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第三話:姫騎士様は計測できない

翌日の大学の講義中も、私の思考領域の半分は『アスタル・フロンティア』に占有されていた。

Kiteとの約束。二人だけの、秘密の特訓。

そのタスクを前に、私の脳はすでにあらゆる準備を始めていた。


ネット上のデータベースをクロールし、「双星の試練」に関する断片的な情報を収集。データマイニングによってリークされた、出現モンスターのパラメータを分析する。Kiteのクラス『スペルブレード』のスキルツリーを再確認し、彼の長所と短所をリストアップ。それに基づき、私自身の装備とスキルビルドを、デュオ(二人組)戦闘に最適化する。


まるで重要な試験に臨むかのように、私は論理とデータで自らを武装していた。

そう。これは、ただのゲームだ。勝利条件と最適解が明確に存在する、シミュレーション。

そう自分に言い聞かせているのに、時折、昨夜感じた胸の奥の奇妙なざわめき――あの「バグ」が再発しそうになり、私はその思考を強制的にシャットダウンした。原因不明のノイズは、タスク遂行の妨げになるだけだ。


夜になり、約束の時間にログインする。

待ち合わせ場所は、ダンジョンの入り口に近い「古の星見の丘」。Kiteはすでに到着していて、月光の下で私を待っていた。


「やあ、Luna。待ってたよ」


彼は普段と変わらない、太陽みたいな笑顔を向けてくる。

なぜか、その笑顔を直視できず、私は無意識に視線を逸らした。これも、新たなバグだろうか。


「さあ、行こうか。俺たちの最初の秘密の特訓に」


彼の言葉には妙な熱がこもっている。まるで、これから始まるのが、ただのダンジョン攻略ではないとでも言うように。

彼はアイテムウィンドウを開くと、一つのアイテムを私にトレードしてきた。


「これ、今日の分。良かったら使ってくれ」


渡されたのは、『星屑のハニーパイ』。30分間、攻撃力と防御力をわずかに上昇させる、手作りの料理アイテムだった。


(事前に消耗品を準備し、パーティメンバーに配布する。リーダーとして合理的な判断だ)


私はそう分析し、「どうも」とだけチャットで返して、パイをインベントリに収納した。

彼が「俺が君のために、心を込めて作ったんだぜ!」なんて、ボイスチャットで言っているのが聞こえたけれど、それはおそらく、アイテムのフレーバーテキストのようなものだろうと自己完結させた。


「双星の試練」の内部は、星空を閉じ込めたような、幻想的な空間だった。

最初の関門にいたのは、二体のガーディアン。紅蓮に輝く「ソル・ゴーレム」と、蒼氷に輝く「ルナ・ゴーレム」。


「よし、Luna!俺が赤いのを引き受ける!君は青いのを頼む!二人の絆の力、見せてやろうぜ!」


Kiteが勇ましく剣を抜き、突撃していく。

私は彼の言葉を、即座に最適な戦闘プランへと翻訳した。


(絆の力…非効率的な表現だ。要するに、二体のゴーレムはHPがリンクしており、同時に倒さなければ無限に再生するギミック。ソル・ゴーレムは物理耐性が高く、ルナ・ゴーレムは魔法耐性が高い。Kiteさんの攻撃は物理寄りだから、私がルナ・ゴーレムのヘイトを完全に固定しつつ、ソル・ゴーレムに防御デバフを付与し続けるのが最適解)


私の思考は、水を得た魚のようにクリアになる。これだ。この感覚だ。

複雑なパズルを解くような、絶対的なロジックの世界。


私はチャットウィンドウに、最短の指示を打ち込む。

>Kiteさん。ソルに防御デバフ。効果時間15秒。

>ルナは私が固定。


Kiteは私の意図を即座に理解したようだった。

「さすがだな、Luna!わかってる!」


戦闘が始まると、そこは私の独壇場だった。

Kiteが派手な剣技でソル・ゴーレムを攻撃する傍ら、私はルナ・ゴーレムの攻撃を完璧にいなし続ける。それだけではない。Kiteが攻撃に集中できるよう、二体のゴーレムの位置を常に調整し、彼が敵の範囲攻撃に巻き込まれないよう誘導する。まるで、精密機械の部品が組み合わさるように、私たちの動きは完璧にシンクロしていった。


もちろん、彼が私の意図を「読んで」いるわけではない。私が彼の思考と行動パターンを「予測」しているだけだ。


数分後、二体のゴーレムは光の粒子となって砕け散った。

完璧な勝利。私は小さく息をついた。


「ははっ…すごいな、Luna!まるで、君が俺の心を読んでるみたいだった!」


Kiteが興奮した様子で、私のアバターのすぐそばまで駆け寄ってくる。

その距離、約50センチ。VR空間において、それは「パーソナルスペースの侵害」を意味する距離だ。


「やっぱり、君は最高のパートナーだ!」


屈託のない笑顔。賞賛の言葉。

その瞬間、私のシステムに、これまでで最大の負荷がかかった。


ドクンッ!


現実世界の私の心臓が、大きく跳ねる。

視界がぐらつき、思考が真っ白に染まる。何かの処理が暴走している。熱い。顔が、耳が、燃えるように熱い。


(エラー。エラー。致命的なシステムエラー発生。原因不明。応答不能…!)


私のアバターは、彼の言葉に何も返せず、氷のように固まってしまった。

この異常事態を隠蔽するため、私が必死の思いで実行できた唯一のコマンドは――彼に背を向け、ダンジョンの奥へと無言で歩き出すことだけだった。


「…あ、おい、Luna!待ってくれよ!」


後ろから聞こえてくるKiteの楽しそうな声。

「はは、照れてるのか?可愛いところあるじゃないか!」


(違う…これは、そういう感情的で非論理的なものでは、断じて、ない…!)


私は内心で叫びながら、歩みを速めた。

このバグは、明らかに悪化している。ダンジョン攻略というメインタスクと並行して、私はこの原因不明のバグの特定と修正という、新たな最優先事項を抱えることになったのだった。

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