るかもしれない。
「悪いが、今日はあんたはスルーだ」
四十分ほど張り込んでいると、総角議員が秘書の運転する車に乗り込み、村役場を後にしていくのが見えた。今現在、総角議員に疑惑などは囁かれていないし、お忍びで大物に会いにきたからといって、それ自体に何か問題があるわけではない。総角議員に迫る理由は能條にはない。むしろ本命である権俵に迫る状況を生み出してくれた最大の功労者だ。
「主役のお出ましだ」
総角議員から十五分ほど遅れて、標的である権俵喜一郎らしき白髪の男性が村役場の入り口から姿を現した。
「老けたが、存在感は健在か」
能條は無茶でカメラのシャッターを切り、権俵の近影をフィルムに収めていく。
表舞台から姿を消して久しい権俵は、過去の記録と照らし合わせると、現在は六十四歳になるはずだ。浅黒い肌の精悍な顔立ちと高級そうな白いスーツ姿が抜群の存在感を放っているが、現役時代に比べると皺が圧倒的に増え、髪も総白髪となっている。背中はやや丸まり、足取りもどことなく重そうで確かな老いを感じさせる。存在感はあっても、かつてほどの迫力は感じられない。
権俵を見送るために、多数の職員が集まっている。お忍びだった影響もあるだろうが、現役の国会議員の総角の見送りが誰もいなかったのに対して、現在村内在住の権俵の方が圧倒的に好待遇を受けている。村を発展させた功労者なのでそれも当然といえば当然だが。
「何者だ?」
代表して権俵とやり取りをしているのは村長ではなく、グラスコードをつけた眼鏡をかけた小柄な男性だった。年齢は五十歳前後といったところだろうか。
「あの権俵が下手に?」
二人のやり取りを見て、能條は驚愕した。権俵の方から積極的に眼鏡の男性の手を取り、何かお願いをするように何度も頭を下げている。眼鏡の男性は恐縮するでもなく、無感情に権俵の頭を見下ろしていた。圧倒的な財力と権力を誇る権俵が誰かに頭を下げている姿は衝撃的だった。結果的に記者の能條が目撃しているが、公の場ではないのでポーズを取る必要もないし、自尊心が強いことで有名だった権俵はそもそも、ポーズでも人に頭を下げたりはすまい。まさか田舎で隠居して、心が洗われたということもないだろう。
「あの男、何者だ?」
今年発売したばかりの最新型高倍率ズームレンズを活用して、眼鏡の男性の胸のネームプレートに注目する。名前は恩地幸篤。肩書きは夜墨村役場総務部長となっている。部長級の職員とはいえ、それだけで権俵があのような態度になるとは思えないし、この場に同席している村長もまるで恩地を立てるように、自我を出さずに一歩引いている。まるで恩地をこそが場を支配しているかのようだ。
恩地との握手を終えた権俵が、運転手つきの高級外車へと乗り込む。村長や他の職員たちが頭を下げて丁重に送り出す中、恩地だけは頭を下げず、発進する車の動きを目で追うだけだった。
「権俵さんよ。あんたはこの村で何を企んでるんだい」
恩地の存在感は気になったが、能條の本命はあくまでも権俵だ。能條も村役場の駐車場から車を発進させ、権俵の車の追跡を開始した。まずは現在の住まいを突き止める。怪しい噂をつきまとっていた大富豪が表舞台から姿を消し、隠居先に選んだ縁も縁もない田舎の村。なぜこの村の発展に寄与しようとするのか。そこには絶対に、善意だけでは片付けられない理由が存在しているはずだ。
「私は一本電話を入れてから戻ります」
権俵の見送りを終えると、恩地は村長や他の職員を役場に戻し、屋外で電話を始めた。
「火野。たった今、権俵が役場を発ったが、見慣れない車が一台、後をつけていった。ナンバーを見るに、女将のところに宿泊している記者だろう。権俵の家の周辺を警戒しておけ」
『予定通り、頃合いを見計らってやってしまってもいいんだな?』
「お前の裁量に任せる。周囲に人が近づかぬよう、後で松葉も合流させよう」
『俺一人じゃ不安かい?』
「念には念をというやつだ。今日は大事な日だからな」
『今のは冗談だ。松葉と連携して、しっかり役目は果たすさ。大切な大切な時非様のためにな』
そう言って、火野の方から電話を切った。
電話を終えて、恩地が電話をしまっていると丁度、昼食を終えた長士郎と塔子が橙屋から出てくるところだった。向こうも役場の入り口の恩地に気づき、塔子は元気に手を振り、隣の長士郎は当たり障りなく会釈をしている。そんな二人に、恩地も微笑みを浮かべ、手を振り返した。
「相変わらず、自由な妹だ」
一人そう呟くと、恩地は役場の中に戻っていった。
※※※
「さっきの人は、もしかしてお父さん?」
直前に塔子が親しげに手を振っていた役場の男性について、長士郎が尋ねた。遠目だが相手は五十歳前後くらいに見えたので、真っ先に想像したのは父親の可能性だった。
「幸篤は私のお兄ちゃんだよ」
「お兄ちゃん?」
「うん。血を分けた唯一の家族」
最初は兄のように慕っている人というニュアンスかとも思ったが、塔子は即座に実の兄だと明言した。実際、最初から親子だと思うぐらいに二人は似ており、確かに血の繋がりは感じられた。恐らく三十歳ぐらいの年齢差があるように見えるが、唯一の家族とも言っていたし、複雑な家庭事情があるのかもしれない。長士郎も遠慮して、二人の関係性についてはそれ以上踏み込まなかった。
「一度、木月荘に連絡してもいいかな? もう一泊したいって、女将さんに伝えないと」
長士郎が足を止め、木月荘に電話をかけようとすると。
「そんなの後でも大丈夫だよ。それよりも滞在が伸びたんだし、時間に余裕はあるよね。この後、私に付き合ってくれない?」
今日の午前中は、塔子が村中を案内してくれた。夜墨村の文化や歴史を学べる場所を一通り巡った後には、さながら新しく移住してきた住民に村を案内するかのように、熱心に様々なお店や施設を紹介してくれた。それからお昼を食べて、本来なら午後の早い便のバスで村を発つ予定だったが、今夜開催される愁覚を拝むべく、急遽村にもう一泊することになった。本来の予定は終えたため、夜まで時間は余っている。多少強引なところはありながらも、塔子の案内にはとても助けられたし、お礼をするには良い機会なのかもしれない。
「塔子ちゃんには世話になったし、なんでもどこでも付き合うよ」
「言ったね。本当にどこでも付き合ってくれるの?」
塔子はグッと長士郎に顔を近づけ、大きな瞳をキラキラと輝かせている。その美貌にドキッとさせられたが、無邪気な顔を見ていると純粋に、目いっぱい楽しんでほしいとそう感じた。村には年齢の近い友人がいない。だからこそ塔子にはこの時間が重要なのだろう。
「男に二言はないよ。どこに行く?」
「それじゃあ、ボウリング」
塔子が満面の笑みで、ボウリング場の看板のピンのオブジェを指差した。
「ボウリング自体も好きだけど、あのピンのオブジェも好きなんだよね。高い建物もない小さな村だから、あのピンがそびえ立つ塔みたいに見えて」
「塔。自分の名前と重ねて?」
「そう。私は塔のように伸び伸びとした女の子なの。どんなに上に伸びたところで、どこにも行けないのにね」
塔子は笑顔のままだったが、ピンを見上げるその瞳には、諦観にも似た乾きを感じさせた。冬の乾燥した空気の悪戯だろうか。
「って、私は何を語ってんだか。ところで長さん、ボウリングの腕前は?」
「そこそこかな。大学の友達と時々行くけど、仲間内では一番上手いと思う。そういう塔子ちゃんは?」
「友達もいない片田舎で、日々一人ボウリングに明け暮れる私の実力、見せつけてあげるよ」
自虐的ながらも、自分から誘っただけあり、腕には覚えがあるようだ。食後の運動も兼ねて、二人はボウリングを楽しむことにした。




