第十五話 再会
「こそこそしてないで出てきたらどうだ?」
書店の前で足を止め、庸一は後方目がけて声を張る。少し前から誰かが自分の後をつけてきていることには気づいていた。
「尾行していたつもりはない。これは追跡だ」
姿を現したのは、見慣れた制服姿ではなく、黒いトレンチコートを着た私服姿の松葉だった。右手には拳銃が握られ、銃口を庸一へと向けた。
「警察官が銃刀法違反か?」
庸一は顔色一つ変えずに皮肉で返してみせた。流石に警察官時代を含めて銃口を向けられた経験はそう多くはないが、命の危機は何度も経験してきた。表面上だけでも冷静でいれば、徐々に精神の方が追いついてくる。重要なのは決して取り乱さないことだ。そうすれば案外、勝利の女神は気まぐれにボールを投げてくれる。
「事件化しなければ、何も起きていないのと同じだ。ローカルな場では特にな」
「それが勤続七十年越えの言葉か? 松葉克士巡査部長」
「何だ。もう知っているのか」
「おいおい。そこは否定してくれよ」
皮肉のつもりで言ったのに、それが事実であるかのような返答だった。冗談を言うタイプにも見えないが、悠長に聞き返している余裕もない。
「お前は危険だ。生贄として処分する」
「奇遇だな。俺もあんたが一番危険だと思っていたよ」
「貴様!」
庸一は咄嗟に横に跳んで射線から外れると同時に、懐から光量の強いライトを取り出し、松葉の顔に照射した。庸一とて無策で夜墨に乗り込んできたわけではない。流石の松葉も眩しさに怯み、左腕を盾に顔を隠した。視界を奪った一瞬の隙を庸一は見逃さない。即座に距離を詰めて肉薄し、拳銃を奪い取ろうと掴みかかる。
「いい度胸をしているな。何がお前をそこまで突き動かす?」
「決まってるだろう。俺の中の正義だよ」
体格では松葉の方が勝る。普通にやりあっていては不利だ。庸一は一瞬のチャンスにかけて、右足で松葉の足を払った。そのまま体重をかけて押し倒し、諸共転倒する。二人はもみ合ったまま地面を転がり、庸一と松葉の上下関係が入れ替われる。次の瞬間、もみ合いの中で拳銃が暴発し、二人の動きが止まった。
「……運の……いい……奴だ……な」
もみ合いの中で拳銃を手にしたのは庸一だった。暴発した銃弾は松葉の右肺を撃ち抜き、傷口から溢れた血液が、庸一の着ていたレザージャケットに滴り落ちてくる。
「くそっ……撃たせやがって」
松葉を撃ってしまったことに多少は動揺しながらも、庸一は肺をやられてふらつく松葉の体を両足で蹴り飛ばして後退させ、拳銃を手に距離を取った。形成は逆転し、今度は庸一が銃口を向ける。
「……嘘だろ」
銃弾で片方の肺を撃たれたにも関わらず、松葉はしっかりと両足で立ち上がった。コートやその下のシャツには銃撃で空いた穴が見えるが、その奥の傷口から流れる血の量が少なくなってきている。呼吸も整ってきており、今は息切れ程度にしか感じられない。防弾チョッキでも着ていて始めから致命傷ではなかったのだと錯覚しそうになるが、暴発した銃弾は確実に体を貫通していた。それは庸一のレザージャケットを濡らした返り血が動かぬ証拠だ。一度負った傷がすぐに再生したとしか思えない状況だった。
「それで勝ったつもりか? この程度で俺は止められないぞ」
松葉はコートから、予備武器として携帯していたサバイバルナイフを取り出した。脅威の回復力もあるし、接近を許せばナイフに分がある。現役時代に県警一と評された能力を、退職後に発揮することは不本意だったが、庸一には迷っている時間なんてなかった。
こちらへ向かってくる松葉目掛けて、庸一は躊躇いなく冷静に引き金を引いた。放たれた銃弾は真っ直ぐ、松葉の眉間目掛けて進んでいく。
「良い腕だ――」
松葉が驚愕に目を見開いた瞬間、銃弾は眉間を射抜き、後頭部から抜けた。額に風穴が空いた松葉の体は力なく、仰向けに倒れ込んだ。二発目の銃声を聞き、書店の店主が二階の住居部分の窓から恐る恐る顔を出したが、目のあった庸一が拳銃をちらつかせると、怯んですぐに中に戻っていった。周囲の店舗や民家から多くの視線が注がれていることに庸一も気づいていたが、拳銃を手にした庸一の前に姿を現そうとする者は誰もいない。
「……まさか人を撃ち殺すことになるとは」
正当防衛とはいえ、相手は現職の警察官だし、夜墨全体がグルである以上、正当防衛を客観的に証明してくれる人間が現れるとは思えなかった。この先のことを考えると憂鬱だが、一つだけ確かなことは、あそこで躊躇っていたら殺されていたのは庸一の方だったということだ。人一人を殺めてしまった罪悪感は確かにあるが、今は生還した安堵感の方が僅かに勝っていのだが。
「……勘弁してくれよ。俺はもう警察官じゃないんだぜ」
倒れる松葉を見て庸一は吃驚した。松葉は虚空を見上げたまま完全に活動停止しているが、額の銃創がうねり、少しずつ穴を塞ごうとしている様子が見えた。胸の傷は衣服のせいで見にくかったが、やはり傷は再生していたのだと確信した。頭を撃ち抜かれて生きていられるはずなんてない。だが、徐々に傷が再生してく様子を見ると、しばらくしたら松葉が再び立ち上がる姿が容易に想像出来る。自然と罪悪感は新たな恐怖によって薄れていった。
仮に松葉が不死身の存在だとすれば、それは流石に一介の探偵の手には余る。もしも現実に怪物や怪人が出現したら、対応するのは警備部になるという話もあるが、まさか警察を退職後にそういった目に遭うとは夢にも思っていなかった。
「驚いたな。まさか単独で松葉を行動不能にさせてしまうなんて」
「何者だ?」
背後から声をかけられ、庸一は振り向きざまに相手に銃口を向けた。そこに立っていたのは黒いキャップを被り、ベージュのコートを羽織った若い男だった。ライフルは背負っただけで握られていないが、直前の戦闘もあり油断は禁物だった。
「弓削くんから君の名刺を見せてもらった時には驚いたよ。まさかこういう形で再会することになるなんて」
男性は庸一の警戒を解くために一度猟銃を地面に置き、敵意が無いことを示して両手を上げた。
「その声は……だけどそんなことあるわけ」
聞き覚えのある声を前に、庸一は自然と拳銃を下ろしていた。
自分の声を覚えていてくれたことが嬉しくて、男性の口元には自然と笑みが浮かんでいた。庸一に完全に信用してもらうために、深々と被っていたキャップを脱いだ。
「久しぶりだね。庸一くん。大きくなったね、なんて言葉をかける年齢では流石にないかな」
「長士郎……くん」
帽子の下から現れた顔は、二十四年前に夜墨村へ向かったまま行方不明となっていた庸一の叔父、真方長士郎だった。生きていたことにも驚いたが、何よりも驚いたのが、長士郎は今年で四十五歳になっているはずなのに、幼少期に遊んでもらった記憶そのままの、二十一歳の姿と声のままだったことだ。十歳以上年上はずだった叔父が、今や外見だけなら十歳以上年下になっている。一体何が起きているのか。脳内の処理が追いつかなかった。
「長士郎くん。その姿は? 一体何が?」
「混乱しているの分かるし、疑問も山ほどあるだろう。全て説明するが、一度この場を離れよう。君も薄々感づいていると思うけど、松葉は不死身だ。じきに脳も再生し復活する」
「そういえば、さっき弓削くんの名前を出していたけど」
「彼も無事だ。僕のアジトに案内するからついてきてくれ」
「分かりました。だけどその前に」
長士郎の言葉に頷くと、庸一は復活前の松葉の体に近づき、コートの中をまさぐった。そこには予想通り、拳銃の予備の弾が残されており、しっかりと回収しておいた。
「この状況で、なかなか肝が据わっている」
「この二十四年の間に、俺も色々あったんですよ」
事情を聞くのも思い出話も、まずはゆっくり話せる場所に移ってからだ。そこから先は閉口し、庸一は黙って長士郎の背中を追いかけた。子供の頃に鬼ごっこで遊んだ時の記憶が蘇るが、今では身長は庸一の方が上だ。あんなにも大きく感じた叔父の背中が小さく見えた。
「ここは放置されて久しい炭焼き小屋だ。そうそう気づかれないから安心していい」
庸一は長士郎に連れられ、常夜山の中腹にある古い木造の小屋に到着した。ここは長士郎のアジトでもあり、壁には夜墨の地図や一部の住人の情報が貼られ、何か研究でもしているのか、机の上にはたくさんのノートが積み重なっている。
「白木さん。無事で何よりです」
「君の方こそ、こうして保護されているところを見るに、無茶をしたようだな」
パイプ椅子に座っていた隼人が安堵の笑みを浮かべて庸一を出迎える。幸いにも怪我は無いようだ。
「無茶って程では。想像以上に夜墨村がやばかったんですよ。てか、血塗れの白木さんに無茶とか言われたくないですよ」
「返す言葉もない。今になって拳銃を扱う羽目になるとはな」
だが、引き金を引いたことで覚悟は決まった。庸一はポケットから予備の銃弾を取り出し、慣れた様子で装填した。
「まさかあんなに小さかった庸一くんが警察官になったとはね」
「元だよ。今は細々と探偵を続ける一般人だ」
「姉さんは元気にしてるかい?」
「大きな病気も無く、元気にしてるよ。長士郎くんが居なくなった頃は、色々と大変だっけど……十七年前には長士郎くんは死没扱いになってしまったし」
「……姉さんや庸一くんのことを忘れたことはなかったよ。こんな体だし、会いに行くことは叶わなかったけど」
「長士郎くん……」
「すみません。お話の途中で割り込んで申し訳ないんですけど、お二人はどういうご関係なんですか? 真方さん、俺が白木さんの名前を出した途端に村へ探しに行ったし」
一人だけ状況についていけてなかった隼人が挙手する。二人が知り合い同士なことは明白だが、名字が違うし、見たところ長士郎の方が一回りは年下に見える。すぐには関係性が分からなかった。
「置いてけぼりにしてすまない。庸一くんは僕の姉の子供でね。甥っ子にあたる」
「えっと……複雑な家庭の事情があったんですね」
言葉を選んでいるか選んでいないのか。それだけ隼人は動揺しているようだ。三十二歳の甥っ子と、どう見ても二十代前半叔父さん。一般的な感覚に当てはめたら、確かに複雑な家庭を想像してしまうのも仕方がない。
「家庭はごく普通だったが、今の状況が複雑なのは間違いないな。長士郎くん、何があったか話して貰ってもいいかな?」
「もちろんだ。僕がなぜあの頃から老けていないのか。夜墨村の住人が執心する愁覚とは何なのか。僕が二十四年前に体験したことの全てを君たちに伝えよう」
椅子にどっしりと腰を据えると、長士郎は自分が卒論の下調べで夜墨村を訪れたこと、村で見聞きした歴史や文化、そして二十四年前の愁覚で何が起きたのかを、事細かに語り始めた。




