第一話:姫騎士様は計算する
講義終了のチャイムが鳴る。私は、寸分の無駄もなくノートパソコンを閉じた。
今日のテーマ「計算量理論」は、悪くない。あらゆる事象を効率という名の物差しで測る私の思考回路にとって、その論理的な響きはむしろ心地よかった。
「さて、と」
誰に言うでもなく呟き、席を立つ。教室のあちこちで「この後どうする?」なんて会話が聞こえてくるけど、もちろん私には関係ない。友人との雑談、サークルの集まり。それらは全て、私の夜のメインタスクの時間を削るだけの、優先度の低いプロセスだ。
私の夕食の選択肢は常に一つ。駅前のハンバーガーショップ。
最短時間で、タスク遂行に必要なカロリーを摂取できる。完璧なソリューションだ。
コーラでポテトを胃に流し込み、自宅アパートへの帰路につく。頭の中では、すでに今夜のレイドボスの攻略シミュレーションが始まっていた。
自室のデスクチェアに深く座り、VRヘッドセットを装着する。私の、もう一つの世界へのログインシーケンス。
「リンク・スタート」
意識が光の粒子に分解され、再構築されていく。
現実の、冴えない女子大生である「私」の感覚が遠のいていく。そして、次に目を開けた時、そこにいるのは――。
白銀の長髪をなびかせ、感情の読めない碧い瞳を宿した、華奢な少女。
この銀髪碧眼の少女が、私、月城静音のもう一つの姿、『Luna』だ。
『ルナさん、こんばんはー!』
『姫、お待ちしておりました!』
ログインと同時に、所属ギルド《ヘリオドール》のチャットが賑わう。
私は、定型文として登録してある二文字、『はい』を送信する。これが最も効率的なコミュニケーションだ。
彼らは私を『姫騎士様』と呼ぶ。
口数が少なく、常に仲間を守るために最前線に立つ、健気な少女。
完全にパラメータの誤読だ。私が前に出るのは、それがタンクという役割の最適解だから。私が喋らないのは、戦闘中にチャットを打つリソースがもったいないから。ただ、それだけ。
「よし、みんな!準備はいいな!今夜も、俺たちの女神様をしっかり守るぞ!」
ボイスチャットから聞こえてくるのは、ギルドマスター《Kite》の快活な声。
彼こそが、私を「姫騎士」たらしめている最大の原因なのだが、本人は気づいていないらしい。
今夜のターゲットはレイドボス『獄炎竜アグナロク』。
眼前に迫るブレス。詠唱時間は3.5秒。私のスキル『セレスティアルウォール』のリキャストは完了済み。盾を構える角度は45度。完璧なタイミングでスキルを発動させる。
轟音と共に、灼熱の炎が私の巨大な盾に激突し、霧散していく。
『すごい、今の攻撃、HPがミリも減ってない!』
『さすがルナ様!俺たちの完璧な壁だ!』
チャットウィンドウが賞賛のログで流れていく。
(当たり前だ。敵の攻撃力9850に対して、私の防御バフ後の物理防御力は10240。ダメージが通るはずがない)
私は冷静に次の攻撃に備える。仲間が私の動きを「神業」だの「献身」だの言うけれど、私に言わせれば、ただ計算結果を実行しているに過ぎない。
激戦の末、獄炎竜は光の塵となった。チャット欄が歓喜で爆発する。
「みんな、よくやった!そしてLuna、今夜も君は最高の女神だったよ!」
Kiteからの最大級の賛辞。
私は、また定型文を返すだけ。
「GJ」
ギルドハウスに戻り、祝勝ムードの仲間たちを横目に、私はログアウトしようとする。今日のタスクは完了した。
その、瞬間だった。
ピコン、という受信音。
視界の隅に、個人チャットの通知ウィンドウが開く。
送り主の名前に、私の思考がコンマ数秒、停止する。
『Kite』――。
彼の指名手配リストには、一体何が書かれているのだろうか。
『君に、大切な話があるんだ。君にしか、頼めない話が』
計算外の事象。
それは、私の日常において、最も非効率で、最も厄介なバグを意味していた。




