72 閑話 エミリーと炊き出し
○ アリス達と結婚した後の、他領の貧民街に炊き出しのアウトソーシングをしていた頃の話です。
アベルと結婚したエミリー達だが、専業主婦をしている訳ではなかった。
アベルに助けを求められ、領地経営の補助をしていたのだ。
アベルが、エミリー達に言った。
「ボクには、アリスとイリスとエミリーが必要なんだ。頼む、助けてくれ」
ただ、なにもせず、アベルに養ってもらうだけなんて、絶対にイヤだったので、大歓迎で求めに応じた。
助け合ってこそ、夫婦よね……ウフフ……。
夫婦という言葉の響きに、エミリーは、によによした。
「ボクにはエミリーが必要なんだ」なんて、言ってもらえるなんて、なんて、幸せなんだろう!
愛する人に、必要とされる幸せ……ウフフフフ……。
エミリーは、幸せの笑いが止まらなかった。
○
アリスは、イーストエンド村で、魔法薬を作る仕事を。
イリスは、ラプアシア領の兵士達の教官を。
そして、エミリーは……。
「はい、ゆっくり食べるのよ?」
貧民街で、食うや食わずの生活を送る子供に、ラプアスのお粥を手渡す。
希望を感じさせない、力を持たない瞳が、わずかに揺れて、こくりと頷くように礼をした。
この街の教会と協力して、炊き出しを行って数日が経つ。
ご近所のおばさま達を巻き込んで、大分、仕組みが出来てきた。
「そろそろかな……?」
エミリーは、隣で赤子のオードリーをあやしていたアベルに頷きかける。
アベルも了承の頷きを返した。
○
「炊き出しの委託ですか?」
夜。
この街の、教会の責任者である司祭に、アウトソーシングの依頼を持ちかけた。
ラプアシア領の領主であるアゼル·ラプアシア男爵を伴って。
アゼル男爵の前で、やや緊張した風の司祭に、今度はアゼルが話を持ちかける。
「我が領地の竜教会からの依頼です。私共は、バックアップはしますが、一切、政治的な意図はありません。なお、食材はこちらから定期的にラプアスをそちらに輸送し支給します」
アゼルのその言葉に、司祭はホッとした。
「竜教会が表に立ち、後ろにラプアシア男爵が立って下さると助かります、経済的な心配がなくなります」
教会は、超国家組織であり、政治の道具にされることを忌避する。
教会は、神々の厳命により、政治ではなく、善行によって、神々の徳を積むことを行わなくてはいけないからだ。
キサラが出所の裏話になるが、神々は徳を積む行いを自分達でやらずに、自分達の信者にやらせているのだ。
効率は極端に悪いが、信者の積んだ徳が、神々に還元されるのである。
神々が、信者に神力を渡して「俺達の代わりに善いことをやって、徳を積んでくれ」って言っている。自分がやるべき仕事を部下に丸投げしている上司のようなものだ。
もっとも……積んだ徳以上の不徳を行っているが……そんな事実を知っているのは、教皇だけである。一般の信者には、知らされていない。
神々に仕える聖職者達は……金にがめついが……確かに善行を行っているからだ。
ユーフォリアの一般人は、神々を清らかな存在であると、信じて疑っていないのである。
神々も、信者に幻滅されるのを自覚していたから、決して、天界から人界には降りて来なかった。
信者に幻滅されて信仰心を失えば、神力を集めることが出来なくなるからである。
○
ユーフォリアの神は1柱だけでなく、幾柱もあるため、教会の宗派は、神々の数だけ存在する。
それだけではない。古の神々を崇める宗派もあり、竜を神の代わりに崇める宗派もある。古の神々の前の時代では、竜を神聖視していたからだ。また、獣人の国が主であるが、幾多の動物神が崇められている。エルフやドワーフなどの妖精族も、それぞれの神を崇めている。また、竜信仰以前に、精霊信仰がある。精霊信仰もまた、ユーフォリアに根強く残っているのだ。
獣人の国の動物神や、妖精族の神々、精霊の信仰を例外とするが、それら各教会を統括してまとめるのが、教皇が治める中央教会である。
なお、神々を喰い殺す竜が殺したのは人神だけであり、動物神や妖精族の神々は殺していない。そもそも、彼らは天界に住んでいないのだ。
閑話休題。
「それで、委託の費用は、これくらいでいかがですか?」
司祭が、さっそく、金銭の交渉に出る。
「いえいえ、これくらいでしょう?」
アゼルが、提示された委託費の減額を申し出る。
「いえいえ……それでは、満足な活動が出来ません……では、これくらいで?」
司祭が、少しだけ減額して、再提示する。
「いえいえいえ……それでは、あまりに……これでどうでしょう?」
アゼルの申し出で、司祭が手を打つ。
「委託を引き受けましょう」
いつものことだけど、まるで、やり手の商人同士の交渉だと、エミリーは、舌を巻いた。
○
委託の契約を済ませて、使節団の野営地に戻って来ると、エミリーがアゼルに聞いた。
「でも、意外だね」
「なにが?」
「アベルって、委託費を言い値で全額出すって言わないんだ」
エミリーの言葉に、アベルは、頬を掻いて言った。
「ラプアシアの金は、クレアと領民達が稼いでくれたものだろ? 俺が好きにしていい金なんか、1銭もないよ」
「そんなことないと思うけどなぁ……」
エミリーが、胸に抱いたオードリーをあやしながら言う。
「もうひとつ訊いていい?」
「なんだ?」
「ラプアシアって、すでに、政治的に食糧支援を行っているよね? なぜ、教会を通して食糧支援を行っているの?」
二重になっているじゃない?
「ああ……そのことか」
アベルは、焚き火の傍に腰かけて、炎を見つめながら言った。
「なんらかの理由で、政治的なパイプが切れた時に、教会を通して食糧支援が行えるからだよ」
エミリーが驚いた。
「政治的なパイプが切れるって……そんなことがあるの?」
エミリーの言葉に、アベルは苦笑して言った。
「貴族の政治っていうのは、妖怪の化かし合いなのさ。なにが起こるか分からない」
将来、王家や貴族とケンカして、王国との友好関係が途絶えるかもしれないからな……俺は、あんまり、王家を信用していないんだ……一部を除いた貴族連中もな。ただでさえ、裕福なラプアシアだ……侵略してでも手に入れようとする権力者が、いつ、現れても不思議じゃないだろう?
エミリーは、黙ってしまった。
アベルが、そこまで考えていたとは、思ってもみなかったのだ。
「……そこまでして……食糧を支援したいのはなぜ?」
アベルは、焚き火の炎を睨み付けて言った。
「許せないからさ……」
「許せないって……誰を? 貴族? 王様?」
アベルは、首を横に振って答えた。
「子供が腹を空かせて泣いているのが許せねぇ」
そう言って、反抗期の少年のように、口を尖らせた。
子供が泣いているなんて、我慢が出来ない。だから、食糧を支援して、メシを食べさせるのだ。
普通ならば、誰もが思っていても、誰にも出来ない。
しかし、アベルには、出来てしまうのだ。裕福なラプアシア領民の生活を守った上で。
エミリーは、幼い頃を思い出していた。
アベルは、アリスを、イリスを、エミリーを養ってくれた。あの頃は、幸せだった……今もだけど。
ああ……アベルは、なにも変わっていない。
でも……途方もなく、大きくなった。
始めは家族を養っていた。でも、それがイーストエンド村に広がり、開拓民に……それが避難民に広がり、いつしかラプアシア領の外にまで広がった。
やがて、人界さえ越えて、ユーフォリア全土に広がるんじゃ……。
エミリーは、絶句して、言葉が出ずに、しばらくして、ようやく声が出た。
「愛しているのね……」
なんて、大きな愛だろう。まるでユーフォリアを包むようだ。
こんなに大きな人が、あたしの旦那さんなんだ……。
この大きな人が、一番、愛しているのが、あたし達なんだ……。
それは、愛する人が、有言実行の積み重ねで与えてくれた、疑いようのない、確信。
胸に、幸せが、いっぱいに膨らんだ。
アベルは、少し顔を赤くして、拗ねたように言った。
「エミリーもクレアも、俺を立派な人にしたいみたいだけど、騙されるなよ? 俺のは、愛じゃなくて憎しみだ。飢えを憎んでいるだけだ。本当の俺は、ただのろくでなしだ」
○
エミリーは、そこで、場違いとも思える感想を抱いていた。
俺アベル……不良アベルを、大量に頂きました! これでアリスとイリスに勝った!
最近、アベルは、素直な子供のような……エミリー達が『ボクアベル』と呼んでいる子供アベルを良く見せてくれる。
でも、好きな女の子の前で、必死に格好つけて気を引こうとするアベルも大好きだったのだ。
まるで、アベルのエミリー達に対する好きっていう心が、目に見えた気がして……。
アリスとイリスとエミリーの3人で『俺アベル発見報告会』を秘かに楽しんでいた。報告例の多い人が勝ちというルールまで作って……。なお、報告会の傍聴席には、キサラとクレアが常在している。
必死で悪ぶって見せてるのが可愛い。
悪がカッコいいなんて、思春期の少年の発想なのに。
エミリーは、幼子を見るような、慈愛の瞳で、微笑んだ。
キサラとクレアには、滅多に見せない、エミリー達にしか見せない顔……。
悪の危険な匂いが、子宮にジンジンくる。
エミリーは思った。
……でも不良アベルの次は子供アベルを見たくなるのよねぇ……。
ああ……あたし、アベルの全てが好きだ……。
「アベル……? あたしね……アベルの全てが好きだよ」
アベルは、少しだけ驚いて、すぐに素直な心を見せて返してくれた。
「ボクもエミリーの全てが好きだよ」
そう言って、屈託なく笑う。
その笑顔に、エミリーのハートが、なにかで撃ち抜かれた。
子宮が、ジンジンとしびれる。
エミリーは、ふと、なにかを思い付いて、少し、悪戯っぽく言った。
「本当かなぁ~?」
小さくクスクスと笑う。
「本当だって!」
困った風のアベルが、慌てて言う。
エミリーが、ぽふっと、アベルの胸に飛び込んで、可愛く……そして、色っぽくおねだりした。
「抱いて……好きを証明してみせて……」
不意打ちに、アベルが真っ赤になる。完全に小悪魔エミリーのペースだった。
こんなにアベルの全てを好きにさせた、責任を取ってよね。
オードリーが、そんな二人を祝うように「アウアウ」と言った。
その日の夜は、月が綺麗だった。




