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第十一話 非時

 時刻は午後七時を過ぎた頃。長士郎は塔子の案内を受けて、常夜山を登っていた。夜の山は本来危険だが、舗装された緩やかな傾斜の広い登山道と、光量を確保するためにこれでもかと設置されたライトのおかげで、周囲は非常に明るく、闇夜の不便さを感じることはなかった。常夜山に入る前、村からも明かりが見えていたが、目的地までのルートが可視化され、イルミネーションイベントのような煌びやかさがあった。


「何だが気まずいな」

「気にしない気にしない。今更戻っても何の意味もないし」


 二十四年に一度の貴重な祭事であり、大勢の住民が山を登る様はさながら新春登山のようであったが、長士郎に向けられる視線は一様に冷たい。この様子だと橙屋の店主やボウリング場の支配人は、少数派ではなく多数派だったようだ。


 肩身狭いが、塔子の言うように今更引き返してもしかたがない。覚悟を決めて全てを見届けるまでだ。


「あら、真方さんもいらしていたんですね」


 空気を氷解させるように声をかけてくれたのは、木月荘の女将、木月ふみだった。宿ではずっと割烹着姿だったが、今はデニムにダウンジャケットというカジュアルな服装だ。


「私の推薦で参加させたの」

「あらあらそうでしたか。塔子ちゃん、ずいぶんと真方さんのことが気に入ったのね」


 ふみの満面の笑みに角はなく、映画館の久貝のように長士郎の参加にも好意的だった。


「そうだ! 遊ぶのに夢中ですっかり連絡を忘れてた。女将さん、この通り帰りのバスも無い時間になってしまったのでもう一晩、木月荘に宿泊させて頂いてもよろしいでしょうか?」


 後回しでもいいという塔子の意見に流されたまま、ボウリングや映画を満喫していたため、すっかり木月荘への連絡を忘れていた。そんな慌てる長士郎を、ふみは微笑ましく見つめていた。


「焦らなくとも大丈夫ですよ。今日は他にお客様もおりませんし、祭事が終わったらゆっくりと手続きしましょう」

「ありがとうございます」


 ――他にお客様はいない? 能條さんは今日も泊まりと聞いてたけど。


 疑問は感じたが、民宿の女将が宿泊中の客を失念するとは思えないし、能條は急用か何かで日中に帰ったのかもしれない。名刺はもらったが、結局一度も連絡しなかったなと、長士郎は名刺をしまっていたポケットの財布を無意識に擦った。


 それからも三人で雑談続けつつ常夜山を登っていると、ライトによる道しるべが終わり、木々の無い開けた一画へと到着した。


「ここが愁覚が行われる、橘中と呼ばれる場所だよ。かつて隕石が落下した場所でもある」

「だからこんなにひらけているの?」

「うん。クレーターになった場所に、新たに土を運び込んで均して出来たのが、この不自然な程に開けた空間ってわけ」


 橘中には周囲を取り囲むように松明が円形に配置され、儀式的は雰囲気を加速させていた。その中心には一本の木が立っている。決して大きくはないが、周囲に何もない空間に一本だけ立つその姿は存在感抜群だ。


「あれが噂の非時だね」

「隕石の落下にも耐えて、不屈の象徴として今も存在し続ける橘の木。私の神様」


 夜墨村の住民に非時様と呼ばれるている橘の木は、樹高は三・五メートル程で、緑色の枝が密に生えている。 少なくとも百年近く前の隕石落下時からこの場所に存在しているはずたが、若い幹の特徴である棘も目視で確認出来た。


 何か異常があり保護しているのだろうか。根元周辺はブルーシートがかけられ、複数箇所がこんもりとしていた。土でも盛ってあるのだろうか?


「実はついていないの?」


 特別植物に詳しいわけではないが、長士郎は橘の収穫期は冬ぐらいだったと記憶していた。しかし、時非には未成熟のもの含めて結実していない。


「実は今からなるの」


 これから成長を始め、数ヶ月後に実を結ぶという意味だとは思うが、一般的な橘の収穫期とは大きく異なるし、ニュアンスだけなら、本当に今すぐ実がなるかのようにも感じる。


 ――独特な空気感だ。


 夜墨村においては自分の方が浮いている自覚はあるので長士郎も言葉には出さなかったが、正直不気味な夜だった。


 橘中に到着した瞬間から、多く住民が非時にひれ伏すように、寒空も構わず地面に跪いていた。その中には橙屋の女将やボウリング場の支配人らの姿を確認出来た。御山信仰の中核は非時に対する偶像崇拝なのかもしれない。一方で誰もが膝をついているわけではなく、白いスーツの上に黒いコートを羽織り、ジッと腕組みをしている権俵や、長士郎のそばにいる塔子やふみも立ったままだ。群衆の中に確認した郷土資料館の鷹觜や、非時の近くで何やら話あっている三人組も多くの住民とは様子が異なる。一人は警察官の制服の上にコートを着た松葉で、一人はハンティングジャケットを着た火野、残る一人は村役場前で見かけた塔子の兄、恩地幸篤であった。


「お兄ちゃん、愁覚の実質的な責任者なんだ。昔からずっとそう」


 長士郎の視線を追っていた塔子の目も恩地にそう。


「昔から?」


 二十四年に一度の祭事となれば都度、責任者が代わっていてもおかしくはない。恩地は五十歳前後に見えるが、だとすれば前回は二十代半ば。その前は流石にあり得ない。前回から、と言うのならまだしも、昔からと言うほどだろうか。


「そろそろ愁覚が始まるよ。長さんはただ見ていればそれでいいから」


 疑問を呈する間もなく、その時はやってきた。


「これより、第四回目の愁覚の儀式を執り行う。夜墨の住民たちよ。全ては非時様のお決めになること。目の前で何が起ころうとも、有りの儘を受け入れるように」


 静寂の中に責任者の恩地の声が響き渡り、参加する誰もが傾聴する。一瞬だけ恩地が塔子の方を見て、短く頷いた。

 恩地が無言で右手を挙げると、それを合図に、火野と松葉が非時の周辺にかけられていたブルーシートを取り外していき、いよいよ非時の全容が明らかとなった。


「何だよこれ……」


 視界に飛び込んできた衝撃的な光景に、長士郎は言葉を失った。

 ブルーシートの下に隠されていたのは、非時の根に絡め取られ、干からびた姿となったたくさん死体だった。すでに生前の面影は微塵もないが、死体の中には常夜山で襲撃された植物学者の曳田や助手の伊草、映画館で襲われ拉致された和井の姿もあった。死体の数は三人では足らず、少なくとも十人は確認できる。表沙汰になっていないだけでこの冬、夜墨村では外部の人間が多く行方不明となっていた。


 異常なのは死体の山だけではない。この場に集まった参加者の誰もが大きな動揺を見せず、むしろ羨望の眼差しを非時へと向けている。死体を前に生理的嫌悪感で口元を押さえている者を一部にはいるが、彼らも叫び散らかしたり、どこかへ連絡しようとしたりはしない。気持ち悪さを感じながらも状況そのものは受け入れている。この場にいる長士郎以外の全員が、愁覚の趣旨を理解していた。そしてそれは、長士郎の身近な人間も例外ではない。


「……塔子ちゃん。君は」

「騒いで大事な祭事に水を差したら駄目だよ。長さんはただ見ていればそれでいいの」


 長士郎が隣へゆっくりと視線を向けると、塔子は立てた人差し指を唇に当てて内緒のポーズを取り、微笑みを浮かべていた。たくさん死体を前にしてのその仕草は、まともとは思えない。蛇に睨まれた蛙のように、長士郎の思考が硬直する。そんな長士郎の視線を塔子は、指差しで再び非時へと誘導する。もうあんな惨たらしい光景を見たくなんかないのに、自然と指を視線で追ってしまう。


 その先では恩地が新たな指示を飛ばし、火野と松葉が、何かが入った縛られた大きな麻袋を運んできた。麻袋は微かに動いており、人型に膨らんでいる。何が入っているのかは明白だった。


 火野が麻袋の口を開き、中から引きずり出したのは、顔中を殴られ流血し、息も絶え絶えの能條だった。左瞼は腫れ上がって塞がっているが、残された左目が群衆の中に長士郎の姿を見つけた。口はガムテープで塞がれており、両手両足も縛られている。僅かな体の動きと目だけで、必死に長士郎に助けを求める。村の人間は全員グルだ。君以外信用できないと。その目は訴えかけてきている。


 遺体が干からびていたこともあり、これまでは惨たらしくとも現実感が薄かった。だが、出会って日が浅いとはいえ、顔も知っていて話したこともある能條の傷ついた姿を見たことで、一気に現実に引き戻された。能條だけではない。次は自分がああなる番かもしれない。決断するなら今しかなかった。


 集団を相手に平凡な大学生が一人で出来ることなんてたかが知れてる。それでもやるしかない。


「ごめんね。塔子ちゃん」


 長士郎は持参していた鞄から、作業用に持参していたカッターを取り出し、塔子の背後から首筋にカッターの刃を当てた。


「能條さんを離せ!」


 今の長士郎に出来ることは、塔子を人質に交渉を試みることだけだった。塔子は祭事の責任者である恩地の妹。人質としての価値は高いはずだ。


「ごめんねなんて、長さんは優しいね。手だって震えてる」


 顔色一つ変えずに、塔子には日常会話のように緊張感がなかった。

 長士郎の突然の行動に多くの住民がざわめきたち、「だからよそ者を参加させるべきではないと」という声もチラホラと聞こえる。一方で長士郎のすぐ近くにいたふみは微笑むばかりで動揺は見られない。そして一番人質が効いていてほしい恩地もまた、やれやれとため息はつきながらも、妹の危機に対する焦りのようなものは一切感じられない。


「誰だあの若造は。さっさと始末してしまえ!」


 苛立ちを隠せず声を荒げたのは、最前列で祭事を見守っていた権俵だった。取り巻きに指示し、長士郎にけしかけようとしたが。


「権俵先生の手を煩わせるまでもありませんよ」


 恩地が丁寧な口調で制すると、権俵は素直に引いた。力関係ではやはり恩地の方が上だ。


「塔子が連れてきたんだ。塔子が解決しなさい」

「分かってるよ。お兄ちゃん」

「塔子ちゃん何を!」


 激しく動揺したのは人質を取っている長士郎の方だった。塔子はカッターを握る長士郎の手を力強く握り固定すると、自らの首を勢いよく動かし、宛がわれていた刃で自身の頸動脈を切り裂いた。首から派手に血が噴き出し、それが長士郎の顔にも浴びせられる。力なく倒れる瞬間、塔子は恍惚にも似た笑みを浮かべていた。


「塔子ちゃん……そんな」


 長士郎はカッター手放し、倒れた塔子の首の傷を必死に素手で押さえるが勢いは止まらない。素人目にも、もはや手の施しようのない状況だった。トレードマークだった白いダッフルコートが、鮮血色に染まっていた。

 傷つけるつもりなんて、ましてや命を奪うつもりなんてなかった。交渉が済めば無傷で解放するつもりだった。それなのにまさかこんな。


「ごめん……塔子ちゃん」


 激しい後悔と罪悪感に涙がこみ上げてくる。

 そんな長士郎の姿を見て、群衆からクスクスと笑いがこみ上げてきた。


「何がおかしい! 塔子ちゃんがこんな」


 怒りに顔を上げた瞬間、衝撃で涙が一滴、塔子の頬に落ちた。


「私のために泣いてくれるなんて、長さんは優しいね」

「えっ?」


 血まみれの塔子が、何事もなかったかのように上体を起こし、驚愕に目を見開いた長士郎と視線が交わる。

 塔子は勢いよく吹き出した血で血塗れだったが、肝心の傷は、損傷した頸動脈がいつの間にか修復しており、その上の肉や皮の損傷も、まるで逆再生でも見ているかのように結合し、塞がっていく。治癒という表現ではとても追いつかない。これは再生だ。


「ご覧の通り、私は死ねないの。だから私には人質としての価値はないんだよ」


 衝撃的な光景に腰を抜かしてしまった長士郎を、ゆっくりと立ち上がった塔子が見下ろす。唇に飛んだ血が紅のようになり、色白な肌との強烈なコントラストをもたらしていた。血塗れの姿は圧倒的な致死量を主張しているのに、それは塔子にとって、衣服の色が変わっただけの変化に過ぎないのだ。


「素晴らしい! なんて素晴らしいんだ!」


 塔子の再生を目撃した権俵から歓喜と興奮の声が上がり、群衆もそれに呼応している。同時に人質作戦が失敗に終わった今、能條の瞳は絶望一色に染まった。


「余興はもう十分だろう。そろそろ愁覚を始めるぞ」


 恩地の指示を受け、火野と松葉が身動きのとれない能條を非時へと運んでいく。能條は体を揺すって必死に抵抗するが、負傷で弱っていることもあり、屈強な男二人はビクともしていない。そうして二人は、非時の幹に能條の体をもたれかかせた。次の瞬間。


「がっ! ぎゃああああ――」


 あまりの衝撃に能條の口のガムテープが外れ、絶叫が響き渡った。幹から生えていた大量の棘が突然鋭利に伸び、背中から能條の体を刺し貫いたのだ。能條は非時に磔にされてしまった。


「……木が、能條さんを食ってる」


 非時が意思を待っているかのようにうねり、その度に能條に刺さった無数の棘が、体内の血液を吸い上げていく。能條の体が激しく痙攣するが、一際太い棘が後頭部から能條の額へと抜けた。血と脳漿が混じり合った粘性が滴り落ちてくる。


「非時様、万歳!」


 権俵を筆頭に群衆が歓喜に沸き立っている。新たに一人の命が失われたことなど、まるで気にしていない。狂気の儀式だ。地獄みたいな夜だ。その光景を見ているだけで、長士郎は気が狂いそうだった。


「僕は悪い夢でも見ているのか……」

「世の中はオカルトブームらしいね。だからってわけでもないけど、目の前で起きていることもそのまま受け止めた方が、余計に混乱しなくて済むと思うよ」


 立ち上がれないでいる長士郎の隣に、塔子が何事もなかったかのように腰を下ろした。まるで二人で、お祭りの山車でも眺めるように。ここだけは時間がゆっくり流れていた。


「受け止めきれるわけないだろう……こんな終末みたいな光景」

「終末か。言い得て妙。世紀末には違いないけど、結局七月に恐怖の大王なんて降りてこなかったよね」


 恐怖の大王がいるなら能條を食ったあの木こそがそうではないか。そんな反論を口にする気力さえも、長士郎からは消え失せていた。


「立って長さん。愁覚はまだ終わっていない」


 塔子に手を引かれるがまま、長士郎は立ち上がった。愁覚はまだ終わっていない。次は自分が能條のようになるのだろう。迫り来る恐怖に絶望したが、今の長士郎に出来ることなどもう残されてはいなかった。


「……姉さん、僕のことは探さないでくれ。この村は危険だ」


 終わりを想像した時、真っ先に脳裏を過ったのは家族の顔だった。


「……僕は二十一世紀を迎えられそうにないよ」



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