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68 閑話 紅茶のシフォンケーキ

○ 妻達5人との新婚生活です。


「おっ、そろそろだよ?」


 領主の執務室で仕事をしていたアゼルが、執政官であるキサラに声をかける。


 キサラは「あっ」と声をあげて、急ぎ足でサロンに向かう。



「アリス、そろそろ来てね」


 アベルが、わざわざ、畑仕事を切り上げて、魔女の大釜を掻き回して魔法薬を作っていたアリスに声をかける。


 アリスも「あっ」と声をあげて、あわててサロンに向かうための準備をして、杖を振り上げて転移の魔法を使う。



「イリス、もうすぐ準備が出来るよ」


 その声で、近衛兵士全員を相手にしていたイリスが「あっ」と声をあげて、慌ててサロンに向かう。



「エミリー、そろそろいい?」


 アベルの声に、他領の貧民街で炊き出しをしていたエミリーが「あっ」と声をあげて、転移の魔法陣を描いた絨毯を敷いて、そこに飛び乗り、ラプアシアの領主の城に転移する。


 いつもの、1日に必ず1時間取って、アベルと一緒に休んで、アベル手作りのスイーツを頂いてお茶を飲む時間……かけがえのない、貴重な時間……しかも今日は特別だった。アベルが「いい紅茶を手に入れたんだ、期待しててね」と、ホクホクとした表情で、目を輝かせて言っていたのだ。


 キサラ、アリス、イリス、エミリーは、わくわくしてサロンの自分の椅子に座って待つ。


 パティシエのアベルが、テーブルにスイーツを並べて行く。


 そこに足音が響いた。


 全員がサロンの入口に注視する。


「間に合いました!」


 入口のドアを勢いよく開いて、クレアが駆け込んで来た。肩で息をしている。


「セーフ!」


「もうっ、遅いよ」


「走って来たのかい?」


「一生懸命のクレア、可愛い!」


 キサラ達が、遅れてきたクレアを口々に歓迎する。


「息が整ったら、頂こう。クレア、少し休んで」


 パティシエアベルが、優しく声をかける。


 クレアが、深呼吸を繰り返してから、椅子に座った。隣に座っていたキサラが水差しからコップに水を注いでクレアに手渡す。


「ありがとうございます、キサラ」


 クレアは、キサラにお礼を言って、コクコクと、勢いよく水を飲み干した。



 パティシエアベルによって、テーブルに、香り高い紅茶が並べられる。


 今日のスイーツはシフォンケーキ。


 まず、キサラ達は、紅茶を一口、口に含んだ。


 途端に、香りが爆発するかのように(ふく)らんだ。


 極上の、発酵熟成された茶葉の香りが、まるで全身を包み込むように広がる。


 まるで最高級の羽毛に包まれたかのような柔らかさと暖かさを感じる。


 深い安心感に、心が落ち着いていく……。


 ああ……心が安らかになっていく……。


 キサラは、安らぎに目を細めた。


 シフォンケーキを、一口、食べる。


 途端に、紅茶の香りが、倍加した。


 煙るほどに、香りの濃度が上がった。


 ケーキに、粉にした茶葉が練り込んである!


 全身を包み込む心地よさが、まるで天に昇るかのように変化した。


 それは、天上の美味だった。


 クレアが、まるで事後のような恍惚とした表情で、うっとりとため息を吐く。


 まるで、森林浴のような爽やかさで、心が洗われるかのよう。


 アリスが、あまりにもの気持ちよさに、唸る。


 美味しすぎて、アベルに文句を言いたく……もう一度、求婚(プロポーズ)したく……なったが、その前に、まず、心ゆくまで味わった。


 イリスは、驚きに目を丸くしていた。


 イリスの好みの、ど真ん中だったのだ。


 あまりにも美味しすぎて、目が真剣になっていた。まるで真剣勝負みたいだ。味わうのに忙しそうで、無言だった。


 エミリーは、きゃあきゃあ言って、はしゃぎながら食べていた。


 美味しくて嬉しくて、心をもて余し、もうどうしょうもないといった感じだ。



 キサラ達は、あっという間に、シフォンケーキを食べ尽くし、紅茶を飲み干した。


 そして、そんな妻達を、とても嬉しそうに見守るアベルに、物悲しそうな顔を向ける。


 実に情けない顔だ。


 まるで、長時間おあずけをくらった仔犬のようだ。


「ちょっと待っててね」


 必死に笑いを(こら)えたアベルが、サロンに併設されたキッチンに引き込む。


 時間を待たず、アベルが戻ってきて、テーブルにスイーツを並べて、紅茶を置いた。


 スイーツは先程と同じシフォンケーキ。ただし、たっぷりと生クリームが、かけられてあった。


 紅茶は、ミルクで、まるでシチューのように茶葉を煮出した、ロイヤルミルクティーだった。


 ミルクの甘い香りが、サロンを満たす。


 あまりの香りの甘さに、キサラ達は、必死に(よだれ)を我慢した。


 心の奥深く……理性では到底太刀打ち出来ない、生存本能すら激しく刺激する芳醇な香り……。


「召し上がれ」


 アベルの声に、キサラ達は、まるで飛びかかるように、紅茶を飲みケーキを食べた。


「「「!」」」


 キサラ達が、声もなく目を見開く。


 紅茶の旨味が、ミルクと生クリームで、何倍にも濃くなっていたのだ。


 この紅茶って、こんなに旨かったんだ!


 さっきは、ただ、香りに包まれていた。


 爽やかさで、あっさりとした、スッキリ飲みやすい紅茶だった。


 それが、同じ茶葉なのに、飲み応えのある、コクのある旨味の奥深い濃厚な味わいに変貌していた。


 まるで、極上の料理のような重厚な味わい。


 手が止まらなかった。


 夢中でシフォンケーキを食べた。


 夢中でロイヤルミルクティーを飲んだ。


 気がつけば、ケーキも紅茶もなくなっていた。


 満足のため息を、長い時間をかけて吐いた。


 満腹する程、飲んでいないし、食べてもいない。


 でも、大満足だった。


 まるで、一流のレストランでディナーのフルコースを食べたかのような満足感だった。


 満面の笑顔でアベルを見た。


 アベルは、見たこともないような嬉しそうな顔で、キサラ達を見ていた。そして、アベルの口から言葉が(こぼ)れた。


「ありがとう」


 こっちが、ありがとうだよ!


 キサラ達が、思わず叫んだ。


 アベルが作ってくれるスイーツは、確かに、物凄く好きだけど、スイーツを食べたキサラ達を見て、アベルが見せてくれる笑顔が、なによりも好きだった。


 まるで、確かな愛の証明を見た気がして、心が幸せでいっぱいに満たされるのだ。


 心の中から、アベルに向けて、愛が溢れて止まらない。


 ふと……キサラが、自分の腕の匂いを嗅いで、モジモジしながらアベルに言った。


「ね……ねえ、アベル……今、私、すごくいい匂いだよ?」


 と、言って、首筋をさらしてアベルを誘った。


「ん……どれ……?」


 アベルが、キサラの首筋に鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。


「キャンっ」


 首筋にアベルの吐息がかかり、キサラが可愛い悲鳴を上げた。途端に、膝がガクガクとなって、力が入らず、その場に座り込んだ。


「キサラ?! 大丈夫?」


 驚きに声を上げるアベルに、キサラは、情けない声を出した。


「ダメ……立てない……アベル、抱っこして……」


 両手をいっぱいに広げて「抱っこして」のポーズ。


 その、あまりもの可愛さに、アベルは苦笑して、キサラをお姫さま抱っこして、ソファーに横たわらせた。


 残りの妻達が、一斉に、ガバッと自分の匂いを確認する。


「ア……アベル! 俺も……汗臭くないよ? 確認して!」


 イリスがアベルに、首筋をさらす。


「ん……どれ?」


 アベルがイリスの首筋に、鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。


「ヒャンっ」


 イリスが、小さく可愛い悲鳴を上げて、その場にくたくたと、座り込む。


「イリス?! 大丈夫?」


「もうダメ……動けない」


 そして「抱っこして」のポーズ。


 アベルは、イリスもお姫さま抱っこして、ソファーに横たわらせた。


「アベル! あたしも!」


 エミリーが、積極的に、アベルに迫る。


「アゼル様……私も……」


 クレアが、控えめに、アベルに迫る。


 エミリーとクレアが、キサラ、イリスと折り重なるように、左右に陣取って、首筋をさらした。


 1人、素直になれずに、悲しそうな顔して立っているアリスを、アベルが誘った。


「アリス……おいで」


 アリスの顔がパアッと明るくなる。


 けど、すぐに照れ隠しで、拗ねたような表情を作って、言った。


「しょっ……しょうがないわね……」


 言葉とは裏腹に、嬉々として、アベルの胸に飛び込んだ。そして、首筋をアベルにさらす。


 アベルの吐息に触れて、妻達全員が、くたくたに、へたり込んで、まるで気を失うように、アベルに寄り添って、眠りに就いた。



「みんな、起きて。もう1時間経ったよ」


 アベルに揺さぶられて、妻達が、目を覚ます。


 目は、パッチリと開き、生き生きとした命に輝いていた。


 そして、元気100倍になって、それぞれの仕事に戻って行った。


 キサラ達は、顔がツヤツヤとしていて、とても、明るく幸せな表情だ。


 とっても、いい笑顔をしている。


 そんな極上の笑顔で、それぞれの仕事に戻って行くキサラ達を見た人達は思った。


 いつも、とても、幸せなそうだな……と。



「でも、アベルのパティシエの腕って、プロ並みよね」


「味もそうだけど、形も盛り付けも、洗練されてるって言うか……」


「見た目……味、香り、食感……全部パーフェクトだもんね」


 そう言ったアリス、イリス、エミリーの言葉に、キサラとクレアは、顔を見合わせてクスリと笑った。


「「「えっ?! なになに? 今の笑い」」」


 アリス達の声に、キサラとクレアは、笑いを堪えながら、言った。


「今でこそ、プロ並みだけどね……」


「最初は(ひど)かったのですよ?」


「「「えっ……? どんなのだったの?」」」


「味は、文句無しだったんですけど……」


「見た目が……ね?」


「「子供の粘土細工みたいだったの」」


「私、初めて食べる時は、恐る恐る食べましたわ」


「食べ物の見た目じゃなかったよね」


「でも、一生懸命作りましたって、感じが凄く出てて、可愛くて愛おしかったな~」


「今でも、夢に見るくらい、幸せな日々でした」


「「「キサラとクレアは、いいなぁ~……羨ましい!」」」

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