第十四話:姫騎士様は次のクエストに怯える
九月一日、月曜日。
夏休みが終わり、大学の後期が始まる日。今日の空は、昨日よりも少しだけ高く、青く見えた。
駅に向かう道すがら、私は昨日のことを、何度も何度も頭の中で再生していた。
初めて繋いだ、彼の手の温かさ。
「俺の、彼女ですって」と言ってくれた時の、少し照れたような、でも真っ直ぐな瞳。
思い出すだけで、顔に熱が集まって、胸の奥がきゅっと甘く痛む。
これが、恋をしている、ということなんだ。
昨日までの私とは、世界の解像度が、まるで違って見えている。
講義の合間にスマホをチェックすると、メッセージアプリに一件の通知。
送り主は、昨日、私が連絡先を登録したばかりの名前――『天宮 陽介』さん。
`>おはよう、静音ちゃん。大学、頑張ってな。`
たったそれだけの、短い文章。
なのに、私の心臓は、まるで緊急クエストの発生アラートみたいに、大きく音を立てた。
指が、震える。なんて返事をすればいい?
十分近くも悩んだ末に、『陽介さんも、お仕事頑張ってください』とだけ、どうにか返信した。
その日の夜。
私は、少しだけ緊張しながら、『アスタル・フロンティア』にログインした。
現実で会ってから、初めてゲームの中で彼と会う。どんな顔をすればいいんだろう。アバターの表情は変わらないのに、そんなことを考えてしまう。
いつものダンジョン前の待ち合わせ場所に行くと、Kiteさんはすでに待っていた。
彼のアバターの姿を見ただけで、現実の陽介さんの笑顔が重なって、また胸がドキドキする。
`Kite: >昨日、楽しかったな。ありがとう、静音ちゃん。`
彼からのプライベートチャット。
その言葉に、私は、現実の部屋で一人、顔を真っ赤にしながら返信を打った。
`Luna: >私も、楽しかったです。陽介さん。`
ゲームの中で、初めて彼の名前を呼んだ。
たったそれだけで、私たち二人の間の空気が、昨日までとは全く違う、甘くて、少しだけくすぐったいものに変わったのが分かった。
これから始まる、二人だけの秘密の特訓。
そう思っていた、その時だった。
【GUILD】[Mikan]: みんなー!ちょっと聞いてー!重大発表!
【GUILD】[Mikan]: なんと!我らがギルマスと、我らがLuna姫様が!リアルでカップルになりましたー!どんどんどんぱふぱふー!
Mikanさんの爆弾発言で、ギルドチャットが一瞬にして爆発した。
【GUILD】[Kite]: おい!みかん!お前なんでそれを!
【GUILD】[Zephyr]: な、なんですとー!?Luna姫がギルマスの彼女に!?おめでとうございます!…おめでとうございます(血涙)
【GUILD】[Golem]: それは…めでたいな。
祝福と、リョウくんの悲鳴と、ゴーレムさんののんびりしたコメントで、チャットログがすさまじい速度で流れていく。
私は、あまりの羞恥に、アバターごとフリーズしてしまった。
そして、Mikanさんが、とどめの一言を放った。
【GUILD】[Mikan]: というわけで!二人のお祝いと、ギルドの結束を深めるために!第一回!ギルド《ヘリオドール》オフラインミーティングを開催しまーす!今度の週末、キャンプ場でBBQとかどうかな!?
オフライン、ミーティング。
その文字列を見た瞬間、私の幸せな世界は、音を立てて崩れ去った。
(オフ会…? ギルドの、みんなと…? 無理無理無理無理…!)
私の思考回路が、警報を鳴らす。
ゲームの中では、私は完璧な守護騎士Luna。でも、現実の私は、ただの月城静音だ。口下手で、人見知りで、取り柄なんて何もない。
みんな、がっかりするに決まってる。幻滅されるに決まってる。
リョウくんの、あの純粋な憧れの目を、裏切ってしまう。
`Kite: >静音ちゃん、大丈夫か?`
パニックになっている私を察して、陽介さんがプライベートチャットをくれた。
彼の優しさが、今は痛い。
`Kite: >無理しなくていいんだ。静音ちゃんが、そういうのが苦手だって、分かってるから。`
分かってくれている。分かってくれているからこそ、断るのが辛い。
私が断れば、きっと彼は、私のために、この楽しそうな企画を中止させてしまうだろう。ギルドのみんなを、がっかりさせてしまう。
私のせいで。
`Kite: >でもな…。`
彼のチャットが、続く。
`Kite: >俺、静音ちゃんのこと、みんなに紹介したいんだ。俺の大切な仲間たちに、俺の一番大切な人を知ってほしい。…わがままかな?`
その言葉は、どんなスキル攻撃よりも、私の心を貫いた。
一番、大切な人。
彼の、その一言が、私の恐怖と、不安と、羞恥心を、全部まとめて、ぐちゃぐちゃにかき混ぜていく。
怖い。みんなに会うのは、本当に怖い。
でも。
彼の、そんなに嬉しそうな、少しだけ誇らしそうな、その気持ちを、私が踏みにじってしまっていいのだろうか。
私は、返信ウィンドウを開き、点滅するカーソルを、ただ、じっと見つめていた。
夏休み明けの、最初のクエスト。
それは、あまりにも難易度の高い、選択肢だった。




