第十三話 フィクサー
「寝不足ですか? 目が赤いですよ」
「君も人のことを言えるほど、スッキリとした寝覚めには見えないぞ」
「それはまあ、昨日あんな話を聞けば、興奮で寝付けないってもんですよ」
庸一と隼人は、宿泊しているホテルの朝食バイキングで顔を合わせていた。お世辞にもお互いの顔つきは、爽やかな朝とは言いがたい。そんな表情とは裏腹に、空は快晴に恵まれ、一日中安定した天気となる予定だ。
「白木さんも寝付けなかったんですか?」
「元刑事だ。どこでもすぐに寝られる体になってるよ。色々と調べものをしていて、シンプルに寝不足なだけだ」
とはいえ、警察官をしていたのは肉体的に最も充実していた二十代の頃だ。当時と比べると寝起きの体はやや重い。二十代と三十代の違いを実感する今日この頃だった。
「色々って、夜墨についてですか?」
隼人はクロワッサンにナイフで切れ目を入れると、そこにウインナーを挟んで食べ始めた。
「情報は大いに越したことはないと思ってな。といっても、表層部分ばかりの付け焼き刃だが」
探偵として、もっとじっくり調べれば大抵のことは突き止められると自負しているが、如何せん今は時間が足りない。より深い部分の情報は、占部に期待するしかない。
「夜墨って、昔は夜墨村って単独の自治体だったんでしたよね」
「ああ。いわゆる平成の大合併によって、二〇〇五年に小田原市と合併したそうだが、当時地元の反対の声はかなり大きかったらしい。どこかで落とし所が見つかったのか、合併後もある程度の独立性を有しているようだ。その影響か、地名が小田原市夜墨となってからも、村の内外を問わず、多くの者が今でも夜墨村と呼んでいるようだな」
そう言って庸一はサラダを頬張る。朝食を食べながら自然と談義が始まっていた。
「独立性か。確かに規模感に対して施設が充実してましたよね。庁舎も立派だったし」
「ここ数十年は、大富豪である権俵喜一郎の庇護の元に発展を遂げていたようだ。合併時に間に入ったのも恐らくは、政界にも影響力を持っていた権俵だろう。ただ奇妙なことに、権俵は夜墨の出身ではないし、夜墨という土地には失礼ながら、大富豪の権俵が引かれるような旨味があるとも思えない。権俵が夜墨に執心する理由にこそ、何か秘密が隠されているのかも知れないな」
「その権俵って大富豪、有名な人物なんですか? 俺はあまり聞いたことがないけど」
「権俵が表舞台から姿を消して久しいし、世代ではない君が知らなくても無理はない。かくいう私だって直接の世代ではないし、警察官や探偵という仕事をしていなければ名前を知ることはなかったと思う。権俵はかつてはフィクサーとまで呼ばれた財界の大物だったが、昨今はその名前はほとんど聞かない。かつては政界との関係も深かったが、二〇〇〇年代に窓口となっていた総角元議員が急逝して以降は、権俵自身の権威が弱まってきていたこともあり、政界との関わりは徐々に薄れていったようだ。今や健在かどうかも定かではない。生きていればもう九十歳近いだろうか」
「フィクサーなんて呼ばれてたぐらいだし、その権俵なにがしが中心人物なんですかね?」
「その可能性もあるが、現時点では何とも言えないな。それに気になる点はもう一つある。権俵を含めて、夜墨の住民の大半は移住者だそうだ。近年はリモートワークの普及などもあって、地方に移住する選択も増えたが、夜墨では何十年も昔から移住者が多かったようだな。考えすぎかもしれないが、何だか意味深なような気がする」
「やはり夜墨には、多くの人間を引きつけるだけの何かが存在していると?」
「それが何なのか、皆目見当もつかないがな。行方不明ともどう繋がるのやら」
思案顔のまま、庸一はクロワッサンを頬張った。
「いずれにせよ、重大な祭事が行われる今日は好機だ。住民が祭事に集中している間は捜索に動きやすい」
※※※
「何をしているんだい?」
常夜山の非時の前に座り込む塔子の背中に、愁覚の準備で訪れた恩地が声をかけた。周囲では夜墨の住人たちが、松明など会場の設営を進めている。
「私が招き入れた人達だから、最後まで見届けるのが筋かなと思って」
塔子の視線の先では、複数名の人間が非時の根に絡め取られ、そのほとんとまが干からびて息絶えていた。中には先日夜墨を訪れた祝川アミナもおり、まだ辛うじて息があったが、干からびて落ち窪んだ目には生気は無く、力尽きるのは時間の問題だった。遺体の身元は横浜市内からやってきた男子大学生や、遠く福岡からやってきた中年の女性など、様々な年齢や性別の人間が計五名。いずれも人間関係のトラブルや借金などの問題を抱え、自殺を考えていた者たちだ。様々なSNSでCitrus1903のアカウントを運用していた塔子は、自殺願望のある者たちにインターネット上で次々と接触し、常夜山で集団自殺を行う計画があると勧誘。そうして現地を訪れた自殺志願者たちは塔子に導かれ、次々と非時の根に絡め取られていった。
非時に捧げる人間を確保する方法にも時代が現れる。かつては偶然夜墨を訪れていた者の中から、事件化しにくそうな人間を選定して襲撃していたが、年々夜墨を訪れる人の数は減少し続けており、かつてのような手段はとれない。そこで今回の祭事に先駆け関係者が目をつけたのが、1999年時にはまだ広くは普及していなかったインターネットだった。今や生贄を集めるのにもSNS戦略が必要な時代だ。
「磔に使う人間がまだ確保できていない。万が一の場合は塔子のお気に入りも使うよ」
「それは嫌だな。せっかく出来たお友達なのに」
「あくまでも万が一の場合だ」
「足りなかったら住民から生贄を出せばいいじゃない」
「必要に応じて住民から生贄を出す可能性もあるが、あくまでも外部の生贄が優先だ。二十四年前の件もある。そうでないと住民からの理解が得られない」
「あいつらだって元は余所者だよ。気を遣う必要がある? 二十四年前だってお兄ちゃんは何も文句は言わなかったでしょう」
「バランスの問題だ。愁覚を望む多くの住民によって夜墨は成り立っている。せめてチャンスは平等でなければ奴らは納得しない。離反者が続出すれば夜墨は終わる。特例は何度も認められない」
「選んでいるのはいつだって非時様だよ。不満を持たれる筋合いはないと思うけど」
「理屈では分かっていても納得できるかは別だ。奴らの時間は有限だからな。とにかく、万が一の場合はあの娘を優先的に生贄とする。これは確定事項だ」
「分かった。今年は我が儘言わないよ。お兄ちゃんはいつだって正しかったものね」
「協力してくれてありがとう。塔子」
相好を崩すと、恩地は塔子の頭をポンポンと撫でた。
「子供扱いはやめて」
「私からしたらいつまで経っても可愛い妹だよ」
「私にとっても、いつも頼りになる自慢のお兄ちゃんだよ」
塔子は頭に乗せられた恩地の手に自分の手を重ね、温もりを求めるようにギュッと握った。
「そういえば、火野の姿が見えないようだがどこに行った?」
恩地は庁舎での業務もあるので、祭事の設営は火野に任せていたのだが、現在は別の人間が指揮を執っていた。
「連絡きてないの? 山狩りに行くって、ちょっと前に猟銃持って出て行っちゃったよ」
「火野め。時間の無駄だから放っておけと言っておいたのに。働き者だが、非時様への忠誠心が強すぎるのも考えものだ」
「どうするの?」
「どうせ決着はつかないし、愁覚の時間が近づけば火野は戻ってくるだろう。代わりにこっちには鷹嘴を合流させる」
そう言って、恩地はその場で鷹嘴に、スマホで連絡を取り始めた。
「あれからもう二十四年間か」
それまではまだ辛うじて生きていた祝川アミナの呼吸が完全に停止したが、塔子は顔色一つ変えない。非時を眺めながら思い浮かぶのは、二十四年前にこの夜墨村にやってきた真方長士郎の顔だった。




