8 看病
音のない真の暗闇の中……。
暖かななにかに抱かれ、唇に硬いなにかが触れて、どろりとしたものが注がれる。しかし、それは口から喉には流れず、外に吐き出された。
何度か、それが続いた後、唇に暖かな柔らかいなにかが触れて、そこから甘美な雫が流し込まれた。
最初はつっかえながら、でもすぐに貪るようにその雫を飲んだ。
すると、背と肩に刺さっていた痛みが消えた。
突然、光が世界に満ちた。
戻ってきた音が「良かった」と心の底から安堵する男の子の幼い声を耳に届けた。
その声が「もうおまえはひとりぼっちじゃないんだよ」と言ってくれたように思えて、嬉しさに身を震わせて涙をこぼした。
柔らかな光に、薄く目を開けると、光の中に優しげな男の子の顔が見える。
私は驚いた。
まるで大陸最大の魔力が溢れる井戸を、魔力を視る目で直視したかのような、魔力の輝きを視たのだ。
その輝きを最後に、安堵から意識を手放した。
眠りにありながら、時々、なぜかうっすらと意識があった。
血塗れの服は真新しい柔らかなものに交換され、その時、体の汚れはきれいに拭き取られた。
いつの間にか、丸太で組まれた小さな家の中に運び込まれ、柔らかなベッドに寝かされていた。
心地よい眠り。
どれだけの時間が過ぎただろう。
夜中に熱を出した時は、額に冷たい布があてられ……。
汗をかくと、汗を濡れた布で拭われ、真新しい柔らかな服に着替えさせてくれる。汗まみれのシーツもその時に新しいものに交換される。
うっすらと意識を取り戻し、目を合わせた時は、私を安心させるための優しい言葉がかけられ、柔らかい温かさの流動食を食べさせてくれる。
どうして、この人は、見ず知らずの私に、ここまでしてくれるのだろう。
どうしてこんなに、一生懸命、誠意を込めて……。
こういうことをしてくれる人に、私は心当たりがあった。
「おかあさま……」
もうここには居ないはずの母……。
私のそのうわ言のような呟きに、男の子は優しげに苦笑を浮かべ、
「はいはい、おかあさまですよ」
と、答えてくれる。
なぜか、その言葉に込められた心に、心の底から安心してしまった。
意識がはっきりと目覚めたのは、それから何度か昼と夜を繰り返してからだった。
○
黄金色の草原で、血塗れの女の子が倒れていた。
パニックになりそうな小さな自分の心を、ゴブリンの顔を思いだしながら奮い立たせた。
泣くのも取り乱すのも、全てが終わった後だ!
村のみんなが全員そうしてる。
友達のゴンゾもチニーも、怖くたってゴブリンに立ち向かったじゃないか!
ボクだけ逃げるなんて出来るか!
「薬、ある?!」
時の精霊に聞く。
『ない。でも、エデンズアップルシステムで造れる』
「それで、この子の命は助かる!?」
『もちろんだ』
アベルは映写機で、虚空に、万能の霊薬『エリクサー』を映し出し、擬似的に実体化させた。
少しだけ向こう側が透けて見えるガラス瓶の霊薬が現れた。
それを手に取り、女の子を抱き抱えて、口にエリクサーのビンの口を当て、中身を注ぐ。
「ダメ! 飲んでくれない」
どうすればいいのか……。
躊躇は一瞬だった。
アベルはエリクサーの中身を口に含んで、口移しで女の子に薬を飲ませた。
薬を全部、飲ませ終えると、女の子の体が光輝き、その背中から刺さった矢が抜け、傷が完全に塞がった。
アベルは女の子の表情を食い入るように見つめた。
女の子の表情が安らかになり、穏やかな呼吸が聞こえ始めた。
「良かった」
心の底からそう呟いて、アベルはその場にへたり込み、安心して今さらながらに泣き出した。
あーあ、またアリスに「泣き虫アベル」ってバカにされる。
どこか冷静な部分で、そんな益体もないことを考えていた。
○
「ねえ、家って出せる?」
『インスタントログハウスっていう道具があるよ』
そう言って、地面に模型のログハウスを置き、天辺のスイッチを押した。
すると、模型は一瞬で大きくなり、一軒のログハウスが建った。
女の子を、お姫さま抱っこして中に入る。生活用品は全て揃っているみたいだった。
服を脱がせ汚れた体を拭き、着替えさせて、ベッドに寝かせる。
それからが、看病の日々の始まりだった。
熱を出した時は、濡れタオルを額に当て、ぬるくなると小まめに交換する。
汗をかくと、汗を濡れたタオルで拭いて、服とシーツを交換する。
意識が少しでも戻った時は「もう大丈夫だよ」と言葉をかけて、草の種で作ったおかゆをスプーンですくって、口に持っていく。
女の子は、弱々しく口を開けて、それをゆっくり食べる。
まだ意識がはっきりとしていないせいか、自分で食べられないから、アベルが食べさせなくてはいけないのだ。
アリス達が病気になった時と一緒だな。
頑健なアベルは、いつも看病する側だったので、こういうことには慣れていた。
アベルは「病気? なにそれ美味しいの?」っていう人である。
それでも、病気の辛さを分かってあげることが出来るのは、生来の優しさゆえだろう。
「おかあさま……」
女の子のうわ言が聞こえた。
アベルは、出来るだけ優しく見えるように笑って、頭を優しく撫でながら、
「はいはい、おかあさまですよ」
と、声をかけた。
この時だけは、ボクは、この子のおかあさまだ。
そんな想いを言葉に込めて、うわべだけの嘘で不安を与えないように、本当の心を込めた。
女の子の意識がはっきりとしたのは、それから3日後だった。




