75 閑話 第3婦人の不倫
○ アリス達と結婚してしばらくしてからの話です。
ラプアシア領の、ある村。その道を、愚直な男ゴードンは息を切らせて走っていた。
日没時のこの時間なら、村唯一の酒場に多くの村人が居るハズだ。
ゴードンは、イーストエンド村からやってきた冒険者に聞いた話を、反芻した。
まさか……そんなことあるわけねぇ……。
とにかく、この話を、誰かに聞いて欲しかった。
灯りと、明るい笑い声の漏れる酒場に、飛び込んで叫んだ。
「アゼル様の第3婦人のアイリス様が、不倫してる!」
○
アリス達は、王家に指名手配されて追われる身であるので、アリスは『アイリス』イリスは『イシス』エミリーは『エリス』と偽名を使っていた。
○
酒場は、騒然となった。
誰もが信じられなかった。
アゼル様と、その妻達の仲の良さは、ラプアシアに住む誰もがよく知る事実だったからだ。
だが、愚かなほど素直なゴードンが嘘を言うとも、思えなかった。
「おいおい……なにかの間違いじゃないか?」
村人のひとりが、ゴードンによく冷えたビールを出してやりながら言う。
「いや、俺もそう思ったさ……でも、イーストエンド村じゃ、不倫は誰もが知る事実らしいって言うじゃないか……」
ゴードンの、その言葉に、なおも信じられないという風に言う。
「……で? アイリス様の、不倫の相手の名前は、なんて言うんだ?」
ゴードンが一息にビールを飲んでから、言った。
「イーストエンド村の、アベルって言う若造らしい……」
…………………。
酒場が、静まりかえった。
やがて、ポツポツと笑い声が漏れ、すぐに酒場全体を揺らすような、大爆笑になった。
「笑い事じゃねぇ!」
ゴードンが、顔を真っ赤にして怒る。
村人が、腹を押さえながら、何度もゴードンの肩を叩いて、笑いながら言った。
「そ……そうだな……きっと、アイリス様は、そのアベルって奴に騙されてるんだよ。そこでゴードン? ちょっとイーストエンド村まで行って、そのアベルって奴を殴って来てくれないか? ……アゼル様に、よろしくな」
村人は、そう言って、もう一度爆笑した。
ゴードンは、首をかしげながら、イーストエンド村に行く準備を始めた。
○
ゴードンは、ほぼ丸1日かけて、イーストエンド村にやって来た。
そして、身を隠しながら、第3婦人のアイリスと、不倫相手のアベルを捜した。
そして、昼メシ時……とうとう、アイリスを見つけた。
赤子である娘のウェンディを抱き、畑で若い男と談笑しながら、サンドイッチを食べている。
茂みに潜み、観察するゴードン。
ゴードンは、戸惑っていた。
アイリス様は、確かに、国を傾けるかと危惧するほどの美少女だった。
しかし、今、そこに居るアイリス様は、愛の女神かと思うほど、神々しいほど美しく輝いていたのだ。
アイリス様は、まるで最愛の人に向けるような、蕩けるような幸せな顔をしていた。
これ以上の幸せなんかないという顔だ。
食べ終わって、ふと、アベルの口にドレッシングが付いているのを見つけたアイリスが、まるでキスをするように、小さく舌を出して、自分の口で、アベルの口に付いたドレッシングを拭き取った。
間違いなく、不倫現場だ!
「アイリス様! あなたは、アゼル様という、立派な旦那を持ちながら……!」
ゴードンが、肩を怒らせて茂みから出ていく。
そこで、不倫相手のアベルから、聞き覚えのある声がかかった。
「……ゴードン? どうしてここに……?」
声の主に振り返って、ゴードンは、たまげた声を上げた。
「アゼル様! そんな若づくりして、こんなところで畑仕事なんて、どうしただか!?」
慌てすぎて、方言が出た。
そこに居たのは、紛れもなく、ラプアシア領地の民全員が敬愛する領主アゼルの姿だった……随分、若く見えるが。
アゼルは……苦笑して、説明をした。
「公にはしてないけど、別に秘密にもしてないんだが……」
アゼルの説明に、ゴードンは、再びたまげた声を上げた。
○
再び、ラプアシア領の、ある村の酒場……。
旅装のゴードンが、恥ずかしそうに、入って来た。
それを見た村人が、笑いをこらえた苦笑をして、冷えたビールを勧めて、ゴードンに言った。
「よう? アゼル様は、お元気だったか?」
「知ってたなら、先に言ってくれよ! オラ、えらい恥をかいただよ!」
「悪い悪い、まぁ、百聞は一見に如かずってやつだ。よく分かっただろう?」
「ああ……アゼル様が、同時に何人も自分が居る……神様と同じことが出来る、凄い人だってことが分かっただよ……もう、オラ、ビックリしすぎて、ヘトヘトだぁ」
そう言って、ゴードンは、ビールを受け取り、一気に飲み干した。
そして、机に突っ伏す。
「なぁ……アゼル様って、そうじゃないかと、以前から思ってたけんど……やっぱり神様だか?」
村人は、肩をすくめて言った。
「無から有を造り出すことは出来ないって、おっしゃってたぜ?」
「……つまり、それ以外のことなら、出来るってことだな?」
村人は、うなずいた。
「アゼル様の同時存在は『アベル』って呼ばれてるんだ、覚えときな。まぁ、なんだ、ドンマイ!」
酒場に、大きな明るい笑い声が満ちたのだった。
2020年10月12日 アイニスをアイリスに変更しました。




