第十話 久貝武満
「村外れにこんなにでかい屋敷があったとはな」
権俵の車を追っていた能條は、村の外れの広大な敷地に建つ、大きな平屋の屋敷の近くに到着した。屋敷に権俵の車が入っていく瞬間も確認済みだ。ここが権俵の住まいで間違いない。あまり近づきすぎると存在を悟られので、一部始終は距離を取り、高倍率ズームを使って目撃していた。
「どこまでも強欲なあんたが大人しく隠居なんかするはずがないよな。この辺鄙な村に設備投資して、一体何を企んでやがる」
タバコを咥えながら、ダッシュボードから取材ノートを二冊取り出す。一冊は自分が現在進行形で能條が使用しているノートで、もう一冊は能條と同じく記者をしていた父親が、十年前につけていた古い取材ノートだ。
「親父。俺は最後までやり遂げるぜ」
能條の父、能條一郎は当時、権俵が関わっていた大きな再開発計画に絡む汚職疑惑を追っていたが、その最中、運転する車が崖から転落し、命を落とした。単独事故だったとして警察の捜査は終了したが、運転が得意で持病も無かった一郎が、崖から転落するような事故を起こすとは能條には思えなかった。周囲を嗅ぎ回る一郎を危険視した権俵に消されたに違いない。実際、一郎以外にも権俵の周辺では不審死を遂げたり行方不明となった人間は少なくない。にも関わらずそれらが事件化してない辺りにも、権俵の影響力の強さが感じられる。
結局、汚職疑惑は闇へと葬られてしまい、それから程なくして、権俵も表舞台から姿を消した。能條はやり場のない怒りを覚えながらも、多忙な日々に追われてそれは次第に薄まっていった。だが一月程前、権俵が夜墨という小さな村で隠居しているとの噂を耳にした瞬間、十年前燻っていた怒りの炎が再燃した。かつての疑惑で追い詰めることは難しいが、権俵がただ大人しく隠居しているとも思えない。何らかの企みがあるはずだ。それを突き止め、白日の下に晒す。それこそが今の能條の行動原理だった。全ての仕事を中断し、私情の混じったこの調査を、能條は何よりも優先している。
原動力たる怒りを補充するように、一郎の取材ノートを読んでいると。
「すみません。少しよろしいですか?」
突然ドアがノックされ、能條は我に返る。視線を右に向けると、体格の良い制服警官が車内の様子を伺っていた。夜墨村駐在所の松葉だ。煩わしくは思ったが相手は警官だ。敵に回すのは得策ではないと判断し、大人しく窓を開けた。
「警察の方が何か?」
「見慣れない車がいると連絡を受けまして念のため確認に。こちらで何を?」
「ドライブ中に道が分からなくなってしまって。誤解させてしまったのなら謝ります」
悪意のない旅行者という体で場をやり過ごす。実際、権俵邸の敷地にはまだ足を踏み入れていないので、いくらでも言い逃れは出来る。
「本当は権俵邸を探っていたのでは? 記者の能條さん」
「何だ。筒抜けかよ。違法な取材はしていない。何か問題でも?」
「問題は無い。ただ、俺らがあんたに用があるだけさ」
声につられて能條が前を向くと、いつの間にか猟師の火野が立っており、狩猟用ライフルの銃口を能條に向けていた。口調は軽いが、眼光は不釣り合いなほど鋭い。迷いなく引き金を引ける者の目だ。フロントガラス越しとはいえ、確実に能條にも命中するだろう。
――いちかばちか、アクセルを踏み込むか?
冬にも関わらず、緊張で能條の頬を汗が伝った。
「止めておいた方がいい」
拳銃を抜く音が右側から聞こえた。迷いのない連中を相手にしているのだ。迷ってしまった時点で能條の勝ち筋は消えていた。
「闇の深い村だな。ちくしょう」
能條は拳銃のグリップで頭を一撃された。
「今宵の愁覚が楽しみだ。あの者たちと同じ力をこの手に」
状況を屋敷の庭から双眼鏡で観察していた権俵が不適な笑みを浮かべた。
※※※
「まさか塔子ちゃんがこれ程の腕前とは……」
「私をここまで苦戦させたことを誇りなよ。長さん」
白熱したボーリングの結果は、最終フレームでターキーを取るか否かが決め手となり、塔子が勝利を収めた。最終フレームまではほぼ互角、共にスコアは200超えの熱戦であった。
「僕もまだまだ修行が足りないな」
「年期の差ってやつだよ。長さんも十年ぐらい修行してみたら」
同年代の友人に言われたら煽りに聞こえる台詞だが、年下のはずの塔子に言われているのにあまり嫌味には感じなかった。これもまた、抜群の愛嬌が持つ得だろうか。
「まだ三時だし、この後は映画でもいかない? 見たかった映画があるんだよね」
「もちろん付き合うけど、祭事の方は大丈夫なの? 参加の準備とか」
「大丈夫大丈夫。面倒な準備は火野くんたちがしてくれてるし、私たちは明かりの灯された常夜さんに向かうだけでオーケー。でも、夜の山だし流石に長さんの格好じゃ寒いか。後でどこかでコートかジャンパーを借りてこないと」
「塔子様。お言葉ですが、よそ者を愁覚に参加させるおつもりですか?」
突然話に割って入ってきたのは、坊主頭が印象的な、中年のボウリング場の支配人だった。
「誰が参加しようと、祭事の本質は変わらない。選ぶのは私でも、ましてやあなたでもないのだから」
塔子一切動じることなく、支配人に冷笑を向けていた。
「しかし塔子様、確率の問題が」
「確率なんてなんの意味もないし、その確率とやらを求めて移住してきたあなたには、尚更それを口を出す権利なんてないでしょう。黙ってその時を待ちなさい。それと、様づけは止めてよね」
二回り以上も年下であろう塔子の迫力に圧倒され、支配人は最後には完全に押し黙ってしまった。
「楽しい気分が台無し。早く映画で気分転換しよう」
長士郎の財布からゲーム代金を取り出し支配人に突きつけると、塔子は長士郎の手を引きそそくさとボウリング場から退散した。
「今のは何だったの?」
「よそ者イビリには参っちゃうよね。支配人だって元はよそ者のくせに」
「確率とか言ってたけど」
「見てからのお楽しみにするつもりだったけど、愁覚の最後には、縁起物が観衆の誰かの手に渡るの。結婚式のブーケトスみたいのを想像すると分かりやすいかな。選ばれた者には大きな祝福が授けられる。長さんが参加する分、その確率が下がると思ってのあの態度なんだろうね。祝福を確率で計っても意味なんてないのに」
「祝福か」
縁起物が誰かの手に渡り、幸運の象徴となる。そういうお祭りや行事は各地に存在するし、それこそ塔子のブーケトスの例えもあってイメージはしやすかったが、だとすれば支配人の反応はいささか過剰に感じられる。昼間の橙屋の店主の件もあるから尚更だ。確かに縁起物は誰だって欲しいだろうが、所詮は祭事の一コマに過ぎない。にも関わらず、まるで財宝でも求めるかのような執念が感じられる。愁覚で誰かの手に渡る縁起物とは一体何なのだろう。
「久貝さん。映画見に来たよ」
映画館はボウリング場の近くなのですぐに到着した。塔子が慣れた様子で二人分のチケットを購入する。
「塔子さんお友達かな?」
「大学生の長さん……って、フルネーム何だったっけ?」
「真方長士郎だよ。すっかり長さん呼びが定着してしまった」
長士郎は苦笑交じりに肩を竦めた。
「今夜の愁覚には長さんも連れて行くよ」
「それはそれは。祝福が訪れると良いですね」
これまでは地元の住人の前で愁覚の話題が出る度に気まずい空気となっていたが、今回は塔子自ら嬉々として伝え、久貝も穏やかな表情で肯定している。塔子からの信頼感といい、久貝は他の住民とは印象が異なる。
「上映の前に一つだけ、前列の席の汚れが綺麗に落ちていなくて。少し後ろの席を利用していただけるとありがたい」
「何かあったんですか?」
何の気なしに長士郎が尋ねた。
「昨夜の最後のお客様が派手に飲み物を零してしまって。ご迷惑をおかけしております」
穏やかな表情と語り口もあり、長士郎は説明をそのまま受け取った。まさか昨晩、シアターで大量の血が流れたなどと、想像できるはずもなかった。
「作業用のベンチコートしかなくてすまないね」
映画を見終わった長士郎と塔子が、映画館のエントランスで飲み物を飲みながら一服していると、久貝がバックヤードから、冬場の外作業で使用しているベンチコートを持ってきてくれた。映画が終わった後、長士郎に何か上着を貸してくれないかと、久貝にお願いしてくれていた。
「本当にお借りしてもよろしいんですか?」
「大切なお客様が凍えてしまったら大変だからね。後で返してもらえれば問題はないよ」
「ありがとうございます。少しの間お借りしますね」
厚意に感謝して、長士郎は両手で大事にベンチコートを借り受けた。
「目的地まで距離もあるし、そろそろ移動しようか。長さん歩ける? 運動不足とかだったりしない?」
「体力には自信あるからご心配なく。塔子ちゃんこそ大丈夫?」
「夜墨村の住民をなめないでよね。毎回登ってるから平気平気」
自信満々に言ってのける塔子のしたり顔が愛らしい。毎回と言うぐらいだし、二十四年に一度の祭事など関係なく、行事などで登る機会も多いのかもしれない。
「久貝さんも来るよね?」
「私は映画館を閉めてから行くよ」
「分かった。また後でね」
「コート、ありがとうございます。久貝さん」
笑顔の久貝に見送られ、二人は映画館を後にした。
「さて、私も支度を済ませるとするか」
正面入り口の扉を施錠し事務室に戻ると、久貝は金庫から猟銃と銃弾を取り出した。何事もなく祭事が終わればよいが、不測の事態はつきものだ。いざという時は引き金を引かなければならない。




