第六話 恩地幸篤
『次は、夜墨、夜墨でございます。お降りの方は、お近くの降車ボタンでお知らせください』
十二月五日の午後。路線バスに揺られていた白木庸一は、アナウンスに反応して降車ボタンを押した。昨日、甲斐谷由利枝から娘の季里果の捜索を依頼され、まずはあらゆる可能性を考慮し、通っていた大学やアルバイト先などを中心に徹底的に聞き込みを行ったが、季里果の行方に関する有力な手がかりを得ることは出来なかった。こうなるとやはり、季里果はSNSで知り合った「Citrus1903」に会うために、夜墨村へ向かった可能性が高い。庸一もこうして現地調査へと踏み切った。
他の乗客も全員夜墨で降りるようで、各々準備を始めている。乗客は庸一を入れて三人で、髪をアッシュグレーにした、スタジャンを羽織った男性と、黒髪を二つ結びにした白いコート姿の女性が乗り合わせていた。男性は二十代後半、女性は二十代前半ぐらいに見える。失礼ながら夜墨は、若者が観光目的で訪れるタイプの場所ではない。季里果が向かった可能性があることも含め、何が彼らを夜墨へと誘ったのかが純粋に気になった。もちろん蓋を開けてみれば、地元への帰省だったり、知人を訪ねてきたりと、他愛ない話である可能性もあるが。
「先程は貴重な情報をありがとうございました」
バスが停車し、乗客たちが降車していく。支払いと同時に運転手にお礼を言うと、庸一が一番最後に降りた。
「流石に冷えるな」
同じ神奈川県内でも、山と海に囲まれた夜墨はとても冷える。ニットの上にレザージャケットを着てきたが、それでも温かさは物足りない。
「ついに到着しました。ここが夜墨です! 前回は諸事情で断念したけど、今回こそこうご期待!」
庸一が声のする方に視線を向けると、スタジャンを着た男性が、地域の地図が記された大きな看板の前で、スマホカメラで動画撮影を始めた。個人的な記録かとも思ったが、その口ぶりや声の張り方から、動画投稿などの活動をしているかもしれない。VLogというやつだろうか。
白いコートの女性は明確な目的があるのか足早にバス停を後にしていく。日帰りなのか、荷物はショルダーバッグ一つと軽装だ。
「何か食べておくか」
バス停のすぐ近くに橙屋を見つけたので、庸一はまずは腹ごしらえをすることにした。
「いらっしゃいませ」
店内は空いており、ワイシャツ姿の男性が一人、定食を食べているだけだった。
「ご注文をお伺いします」
「夜墨ラーメンを一つ」
空いていた席にかけていると、小柄な女性が注文を取りにきたので、名物とメニューで紹介されていた夜墨ラーメンを頼むことにした。寒い日はラーメンに限る。前職では丼もの一択だったが、それはもう昔の話だ。
「お待たせしました。夜墨ラーメンになります」
お客さんがまだ少ないので、ものの数分で夜墨ラーメンが到着した。そのタイミングで庸一は、家族から提供された季里果の写真を一枚スマホに表示した。
「つかぬことをお聞きしますが、この女性を見かけたことはありませんか? 恐らく、一週間ぐらい前に夜墨を訪れたと思われるのですが」
腹ごしらえは建前で、庸一の本来も目的は聞き込みだった。玄関口であるバス停に一番近い食堂は、外からやってきた人間が利用する可能性が高い。
「見覚えはないわね。村外の人は目立つから、見てたら覚えてると思うけど。最近だと横浜から来た大学生がお昼を食べていったけど、あれは男の人だったしね」
女性は目を細めて、写真を近づけたり遠ざけたりするが、有力な情報は出てこなかった。
「そうでしたか。すみません。突然こんな話をしてしまって」
その男子大学生が何者かは分からないが、横浜から来たことも把握しているあたり、しっかりとコミュニケーションを取ったのだろう。客とのそういったやり取りまで記憶している女性に見覚えがないのなら、季里果はこの店を訪れてはいないのかもしれない。
「人捜しかい?」
「はい。ご家族がとても心配していて」
「親御さんを思うと胸が痛むね。無事に見つかるといいけど」
「そのために、全力を尽くす所存です」
「だったらまずは、お腹いっぱい召し上がってくださいな。何事も体力勝負だからね」
女性に促され、庸一は温かい夜墨ラーメンをすすり始めた。
「これは美味い」
元々は情報収集のために入った店だったが、お世辞を抜きに、箸が止まらなくなった。
「失礼。少しよろしいですか?」
橙屋を出た直後、庸一は同じく店を出てきた男性に声をかけられた。定食を食べていた男性だ。年齢は五十歳前後ぐらいに見え、小柄な体格でグレーのスーツを着ており、眼鏡にはグラスコードが装着されている。
「お店でのやり取りが耳に入りまして」
「申し訳ありません。食事中にお騒がせしてしまいましたね」
「それは別に構いません。むしろ内容が気になりましてね。尋ね人だそうですが、お力になれるかもしれません」
「もしかして、何か心当たりが?」
「残念ながら心当たりはありませんが、私はこういう者でして」
男性が手渡してきた名刺に書かれていた肩書きは、庸一の想像を超えるものだった。
「庁舎の所長を務める、恩地幸篤と申します。以後お見知りおきを」
「探偵の白木庸一と申します。まさか庁舎のトップの方だったとは」
庸一も名刺を取り出し、その場で交換した。
「やはり探偵さんでしたか。警察官ではなさそうだし、口ぶりから親族でもなさそうだ。そうなると可能性があるのは、探偵、興信所ぐらいですからね」
「ご家族から依頼を受け、甲斐谷季里果さんという女性を探しています」
心当たりはないと言っていたが、庸一は念のため、恩地にも季里果の写真を見せた。
「まだお若い。ご家族もさぞ心配でしょう。村を訪ねてきた方が行方知れずとなれば、行政の人間としても由々しき事態だ。私の方でも調べてみましょう」
「大変ありがたい申し出ですが、行政の方がよろしいのですか? それこそ私は警察官ではありませんし」
「困った時はお互い様というやつですよ。それに便宜上、行政の人間という言葉を使いましたが、これはあくまでも個人的な協力ですのでそう気負わずに。田舎の強みと申しましょうか。狭い地域だからこそ、個人間の強い情報ネットワークが存在する。一声かければ、何か尋ね人に関する情報が得られるかもしれません」
「助かります。何とお礼を申し上げたらいいか」
「感謝の言葉は尋ね人が見つかった時まで取っておいてください。何か分かりましたら、こちらの番号にご連絡いたします」
そう言って、恩地は交換した庸一の名刺をしまった。
「白木さんはこの後は?」
「地道に聞き込みを行うつもりです。足で稼がないと」
「まるで刑事のようですね」
恩地の言葉には返答せず、庸一はただ愛想笑いだけを浮かべた。
「聞き込みをするのなら、まずは駐在所の松葉さん訪ねてみてはいかがですかな。正義感の強い方ですし、警察の捜査の有無にかかわらず、力になってくださいますよ。私からもあらかじめを事情を説明しておきましょう」
「何から何までありがとうございます。早速訪ねてみますね」
「尋ね人の無事を、私も願っています」
一礼して踵を返すと、恩地は仕事のために庁舎へと戻っていった。途中、スマホを取り出していたので、早速駐在所に連絡してくれているようだ。
「……親切な相手との巡り会いに感謝すべきか、それとも」
恩地の背中が役場に消えると、庸一はたまらず呟いた。それなりに修羅場はくぐり抜けてきている。表面上は友好的に接しておいたが、初対面の相手からの厚意を素直に受け取るほど、庸一は人間を信じてはいない。
「利用出来るものは何でも利用させてもらうさ」
本当にただの親切ならそれでいい。何か裏があるならそれはそれで大きな動きだ。いずれにせよ、警戒を怠るべきではない。夜墨村で消えた人間は、疑わしい者も含めて一人や二人ではないのだから。
※※※
「夜墨駐在所の松葉です。お話は恩地所長から伺っていますよ」
徒歩で夜墨駐在所に到着すると、警察官の松葉克士が寒い中、外で出迎えてくれていた。外見から年齢は三十代半ばぐらいだろうか。肩幅と上背のあるたくましい体つきだか、表情は温和で親しみが持てる。頼れる村のお巡りさんといった印象だ。庸一は駐在所の中へと通され、ゆっくりと腰を落ち着けて話をすることになった。
「ご家族から依頼を受け、甲斐谷季里果さんという女性を探しています。大学生で年齢は十九歳。身長は一六三センチ。失踪したのは五日前で、当時の服装は不明です」
庸一から提示された季里果の写真を凝視しつつ、松葉は無意識に顎を擦った。
「日に何度か地域を見回っていますが、見覚えはありませんね。髪に緑色が入っていますが、こういう髪はこの辺りでは珍しいので、かなり目立つと思いますし」
季里果はインナーカラーの入った髪色に加え、身長も一六三センチと高い。さらに母親の由理枝いわく、季里果のお気に入りだったブーツが部屋から無くなっていたので、失踪時はそれは履いて外出した可能性が高い。元々の長身に加え、ブーツでさらに数センチは身長が高くなっていたはずなので、季里果はかなりの存在感を持つ。そんな季里果が夜墨にいれば、確実に誰かの目には止まるはず。それなのに現時点で村内での目撃情報はゼロだ。
「根本的な話、甲斐谷さんは本当にこの村にやって来たのでしょうか?」
「確実とまでは言えませんが、直前に夜墨までのルートを検索していたので、その可能性は高いと思います」
カードは他にも持っているが、今はまだ手の内は明かさない。
「だとすれば、意図して目立たぬように行動しているのかもしれませんね。警察官としてあえて触れずらい話をしますが……例えば自殺を考えて夜墨を訪れた可能性などは? もう一週間も経っていますし」
「過去にもそういうことが?」
庸一の眉尻が上がり、質問に質問で返した。
「頻繁ではないにせよ、そういった事例が何度か起きていることは事実です。夜墨の平和を預かる者として、あまりこういうことは言いたくないが、常夜山には死を引き寄せる魔力のようなものがあるのかもしれない」
「なるほど。魔力ですか」
言葉を選んだ松葉に庸一も表現を合わせたが、常夜山には自殺の名所としての側面があるということなのだろう。
「あらゆる可能を排除しませんが、魔力とやらを疑うのは一番最後です。季里果さんを無事に見つけ出すことが私の仕事ですから」
最悪を想定することと、最悪を前提にすることには天と地ほどの差がある。仮に最悪の展開が訪れようとも、それはあらゆる可能性のを経由した結果でなくてはならない。人捜し専門の探偵としての譲れない信条だ。
「失言でした。確かに本職は、悲劇ありきで考えすぎていたのかもしれません」
「いえ、そんなことは。かつての私も似たような経験がありますから」
自らの考えが理想論である自覚は庸一にもある。それでも松葉に対して少し感情的になってしまったのは、過去の自分を重ねてしまった部分も大きい。
「白木さん。もしかしてあなたは」
相手は一つの駐在所を任されている警察官だ。流石に話しすぎた。
「……前職は警察官です。四年前に退職し、今は探偵業を」
「そうでしたか。この仕事をしていると色々ありますからね」
警察官として思うところがあったのだろうか。顔色を伺うように一度だけ庸一の目を見ると、松葉は警察官としての過去については、それ以上触れてこなかった。
「一つの可能性として、常夜山で何か異常が無かったか、村の猟友会にも確認しておきます。自死ではなく、過去には山に入った観光客が熊に襲われる被害もありましたので」
「分かりました。ご協力に感謝します」
旅先で偶然事故に巻き込まれる可能性は確かに否定は出来ない。山に食料が不足し冬眠が出来ず、熊害が多発している昨今の環境ならばなおのことだ。
「そういえば松葉さん。この村に宿は何件ありますか?」
「木月荘という民宿が一件だけ。今夜はお泊まりですか?」
「場合によっては」
宿に季里果が五日も滞在していれば流石に松葉が気づくだろうが、村に一件しかないのなら立ち寄る可能性は高い。目撃証言の一つでも出れば上出来だ。庸一は次の目的地を木月荘へと決めた。
※※※
「松葉です。白木は少し前に駐在所を出て行きました。この後は木月荘に向かうようです」
松葉は駐在所の固定電話から報告の電話を入れていた。やり取りの最中、駐在所前を通ったダッフルコート姿の少女が笑顔で手を振ってきたので、松葉も空いている方の手でそれに返した。
『お前の感触はどうだ?』
「依頼だからというだけではなく、行方不明者を見つけることに対して、何か強い信念のようなものを持っている印象です。そうそう妥協することはないでしょう」
『だが、尋ね人がここにいるという確証があるわけではあるまい』
「ですが、あの様子を見る限り、納得いくまで徹底的に村を調べ回るかもしれません」
『なかなか厄介な人物というわけだ。いっそ、行方不明になってもらうという手もあるにはあるが』
電話越しの声は、さも通常業務のように淡々とそう言った。
「厄介な理由は他にもあります。話の中で本人も認めていましたが、どうやら白木は元警察官のようです。加えて少し調べたところ、探偵業の方も、人捜し専門の探偵として高い評価を得ている。業界では相当名の知れた人間のようです。古巣である警察とのパイプもあるでしょうし、失踪者を調査中に白木までもが行方不明となれば、騒ぎが大きくなる懸念があります」
『余計な注目を浴びることは避けたい。考え無しに白木を排除するのは得策ではないか』
「ここにはいないと判断すれば、方針を転換して村を離れる可能性もあります。下手に手出しはせず、今は動きを注視するに留めるべきでしょう」
『監視を怠るなよ。もしも奴が核心に近づいた時は』
「心得ています。本職はこの村の弾丸ですから」
受話器を置くと同時に、松葉は駐在所の奥にある金庫の方を見やった。




