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82 閑話 暴食の魔物討伐

○ ヴァンパイア真祖討伐の後の話です。


 深夜。


 夫婦の寝室で、妻達に埋もれて、アゼルが寝ていると、


「おなかすいた……」


 と、悲しそうに、すすり泣く子供の声がした。


 不思議と、その声を聞いたのは、アゼルだけだった。アゼルは、超反応で起き上がり、マーサが子守りをする子供部屋に行った。


「チュルチュルチュル(どうされたのですか? アゼル様)」


 スヤスヤと安らかに眠る、カレラ、オードリー、ウェンディ……そして、ビーナとタニアを見て、ホッと安心する。


「チュルチュルチュル(また、あの声ですか?)」


 マーサが淹れてくれるハーブティーを飲んで、首を縦に振る。


 そう、これが初めてでは、なかった。


 間違いなく、自分の子供の声が聞こえたのだ。これは、間違いない。親は自分の子供の声には、病的なほど、過敏に反応するものだ。


 しかし、幸せそうな顔をして眠る、カレラ、オードリー、ウェンディ、ビーナとタニアには、飢えている気配は微塵も感じない。


 今日もアゼルは、首をかしげて、寝室に戻るのだった。


 そんな時に、冒険者ギルドから、Sランクパーティー『精霊王の妻達』に、指名依頼が来た。暴食の魔物の討伐隊への参加要請だ。



 暴食の魔物とは、最も始源的な魔物のひとつである。


 魔物達は、一部の例外を除いて、みな受肉している。つまり体を持っている。それが、暴食の魔物は、体を持っていない。全てを吸い込む黒い穴のような、本当に魔物であるかも疑わしい存在。物理攻撃無効で、唯一効果があるのは、魔法だけだが、生半可な魔法ならば、吸収されて……食われてしまう。


 暴食の魔物の行動原理は、食欲である。


 底の知れない飢餓感に苦しみ、その苦痛を少しでも癒そうと、あらゆるものを丸飲みにする。


 かつて、暴食の魔物が現れた時は、真竜がブレスで消滅させるまで、人界に……それどころか魔界にまで、甚大な被害が出た。


 今回、暴食の魔物は、魔王によって統率された魔物達の誘導で、魔界から人界に向けて進行していた。魔王でさえ、暴食の魔物を支配できないのだ。


 なぜ、今回のこの危機に、王家は冒険者ギルドに討伐依頼をしたのか?


 それは、超国家組織である冒険者ギルドに、魔界に出向いてもらい、真竜を呼んで来てもらおうとしているのだ。


 もちろん、真竜が来るまでの間、魔法を使える冒険者達に参加してもらって、暴食の魔物の進行を食い止めることも期待されている。



 今回も例に漏れず、アゼルの妻達は、依頼を受ける許可を得るため、アゼルに嘆願に来た。


 アゼルが、妻達に、暴食の魔物の討伐依頼の話を聞いた時……。


「おなかすいた……」


 と、悲しそうに、すすり泣く子供の声を聞いた。


 心の琴線に触れる我が子の声が……。


「今回は、ボクも一緒に行かせて……気になることがあるんだ……」


 いつもなら、自立のため断るのだが、ヴァンパイア真祖の討伐を失敗したばかりで、心配をかけた手前、妻達は断れなかった。


「でも、アベル? 冒険者ライセンス剥奪されてなかったっけ?」


 アリスの言葉に、アゼルは、なんでもないように言った。


「法律上、冒険者のアゼルは、死んだことになってるから、初回登録で大丈夫だよ」


 今回は法律の融通が利かないところに助けられた。



 アゼルは、冒険者時代の装備を持ち出して、暴食の魔物討伐のメンバーが集まる冒険者ギルドに妻達を連れて来ていた。


 アゼルが先頭に立ち、入り口をくぐると、一斉に視線が集まる。


 それに構わず、アゼルが登録受付に行こうとすると、数人の熟練と思われる、暴力的な印象を持った冒険者達が、道を塞ぐように立ちはだかった。


「ようやく来たか……待ってたぜ『精霊王』」


「お前みたいな軟弱者に、キサラ達は不似合いなんだよ! キサラ達を賭けて勝負しろ!」


 立ちはだかる冒険者達が、一斉にアゼルに勝負を挑む。困惑するアゼルの前に出て、妻達が怒って言う。


「「「あんた達、なに勝手なこと言ってるのよ!」」」


「『精霊王のメス犬ども』は黙ってろ!」


 憧れのキサラやクレア……アイリスにイシスにエリスを独り占めにする憎きアゼルしか目に入っていない冒険者達が、キサラ達『精霊王の妻達』の、冒険者達の間で、くちさがなく言われているあだ名を口にした。


 まったく不名誉なあだ名である、人権を完全に無視している。キサラ達は、激しい怒りに感情を爆発させ、人としての尊厳を守るため、口を揃えて大声で啖呵を切った。


「「「「「わんっ(にゃん)」」」」」


 見事な啖呵である。


 これで尊厳が守られないとすれば、それは1人だけ「にゃん」と言ったアリスのせいに違いない。



「いいよ、勝負を受けよう、なにをすればいい?」


 アゼルの言葉に、冒険者達は、ニヤリと笑って、テーブルを持ち出してきた。


「シンプルに腕相撲で勝負だ」


 不敵に笑う冒険者が、アゼルを誘う。


 心配する妻達に、安心するように、笑顔を見せて、アゼルが腕捲りして、挑戦を受ける。


 勝負は一瞬で決まった。アゼルの勝ちだ。


 まるで、人と竜が腕相撲をしているかのように、アゼルは、ばったばったと、挑戦者達を、打ち負かしていく。


 妻達は、喜びの黄色い歓声を上げた。


 かっこよかったのだ、真剣な夫の顔が。


 嬉しかったのだ、自分達のために、戦ってくれる夫の気持ちが。


「俺の女は、誰にも渡さない!」


 そう言ってもらえたみたいで、心が喜びに震えた。



 真竜への救援要請は、真竜と知己のある伝説級のSランク冒険者が、向かう。他の冒険者達は、暴食の魔物の足止めだ。


 暴食の魔物の進路に陣取って、魔力の波動を同調させ、戦術級の魔法を発動させる準備をする。


 物理的な攻撃力のある冒険者達は、暴食の魔物を人界に誘導するエサである魔物の討伐だ。上手くすれば、暴食の魔物は、エサ(魔物)という誘導をなくして魔界に引き返すかもしれない。魔物の巣窟であるという危険はあるが、魔界のほうが、人界より、圧倒的に、食糧資源が豊かなのである。具体的に言おう。魔物の肉は、大量にある。その上、動物と比べて……一部の例外もあるが……圧倒的に旨いのである。だから、暴食の魔物は、魔界に居着くのである。



「来たぞ! 戦術魔法を、ぶっぱなせ!」


 リーダーの号令で、広大な草原が火の海になるほどの規模の魔法が放たれる。


 その威力の全てが、空中に浮かんだ黒い穴のような暴食の魔物に、吸い込まれる。


 おなかすいた……苦しい……助けて……!


 アゼルだけが、その声を聞いていた。


 冒険者達から、放たれる魔法が、群れとなり、豪雨のように、暴食の魔物に、降り注ぐ。


 その全てが、暴食の魔物に、吸い込まれる。


 お願い……おなかがすいて……死んじゃう……誰か……誰か!


 もうイヤ……もう……耐えられない……!


 アゼルは、まるで、愛する我が子の嘆きを聞くように、心が引き裂かれるように、辛くなった。


 なぜ、こんなに、心に響くのか?


 ボクにとって、暴食の魔物とは、なになのか?


 なぜ、ボクは、この魔物を、放っておけない!?


 なぜ?!


 そこに、山よりも巨大な竜が飛来した。そして、片手間に、ちょっと息を吐く。


 すると、目が潰れるほどの閃光が走り、見渡す限りに広がる草原を消滅させるほどの力で、暴食の魔物を凪払った。


 とっさにアリスが、熱変動無効の防御魔法を全員に展開し、巻き添えを防いだ。しかし、それは、致命傷を防いだだけだった。とっさに、アゼルと妻達は、イリスとエミリーが庇って軽傷だったが、同行した冒険者達は、命に関わる重傷を負った。


 とっさにクレアが、祈る。


 すると、多くの者が、命を取り留めた。


 なおも深い傷に苦しむ者は、エミリーとキサラが、治癒に走る。


 場は、悲惨な野戦病院のようになった。


 真竜は、悠然と飛び去り、振り向きもしない。本当に、通りすがりにため息をついただけのような感じだ。


 人など、真竜にとっては、蟻のようなものなのだろう。


「あ……あれを見ろ! 暴食の魔物だ!」


 規模は小さくなったが、確かに暴食の魔物が空中に浮かんでいた。


 暴食の魔物が、食事をしようと、冒険者達に向かってくる!


 そこには、重傷者を助けようと駆け寄っていた、キサラとエミリーの姿があった!


「「「キサラ! エミリー!」」」


 クレアとアリス、イリスの悲痛な叫び!


 その時、アゼルが、ポツリと言った。


「引き寄せ」


 突然、暴食の魔物が、忽然と消えた。


 キサラとエミリーは、キョトンとして、消えた虚空を見つめていた。


 ただ、死の大地と化した、草原に、風が静かに吹いていた。



 ここは……?


 暴食の魔物が、弱々しく呟いた。


 そこは、まるで、星空の中に飛び込んだような、空間だった。


 暴食の魔物の前に、アベルが姿を現した。


「ここは、アベルのゼロ……ボクの魂の器の空きスペースだよ」


 暴食の魔物は、周囲に視線を伸ばした。


 視線は、どこまでも果てしなく、虚空に伸びて、どこにもぶつからなかった。


 なにもない……まるで『無』じゃないか。


 呆然とする暴食の魔物。そこに、アベルが「はい」と、お菓子を手渡した。


 おずおずと手にとって、口に含み咀嚼する、暴食の魔物。


 その口の動きが、まるで、じっくり吟味するように、ゆっくりとなった。


 ゆっくり食べないと、もったいない。


 アベルのお菓子は、暴食の魔物をもって、そう思わせるほどに美味だった。


 神妙な面持ちで、お菓子を食べる暴食の魔物。


 そう、黒い穴のようだった、その姿が、小さな女の子の姿に変化していた。


 その姿を見て、アベルが訊いた。


「ねえ? 過去に未来で、会わなかった?」


 暴食の魔物……小さな女の子は「分からない」と首を振った。


「ねえ……別の質問をしていい? どうしてそんなに、お腹を空かせているの?」


 女の子は、ゆっくり食べながら答えた。


「飢えを引き受けるのが、私の選んだ生き方だったから……」


 神話以前の時代、誰もが飢えに苦しんでいた。


 それを憐れんだ1人の神が、人々の飢えを引き受けた。


 それによって、人々は、わずかに苦しみが和らいだ。


 飢えに苦しむ者は、誰もが、その神にすがり付くようになった。


 神の元に、集まった苦しみが、際限なく膨らんだ。


 神は……あまりの苦しみに、自我を失った。


 そして、ただ、食欲を満たそうとするだけの存在に成り下がったのだった。


 ただ、人々の苦しみを、少しでも和らげたかった。でも、鎮痛薬が治療薬ではないように、根本的な解決にはならなかった。


 沈痛を求められ続け、全てを奪われて、神はただの魔物に成った。


 優しいだけの神は、暴食の魔物になった。


 女の子は、泣いた。そして、悔恨の声を漏らした。


「優しいだけでは、誰も救えなかった……私の存在は、まったくのムダだった……」


 アベルは、女の子を膝に乗せ、頭を撫でて、お菓子を手渡した。


 そして、無言だった。


 女の子が、落ち着くのを待って、アベルが言った。


「俺は、優しいお前が好きだぜ?」


 少し……カッコをつけた。


 まるで、好きな女の子の気を引くように……。


 女の子は、一瞬、驚いて。呟くように言った。


「優しさが、愛の全てじゃないわ……」


 実感のこもった、深い響きのある声だった。心の底から発せられるような声だった。


「一部を失くした全てなんかないよ」


 優しさを失くした愛の全てなどない。


 みんなは、ひとりのために、ひとりはみんなのために……そうして、『全て』は成り立っている。


 アベルは、そう言って、お菓子を手渡し、優しく頭を撫でた。


「理屈っぽい」


 少し拗ねた声。


「俺は、優しいお前が好きだぜ?」


 アベルが、そう言って笑った。



「けぷっ」


 女の子が、可愛いゲップをした。


「もう、お腹、いっぱい」


 そう言って、アベルの膝から立ち上がると、光輝き出した。


「これから、どうするんだい?」


 アベルの質問に、女の子は笑顔で答えた。


「食糧を無限に吸い込んだ私は、今度は、食糧を無限に生み出す白い穴になる」


 そう言って、フワリと空中に浮かび上がり、光を放つ穴になる。


「ねえ、アベル?」


 女の子が求めた。


「優しさ以外の愛を教えてくれない?」


 アベルは快諾し、言った。


「このアベルのゼロで、一度、神としての生を終え、再び、俺の子供として生まれ変わるがいい……」


 アベルは、次の言葉に魂を込めた。


 妻達と、戯れに、もし女の子が産まれたら、つけようと言っていた名前で、暴食の魔物……小さな女の子の名前を呼んだ。


「ソユーラ」


 ソユーラと呼ばれた女の子は、満面で幸福を表現し、見る者を優しい気持ちで、うっとりと(とろ)けさせるような笑顔をして返事をした。


「はい……パパ……愛してる」


 そして、光の粒子となって、天に昇って行ったのだった。



 死の大地と化した草原で、突然消えた暴食の魔物に、冒険者達は、唖然となった。


 いくら待っても、暴食の魔物は現れず、リーダーの判断により、一度帰還し、調査隊を編成して出直すこととなった。


 暴食の魔物の討伐は、未確定のまま保留となり、不完全燃焼のまま、アゼルの妻達は、ラプアシアに帰還した。


 妻達には、いったいなにが起きたのか、まったく分からなかった。


 1人、アゼルだけが、なにか、幸せを予感する顔で、微笑んでいたのだった。

 語彙が足りない。

 言葉が足りない。

 完成度が足りない。

 うぅ……恥ずかしい。精進します。

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