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第十五話:姫騎士様はリアルレイドに挑む

九月七日、日曜日。

大学の後期が始まってから、初めて迎える週末。平日の講義と課題に追われる日々に、少しだけ慣れてきた頃。

私の、人生で最も難易度の高いリアルクエスト――ギルド《ヘリオドール》第一回オフラインミーティング――の決行日だった。


前日の夜、私は眠れなかった。

目を閉じれば、月曜日提出のレポートのことよりも、これから会うギルドメンバーたちの顔が浮かんでくる。いや、アバターの顔しか知らないのだから、想像するしかないのだけれど。

Mikanさんは、きっとゲームの中みたいに、キラキラしていて可愛いんだろうな。

Zephyrことリョウくんは、私を「姫」なんて呼ぶくらいだから、きっと純粋な年下の男の子なんだろう。

Golemことダイチさんは、あの岩みたいなアバターだから、きっと、すごく強面の人だったらどうしよう…。

そして、その輪の中に、私が、月城静音が、立っている。

伝説の守護騎士Lunaと、現実の地味な大学生である私。そのあまりのギャップに、みんながっかりするんじゃないか。陽介さんの隣に立つには、不釣り合いだって、そう思われたら…。


「うぅ…」


ベッドの上で、頭を抱えてうめく。

陽介さんは、あんなに優しく「わがままかな?」なんて言ってくれた。彼のあの顔を思い出したら、もう「行かない」なんて選択肢は、私の中には存在しなかった。

でも、怖い。怖いものは、怖い。


(落ち着け、月城静音。これはクエストだ)


私は、思考を強制的に切り替える。

クエスト名:『ギルドオフ会・BBQ編』

勝利条件:一日を無事に生き延び、かつ、陽介さんに「来てくれて良かった」と心から思ってもらうこと。

敗北条件:コミュニケーションエラーによりフリーズ、あるいは参加者に幻滅されること。


(そうだ。クエストだと思えばいい。なら、まずは、最適な装備を整えることからだ)


私は、ガバッとベッドから起き上がった。

クローゼットを開き、まずは服装の選定から始める。Mikanさんからは、前日に『ルナちゃんは、可愛いワンピースとか似合いそう!』なんてメッセージが来ていたけれど、即座に却下した。

今日のミッションは、BBQ。可燃性の高い衣服や、動きにくいスカートは、効率的ではない。私はネットで「BBQ 女子 服装 注意点」と検索し、最適なソリューションを導き出した。

動きやすいジーンズに、汚れても目立たないネイビーのTシャツ。靴は、不整地でも安定するスニーカー。完璧だ。これなら、どんな不測の事態にも対応できる。


次に、持ち物の準備。

私のバッグの中は、お洒落なポーチではなく、機能的なガジェットで満たされていく。

汗を拭くためのシート、虫除けスプレー、火傷した時用の絆創膏、熱中症対策の塩飴、そして、煙から目を守るための、少し度の入った眼鏡。

よし。これで物理的な防御は完璧だ。問題は、精神的な防御だけ…。


集合時間は、午前十時に駅前。

もちろん、私は十分前には到着していた。心臓が、まるでドラムみたいに、ドクドクと音を立てている。

すると、遠くから、聞き慣れた、でも今は一番聞きたい声がした。


「静音ちゃん!」


振り向くと、陽介さんが、少しだけ心配そうな顔で、でも、いつもの太陽みたいな笑顔で、手を振っていた。

彼の姿を見ただけで、張り詰めていた心が、少しだけ、ほんの少しだけ、和らいだ。


「おはよう。…早いな」

「…おはよう、ございます。遅れると、ご迷惑かと…」

「ははっ、真面目だなあ。そういうとこ、好きだよ」


さらりと言われた言葉に、心臓がまた大きく跳ねる。もう、このバグ…ううん、この新しい仕様には、少しずつ慣れていかなければ。


「あ、みんな来たみたいだぞ」


陽介さんが指差す方に、数人の男女が集まってくるのが見えた。

私の心臓が、再び最大級の警報を鳴らし始める。


「おっはよー!ギルマス、ルナちゃん!二人とも早いねー!」

最初に駆け寄ってきたのは、想像通り、キラキラしたオーラを放つ、おしゃれな女の子。Mikanさんだ。彼女は、私を見るなり、ぎゅっと抱きついてきた。

「うわー!リアルルナちゃん、ちっちゃくて可愛いー!」

「あ、あの…」

「よろしくね、静音ちゃん!下の名前で呼んじゃうから!」

コ、コミュニケーション能力のパラメータが、カンストしている…。


「あ、あの…Luna姫…ですよね…?」

おずおずと声をかけてきたのは、少し年下に見える、人懐っこそうな男の子。リョウくんだ。

「は、はじめまして!Zephyrです!いつも、お世話になっております!」

彼は、深々と、九十度のお辞儀をした。あまりの勢いに、私の方が恐縮してしまう。


「…どうも。Golemです。…ダイチ、です」

最後に、大きな影が私を覆った。見上げると、そこに立っていたのは、強面とは程遠い、穏やかで優しそうな、熊さんみたいな大柄な男性だった。彼が、ダイチさん…。

「いつも、守ってくれて、ありがとうございます…」

はにかむように笑う彼に、私は、ゲームの中の、あの岩みたいなアバターとのギャップで、頭が少しクラクラした。


こうして、私の、人生初のリアルレイドクエストは、幕を開けた。



キャンプ場に着き、BBQの準備が始まる。

しかし、その現場は、混乱を極めていた。


「ねえ、この炭、どうやって火つけるのー?」

「Zephyr!お前、肉ばっかり出してないで、野菜も切れ!」

「えー、だって、俺、肉派なんで!」

「ダイチさーん、そのテーブル、そっちじゃないですー!」


陽介さんがリーダーとして、なんとか場をまとめようとしているけれど、楽しさが先行してみんなが好き勝手に動いているせいで、全く効率的ではない。

私は、その光景を、ただ呆然と眺めていた。

(ダメだ…このままでは、食材を準備するだけで、一時間以上のロスが発生する…!)


私の、心の奥底で眠っていた「効率厨」の魂が、静かに目を覚ます。

もう、見ていられない。

私は、おずおずと、しかし、確かな足取りで、火起こしに苦戦しているリョウくんの元へ歩み寄った。


「…あの。炭の組み方が、それだと、空気の通り道がなくて、火が安定しません」

「え? あ、は、はい!Luna姫!」

「井桁型に組んで、着火剤は、その中心に置いてください。あと、うちわで扇ぐのは、火が大きくなってからです。今は、空気を送るだけで…」


私は、無意識のうちに、最適解を口にしていた。

次に、野菜の準備が滞っているMikanさんの元へ。


「Mikanさん。野菜は、ニンジンとか、火の通りにくいものから、先に切って準備した方が、焼き時間のロスが減ります。ピーマンとかは、後で大丈夫です」

「へ、へえ!そうなんだ!詳しいね、静音ちゃん!」


「ダイチさん。そのテーブルの配置だと、動線が交錯して、危険です。コンロを中心に、食材エリアと、食器エリアを、明確に分けた方が、安全かつ効率的です」

「は、はい!なるほど…!」


私は、ほとんど無意識のうちに、全員にタスクを割り振り、指示を出していた。

リョウくんには肉の開封と串打ちを。Mikanさんには食器の準備と野菜の下ごしらえを。ダイチさんには力仕事である機材の設置を。

そして、全員が、私のその指示に、なぜか、素直に従っていく。

あれほど混沌としていたBBQの準備が、まるで熟練のパーティがダンジョンを攻略するように、スムーズに進んでいく。


その光景を、陽介さんが、口を半開きにして、ぽかんと眺めていた。

私が、ふと彼と目が合うと、彼は、こらえきれないといった様子で、ぷっと吹き出した。

そして、私の耳元にやってくると、楽しそうに囁いた。


「…司令官モード、漏れ出てるぞ。静音ちゃん」


その一言で、私は、自分が何をしたのか、ようやく自覚した。

顔から、火が出るかと思った。

「あ、あの、私、でしゃばったことを…!すみません…!」


「ううん、全然。むしろ、最高だよ」

彼は、本当に嬉しそうに、私の頭を、くしゃっと撫でた。

「すごいな、静音は。やっぱり、俺の自慢のパートナーだ」


その言葉と、頭に残る彼の手の感触で、私の思考回路は、幸せな悲鳴を上げて、完全にショートした。



BBQは、私の完璧な段取りのおかげ(?)で、大成功に終わった。

みんな、お腹いっぱいになって、楽しそうに談笑している。

その輪から、少しだけ離れて、私は川のせせらぎを眺めていた。

自分のタスクは、もう終わった。でも、これから、どうやってみんなと話せばいいんだろう。そう思っていたら、隣に、すっと陽介さんが座った。


「ほら」

彼が差し出してくれたのは、冷たいお茶のペットボトルだった。

「ありがとう、ございます…」

「すごかったな、さっき。みんな、感心してたぞ。『姫は、リアルでも司令官だった…』って」

「…からかわないで、ください」

「はは、ごめんごめん。でも、本当だよ。俺、すごく誇らしかったんだ。俺の彼女、すごいだろって、みんなに自慢したくなった」


彼女、という言葉。自慢、という言葉。

その一つ一つが、私の心に、温かい光を灯していく。

ゲームの中のLunaじゃなくても。現実の、ただの月城静音でも。

彼は、私を、ちゃんと見て、認めてくれている。


「来てくれて、本当にありがとうな、静音。勇気、いっただろ」

「…陽介さんが、来てほしいって、言ったから…」

「うん。…そっか」


彼は、それだけ言うと、嬉しそうに、少しだけ、私の方に肩を寄せた。

その、わずかな距離が、私の心を、幸せでいっぱいにした。


帰り道。

Mikanさんに、半ば強引に連絡先を交換させられ、リョウくんには「これからも、一生ついていきます、司令官!」と涙ながらに言われ、ダイチさんには、自家製だという、可愛いお花のクッキーをもらった。


陽介さんと二人きりになった、駅までの道。

彼は、私の少し前を歩きながら、不意に、振り向いて言った。


「なあ、静音。次は、二人だけで、どこか行かないか?」


その笑顔は、ゲームの中のKiteよりも、ずっと、ずっと、眩しかった。

私は、夕暮れの茜色に染まる空の下で、声にならない声で、でも、精一杯の気持ちを込めて、小さく、頷いた。


リアルレイドクエストは、大成功。

そして、私の次のクエストが、もう、始まろうとしていた。

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