9 世界樹の実
「あの……ここはどこですか?」
ベッドに半身だけ起こした女の子がアベルに問いかけた。
替えの寝間着を持って来たアベルが、顔に喜びを浮かべて返事した。
「よかった、気がついたんだね。ここはナギア高地の上にある草原、そこに建てたボクの家だよ」
そこで、あっと気がついて、慌てて付け加えた。
「ボクの名前はアベル。イーストエンド村のアベル。君は?」
女の子は、折り目正しく礼をして、
「ハイエルフの……」
そこで、わずかに言葉に迷い、心を決めるように言った。
「キサラと申します。助けて下さって、ありがとうございました」
アベルは、その所作を見て驚いた。
この子は……いいえ、この人は、大きななにかを背負っている。そしてなにがあっても胸を張って堂々と真っ直ぐに立ち向かって行かなくてはならない人だ。
……王者。
深い敬意を感じ、自然と跪きそうになるのを、名乗りを聞いて止めた。
平伏を望まれていない。
「キサラだね、よろしく。どういたしまして」
平静を保って普通に語りかけることに成功した。
「凄いケガしてたね。なにがあったの?」
「ええ、少し……」
キサラは辛そうに、言いにくそうに言いよどんだ。
アベルは焦って言った。
「言いたくなかったら、無理に言わなくていいよ。そうだ! なにか食べられる? この3日、ろくなもの食べてないんだから、なにか食べた方がいいよ。食べたいものはなに?」
キサラは戸惑い、遠慮するようにうつむいた。
ポツリと、キサラが呟いた。
その言葉は、思わずと言ったものでキサラの意思ではなかったみたいで、すぐに謝って取り消したが、アベルが無理に拾い上げた。
「世界樹の実だね。ちょっと待ってて」
○
ようやく意識がはっきりと目覚めた。
小さいが清潔な光溢れる部屋。そこのベッドで半身だけ起こした。
あの人は居ない。
少しだけ不安になった時、ドアが開いて着替えを持ったあの人が入って来た。
私を見て、嬉しそうに微笑む。
胸がどきっとした。
まだ少し困惑している意識を落ち着けようと、状況確認をした。
簡潔な答えと、自己紹介。私も自分の名前を名乗った。
でも、自分が女王であることが言えなかった。
この人に……この人にだけは、ただのキサラで居たかった。
……私は、生まれて初めて我が儘を通した。通してしまった。
この人に頼っている。いいえ、甘えている。
そう自覚した。
なぜケガをしたのか聞かれた。答えると自分が女王であることがバレると思った。
……口が動かなかった。
アベルは、私に気を使って話題を変えてくれた。
優しさが嬉しくて涙が滲んだ。
食べたいもの?
思わず一番の好物の名前が出た。
すぐに取り消した。
アレは、もう、枯れ果てた。二度と口に出来るものではない。
本当に私は、この人に甘えている。
「世界樹の実だね、ちょっと待ってて」
え……?
信じられない応えを聞いた。
戸惑う私を残して、アベルは慌ててドアから出ていった。
ドアのすぐ向こう側。そこで気配がする。
アベルがなにかをしているのが分かる。
ドアはすぐに開かれた。
入って来たアベルは、赤い……情熱のように赤い果実を手に持っていた。
「はい、これを食べて」
手渡されたそれを、信じられないように凝視する。
少し向こう側が透けて見えるけど、匂い、手触り、質感。間違えるはずがない。
これは神すらも命の頼りとした果実……世界樹の実だ。
その時、私の中に半分だけ流れるおかあさまの血が騒いだ。
美の女神であるおかあさまの血が……。
この世界には神が実在し、明確に神の定義が存在する。
神が神である定義……それは『無から有を造り出すことが出来る』である。
半端者の私には、到底出来ないこと。
でも、この果実を見た時、確信した。
これなら私にも出来る!
「物質変換!」
私は、叫び声を上げるように呪文を唱えた。
手に持った果実が、膨大な光を放つ。
果たして……私の手には完全に実在化した世界樹の実があった。
私は、震えた。
大きな期待と少しの不安で震える声で、アベルに聞いた。
「この実は、どれくらいの数が用意出来ますか?」
私の尋常でない口調に戸惑いながら、アベルは答え……ようとして、押し黙り思案して、私の顔を上げさせた。
そして、私の瞳を覗き込む。
……心の底まで見通すような目だ。
少し怖かった。
打算も心の醜さも、汚れも、秘密も、芽吹き始めた淡い恋心も、なにもかもが裸にされて曝される。
まるで一糸纏わぬ姿で目の前に立たされたかのようだ。
私は……覚悟した。
そして、アベルに心の全てを開くように、見つめ返した。
ほんの数秒だっただろう。でも私には何時間も経ったような気がした。
アベルは、一度頷いて、微笑み、優しく笑いかけるように言った。
「う~ん、10億個以上? でも必要なら世界樹そのものも用意できるけど……?」
私は、衰弱で動かない体を無理矢理動かし、無様にベッドから転げ落ちるように、アベルの前に平伏した。
「この国を……ラピータを、お救い下さい」
「まず、キサラを救ってからね。少なくとも立っていられるだけの体力を取り戻さなきゃ」
私は、嬉しくて、正体をなくし、ただの子供に戻って、アベルの……おかあさまのように愛しい人の胸に抱かれて泣いた。私の小さな弱い心が、彼に抱き締めれることで、辛うじて壊れずに守られた気がした。
アベルに向けて、限りない感謝と愛が溢れた。




