2-32 辺境の地にて
今回は全て、辺境伯の貴族令嬢アンナ・カストレアの視点です。
「なんで、なんでこんなことになったのよ!お父様もお母様も酷いわ!」
見慣れた、けれど久しぶりの自室に戻り、胸のうちに渦巻く感情を吐き出します。側仕えの専属侍女のアンは、静かに私が座っているソファーの目の前のテーブルに淹れた紅茶を置くと、壁際まで下がっていました。
ハーデル王国の辺境の地、カストレア領に戻って来るまでに、王都を出てから既に4週間を過ぎていました。王都からカストレア領まではとても離れており、馬車で3週間ほど掛かるのです。しかし、それは野営をして1日で進めるだけ進んだ場合の日数。
今回私は、領地での謹慎処分を受け、学園の合同訓練後すぐに王都から領地へ戻されました。王都に戻って来て直ぐに、準備されていた馬車に乗って王都をそのままの足で出たのです。王都のカストレア邸には王都に滞在中のお兄様がいらっしゃり、私が学園の中等部に通学中はご一緒させていただいておりましたの。ですからご挨拶ぐらいは致したかったのですが、それさえもままならないまま王都を出て行きました。
王都に戻って来て直ぐにまた王都から出ることになり、1日ぐらいは休ませて頂きたいものでしたわ。
こうなったのは全部、女である私よりも美しい顔をしたリュゼのせいですわ!リュゼは私の命の恩人ですから、・・・リュゼのせいとは言い過ぎかしら?
リュゼを合同訓練の護衛として雇ったのは、確かにカストレア家です。しかし、彼は学園の生徒たちを賊の襲撃から守り、レオナード殿下とシゼルス様が攫われたことに気付き、たった1人で救出に向かったのですよ?いえ、1人ではなくズィーリオスちゃんもいましたね。
攫われたことに気付いた時の、リュゼのあの動揺具合を考えましたら、ただの一国民とは思えない反応でした。まるで家族や知り合いといった人が攫われたかのようで。
ええ、私、幼いころに誘拐されたことがありますの。お爺様に恨みがある方が主導していたようなのですが、救出されて、後日その時の様子を伺った時のお父様とお母様の反応と一緒でしたのよ。ですから、私はリュゼがレオナード殿下とシゼルス様を攫った犯人とは思えませんの。それに一緒に旅をした仲でもありますから、彼がそのようなことをする人であるはずがありません。
私は、リュゼが殿下方を助けに行っただけだと主張し、初めの頃はその流れで捜索が行われていましたが、いつの間にかリュゼが主犯として殿下方を攫ったことになっていました。理解出来ませんわ。
私や家の関連まで疑われ、リュゼとお会いする事も出来ずに王都を去ることになったのです。領地までの道中はゆっくりで、毎晩必ずどこかの街の宿で寝泊まりしました。リュゼが接触してくると思っていたようね。警備を厳重にするには街が良いという上の判断でしょう。この1か月にも及ぶ長旅は、面白いことは何もなく退屈な時間でした。
そして領地に帰って来たのは昨日の夕方頃で、先ほど改めてお父様とお母様にご挨拶に向かったのです。お父様とお母様はとても優しく、私を大事にしてくれる良い方々なのですが、リュゼのことを悪しざまに仰っていたのは酷いですわ。私は、リュゼは命の恩人で、何も悪くないと何度も申し上げましたのに。
「アン、本当にリュゼが犯人だと思います?」
壁際で静かに目を閉じて立っていたアンに声をかけると、真っ直ぐと私の目を見据えます。
「私は、彼が犯罪を犯すような人物には見えませんでした。どちらかと言えば、権力からは距離を置きたがっているようにも見えました」
アンの頭の高い所で結ばれた髪先が、私の心情を映しているように揺れています。
アンはリュゼの洋服選びに同行させた侍女です。私は、アンの人を見る目を信頼しています。ですから、アンがそのように言うのであれば、彼は悪い人間ではないということです。けれど彼が悪い人間として扱われているのが現状です。
あら?確固たる証拠もなしに、何故犯人と判断出来たのでしょう?考えれば考えるほど、リュゼが犯人と判断した原因がわからないわ。
ガタンッ。
「何者です!」
アンが大声を出し、窓側から私を庇う様に前へと位置取りました。何事かしら?
「アンナ・カストレア様にお話しがございます」
けれど、聞こえて来た声は背後からで。振り返ったそこには、壁を背後にした、全身黒づくめにフードを目深に被った男がいました。
今、私の名前を呼んだわよね。誰?
「お嬢様は私の背後に!一体どこから・・・」
驚き立ち上がった私をアンが背後に庇おうとしますが、それを制して、男に向き合います。目の前の男からは、私を害そうとする気配を感じないのよ。勿論、私の判断ミスの可能性もありますが。しかし私を害そうとするなら、私達が気付いていない時に襲い掛かれるもの。態々声をかけて姿を見せたのなら、お話ぐらいは聞いてもいいでしょう。
扉の外には護衛がいるのですが、先ほどのアンの声で入って来ないのが気になりますけど。
「しかし、お嬢様!危険です!」
「外の護衛に気付かれず、中まで入って来れる相手よ。私を害そうとする気なのであれば、もう何度もその機会はあったわ。けれど、そうではなくこの男は話がしたいと言ったのよ?だから聞くだけよ」
渋っている様ですが勢いで押し切ります。男の方を見ると、ずっと待っていてくれたようで微動だにしていません。
「我が主よりお手紙を預かっております。お返事をこの場で頂きたく存じます」
簡素に述べ、胸元から1通の手紙を取り出し、こちらに差し出してきました。受けとるために近づこうとすると、アンに遮られてしまいました。これぐらいは制限させてもらうということでしょう。アンが男から受け取った手紙を開封し、危険物が無いことを確認してから手渡してくれます。差出人の名前が記されていませんわ。中に書いてあるのかしら?
リュゼについての話を聞きたい。
要約するとそういう内容でした。しかし、中にも差出人の名はありませんわ。一体誰からのお手紙なのでしょう。紙質は最高級の物で、字もとても綺麗な達筆です。相手がかなりの地位についており、資産を有している方だとお見受けします。けれど・・・。
「どなたからか存じませんが、名も名乗らない礼儀知らずの見知らぬ相手に渡す情報など、私は持ち合わせておりませんの。貴方の主という方にそのように伝えて頂戴」
返答はそれだけだと、手を振って帰るように伝えます。頂いた手紙を投げ返しながら。それを見て聞いた男が、とても不機嫌そうに手紙を拾い頭を下げる。
「では」
短く、それだけを声にして発した後、一瞬でいなくなってしまいました。どこから入って、どのように出て行ったのでしょう?
「お嬢様!危ないことはしないで下さい!ただでさえ今は、少しのことで揚げ足を取ろうとする相手がたくさんいるのですから。分かってますか!?」
「わ、分かってるわよ」
男が消えた直後、アンが食いつくように迫って来る。お爺様の敵は私達カストレア家の敵でもありますので、少なからずカストレア家を良く思っていない家が、カストレアの失墜を望んでいるのです。今回の事件を利用して、カストレアを引きずり降ろそうと画策していると耳にしています。その為、アンはピリピリしているのでしょう。
私もそれを知っているからこそ、今回のお相手からの接触を拒みました。弱みを付けこまれては堪りませんからね。ただ、それなら手紙を受けとらずにいるべきかと思いましたが、こんな辺境の地では王都の情報があまり入ってきません。何かしら情報があるかと期待して受け取ったのですが、特に情報もなく突き返す形としたのですよ、アン。
リュゼという命の恩人の情報を簡単に教えては、カストレアの名に泥を塗る行為ですもの。信頼出来る相手であると確信出来ない限り、何人たりともお教えする気はありませんわ。




