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第十六話 橘川塔子

 一九九九年。十二月六日の夜。


「おお! 非時様が目覚めたぞ!」


 権俵が歓喜の声を上げる。根で多くの人々の生命力を吸い取り、幹と枝に能條の血潮を浴びた非時は覚醒し、内部から怪しい緑色の光を放っている。


「実だ! 非時様が実を結んだぞ!」


 非時が一際太い枝に黄金色に輝く小さな実をつけた。それは生贄となった命の生命力を栄養に急激な成長を遂げ、瞬く間に手のひらサイズの柑橘の実となった。


「あれは何だ?」


 未知なる恐怖に長士郎は瞬きを忘れる。人の命を食らって発光する木も、その栄養で急速に成長する果実も、この世の光景とはとても思えなかった。


「北限に立っていることを除けば、元々は何の変哲もない橘の木だった。劇的な変化が起きたのは九十六年前のことよ」

「まさか、隕石の落下で?」


 驚愕に上ずる長士郎の声に、塔子は頷きを返した。


「隕石に宿っていたのが神か悪魔か。それは私たちにも分からないけど、隕石の衝突に唯一耐えた橘の木は急激な変化を遂げ、たった一つだけ成っていた実にも驚くべき力が宿った。食したものを不老不死にする力がね」

「塔子ちゃん。まさか君は?」


 常識では考えられない現象だが、長士郎は自らの目でそれを目撃している。


「私は九十六年前、最初に果実をたべた不死者第一号。言ったでしょう。長さんが思っているほど子供じゃないって」


 長士郎は衝撃の事実に絶句すると同時に、様々な疑問が一気に腹落ちする感覚も覚えていた。塔子の外見以上にどこか達観した様子や、一部の住民に対する不遜な態度に違和感をおぼえていたが、彼女が九十六年前に不老不死になった塔子は住民よりも圧倒的な年上にあたる。様々な意味で格上の存在だったのだ。


「まるで、非時香木実ときじくのかこのみだ」

「流石は長さん。博識だね。日本書紀に登場する不老不死の伝承にあやかってこの地域では、木は非時ときじく、実は非時実ときじくのみと呼ばれている」


 日本書紀において、垂仁すいにん天皇の命を受けた田道間守たじまもりが、不老不死の果実を常世の国に探しにいくという逸話が存在する。夜墨という地域においては、遥か空の上から降ってきた隕石が、不老不死を運んできたらしい。


「……隕石の影響で橘の木が突然変異を起こしたことと、君が不老不死の実を口にしたことは分かった。だが生贄を伴う愁覚とは何なんだ? どうしてこんな残酷なことをする必要がある」

「隕石の落下によって、すでに存在していた木と実に不老不死の力が宿った。だけど実が落ちると同時に木はその力を使い果たし、長い眠りについてしまった。そして再び目覚めたのは二十四年後のこと。だけど、隕石の強大なエネルギーを宿した最初の年とは違い、再び不老不死の実を宿すためには新たなエネルギー源が必要になる。無限の命を生み出すために必要なものは何だと思う?」

「命……人間の寿命?」

「正解。無限の命をたくさんの命で生み出す。ある意味でそれは道理だよね。根に大勢の人間の生命力を吸わせ、最後に生贄となる一人を磔にして、その鮮血を浴びることで非時は完全に目を覚まし、新たな非時実をつける。私達はそれを収穫する。やがてそれは祭事としての愁覚に名前を変え、私達は二十四年周期でそれを現代まで続けてきた」

「……大勢を犠牲に不老不死を得るなんてことが、許されていいはずがない」

「倫理観を問うのなら、不老不死を求めて態々こんな小さな村に移住してきたここにいる大多数の人間に問うべきだよ。非時実を口にしてしまった私はすでに人の理を外れてしまっている。私はすでに非時とこの土地に組み込まれたシステムの一部だから」


 淡々とした物言いは明確な立ち位置の違いの証明でもあった。すでに人間の唱える倫理観の枠の中に、橘川塔子という女性は存在していない。


「どうして君は僕を――」

「一個! 一個だけなのか!」


 長士郎の言葉を遮る程の怒号が権俵から飛び出した。何事かと長士郎が視線を向けると、大勢の人だかりが我先にと非時の周辺に群がっていた。


「今年は一個だけか。昔と比べて用意出来る生贄の数も減ってきたしな」


 塔子の目には憐憫の色が浮かんでいた。それは非時に群がる住民たちに向けられたものか。あるいは。


「静まりなさい!」


 祭事を取り仕切る恩地が一喝すると同時に、火野が夜空目掛けて発砲。喧騒はパタリと止んだ。


「誰を選ぶかは非時様の意志。そこに我々が介入することは出来ない。騒ぐだけ時間の無駄だ」


「しかし恩地くん」


 なおも食い下がったのは権俵だった。


「私に決定権はないし、あなたが金で解決出来るような問題でもない。全てを承知の上で夜墨村に移住し、愁覚に参加したはずだ。もちろん、あなたが選ばれる可能性だってあるのだから、静かに時を待ちなさい」


 今度こそ何も言い返せず、権俵はその場に跪き、両手を合わせて必死に祈り始めた。それは周囲の他の人間も同様で、能條の死体が磔になった木に大勢が祈りを捧げる様子は、邪教の集会のように禍々しかった。不老不死の実を求めてこの場に集った人数は数百人。それに対して今年、実を結んだ非時実はたった一個だけだ。同じ存在に祈りを捧げながらも、誰もが他者より先へ行きたいと、心の中で自己愛を唱え続けている。


「時間のようだな」


 非時実の発光が治まり、誰も手を触れていないにも関わらずひとりでに実が震えだし、自らをもぎ取り、地面へと静かに落下した。山中とはいえ、一帯はならされた地面でほとんど傾斜がない。それにも関わらず、非時実は自ら地面を転がり、本体であるから非時から離れていく。


「さあ、私の元に!」

「不老不死は俺のものだ!」


 非時実は希望を抱く者たちの足元を次々とすり抜けて転がっていき、その度に資格を失った者たちの表情が絶望色に染まっていく。


「非時様! 私はこの村の発展のために尽くしてきました。私のおかげでこの村はこれまでにない発展を遂げた! だからどうぞ私目に祝福をお与えください!」


 自らの方に転がってくる非時実を見て、権俵は己こそが不老不死を享受するに相応しい人間であると声高に主張する。この日のために夜墨に莫大な投資をし、拳銃の調達や様々な違法行為が表面化しないための工作などを行ってきた。莫大な富と権力を持つ男が抱いた最後の夢は不老不死。ようやくそれが叶う日が来たのだ。恍惚の表情を浮かべながら、権俵は足元に迫った非時実を掴もうと手を伸ばしたが。


「があっ! そ、そんな、行かないで行かないでくれー!」


 権俵が触れようとした瞬間、強烈な閃光が発生して権俵の手を弾いた。その間に非時実は転がり、権俵から離れていった。


「愚かな」

「本当にな」


 権俵の醜態を見て短く呟く恩地の後ろでは、火野が笑いを堪えきれずにいた。


「何で俺じゃないんだ!」

「また二十四年も待たないのいけないの!」


 数多の夢を打ち砕き、禁断の果実は転がり続ける。権俵のように愚かにも手を伸ばし、痛い思いをする者も続出した。そうして運命が辿り着いた先は、狂気の祭事を一番遠くから眺めていた者の足元だった。


「えっ?」


 長士郎の靴のつま先に当たり、非時実はそれまでの軽快な動きをピタリと止めた。接触したにも関わらず、一向に長士郎の体が弾かれる様子もない。


「おめでとう。非時ときじく様は長さんを選んだみたいね」


 愁覚が始まってからはずっと達観した印象を堅持していた塔子が声を弾ませ、満面の笑みで拍手を届けた。それに習って恩地や火野、ふみ等からも拍手が上がった。しかし、多くの住民は追従しない。不老不死を求めて夜墨村へと移り住み、程度の差はあれど、誰しもが村のために尽くしてきたと自負している。それなのに外部の、それも昨日偶然夜墨村を訪れたような人間に不老不死の権利が渡るなど、到底納得出来るものではなかった。


「不老不死になんて興味はない。僕は辞退する」


 納得出来ないのは選ばれた長士郎も同じだった。珍しい祭事を見るために好奇心でやってきただけで、こんなことが起きるなんて想像もしていなかった。もしも不老不死になったらと、一度ぐらいは空想したこともあるが、渇望なんてしたことはない。多くの人間の生命を、顔見知りだった能條の血を吸って育った果実を口になんてしたくもなかった。


「選択するのは常に非時様だ。望んだからといって手に入るものではないし、辞退したからといって拒めるものではないのだよ。真方長士郎くん」

「は、離せ!」


 恩地が不敵に笑うと同時に、長士郎の近くにいた久貝が長士郎を突然羽交い絞めにした。そこに火野と松葉も駆けつけ、長士郎の動きを完全に封じてしまった。


「ほら、大きく口を開けるんだ」


 火野が無理やり長士郎の口をこじ開ける。必死に抵抗する中で長士郎が火野の指に噛みついたが、火野は痛がる素振りすら見せず、一度口から指を抜き、噛み傷を誇らし気に長士郎に見せつけた。


「喜べ。お前もすぐにこの体を手に入れる」


 火野の指の噛み傷は一瞬で再生した。二十四年に一度不老不死の実が収穫されている以上、塔子以外にも不死者が存在することは想像していたが、火野もその一人であった。


「長さんが選ばれて嬉しい。愁覚の結果に関係なく長さんにはこの村に留まってもらうつもりだったけど、これで名実共に一緒にいられるね」


 塔子が長士郎の足元に転がる非時実を拾い上げた。不死者である塔子は普通の人間のように、非時実に拒絶されることはない。


「やめ――」


 長士郎は火野と松葉に無理やり大口を開けられ、そこに塔子が皮を剥いた非時実を無理やり詰め込んでいく。飲み込むまいと長士郎は必至に抵抗を続けるが、駄目押しに火野から水筒の水を流し込まれてしまい、とうとう非時実の果実を飲み込んでしまった。その瞬間、心臓が燃え尽きてしまうのではと錯覚してしまう程の熱が体の中に湧き上がってきた。飲み込ませたことで役割を終え、火野たちは次々とはけていき、塔子だけが残った。体を支配する熱量に苦しみその場に膝と手をついた長士郎の耳元に、塔子は妖艶に囁きかける。


「こちら側へようこそ長さん。これからは永遠に一緒だよ」

「永遠……?」


 どこまで遠くて、現実離れした言葉だった。次の瞬間までは。


「よそ者の分際で、私の果実を口にしおって!」


 激昂した権俵が回りの制止を振り切り、懐に隠していた拳銃を手に、物凄い剣幕で長士郎へと迫った。


「どうします?」

「そのままでいい。早めに経験するに越したことはないからな」


 火野が恩地に伺いを立てたが、恩地はあえて、権俵を止めることはしなかった。


「待ってくれ……」

「私の不老不死を返せ!」


 権俵は怒りのままに、長士郎の頭に次々と銃弾を撃ち込んだ。一発目が右耳を吹き飛ばし、二発目が後頭部から眉間に抜けた。その瞬間、長士郎の意識が飛んだ。


「おはよう。長さん」


 長士郎は塔子の膝枕の上で目を覚ました。そのまま周囲に視線を向けると、住民たちが意気消沈した様子で撤収作業を始めていた。


「僕は……撃たれて……」

「頭に銃弾を六発。傷口から脳みそまで飛び出して酷い有様だったけど、脳も傷も治って、ハンサムな顔も元通りだよ。長さんはもう、私と同じ不死者だからね」


 そう言って、塔子は塞がった傷があった位置を優しく撫でた。まるで痛いの痛いの飛んでいけと我が子を慰める母親のように。


「初めての死は怖かったよね。こうして目覚めて偉い偉い」

「僕は死んで……生き返ったのか」

「あれから二時間ぐらい経ったかな。大抵の傷はすぐに再生するけど、一般的に致命傷と呼ばれるレベルの怪我は再生に時間がかかる。最も複雑な器官である脳は特に再生に時間がかかるから、不死身とはいえ、頭の怪我には気をつけてね」

「……理解が追いつかない」

「ゆっくり理解していけばいいよ。誇張抜きに時間はタップリあるから」

「……無限の時間」


 頭を抱えて上体を起こすと、撤収作業を指揮していた恩地と目が合い、長士郎の意識が戻ったことに気づき、こちらへと近づいてきた。


「おはよう。真方くん。生まれ変わった気分はどうかな?」

「頭がガンガンしてますよ」

「先程は哀れな男が済まないことをした。だが同時に、不死を自覚させるには丁度いい機会かとも思ってね」

「全員いかれている」

「外から来たばかりの君がそう感じるのも無理はない。君に不老不死を奪われたと感じた住民たちからの風当たりも強かろう。だが私や他の不死者たちは君の味方だよ」


 そう言って微笑むと、恩地は長士郎に手を差し伸べた。


「私の可愛い妹を末永くよろしく頼むよ。真方長士郎くん」


 言葉の意味を受け止めあぐね、長士郎はその手を取ることは出来なかった。

 二十四年前の愁覚の夜。真方長士郎は意図せず不老不死の力を得た。この日の出来事が夜墨村の未来に大きな影響を与えていくこととなる。


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