第十話:姫騎士様は接続を要求する
Discordの白い画面に、点滅するカーソル。
それはまるで、私の心臓の鼓動と同期しているかのようだった。
宛先は『Kite』。
Mikanさんとの通話を終えてから、私は何を入力すべきか、ずっと考え続けていた。
謝罪の言葉? 弁解の言葉? どちらも違う気がする。
今の私に必要なのは、感情的なノイズをできるだけ排除した、純粋な「事実」と「意志」の伝達だ。
私は、ゆっくりと、一文字ずつ、キーボードを叩いていった。
>Kiteさん
>先日の件、私の論理にエラーがありました
>原因の再分析と、デバッグのため、もう一度、あなたと話がしたい
>今夜22時。いつもの場所で待っています
送信ボタンを押す指が、わずかに震える。
返信は、期待していなかった。一方的に接続を切った私に、彼が応答する義務はない。
それでも、私は伝えなければならなかった。これが、今の私にできる、唯一の正しい手順だと信じて。
メッセージを送った後、私は久しぶりにVRヘッドセットを装着した。
ログイン先は、『アストラル・フロンティア』。
ギルドハウスを避け、まっすぐに向かったのは、Kiteと初めて二人で話した場所――月見台。
約束の時間まで、まだ数時間ある。彼が来る保証はない。
それでも、私はここで待つと決めた。
月見台から見える夜景は、いつもと変わらず美しかった。
二つの月が、静かに街を照らしている。
私は手すりに寄りかかり、ただ、ぼんやりと時間を過ごした。
これまでの出来事を、ゆっくりと反芻する。
彼のパートナーに選ばれた日のこと。初めて一緒にダンジョンに潜った日のこと。彼の正体を知って、勝手に壁を作った日のこと。そして、一方的に彼を突き放した日のこと。
私の行動は、常に「効率」と「論理」に基づいていたはずだった。
しかし、その結果が、彼と私を深く傷つけた。
だとしたら、私の計算式のどこが間違っていたのだろう。
見落としていた、最も重要なパラメータは何だったのだろう。
――その答えは、彼と向き合わなければ、見つからない。
時計の針が、22時を指す。
私の背後に、転移魔法の光が弾ける気配はなかった。
やはり、来ないか。当然だ。
そう思った時、私の胸を占めたのは、安堵ではなく、はっきりとした「痛み」だった。
彼に会えないことが、こんなにも――。
「…ごめん。待たせた」
不意に、すぐ後ろから声がした。
振り向くと、そこに、Kiteが立っていた。
いつもより、少しだけ疲れたような、でも、真剣な眼差しで、私をまっすぐに見つめている。
「…来てくれたんですね」
思わず、ボイスチャットで、か細い声が出た。マイクのミュートを、解除していたことにも気づかなかった。
「当たり前だろ」
彼は、ゆっくりと私の隣に歩いてきた。
「君からのメッセージだ。来ないわけがない」
そして、彼は言った。
「君の言う『エラー』が何なのか、俺には分からない。でも、君が一人で抱え込んで、勝手にいなくなるのは、もう許さない」
彼の声は、有無を言わせない力強さを持っていた。
「俺は、君がいいんだ。Luna。君じゃなきゃ、ダメなんだ。君のタンク性能が優れてるとか、そういう話じゃない。俺は、君とパーティを組んでいる時の、あの空気が好きなんだ。言葉がなくても、隣にいるだけで、なぜか絶対に負けないって思える。そんな相手は、君だけなんだ」
それは、私の知らないKiteだった。
いつも太陽のように明るく笑っている彼ではない。
一人の人間として、弱さも、焦りも、そして、強い意志も隠さずに、私にぶつかってきてくれる、等身大の天宮陽介の姿だった。
「だから、教えてくれ。君を悩ませている『バグ』の正体を。俺も、一緒にデバッグする。一人で無理なら、二人でやればいいだろ。俺たちは、パートナーなんだから」
パートナー。
その言葉が、私の心の奥底に、すとんと落ちてきた。
私がずっと見落としていた、最も重要なパラメータ。
それは、効率でも、論理でも、年齢や立場でもない。
ただ、隣にいる相手を「信じる」という、極めて単純で、そして最も強力な変数だったのかもしれない。
私の視界が、ゆっくりと滲んでいく。
ゲームの世界で、涙を流せるはずがないのに。
私は、初めて、自分の意志で、自分の本当の気持ちを、彼に伝える決意をした。
「…私の、エラーの正体は…」
震える声で、私は、長い間、自分自身にさえ隠してきた、バグの本当の名前を、口にした。




