第五話 木月ふみ
夕食時になると、長士郎は木月荘の一階にある食堂に足を運んでいた。他の宿泊者もすでに食堂に集まっていて、無精髭と黒縁眼鏡が印象的な中年の男性と、二十代後半くらいの夫婦らしき二人組。それと食堂には姿が見えないが、チェックインする際には七三分けのスーツ姿の男性も見かけた。外にでも食べに行っているだろう。長士郎が把握している宿泊客はこれで全員だ。
「女将さん。村に学者さんが来られていると聞きましたが、こちらには宿泊されていないんですか?」
長志郎は女将の木月ふみが夕食を運んできたタイミングで尋ねた。ふみは黒髪を結った妙齢の女性で、白い割烹着姿と柔和な笑みでとても親しみやすい。恐らくはまだ二十代だと思われるが、寮母さんのような安定感がある。
「そういえば、恩地さんがそんなお話をされてましたね。学者さんたちなら、うちには宿泊されていませんよ。予約もありませんでしたし」
「そうですか」
県外から来た学者が日帰りするとは思えなかったので、村唯一の宿であるこの木月荘に泊まるものだとばかり思っていたが、予想は外れた。もしかしたら夜墨村ではなく、小田原市の方に宿を取ったのかもしれない。長士郎もそれ以上は気にしなかった。
「海の幸をふんだんに使った、宿自慢のお料理です。たっぷりと召し上がってくださいね」
全員の席に豪華な食事が並べられていく。新鮮なお刺身に魚の煮付け、和食だけではくエビフライや白身魚のフリッターなども添えられている。食事も宿代に含まれているが、これだけ豪華だとは良い意味で想定外だった。経営が成り立っている以上、採算は取れているのだろうが、素人目には食事だけで宿代の元が取れそうに感じてしまう。食堂ではなく外に食べに行った男性は勿体ないことをしたなというのが長士郎の率直な感想だった。
新鮮な海の幸を使った料理の数々はもちろん味も絶品で、長士郎もおかわり自由の白飯が何杯も進んだ。その都度微笑ましそうにご飯をついでくれるふみの笑顔は、やはり寮母さんのようだった。卒論製作など関係なく、ふみの人柄と絶品料理目当てでまた宿泊してまいそうだ。
「いい食べっぷりだな。若さは偉大だ。俺ぐらいの歳になると、揚げ物が凶悪な顔をする」
長士郎がしばらく食事を楽しんでいると、黒縁眼鏡の男性が気さくに声をかけてきた。すでに何杯も飲んでおり、顔が仄かに赤らんでいる。
「兄ちゃんも一緒に呑まないか? 若そうだが未成年ってわけではないだろ」
「遠慮しときます。成人はしてますけど、お酒は極端に弱くて。一杯で潰れてしまう」
「それなら無理強いはできねえな。潰れちまったらゆっくり話も出来なくなる」
そう言うと男性は食事も程ほどに長士郎の隣に席を移した。一緒に呑みたいというのは建前で、会話するきっかけがほしかったようだ。
「僕に何か用ですか?」
「その前にまずは名乗っておこうか。俺は能條というものだ」
能條と名乗った男は名刺を一枚取りだし、長士郎に差し出した。フルネームは能條久で、肩書きはフリーの記者となっている。
「名刺は無いので口頭で。真方長士郎。大学生です」
「なんだ大学生かよ。思った以上に若かった。同業の可能性もあると思ったんだがな」
「同業って、俺も記者だと?」
「若い男が一人で観光に来るような場所でもないだろう。何か目的があるだろうし、同業ならいっちょ情報交換でもって思ったんだがな」
「別に若い男が一人で観光に来てもいいでしょう。僕の場合は専攻する民俗学の研究が目的でしたけど」
「真面目な学生だったか。やっぱり判断ってのは、酔ってる時にするもんじゃねえな」
宛てが外れた能條は反省する様子もなく、さらに酒を流し込んでいく。
「それで、フリーの記者が何の取材でこの村に? 情報は漏らせないと言うのなら、無理には聞きませんけど」
「大学生に漏らしたところでどうなるも情報でもないし、別にいいさ。勝手に絡んだ負い目もあるしな」
酔いが回ってきたのか。あるいは本当に大したことのない情報なのか。能條の口は思いのほか軽かった。
「俺が追ってるのはバブル期に姿を消した謎の大富豪、権俵喜一郎についてだよ。真方くんも今日一日村を見て思っただろう。小さな村のくせに、妙に施設や設備が充実してるって」
「名前は知ってます。村内が充実してるのは、その人の尽力のおかげだとか」
「なんだ知ってたのか。説明する手間が省けた。移住して発展にまで寄与してる辺り、権俵はこの村にえらくご執心だ。用地化か、何か資源でも眠っているのか。いずれにせよ、稀代の大富豪を惹きつけるだけの何かがこの土地にはあるってわけだ」
「……奇特の一言では片付けられそうにないですね」
村の住人である塔子には聞けなかったが、外部の能條が相手なので、今回は長士郎も躊躇わずに疑問を口にすることが出来た。
「権俵喜一郎には当てはまらないだろうな。権俵には黒い噂も少なくなかった。奇特に思える行為にも、きっと何か思惑があるはずなんだ。本人を直撃したいとこだが、まったく見つからん。どこか心当たりはないか?」
「今日村に到着したばかりの僕が知る由もないでしょう。そういうことは住人にでも聞いてください」
「それが出来てりゃ苦労しねぇよ。権俵について聞いた瞬間、はぐらかされちまう」
「真意はどうであれ、村を発展させてくれている人ですからね。恩人を売るような真似はしないでしょう」
「そこなんだよな。こういう時、記者ってのは特に警戒されやすい。そこで一つ相談なんだか」
ねっとりと笑うと、能條は長志郎の肩に親しげに腕を回した。
「真方くんの方で権俵喜一郎について何か分かったら、俺にも情報を回してくれないか?」
「何で僕が?」
「見たところ人当たりも良さそうだし、住人は俺のことは警戒しても、君には口を滑らせるかもしれない。予定のついでで構わないから、それとなく探ってみてくれないか? もちろん記事になった暁には礼も弾むぜ」
「生憎ですが、明日には帰るので時間も義理もありません。記者なら自分の足でどうぞ」
「手厳しいな。まあ、気が変わったら名刺の番号にいつでも連絡くれや」
元々あまり期待はしていなかったのだろう。特に悪態をつくこともなく、笑顔で自分の席へと戻っていった。長士郎に協力を求めたのはあくまでも保険で、もしかしたらすでに、権俵喜一郎に迫る算段はついてるかもしれない。
「デザートをお持ちしましょうか?」
「お願いします」
ふみに声をかけられ、長士郎は一瞬身震いしたが、すぐに笑顔で応答した。一応、能條とは小声でやりとりしていたから大丈夫だと思うが、村の有力者を嗅ぎ回るような話題は、住人に聞かせるようなものではない。幸いにも、ふみは特に長志郎のことを訝しんでいる様子はない。
――権俵喜一郎か。
今日一日で何度も聞いてきたその名前はすっかり長士郎の記憶に焼き付いてしまった。自分の目的やペースがあるし、能條に協力しようとは思わないが、確かに謎の大富豪、権俵の存在は気になる。
――いや、権俵だけじゃないか。
話がややこしくなるので能條の前で話題は出さなかったが、郷土資料館の村史を見る限り、権俵が村に関わるようになる以前から、村は災厄に見舞われ度、外部からの手厚い支援によって早期の復興を遂げている。現代では支援者の代表格が権俵であるというだけで、村はずっと有力者の庇護を受け続けていたということだ。権俵だけではない。有力者を代々惹きつけるような何かが、夜墨村には存在しているのかもしれない。
※※※
「お、おい。そんな物騒な物はしまえよ」
午後十一時を回った頃。髪を七三分けにしたスーツ姿の男性、和井信義は映画館のシアターで、猟師の火野大生に鉈を向けられていた。突然の出来事に驚愕し、酔いも一気に冷めてしまった。
出入り口の前では、映画館の館長を務める久貝武満が両腕を組んで退路を絶っている。口髭が特徴的な白髪交じりの男性で、白いワイシャツに臙脂色のニットベストとループタイを合わせていた。
「久貝さんも何か言ってくれ! これはどういうことなんだ!」
久貝は和井の叫びに一切反応せず沈黙を貫いている。饒舌だったほんの数分前までとはまるで別人だった。
夕方、和井は暇潰しで入った映画館で館長の久貝と知り合い意気投合。本日の上映も終わったので、そのまま二人で村内の居酒屋へと移動し、映画談義を肴に飲み交わしていた。そこに後から久貝の友人だという火野も合流して場はさらに盛り上がり、映画館で飲み直そうという久貝の提案を受け、意気揚々と二次会の会場を訪れてみたら状況は一変。この有様だ。
火野も久貝も直前までかなり出来上がった様子だったのに、シアターに入った瞬間に冷静になり、火野は凶器まで取り出した。何が起きているかは皆目見当もつかないが、全てが予定調和だったことだけは和井にも理解出来た。獲物はまんまと狩り場に追い込まれたのだ。
「か、金なら好きだけ持って行っていい。だからその物騒な物をしまってくれ」
恐らく目的は強盗だろう。金で解決するなら安いものだ。和井は懐から長財布を取り出し、火野の足下へと投げた。
「ここは映画館だぜ? そんな展開は興ざめだろ」
火野は財布には目もくれず、遠くへと蹴り飛ばしてしまった。
和井の表情がみるみる青ざめていく。交渉が無意味だとすれば、凶器は脅しの道具ではなく、よりシンプルな意味を持つことになる。
「今宵のナイトショーはR指定のサイコホラーだ」
「火野。掃除が大変だからあまり汚すなよ」
「分かってるよ」
「待って――」
必死に懇願する和井めがけて、火野は容赦なく鉈を振り下ろした。
映画を上映する性質上、映画館は防音性能に優れている。和井の声は誰にも、どこにも届かない。




