第二十話 狂乱の夜
「おーい、白木。こっちだ」
「会えて嬉しいです。占部さん」
常夜山にも近い、木月荘の前までやってくると、一台のミニバンが止まっており、運転席から占部が手を振っていた。流石に不老不死に関する事情を説明している暇はなかったが、地域ぐるみで犯罪が行われていることや、駐在所の松葉も関わっていることはすでに占部も承知している。猟銃などで武装した住民に襲われる危険性も伝えていたが、それでもなお占部は駆けつけてくれた。退職後にもここまで付き合ってくれる占部には頭が上がらない。
「行方不明になっていたお嬢さんと、成り行きで巻き込まれた動画投稿者と。えっと、そちらの方は?」
占部が長士郎に伺いを立てる。電話では一人仲間が増えたと伝えられただけで、詳細までは把握していなかった。
「白木庸一の叔父の、真方長士郎と申します。占部さんは庸一くんの警察官時代の先輩だそうで。甥っ子がお世話になっています」
「これはどうもご丁寧に……ん? 叔父?」
一瞬納得しかけたところで、占部は思わず長士郎と庸一の顔を何度も見比べた。
「白木、ずいぶんと若い叔父さんだな。不躾は承知だが、何か複雑な家庭の事情が?」
「諸々の事情は移動しながらで。夜墨は危険だ。一刻も早く離れたい」
「その顔を見たら深刻さは伝わってくるよ。全員乗ってくれ」
ミニバンなので、この場にいる全員が乗り込むことが出来た。庸一が助手席に、残る三人が後部座席へと乗り込む。全員が乗車したのを確認すると、占部は車を発進させた。
「……冗談みたいな話だが、白木が俺を担ぐ理由もないし、とりあえずは言われたまま受け入れるさ」
「そう言ってもらえると助かります」
ハンドルを握る占部は庸一から説明された事情に困惑しながらも、決して否定的にはならなかった。庸一の人となりはよく知っているし、全員の疲弊した様子から、相応に物騒なことが起きていたことは疑いようがない。不死者と、不老不死を求める者で構成された土地だと知り、色々と合点がいった部分もある。
「まだ半日だし、調べることが出来た情報はほんの一部だが、夜墨に関連した行方不明事案の大半はどうやら、数代に渡り、一部の警察幹部によってもみ消されてきたようだ。七十年以上の長きに渡り、松葉克士という名の警察官が駐在所に配置され続けているのも、その働きかけによるものだろうな」
「やはり、不老不死を求めての便宜ですか?」
「恐らくな。当時どんなやり取りがあったかは定かではないが、現職の警察官である松葉という不死者の実例がいる。不老不死の可能性ををチラつかせることが、金や権力にも勝る交渉材料になったことは想像に難くない」
「流石に、その当時の幹部はもう残っていませんよね?」
「最後の一人も三十年以上前に鬼籍に入っているが、夜墨村への便宜と不老不死の秘密は派閥内で継承され、派閥の名を変えながらも、その流れは現代まで脈々と続いている……定年退職後に夜墨へ移り住んだOBも複数名存在した。嘆かわしい限りだよ」
「同感です。全てを知りながら、私欲のために加担するなんて……正義はどこにあるんだよ」
松葉克士という名の警察官が七十年以上夜墨駐在所に勤務しているという、あり得ない人事がまかり通っている時点で覚悟はしていたが、占部の口から詳細を聞いた瞬間、庸一は元警察官として、それ以上に一市民として、義憤を覚えずにはいられなかった。夜墨の不老不死を巡る闇は、想像していた以上に深く広がっている。
「正義ならここにあるだろう」
占部の温かくも芯の通った声色に、庸一は顔を上げた。
「元警察官だからこそ、軽々しく正義なんて言葉を使うつもりはないが、行方不明になった女の子を見つけ、心配する家族の元に返そうと奮闘することは、間違いなく正義だと俺は思うよ」
「そうですよ。白木さんが探し出してくれなかったら私、今頃どうなってたか分からない。白木さんは間違いなく正義の味方です!」
占部の力説を、後部座席の季里果も前のめりで支持した。最悪の場合は命を落とし、良くても延々と軟禁状態だったはず。だけど今はこうやって、脱出のための車に乗っている。自分は正義に救われたのだと、季里果は胸を張ってそう言えた。
「俺一人に出来たことなんてたかが知れている。ここにいる全員の力があってこそだよ。正義を完遂するためにも、季里果さんをしっかりご家族の元まで送り届けないといけないな」
「ああ、運転手は任せ……おい白木、後ろ」
「素直に見送ってはくれなそうですね」
突然、占部の顔色が変わり、車内に緊張が走る。突然脇道から現れた中型トラックが、ミニバンの後ろについたのだ。
「恩地と……まずい! 火野と松葉もいる」
後方を見た長士郎が、厄介なお客様を目にし、語気を強める。恩地が運転席でハンドルを握り、助手席には松葉、そして荷台にはライフルを構えた火野の姿があった。二人の復活は想定よりも早い。実際不死者とはいえ無茶はしているようで、松葉は額の銃創が完全に塞がりきっておらず、不死者ながらも流血が邪魔にならないように、包帯で止血している。火野に至っては脳は再生したので動けてはいるが、頭の再生は完全ではなく、右側頭部はまだ欠けたままだった。
「頭を下げろ!」
庸一が叫んだ瞬間、火野のライフルから放たれた銃弾が、ミニバンの後部のガラスを撃ち抜いた。続けて松葉もライフルを発砲し、ガラスが砕け散った。幸い誰にも当たらなかったが、後ろを取られているディスアドバンテージは大きい。
「あまり想像したくはないが、いっそバラバラにでもするべきだったか」
長士郎はシートベルトを外すと、ライフルで応戦を始めた。火野と松葉には事が済むまで眠っていてほしかったが、そう都合よくはいかないらしい。体をバラバラにすれば復活までもっと時間を稼げたかもしれないが、不死者とはいえ相手は人間だ。発想には至ってもそれを実行ができるほど、長士郎は残酷にはなれない。
「くそっ! 本気で撃ってくるとは。いよいよ深刻さを実感したよ」
「占部さん。何とか振り切って夜墨村の外まで行ってください。トンネルさえ越えれば彼らはもう追ってこない」
「トンネルさえって、あの様子じゃ地の果てまで追ってきそうだが?」
運転の手こそ緩めないが、長士郎の言葉に占部は困惑していた。これが国境線ならば分からなくもないが、地域一つから脱出したぐらいで、追撃の手が止むとは思えなかった。
「説明している暇はありません。今はとにかく僕を信じて」
「長士郎くんを信じて、今はとにかく逃げましょう。後ろのトラックは俺たちでどうにか食い止める」
庸一も助手席の窓から手を出し、拳銃での応戦を始める。必然的に相手は、同じく助手席から体を出す松葉となった。
「飛ばすぞ。投げ出されるなよ」
二人を信じて、占部も運転に集中する覚悟を決める。事故だけは起こさないように最新の注意を払いながら、一刻も早く夜墨から脱出すべく、さらに車の速度を上げた。
※※※
「はははははは! これだけの生贄を捧げれば、非時様にもご満足頂けるだろう。十個、いや二十は実をつけてもらわんとな」
愁覚の会場である橘中は、多くの住民が血を流し倒れていた。死者十名、負傷者百名近い惨状だ。その中心では車椅子に乗った権俵が、狂気の夜に、狂喜の高笑いを響かせた。生き生きとした表情は、十歳は若返ったかのように見える。
不老不死を求めて多くの住民が殺し合ったが、口火を切った権俵は多くの部下と銃器を従えており、その火力は圧倒的だった。犠牲者の大半は権俵一味の銃撃によるものだ。惨状に対して死者が少ないのは、なるべく即死しないように配慮したためである。完全に殺してしまっては、実を結ぶ栄養となる生命力を吸い上げることができないからだ。辛くも銃撃から逃れた者たちは命には代えられないと、逃げるように次々と下山している。
「おお、非時様も喜んでおいでだ」
非時の近くで倒れていた若い女性から流れ出た血液が根元に届くと、非時は緑色に怪しく発光。地中に張り巡らされた根の一部が土を舞い上げながら地上に出現し、触手のように自由自在に動き回り、流血する女性の体に巻き付いた。
「いっ嫌! 吸われ――」
気絶していた女性が体に巻き付く根の感触で意識を取り戻したが、絶叫は一瞬で失われた。触手となった根を通して生命力を根こそぎ吸い取られていき、若々しい肉体は瞬く間に、干物のように干からびてしまった。
「は、離せ――」
「非時様、どうかお許し――」
若い女性の生命力を吸い、そこら中に栄養源があると認識した非時はさらにたくさんの根を露出させ、動けなくなっている者を中心に次から次へと生者を搦め取り、生命力を一滴残らず吸い上げていく。不老不死を求めて夜墨へと移住した者の末路は、不老不死の栄養源となり、本来の寿命さえも全うすることが出来なかった。
「はははっ愉快愉快。恩地の奴め、仰々しく愁覚を仕切りおって。とても簡単な儀式ではないか」
目の前でたくさんの命が失われていく。その分、不老不死が育っていく。その光景に権俵は安堵していた。妄執に憑りつかれた権俵はすでに人の心を失っている。
「仕上げだ。適当な人間を磔にしろ」
指示を飛ばすと、二人の部下が倒れている住民の一人を担ぎ上げ、非時の元へと運ぶ。近くに転がっていたという単純明快な理由で磔に選ばれたのは、最初に権俵に足を撃ち抜かれたボウリング場の支配人だった。権俵が運営するボウリング場を任された支配人は権俵とも長い付き合いだったが、権俵に情など存在しない。むしろよく知る相手だからこそ、気軽に使い捨てることが出来た。
「あああああああっ! 痛い痛――」
権俵の部下二人が支配人の体を無理やり幹に押し付けると、無数の鋭利な棘が飛び出し、支配人の全身を貫く。棘を通して、大量の血液が幹へと注がれていく。生き血を直接接種したことで、非時は完全に覚醒し、不気味な赤い光を放った。
「やりましたよ権俵さん――」
「約束通り追加報――」
支配人の磔に成功した部下二人がやりきった表情で踵を返した瞬間、非時から鋭い枝が伸びて胸部貫き、伸縮して二人を幹へと引き込む。そのまま棘で突き刺し、二人も追加の磔となった。
「今宵の非時様は食欲旺盛であらせられる。良きかな良きかな」
部下二人の命もどうでもいい。犠牲が増えれば増えるほど、不老不死を得られる可能性高くなるし、余計な追加報酬も支払わずに済んだ。権俵は一石二鳥ぐらいにしか感じていなかった。百人はいた負傷者は漏れなく栄養分となった。非時はかつてないほどに栄養を得たに違いない。今から一体どれだけの数の実をつけるのか、権俵は期待に胸を膨らませたが。
「はっ?」
奇妙な浮遊感を覚え、権俵は頓狂な声を上げた。いつの間にか車椅子に根が絡みつき、権俵の体ごと持ち上げていたのだ。恩地がなぜ慎重に愁覚を取り仕切ってきたのか、権俵はその真意を理解していなかった。一度に過剰な生命力を得た非時は暴走を始め、周囲のあらゆる人間の生命力を求め、見境なく襲い始める。その危険性を理解していたからこそ、恩地はこれまでどれだけ収穫量が少なかろうとも、一度に大量の生贄を捧げることだけはしなかった。
しかし今宵、権俵は禁忌を犯し、不老不死をもたらす恵みの木を、ただひたすら人間を食らう食人木へと変えてしまった。一度始まった暴走はそう簡単には治まらない。ましてや見境のない暴食が、都合良く権俵を狙わぬ道理などない。逃げる力がないから後回しにされていただけに過ぎず、辺りを食い散らかした今、順当に権俵の番がやってきたのだけの話だ。
「よ、よせ! わ、私は選ばれし人間だ! 今年こそは不老不死ををを――」
浮いたまま身動きが取れなくなっている権俵が喚き散らかした瞬間、伸びてきた太い枝が口腔に侵入。文字通り口を封じた。呼吸が苦しい。他者の命を蹴落とすことに何の罪悪感も抱かぬ権俵喜一郎。人の心を失った男は、人知を超えた怪物の圧倒的な暴力性の前に、死への恐怖という、最も人間らしい感情をその身に存分に感じていた。
さらに鋭利な枝が二本、権俵の顔面目がけて勢いよく伸びてくる。権俵が最後の瞬間に目にしたのは、眼球に突き刺さらんとする鋭利だった。
――嫌だ嫌だ嫌だ死にた……。
両目を枝が貫き、同時に口腔の枝も一気に喉まで突き刺さる。老いた権俵からは大した生命力は吸えず、非時はすぐに権俵の体をぞんざいに投げ捨てた。
「悲鳴が止んだぞ?」
「あれからどうなったんだ?」
権俵の発砲に端を発する混乱から逃げ延び、近くの山小屋に駆け込んだ二人の男は、橘中の方角が途端に静かになったことを訝しんでいた。無事とはとても言い難いが、愁覚が終わって争う理由がなくなったのだろうか? 今ならまだ不老不死の権利を得られるチャンスが残っているかもしれない。危険を承知の上で、引き返すことを検討していると。
「揺れている?」
突然、地面が震動するのを感じた。土砂崩れが発生するような気象状況では無かったし、地震だろうか? 揺れは数秒で治まり、二人がホッと息を撫で下ろした瞬間、床板を非時の根が突き破り、山小屋内に侵入してきた。
「うわああああ!」
「な、何だこの化け物は……」
橘中からは数百メートルは離れている。ここまで来れば安全だと油断しきっていた二人は、それが自分たちが崇拝して止まない非時の一部であると、すぐには理解することができなかった。隕石の落下による突然変異と百二十年に及ぶ歳月を経て、非時は想像を遙かに上回る広範囲に根を張り巡らせていた。それは常夜山の山中だけには留まらず、夜墨という土地全域に及んでいる。
「俺が求めてたのは――」
「こんな話、聞いてな――」
二人は根に絡め取られ、瞬く間に干からびてしまった。
非時の暴走は徐々に山を下っていき、張り巡らされた根のうねりによって地面が隆起していく。捕食対象は一般の住民だけに留まらず、地中から姿を現した大量の根は、登山道で倒れて行動不能になっていた不死者の久貝と鷹觜をも飲み込んでしまった。非時が数多の命を吸ってつけた非時実を食し、不老不死となった者たちの永遠が非時の中に還っていく。ある意味でこれは循環なのかもしれない。
そうして山中の人間の命を食らいつくした非時の根はついに下山し、新たな狩り場を夜墨の居住地へと定めた。地域全体に張り巡らされた無数の根が獲物を求めて、舗装された道路さえも突き破り、地上へと姿を現した。そんな強力な根は民家の壁や床など易々と破壊し、中に潜んでいた住民を次々と捕食していく。
「滅びの景色とは、良くも悪くも壮観なものですね」
木月ふみは木月荘二階の窓から、終焉の景色を眺めていた。庸一たちの乗った車が宿の前を発ったと恩地たちに連絡し、自身は恩地の代わりに祭事の会場の様子を見にいこうとした矢先の異変だった。
「不老不死を得ようとも、人は神にはなれぬのですね」
ふみも恩地に並ぶ古参の不死者だ。非時と夜墨村の歴史のほとんどをこの目で見てきた。不老不死を得て人の域を超えた。少しずつではあるが、不死者の数も増えた。命の深淵に触れる行為は、時に神の所業に近づけたと感じさせることもあった。しかし、こうして終焉という現実を突きつけられて実感する。隕石の落下という偶然によって突然生まれた不老不死の神秘。故に終わりの時もまた、突然やってきた。
運命一つ操れないで何が神か。自分たちは神に倣ったのではなく、神と傲っただけに過ぎない。終わりを前に為す術などない。圧倒的な力で蹂躙してくる非時の暴走を前に、不死者はどうしようもなく、ただの人間であった。




