第二話:姫騎士様は理解できない
『Kite』――。
個人チャットの通知ウィンドウに表示されたその名前に、私の思考はコンマ数秒、フリーズした。ギルドマスターからの、個人宛の通信。これは、予測していなかったイレギュラーなイベントだ。
(原因の特定を開始。仮説を構築する)
私の脳内が、デバッグモードに切り替わる。
仮説1:私のプレイスタイルに対する、個人的な指導、あるいは苦言。
→棄却。私のタンクとしての各種パラメータ、ヘイト管理、被ダメージ率、いずれもギルド内でトップ。客観的データにおいて、指導を受ける理由が存在しない。
仮説2:プライベートな問題の相談。
→棄却。私と彼を繋ぐ接点は『アストラル・フロンティア』というアプリケーション上のみ。リアルでのコンタクトはない。彼が私に個人的な悩みを打ち明ける論理的基盤がない。
仮説3:他のメンバーに聞かれたくない、ギルドの機密事項の共有。
→可能性:高。次期アップデート、あるいは対人戦イベントに向けた、競合ギルドに関する内密な戦略会議か。
(結論:これはギルドの利益に関わる重要度の高いタスク。応答しないという選択肢は、非効率的だ)
僅か数秒の思考を経て、私はチャットウィンドウに指を伸ばす。入力する文字は、常に最短で意図が伝わるものを選ぶ。
「場所は」
すぐに返信が来た。
『ギルドハウスの月見台に来てくれるかな。今、誰もいないから』
月見台。ギルドハウス最上階のバルコニー。仕様としては「低トラフィックエリア、遮蔽物なし、プライベート会話に適した空間」と認識している。他のプレイヤーが言うところの「デートスポット」という付加価値情報は、私にとってはノイズだ。
指定された場所へ移動すると、Kiteはすでにそこにいた。
夜空に浮かぶ二つの月を背景に、彼は私を認めると、快活な笑みを浮かべる。彼の charisma(魅力)パラメータは、明らかに高い。
「急に呼び出してごめん。でも、どうしても君の口から直接、同意が欲しかったんだ」
「……用件を」
私はいつも通り、無表情のアバターで、最短の言葉を返す。Kiteは苦笑しつつも、すぐに本題に入った。
「次のアップデートで、二人一組でしか挑戦できない『双星の試練』が実装されるのは知ってるね?」
「はい。情報は確認済みです」
やはり、アップデート関連の話か。私の予測通りだ。
「俺は、あのダンジョンのサーバー初クリア(サーバーファースト)を狙いたい。そして、そのためのパートナーとして……俺は、Luna。君を指名したいんだ」
彼の真剣な眼差しが、私のアバターをまっすぐに射抜く。
「俺と君。この二人が組めば、誰にも負けない最強のペアになれる。そう信じてる」
(彼のクラス『スペルブレード』は、サーバー最強クラスの瞬間火力を誇るが、防御性能は極端に低い。一方、私の『ガーディアン』は、単一ターゲットへのヘイト固定能力と防御性能に特化している。確かに、この二つのクラスの組み合わせは、ボス攻略において理論上の最適解の一つ。彼の判断は正しい)
私の思考は、彼の言葉を冷静に分析していく。
「この挑戦は、俺たち二人だけの秘密にしたい。ギルドのみんなを驚かせたいからね。君と俺だけの、秘密の特訓だ」
(情報漏洩による、他ギルドの戦略模倣を防ぐための措置。これもまた、合理的な判断だ)
「このダンジョンは、今まで以上に二人の『絆』が試されるらしい。お互いの動きを予測して、完璧にシンクロしなきゃいけない。君となら、それができると思うんだ」
(『絆』…おそらくは、スキル発動のタイミングや連携スキルの精度を指すゲーム用語だろう。互いのスキルリキャストを把握し、行動を最適化する必要がある。高度なプレイヤースキルが要求されるが、不可能ではない)
彼の提案の全てを、私の思考フィルターが解析していく。
メリット:サーバーファーストの称号、最高ランクの限定報酬、ギルドへの貢献。
デメリット:特になし。
導き出される答えは、一つしかない。
私はKiteに向き直り、静かに、しかしはっきりとチャットウィンドウに打ち込んだ。
「承諾します。それが最適解です」
その返事を見た瞬間、Kiteの表情が太陽のように輝いた。
「ははっ、君らしい返事だ! ありがとう、Luna! これからよろしくな、俺だけのパートナー!」
彼の嬉しそうな声。
その声に、私のアバターの心が動くことはない。
……はずだった。
ログアウトしてVRヘッドセットを外す。今日のタスクは全て完了した。
なのに、胸の奥に、奇妙な感覚が残っている。
Kiteの最後の笑顔を思い出した瞬間、心臓の鼓動が、ほんの少しだけ速くなった気がした。
「……なんだ? 高難易度コンテンツへの期待感による、アドレナリンの正常な分泌か?」
私は、自分の身に起きた小さな異変を、冷静に分析しようと試みる。
それが、私の完璧に構築された日常に初めて生じた「原因不明のバグ」であり、これから始まる非効率で、非論理的で、そしてどうしようもなく輝かしい日々の、ほんの小さな予兆であることに、今の私はまだ、気づいていなかった。




