7 女王キサラ
少女が、黄金色の草原を歩いていた。まだ幼女と呼ぶべき年齢の少女だ。
淡く優しい金色の髪は、真っ直ぐ腰まで流れ、強い意思を感じさせる顔は、美の神の愛娘であるかのような美貌である。その金髪に覗く耳は先が尖っていて、その特徴が少女を人間とは別の種族……エルフであることを主張していた。厳密には、神の血を引くエルフ……ハイエルフだ。
天空に最も近い草原は、清涼な風が渡り、神聖な雰囲気がある。
でも、その風が孕む匂いは、血だ。
匂いの元は、少女の背と肩に刺さった幾本もの矢。
そして、清楚でありながら高級感を持った白いドレスは、少女を命懸けで守った護衛達の血で染まっている。
少女は、かつていくつもの部族をまとめる女王だった。
しかし、束ね従える部族に、報酬である金を……それどころか、生命を維持するための食糧すら与えることが出来ずに、襲われ、奪われ、追われ、殺されかけた。
でも、その少女の瞳には、まだ諦観がない。
襲って追いたてた、かつての仲間の部族に対しての憎しみもない。まだ少女にとって、彼らは庇護し導くべき臣民であった。
不甲斐ない女王である自分の不徳が招いたもの。自業自得だと思っていたからだ。
少女が諦めない理由は、もうひとつある。
それは、古くからの友人であった精霊女王の予言があったからだ。
『ナギア高地の頂上、この天空の大地『ラピータ』の果て……この草原に未来を救う者が降り立つ』
流れる血が、歩む力を奪って行く。
それでも、民を想う女王の信念が、足を止めることはなかった。
○
その日、アベルはナギア高地の麓に来ていた。
それと同時に、村のみんなと一緒に森に採集に行っていた。
どちらも、間違いなくアベルである。
未来科学魔法道具『身代り人形』
自分が何人も同時に存在できる便利な道具だ。
身代り人形の体験は、意識を向けたり身代りを解除した時に本体に還元される。
それ以外にも、いくつか機能があるが、ここでは割愛しておく。
○
アベルは天まで届きそうな、垂直に切り立つ崖を見上げて、祈るように呟いた。
「風の精霊さん、返事して」
すると、優しいつむじ風がアベルの頬を撫でた。
『私を頼ってくれて嬉しい』
風がささやく。
なぜか副音声で(魔力いっぱいちょうだい)と聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。
精霊に渡った魔力は世界に還元され、世界が豊かになる。世界に還元された魔力は再びいくつもの命たちに力を与える。魔力はこうやって世界を循環することによって高まるからだ。ゆえに精霊達は魔力の回収に貪欲だ。
「ボクをナギア高地の上まで連れて行って」
『任せて』
ごっそりと魔力を奪い取った風の精霊が、アベルを抱き抱えて空を飛ぶ。
崖が下に向かって流れるように、上へ上へと飛んで行く。
普通なら恐怖心が沸き起こるところだろうか、しかし風の精霊に抱かれた安心感が、それをなくしていた。
たっぷりと時間をかけて、ようやく崖が途切れた。
いきなり目の前に黄金色の草原が広がった。
まるで金色の海が、どこまでも広がっているかのようだ。
「わあ!」
その絶景に、アベルは思わず歓声を上げた。
○
ラピータの東の果て。
そこに、期待した未来を救う者の姿はどこにもなかった。
……失意。
人間界に落ちる崖の手前で、少女はとうとう動けなくなった。
血を大量に失ったからか、寒気と吐き気が止まらない。
限界を超えて酷使された足は、とうとう主を裏切って、動きを止め、体重を支えることすら放棄して、その小さな体を地面に投げ捨てた。
寒かった。
凍えるような寒さに震え、それが、命の終わりを告げているようで恐ろしかった。
それよりも、なによりも怖いのは、民を残して死ぬことだ。
申し訳なかった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
何度も何度も謝った、誰も聞いていないのに。
寂しかった。悲しかった。悔しかった。
いつの間にか、泣いていた。
女王として、誰にも見せたことのない、初めての涙だった。
生まれて初めて弱気になった。
もう目も見えない。
真っ暗だ。
真の暗闇の中で、たったひとりきり。
もう耳も聞こえない。
まるで世界で、たったひとりきりになってしまったみたいだと思った。
心細くて泣いた。
ただの幼子のように泣いた。
誰か、側に居てよ。ひとりはイヤだよ……さみしいよ………。誰か…………。
知らずに助けを求めていた、誰も聞いていないのに。
「助けて……助けて下さい……」
○
草原に渡る風は清涼で神秘的。ここは間違いなく天界なのだと、アベルは思った。
そんな空気を大きく吸い込んだ時、違和感を感じた。
血生臭い……。
その時、微かな声がした。
「助けて……助けて下さい……」
アベルはびっくりして、その声の主を探すと、草に埋もれるようにして、ひとりの女の子が倒れているのを発見した。




