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第十二話 占部一巳

「……二日前から娘が帰ってこないんです」


 四年前の夏。所轄署に所属していた白木庸一が聞き込みのために警察署を出ようとすると、受付で中年の女性が相談に訪れている場面に遭遇した。内容から察するに、これから捜索願を出す流れとなるだろう。


「最近、管内で出される捜索願の数、多くないですか?」


 車の運転席に乗り込むと、庸一はバディを組むベテラン刑事の占部うらべ一巳かずみに意見を求める。行方不明者は年々増加傾向にあるとはいえ、管内では特に春頃を境に顕著にそれを感じるようになった。もちろん中には無事に発見されたり、行方不明者が自主的に帰ってきたケースもあるし、事故や自殺など遺体で発見されたケースもあるが、最悪の形とはいえ、この場合も行方不明者は発見されている。だがそれ以外の、未だに行方不明の者たちが今どこにいるのは、用として知れない。


「確かに多いが、不謹慎ながら、時にはそういうタイミングもあるだろう」

「偶然と言ってしまえばそれまでですが、何だか胸騒ぎがして」

「事件性が疑われるものはきちんと捜査しているし、警察だけで全ての行方不明案件に対処することは不可能だ。それはお前だって分かっているだろう?」

「分かっています。だけど、感情的には割り切れない部分もある」

「感情的ね。お前はどちらかというと、冷静沈着なタイプだと思っていたが」

「占部さんにはまだ話したことなかったですけど、俺が警察官を志したのは昔、おじが行方不明になったことがきっかけだったんです。当時はまだ子供だったけど、よく一緒遊んでくれたおじが突然いなくなってしまったことは理解できたし、そのことで母が憔悴し、家の中がバタバタしていたこともよく覚えています」

「その後、おじさんは?」

「未だに見つかっていません。十三年前には普通失踪で死亡扱いに。当時は俺ももう十五歳でしたから、小さい頃と違って、行方不明や死亡扱いの意味も理解できたし、行き場のない無念さや喪失感を覚えた。警察官という仕事を最初に意識したのはその時です。同じような思いをする人を少しでも減らしたい。警察官ならそれができるんじゃないかって」

「理想と現実は違ったか?」

「警察の捜査で救われた行方不明者もたくさんいるし、とても意義があると思っています。占部さんが言うように、全ての事案に対応しきれるわけではないことも身に染みている。だけどもっともっと掬い上げることができるんじゃないか。その思いはいつだって抱き続けている」

「俺だって警察官だ。一人でも多くの行方不明者が家族の元へ帰れるよう願ってはいる。だが警察官ってのはある意味、見たくない現実を無理矢理眼前に突きつけられるような仕事だ。理想を高く持ちすぎるといつか、惨たらしい現実に足下を掬われるぞ」


 占部だって若い頃は、高尚な理想を胸に突き進んでいた。だが三十五年も警察官を続けていれば、救えなかった命も、筆舌に尽くしがたい悪意も嫌というほど見てきた。もちろん警察官としての正義感は今でも原動力にはなっているが、いつしか理想を口にすることはなくなってしまった。自分一人にできることなんてたかが知れていると、良くも悪くも達観してしまったからだ。経験上、庸一が今まさにその境目にいるのだといことは占部も理解していた。理想と現実のギャップ。遅かれ早かれ警察官が通る道だ。


「話しすぎたな。そろそろ聞き込みに向かうぞ。今は目の前の事件に集中だ」

「そうですね。すみません、突然こんな話をしてしまって」

「そういう時もあるさ。今追ってる事件が片付いたら、またいくらでも話を聞いてやるよ」

「頼りにしてます。占部さん」


 相好を崩すと、庸一は車を発進させた。現在警察では、三日前に横浜市内在住のアルバイト、神島かみしま雪人ゆきとが殺害され、現在は使われていない、廃ビルで遺体が発見された事件の捜査を行っていた。肝試しをしようと廃ビルに不法侵入した高校生グループが偶然発見したもので、死後それほど時間は経っていなかった。すでに疑わしき人間は捜査線上に浮かんでいるが、まだ決定的な証拠を発見できておらず、庸一たちも証拠固めのために日夜奔走している。


 その後、事件は急展開を迎え、犯人は逮捕されることになるが、そのことがきっかけで庸一は、占部が懸念していた「惨たらしい現実」に、容赦なく足下を救われることになる。


 神島の遺体発見から五日後。殺人の容疑で逮捕されたのは、横浜市内在住の不動産業、九山くやま聖樹せいじゅ三十六歳。神島が発見された廃ビルも、九山が所有する土地と建物であった。神島殺害は突発的な犯行であり、一時的に遺体を廃ビルに隠し、後でゆっくりと処理するつもりだったようだが、それから一日も経たぬうちに不法侵入した学生たちが遺体を発見し、事件が発覚するに至った。九山にとっては完全に想定外の出来事だったに違いない。


 しかし、この事件はそれだけでは終わらなかった。神島雪人殺害容疑での逮捕だったが、自宅や関係先の家宅捜索で、凶悪な余罪の数々が明らかになっていく。


 九山が殺害したのは神島だけではない。その後の捜査や本人の証言により、この半年の間に四人もの人間を殺害し、自らが所有する、周囲に人家の無い土地に遺体埋めていたという事実が発覚し、実際に遺体も発見された。九山という男は短期間に人知れず、五人の人間を殺害した稀代の殺人鬼だったのだ。そして被害者の身元確認を薦めていくと、その全員が所轄署に捜索願がでている者たちであった。


 庸一が感じていた管内での行方不明者の増加。もちろんその全てに九山が関与していたわけではないが、その中に凶行の被害者が含まれていたことは紛れもない事実だ。


「……どうして、どうしてもっと早く娘を探してくれなかったんですか!」


 身元が判明した被害者の遺族への対応を任された庸一は、被害者の一人、水本みずもと万里花まりかの母親から激しく責められた。万里花の母親は以前、聞き込みのために署を出る際、警察署に捜索願を出しにきた姿を見かけたことがあった。


 万里花は九山の凶行の最後の被害者で、神島よりも後に殺害されていた。九山の証言で判明した事実だが、神島は、九山が気絶させた万里花を車に積み込む瞬間を偶然目撃し、正義感から九山に声をかけたところ、問答無用で殺害されたようだ。司法解剖の結果、万里花が殺害されたのはその二日後だった。


 母親が捜索願を出した時点では万里花はまだ生きていた。廃ビルの所有者としてすでに九山は捜査線上に浮かんでいたし、警察が万里花の行方不明と九山を結びつけていたなら、彼女だけでも救えたかもしれない。犯人だけではなく、警察にも怒りを向ける遺族の気持ちが庸一には痛いほど理解できた。だからこそ耐えられなかった。


「おい白木。退職するってどういうことだよ」


 九山事件から三ヶ月後。庸一が警察官を辞めることを知った占部は、警察署の屋上に庸一を呼び出していた。


「九山の件で思い知りました。今のままじゃ理想の正義を求めることなんて出来ない」

「酷な役回りに心を痛めたことは分かる。たが、九山の事件でお前に責任なんてない。そう自分を責めるな」

「水本万里花は救えたかも知れない。もっと行方不明者に注目していたら、他の被害者だって……俺が気づかなければいけなかった」

「それは結果論だ。あの時点で気づくことは難しい。それに、捜査というのはチームプレイだ。責任というのなら、それは俺を含む全ての捜査関係者が平等に背負うべきものだ。だからそう結論を急がずに考え直せ。お前のような優秀な刑事を失うことは県警にとって大きな損失だ」

「考え抜いた結果です。意思は固い……占部さん。お世話になりました。期待してくれていたのに、不義理な後輩ですみません」


 占部に深々と頭を下げると、庸一は踵を返した。


「これからどうするつもりだ?」

「警察官を辞めても、俺の初心は変わりません。自分なりの形で正義のために働くつもりです」


 占部にそう言い残し、庸一は屋上を後にした。横浜市内に人捜しに特化した探偵事務所を設立したのは、その翌年のことだ。行方不明者を家族の元へ無事返すことが、己の正義だと庸一は信じている。


 ※※※


「……懐かしいな」


 庸一がビジネスホテルのベッドで目を覚ますと、時刻は午前六時を過ぎたところだった。探偵業を始めるきっかけとなった九山事件のことを夢に見たのもまた、何かの運命なのかもしれない。庸一が行方不明という概念を初めて意識した二十四年前の鮮烈な記憶。母親の弟である真方長士郎は、夜墨村へ向かうと言い残し行方不明となった。


 その場所に探偵としての調査で訪れることになろうとは、運命の悪戯を感じずにはいられなかった。行方不明のまま死亡扱いとなった長士郎。もしも夜墨で甲斐谷季里果を無事に保護することが出来たら、長士郎に対するせめてもの手向けになるだろうか? 鏡越しの顔に二十四年前の幼き日の己の姿を重ね、庸一は心の中で自問自答した。


 今日、夜墨で何が起きるかは分からない。だがもしもの場合に備えて、打てる手は打っておかなくてはいけない。


 まだ朝の六時だが、庸一はある人物に連絡を取ることにした。電話をかけると、相手はすぐに電話口へと出た。


「ご無沙汰しています。朝早くにすみません」

『それは別に構わないが、このロートルに何の用だ? 探偵として雇いたいというのなら前向きに検討するが』


 電話の相手は警察官時代の先輩だった占部だ。占部は先日定年を迎え、警察官を引退したばかりで、現在は第二の人生についてゆっくりと考えているところだった。探偵業にも興味を持っており、庸一からの連絡にも満更でもない様子だ。実際庸一も占部が引退すると知り、一度連絡を取りたいとは思っていた。


「それについてはまた今度、顔を合わせてゆっくり話し合いましょう。今日連絡したのは別件です。今、少々厄介な山に関わっていまして。占部さんにも力を貸していただきたいんです」

『山か。二人で一緒に捜査していた頃を思い出すな。現場を離れてまだたった一ヶ月だ。勘は鈍ってない。とりあえず話を聞かせてみろよ』

「ありがとうございます。実は今、家族から依頼を受けて、ある女子大生を探していまして」


 庸一は現在自分が受けている依頼や夜墨の疑惑について、占部へと語り聞かせた。話すのは久しぶりだったが、緊張したのは最初だけで、徐々にバディを組んでいた頃の空気感を取り戻しつつあった。


「なるほど。お前の読み通りなら、とんでもないことが起きているようだな」


 占部は説明された事情に驚きながらも、優秀刑事だった庸一の抱く疑念や危機感を決して軽視はしなかった。庸一が行方不明事案の解決に懸ける強い思いも知っている。


「あまり時間が無いし、俺は引き続き中から夜墨を調べるつもりです。その間、占部さんには、外から夜墨のことを探ってもらいたい」


 二十四年周期で行方不明が多発する時期がありながら、過去にそれが大きな事件に発展した形跡はない。昨日の様子を見るに駐在所の松葉も村とグルだし、地域単体で全てを隠蔽できるもなのかは疑問が残る。何か大きな力が働いている可能性も否定できない。もし今日の愁覚で何か良くないことが起きるとすれば横浜に戻って調べ直している余裕はない。一人で運営している探偵事務所だ。そんな中で庸一が調査を頼ることが出来る人間は、刑事として培ってきたスキルと人脈を持ち合わせた占部ぐらいだった。


『確かに、何か裏がありそうだな。分かった、こっちはこっちで可能な限り夜墨について調べてみる』

「助かります。すみません、警察辞めてからも迷惑かけてしまって」

『気にするな。退職したばかりで時間も余ってるし、何より元警察官として見過ごせない事案だ』


 四年前の九山事件では、救えたかも知れない命を救うことが出来なかった。そのことを悔やんでいたのは庸一だけではない。今回はまだ間に合うかもしれない。甲斐谷季里果発見のために、占部も協力を惜しまない覚悟だった。


『外から調べる俺はともかく、お前は十分に警戒しておけよ。重大な秘密を抱えているのなら、向こうも何をしでかすか分からんぞ』

「危険は覚悟の上ですよ。荒事になったらその時は腹くくります」

『もう一般人なんだから無茶は止めとけ。なんて言うだけ無駄か。お前を冷静な奴と評した頃が懐かしいよ。今の俺では、何があっても庇えんぞ』

「ご迷惑はおかけしませんよ。調査以外は」


 電話越しに、占部の苦笑顔が浮かぶ。庸一が冷静だという印象は今も変わりないが、実際はそれだけに治まらない。庸一は冷静なまま無茶が出来るタイプだというのが現在の占部からの評価だ。仮に荒事に発さた場合、庸一は躊躇わないだろう。


『何か分かればすぐに報告する。そっちも何かあればいつでも連絡をくれ』

「頼りにしてます。占部さん」


 電話を終えると、庸一は深くため息をついた。無事にこの依頼が終わったら、占部にお礼をしたいし、探偵として雇う話を前向きに検討したいという思いもあるが、それは無事に戻れたらの話だ。どんなに未来を思おうと、時に人は突然いなくなる。そのことは誰よりも理解している。


「長い一日になりそうだ」


 無事に明日を迎えられることを願うばかりだった。


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