弥生 ~箱とチョイスとバカップル~
とあるアパートの一室の前、一人の女が玄関のドアの前で腕を組んで待っている。女の顔は正に、ワクワクという擬音がピッタリなくらい期待に満ちあふれている。女は待ちきれなくなったのか、部屋の中に向けて、大声で呼びかけた。
「もういいか~い?」
その声に対して、部屋の中からは不機嫌な声が返ってきた。
「まだだと言っているだろうがっ!
・・・大体約束は八時からのはずなのに、何でお前は六時前に来るっ!」
「フッフッフ、あんなものであたしを止められると思ったら大間違いよっ!」
「意味が分からんっ!
・・・まぁ、お前の事だから、俺からのお返しが楽しみで待ちきれなかった、という所なんだろうがな」
「あらっ♪さっすがあたしの彼氏様っ、あたしの事なら何でもお見通しねっ♪
―――という訳で、入らせてもらうわよ?」
「何が『という訳』なのか、意味が分からんのだが?」
「そういう所を愛の力で理解するのが、彼氏の務めでしょっ!」
「無理だっ!!!
・・・まあ、もう準備は出来たから、入ってきても良いぞ」
「やった~♪おっじゃましま~す♪」
女は部屋の中へ入ると、まっすぐにリビングへと向かった。そしていつものコタツの上に、シーツで覆われた『何か』が置かれているのを見ると、少し感心した様子でコタツに入っている男の方へ向き直った。
「あら・・・約束の時間よりも随分と早く来たはずなのに、プレゼントの準備はしっかりと出来ているじゃない?」
「当然だろう?お前が約束の時間よりも早く来ることぐらいお見通しだ。
―――まぁ、予想よりもお前が来る時間が早かったがな」
女は男が少々誇らしげな表情なのに気づくと、期待に満ちた表情でコタツの上の『何か』を見つめた。
「じゃあ早速っ♪開けるわよ~~~」
「まあ、待て―――お前にはゲームをしてもらう約束だ」
男はそう言うと、『何か』の上に覆いかぶさっていたシーツを取り除いた。
―――そこには、綺麗にラッピングされた大小二つの箱が並んでいた
「ルールはいたって単純だ。
お前には、ここにある大きな箱と小さな箱、どちらか一方を選んでもらう。お前が選んだ方が今年のホワイトデーのお返しというわけだ。
―――そして、選ばれなかった方のプレゼントは『処分』することになる。せいぜい、慎重に選ぶんだな」
男のルール説明を聞いた女は、少し渋い表情になると
「う~ん・・・ちょっとありきたりね~
もっと別のサプライズは思いつかなかったの?例えばあんたが頭からチョコ被って
『今年のプレゼントは俺だっ!!!』
ってやるのとか・・・」
という、無茶苦茶な提案を行った。
「そんな恥ずかしい事が出来るかっっっ!
・・・大体、現実にそんな事されたら相手だって困るだろうが」
「あら・・・じゃあ、あたしが同じことしたら、あんたは拒否するわけ?」
「・・・・・・・・・拒否する」
「あら~?今、答えるまでにものすごく間があった気がするんだけど、気のせいかしら~?」
「うるさいっっっ!!!さっさとどっちか選ばないと、どっちも没収するぞっ!」
「まったく・・・気持ちに余裕が無いのって、ヤ~ね~」
「誰のせいだっ!」
そんないつものじゃれ合いを一通り楽しんだ後、女はやや真剣な顔つきで二つの箱へと向き合った。
―――男には知る由もないことだが、女はこの日をとても楽しみにしていたため、昨日の夜はろくに眠れていなかったりする
女の目の前には、向かって左側に犬小屋程の大きさの大きな箱、右側にミカン程度の大きさの小さな箱が並んでいる。両方ともキッチリと手作り風のラッピングがしてあり、中身が分からないようになっている。
どちらの箱を選択するべきか・・・女は思案を巡らせ始めた。
『 大きい箱の方に入っているのは、大きさから考えて大きめのぬいぐるみといったところかしらね?
―――でも、こいつがぬいぐるみを買いに行くところを想像すると、何となくシュールよね~
小さいほうの箱は、やっぱりアクセサリー関係?そういえば最近、自分の食事代なんかをケチってたみたいだし・・・ハッ
―――まさか、指輪っ!!!
な~んて、こいつにそんな甲斐性がある訳ないか~、期待するのもいちいちバカらしいし
・・・でも・・・一応念のため、小さい方の箱にしておこうかしら』
「・・・一人で身悶えたりして、気持ち悪い奴だな・・・」
「うるさいわねっ!女の子にはいろんな事情があるもんなのっっっ!!!」
「そうかい・・・
―――それで、どちらの箱を選ぶか決めたのか?」
「―――ええ、決めたわ。あたしが選ぶのは、
小さい方の箱よ!」
女が声高らかに宣言した瞬間、男が意地の悪い表情を浮かべる。
「ほう・・・そちらで良いのか?後悔するかもしれないぞ?」
「その手にはのらないわよっ!あたしが選んだのは小さい箱っ!これは絶対に覆らないわっ!!!」
「・・・ならば、何も言うまい。
さあ、小さい箱を開けてみるが良い」
女は緊張した面持ちで小さい箱の前に座ると、周りを覆っている包装紙を丁寧にはがし始めた。女が包装紙をはがし終わり、ゆっくりと箱のふたを開けると、その中には―――
―――シミ一つない真っ白な色彩
―――それでいて控えめな光沢を放つ
―――真珠のイヤリングがそこには入っていた
女は中身が指輪ではにない事に気づいて一瞬だけ残念そうな表情を浮かべたが、中身がイヤリングだと分かると、蓮の花が咲くような微笑みを男の方へと向けた。
「―――あたしが一度だけ欲しいって言ったイヤリング・・・覚えててくれたんだ?」
「当然だろう?俺はお前の彼氏なんだ」
「フフッ、そうだったわね」
―――しばらくの間、アパートの一室には、暖房のものではない、温かな空気が広がっていた
「―――ところで、大きい箱の方に入っているプレゼントはホントに処分しちゃうわけ?もったいないと思うんだけどな~」
「お前は本当に欲張りな女だな・・・だが安心しろ、大きい箱の中身は―――」
言いながら男は大きい箱の包装紙を綺麗にはがし、箱のふたを持ち上げた。
「―――この通り、俺特製のケーキになっている。後は、俺とお前の二人でこのケーキを『処分』すればそれで良いわけだ」
「・・・あたしが大きい箱の方を選んでたら、どうするつもりだったのよ?」
「お前が小さい方の箱を選ぶことは分かっていた。
―――お前、小さい箱の中身は指輪なんじゃないかって期待したんじゃないのか?」
「・・・ノーコメントで」
今回は形成が不利なのを悟って女が言葉を濁すのを、男はニヤニヤしながら眺めていた。その表情に浮かぶのは、久しぶりに女をやりこめた充実感である。
女がそのニヤケ面に対して何か仕返し出来ないものかと思案していると、一つ気がついたことがあった。そして、女はそれをストレートに男へとぶつけることにした。
「ところであんた・・・もしかして、この巨大なケーキをあたしとあんたの二人だけで食べきるつもり?」
「っっっ!!!
・・・スマン・・・ケーキを作るのに夢中で、そこまで気が回っていなかった・・・」
心底悔しそうに言う男の表情に、すっかり満足した女は
「ふっふ~ん♪今日のあたしは機嫌がものすごく良いから、ケーキの一つや二つ、かる~く食べきってやるわっっっ!
―――でもその前に、あんたにはやるべき仕事があるわよね~?」
そう言って、自分の目の前にあるイヤリングを指差した。それを見た男は、即座に全てを理解して、イヤリングを手に取ると、恭しくその片方を女に向けて差し出した。
「―――それではイヤリングをお付けいたしますので、右耳をどうぞ、お嬢様」
「うむ、よきにはからえ」
―――本日はホワイトデー。お返しと一緒に、普段は言えない胸の内を相手に伝える日でもある