表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/15

第四話:姫騎士様は分析する

昨夜の「秘密の特訓」の後、私は『アストラル・フロンティア』からログアウトし、自室のベッドの上で天井を見つめていた。

ダンジョンは、第一階層を危なげなくクリア。戦闘におけるパフォーマンスは、ほぼ理論値通りの完璧なものだった。問題は、そこではない。

問題は、私の、生身の身体に発生した、あの致命的なエラー。


(……再現性のある、深刻なバグだ)


私はベッドから起き上がると、ノートパソコンを開き、新規のテキストエディタを立ち上げた。プログラマーの端くれとして、この原因不明のバグを放置することはできない。やるべきことは一つ。バグの特定と、そのデバッグだ。


私は、キーボードを叩き始めた。


【バグレポート】


件名: 特定条件下における、ユーザー『月城静音』の非自発的生理反応について


トリガー条件:


VRアプリケーション『アストラル・フロンティア』実行中。


ユーザー『Kite』のアバターが、パーソナルスペース(半径1メートル以内)に侵入。


上記ユーザーから、ポジティブな音声フィードバック(通称「褒め言葉」)を受信。


発生する事象:


心拍数の異常な上昇(推定120bpm以上)。


顔面領域における急激な体温上昇。


思考プロセスの一次的な停止フリーズ


期待される正常な動作: ・心拍数、体温、思考プロセス、全てにおいて平常値を維持する。

書き出したレポートを眺め、私は腕を組む。

まるで未知のウイルスに侵されたかのような症状。しかし、原因は外部ではなく、私の内部にある。

私はブラウザを開き、検索ウィンドウにキーワードを打ち込んだ。

『ドキドキ 原因』『人と話す 顔が熱い』『褒められる 思考停止』


表示された検索結果は、私の予測を裏切るものばかりだった。

「社会不安障害の可能性」「人見知りのメカニズム」…そして、最も多くヒットした、全くもって非論理的な単語。


――『恋』。


(……馬鹿げている)


私はその単語が表示されたタブを、即座にクリックして閉じた。

恋? 私が? 非効率で、非生産的で、論理のかけらもない、ただの感情の暴走に? あり得ない。そんな非科学的なもので、私のシステムエラーを説明してたまるか。

もっと、論理的な裏付けのある原因があるはずだ。


さらに検索を続け、私は一つの心理学用語にたどり着いた。


「吊り橋効果(Suspension Bridge Effect)」


吊り橋のような、不安や恐怖を感じる場所で出会った相手に対し、そのドキドキ感を恋愛感情だと誤って認識してしまう、認知のバグ。


(これだ…!)


私の脳内で、全ての事象が一本の線で繋がった。

高難易度ダンジョンという、緊張感とスリルに満ちた環境。そこで共に戦うパートナー。戦闘による興奮と、心拍数の上昇。

――私の身体は、その戦闘による生理的興奮を、トリガーとなったユーザー『Kite』への特別な感情だと「誤認」しているに過ぎない。


そう。これは恋などではない。ただの、人間の脳というOSに元々備わっている、既知のバグだ。

原因が特定できれば、対処は簡単だ。

「これは吊り橋効果だ」と常に意識し、データを客観的に処理すればいい。決して、このバグに感情を紐づけてはならない。


(解決した)


私は満足げに頷き、パソコンを閉じた。これで、次の特訓からは冷静に対応できるはずだ。


翌日の夕方。

ログインすると、ゲーム内のメールボックスに一通の通知が来ていた。送り主は、Kite。

件名は「昨日はお疲れ様!」だった。


(…メール? 用件があるならチャットの方が効率的では?)


わずかな疑問符を浮かべながら、私はメールを開いた。


『昨日の特訓、最高に楽しかったよ! Lunaと組むと、難しいダンジョンもただのデートみたいに思えるな(笑)。これ、俺が作ったポーションだけど、良かったら次の特訓で使ってくれ。今夜もよろしく! Kiteより』


添付されていたのは、手作りの上級回復ポーションが10本。

彼の合理的な貢献に感謝しつつも、私は文面に含まれた「デート」というノイズの多い単語を読み飛ばした。

重要なのは、今夜も特訓があるという事実だ。私は、昨日立てた仮説を実践する機会が、すぐに訪れたことに満足していた。


だが。

読み終えたメールを閉じようとした、その瞬間。


ドクン。


静かなはずの自室で、また、あのバグが私の心臓を叩いた。

吊り橋は、どこにもない。緊張状態でもない。ただ、彼の文章を読んだだけ。

それなのに、私のシステムは、またしても異常な反応を示している。


(仮説が、違う…? 吊り橋効果では、説明できない…?)


私の完璧だったはずの論理に、ヒビが入る。

このバグは、私が想定していたよりも、はるかに根が深く、厄介なものなのかもしれない。


私は、彼への返信メールの作成画面を開き、十分近くも、入力と削除を繰り返すことになった。

「了解」「感謝」「承知」。どの定型文も、しっくりこない。

この非効率な時間の浪費こそが、私が最も嫌うものであるはずなのに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ