如月 ~チョコとゲームとバカップル~
ここはとあるアパートの一室のドアの前。一人の男が、ドアを開けるために鍵を差し込んだ。
「―――ただいま」
男が返事を全く期待しないで言った言葉に
「おっかえり~♪待ちくたびれちゃったわよっ!」
女性の声で返事が返ってきた。
男が慌ててリビングへと目をやると、そこには男の彼女がコタツでくつろいでいるという気の抜ける光景が広がっていた。女の両手両足ともコタツの中に入っており、まさしく『ぬくぬく』という擬音がピッタリの状況である。
「っっっ!どうしてお前がうちに居るっ?」
「あら・・・もしかして、今日が何の日だが覚えてないの?」
「・・・そうか、今日はバレンタインか」
「そうよっ♪せっかくあたしがチョコを作ってきたんだから、もっと嬉しそうな顔をしなさいっ!」
「・・・あれを見た後で、か?」
男が指差した先では―――女がチョコレートを作るために使用したのであろう―――キッチンが凄い事になっていた。当然、このキッチンの掃除が誰の役割なのかは、長い付き合いなので男にはもう分かっている。
「掃除くらい良いじゃない。なんてったって、あたしの手作りチョコレートなのよっ♪感動のあまり涙を流して感謝するのが筋ってものだわっ!!!」
「するかっ、そんなことっ!」
「ん~~~それじゃあ、感謝の踊りを踊ってくれるだけでいいわ」
「お前は・・・そんなに追い出されたいのかっ!」
「こんな寒い中、あたしに外で一晩過ごせって言うのっ?ご近所のみなさ~ん、ここに人でなしが居ますよ~~~」
「ええいっ、いちいち大げさなリアクションをとるんじゃないっ!」
―――いつも通りのケンカなのかじゃれあいなのか分からない言い合いはしばらく続いた。
「ハァ・・・それで、肝心のチョコレートはどこにあるんだ?」
男のその言葉を聞いた瞬間、女の顔がいたずらっぽいものへと変わった。
「ふっふっふ・・・あたしの手作りチョコレートが食べたかったら、ゲームをクリアすることね!!!」
「ゲーム?」
「そう、ゲーム。
―――ルールは簡単よ。あたしがこの家の中に隠したチョコレートを、あなたが見つければいいだけ」
「ルールはそれだけか?」
「ええ、それだけよ。も・ち・ろ・ん、あたしへの愛の力で一発で見つけてくれるわよね~?」
「・・・フン、お前の考えそうな隠し場所くらいすぐに思いつく。お望み通り、一発で見つけてやるさ」
男はそう言うと、チョコレートの隠し場所について考え始めた。
『―――やはり一番可能性が高いのは、アイツ自身がまだ持っているパターンだが・・・アイツの居る部屋はストーブがガンガンに焚かれているし、ホットカーペットもつけてある。おまけにコタツ。チョコレートを隠すにしては、溶ける危険性が高すぎる
―――その点を考えると、冷蔵庫の中が有力に思えてくるが・・・あまりに単純過ぎて逆に怪しい
―――俺の寝室・・・いや、アイツは案外そういったプライベートな空間には立ち入らないから、俺の許可なしで入ることは考えづらい
―――風呂場・・・いや、このアパートの風呂場はトイレと一体になっているから、衛生的に考えて、その線は薄い
―――意外と、キッチンという線も有力だな・・・木を隠すには森の中と言うし、あれだけ散らかっていれば探されないと踏んだのかも知れん。だが、ここは・・・』
そうして、決意を固めた男が向かった先は
―――先ほど入ってきた玄関であった。
玄関にたどり着いた男は、郵便受けの中を覗き込んだ。そしてその中にあるものを確認すると、不敵な笑みを浮かべながら女の方へ向き直った。女がつまらなそうな表情をしているのを見て取ると、男は勝ち誇った様子で説明を始めた。
「お前にしては、なかなかよく考えたと褒めてやろう。俺が玄関を開けた瞬間に声をかけてきたのも、俺の注意を郵便受けからそらすための精一杯の小細工だったのだろうが―――俺の目は誤魔化せない」
そう言うと男は、おもむろに郵便受けの中に手を入れ、すぐにその手を引き抜いた。そしてその手には、包装紙で乱暴に包まれた薄い箱が握られていた。
男は仏頂面をしている女の顔を勝ち誇った様子で眺めながら、包装紙を丁寧にはがし、中に入っていた箱の中身を確認してみると、そこには―――
『ハズレ』
と、大きく書かれた紙が入っていた。
それを見た男が口を開けたまま動けずにいると、今まで仏頂面をしていた女の方が、
「―――ぷっ、あははははははっっっ♪
な~にが『俺の目は誤魔化せない』よっ!完璧に外してるじゃな~いっ!!!」
と、コタツに入ったまま大声をあげて笑いだした。
「・・・馬鹿な・・・こんなはずは・・・」
「ふっふ~ん♪慈悲深いあたしは、もう一度だけチャンスをあげるわよっ!今度こそ見つけてみなさいっ」
「ぐっ、偉そうに・・・大体お前はいつも―――」
そこまで言った男は何かに気づいたように女の方を注意深く見ると、そのまま何かを考えだした。そしてしばらくの間そこを動かなかったが、やがて何かに納得したのか、女がコタツで待つリビングへと歩き出した。
男は女の座る横まで来ると、ゆっくりと話しだした。
「・・・俺は勘違いをしていた。『チョコレート』と聞いて、反射的に板チョコのような固形のチョコレートを連想してしまっていた―――」
そう言って、いまだにコタツに入ったままの女の右手の方にある布団をまくりあげた。そこには―――
新品のマグカップの中で湯気をたてる、甘い匂いのする茶色の液体―――いわゆる『ホットチョコ』と呼ばれるもの―――が隠されていた。
マグカップにはきちんとラップがかけられており、埃などが入らないようになっている。
「当ったり~♪でも、良く分かったわね?あたしは次にキッチンの方を探すかと思ってたわ」
「確かにそのつもりだったさ。だが、お前の様子を見て俺の最初の考えが正しいことを悟ったんだ。
―――お前が俺を笑い者にするときは、もっとコタツを揺らすぐらい大笑いをしているはずだからな。
大方、ホットチョコがこぼれないように気を使っていたんだろう?」
「失敗したわね・・・でも、一発で当ててくれなかったってことは、あたしに対する愛が足りないってことかしら?」
「・・・俺がホットチョコを考えに入れていなかったのには、深い理由があってだな」
「あら、負け犬の遠吠え?」
「―――断じて違うっ!お前、俺が猫舌だということを忘れているだろうっ!!!」
その言葉を聞いた女はにっこりとした笑顔を浮かべると
「あ~ら、それについてはちゃんと計算に入れてあるわよ」
と言って、どこからかスプーン―――これも新品である―――を取り出した。そしてそれを使ってマグカップからホットチョコを一杯すくい出すと、それを自分の口の前までもっていき「ふ~ふ~」と息を吹きかけて冷まし始めた。
女は十分に冷めたと判断したホットチョコを
「はい、あ~ん」
と言って、男の前へと差し出した。
―――男は恥ずかしさのあまり反射的に拒絶しそうになったが、自分が敗者であることを思い出すと素直に口を開き、ホットチョコをじっくり味わって食べ終えた。
「味の方はどうかしら?」
「・・・美味い・・・」
「さすがはあたしの手作りねっ♪」
「・・・今回もそういうことにしておいてやる」
「まったく、素直じゃないんだから~
あ、当然ホワイトデーは三倍返しねっ♪それとプレゼントの仕方もあたしがやったみたいに一工夫しなくちゃダメよ?」
「・・・善処しよう」
「よろしいっ♪」
―――本日はバレンタイン、恋人たちが甘い思い出に浸る一日である