54 閑話 執政官キサラと普通の村
○ 45 ある難民の話の後くらいの話です。
「領主さま、お茶です」
アゼルが領主の執務室で仕事をしていると執政官が入って来て、アゼルの前に淹れたての紅茶を置いた。
「ありがとう、執政官」
アゼルが笑顔で礼を言うと、執政官は少し頬を膨らませて、拗ねたように言った。
「もうっ、二人きりの時は「キサラ」って呼んでって言ったじゃない」
「ごめんごめん、キサラ」
アゼルが、すぐに謝る。どこか可笑しそうに。
「キサラだって、ボクのこと「領主さま」って呼ぶじゃん」なんて、余計なことは言わない。
キサラは拗ねたフリをしながら、頬を染めて嬉しそうに微笑んでいる。
嬉しそうに振っている犬のシッポを幻視するくらいだ。
キサラは言う。
「一緒に力を合わせて働けるのが嬉しい」
アベルの助けになれることが、なにより、嬉しい。
そう、ラプアシア男爵領の執政官は、キサラであった。
正確には、身代り人形で同時に自分が何人も存在できる、キサラの同時存在だ。
キサラは天界ラピータで女王をしながら、ラプアシアでアゼルの政治の補助をしていた。
本人曰く。
「アベルはラピータの民を救ってくれた。だから今度は、私がアベルの民を救うんだ!」
仕事熱心で、優秀な執政官である。
○
「領主さま、これを」
紅茶を飲み終えたタイミングで、キサラがアゼルに一枚の書類を出した。
「これは……」
書類を見たアゼルの表情が険しくなる。
アゼルがキサラに視線を送ると、キサラがうなずいて答えた。
「はい。また、税金の納め過ぎです。しかも、また、村規模です」
ラプアシアの領民……特に避難民出身者は、アゼルに、お金を渡したがる。
理由を聴くと、
「私達と同じような、避難民達を救う一助にして下さい」
ということだ。
「キサラ、視察に行く。手配してくれ」
「承りました」
キサラが、恭しく礼をして、退室する。
さて……誰かさんみたいに笑顔が失われるような無理をしてないと、いいのだけど……。
アゼルは、愛する第2婦人の顔を、連想していた。
○
視察を行うことを通達し、3日後、先触れを出して村を訪れた。
ラプアス農場と畜産が主要産業の、ラプアシアでは普通の村だ。
広めの家庭菜園を、それぞれ持った石造りの家が建ち並ぶ村は、まるで、お祭りのような歓迎ぶりだった。
「「「ようこそ、いらっしゃいませ、領主さま!」」」
村の入り口で村長の丁寧な挨拶を受けアゼルが村に入ると、あっという間に村人達に囲まれ「我が家の畑で取れた白菜です」とか「今年は出来のいいネギが出来ました。ぜひ、食べて下され」と、たくさんの作物を手渡される。
アゼルは笑顔で受け取り、お礼を言いながら村人達を観察する。
無理して顔色の悪い人は居ないか?
それを、厳重に見る。
手渡された作物は大切に魔法のカバンに入れると、村長にお願いして村人達を並ばせ、男達には旨いビールを女達には甘い果実酒を、子供達にはお菓子を、一人一人、声をかけて手渡していく。その時に精霊視すら駆使して、体調と精神状態を診ていく。
よしっ! 調子の悪い人は居ない。
ホッと一息つく。
「祝宴のご用意をいたしております。どうぞ、村の集会場へ」
村長に案内され、集会場へ。
そこでは、ごちそうが並び、綺麗に着飾った村娘達が音楽に合わせて歌い踊る。
……そこで、執政官でありアゼルの第1婦人であるキサラが、村の役人を連れた村長に呼ばれて席を立つ。
……立つ時、キサラがアゼルの耳元でささやくように言った。
「気に入った娘が居たら、手を出すこと。いいね?」
キサラが集会場を出ると、祝宴の雰囲気がガラリと変わった。
舞台で歌い踊っていた綺麗に着飾った村娘達が秋波を送り、アゼルにすり寄り次々に酒を勧めるのだ。ボディータッチが激しい。積極的に胸を押し付けてくる。
アゼルは、笑顔を絶やさず、避けることで村娘達が傷つかないようにしながら、ハニートラップを巧みにかわすのだった。
ようやく村の役人との折衝が終わり、キサラが帰ってくる前に、さーっと、潮が引くように村娘達が舞台に戻り、なにごともなかったかのように演目を演じる。
いつものことながら、見事である。
「何人かに、手を出した?」
アゼルの隣に戻って来たキサラが、どこか感情を押し殺した声で問う。
「……出してない」
こちらも言いたいことを封殺した声で、アゼルが答える。
「……いくじなし」
どこか、やるべき義務の放棄を責める口調でキサラが呟く。しかし、どこかホッと安心して、嬉しそうな顔をしていた。
ラプアシアの領地には、領主であるラプアシア男爵に、後継ぎが産まれていないという問題がある。
第1婦人、第2婦人ともに、子供が産める体ではあるが、まだ、幼いと言えるほどに若い。
領主であるアゼルも幼いわけではないが、若いので焦るほどではないが、このままでは、いずれ、領民に不安を与えてしまうだろう。
領主が領民に、世継ぎという未来を示していない。
つまり、ラプアシアに、未来が見えない。
そこが分かってしまうキサラは、政治の安定のためには、第1婦人、第2婦人以外の女性との関係を持ってでも、子供を作るべきだと考えていた。
……本心には、蓋をして……。
……私達は、長命種だから、妊娠は、難しいのよ……。
「キサラ……」
キサラが、アゼルの呼び声に振り向くと、そこには激しいハニトラに欲情し、我慢をするのが辛く苦しそうなアゼルの顔があった。
アゼルは、性欲を押さえきれない声でキサラの耳元で言った。
「……キサラ……今夜……お願い」
夫の夜のお誘いに、キサラは、もじもじとして顔を赤らめながら、でも心の底から嬉しそうに、アゼルの耳元に口を添えて言った。
「私とクレア……ふたり一緒に……ね?」
○
村の時間停止食糧倉庫に、燻製肉とチーズとラプアスを大量に追加し、取りすぎた税金の代わりに領主の紋章を魔法で刻印した、ラプアシアなら、どこでも使える商品引換券をキサラが査定した量を渡し、村人全員に見送られアゼル達は領主の城に帰った。
その夜。アゼルは、キサラ、クレアと、心が満たされるような幸せな夜を送った。
○
そして、小鳥が歌う朝……。
「「た……立てない……」」
キサラとクレアの腰が抜けていた。
アゼルが、優しく笑いかけ、二人の髪を撫でて言う。
「サンドイッチでも作ってくるよ。今日はベッドで朝食を食べよう」
○
アゼルが、部屋を出た後。
幸せの吐息をついて、クレアが呟く。
「今度こそ、アゼル様の赤ちゃん、出来たかな……」
それを聞いたキサラが、言いにくそうに、クレアに告げた。
「私達、長命種は妊娠が難しいのよ……。早くても10年……遅ければ100年かかるでしょうね」
「私達……? 長命種……?」
キサラは分かる。キサラは半分、神であるハイエルフだ。でも、クレアは、ただの人間だ。
「驚かずに聞いて……クレア、あなたは私と同類……ハイエルフ……しかも、夜闇のハイエルフよ」
クレアは声も出ないほど驚いた。キサラが続けた。
「クレアも分かってたでしょう? 私達、表裏一体の、ひとつの存在だって……」
クレアは、不完全な形の先祖返りね。今は改善されているけど、肉体と魂の不一致だったのよ。……よく死ななかったわね……苦しかったでしょう?
大きすぎる魂が、肉体という入れ物を壊す……。
アベルから世界樹の葉を処方されたことによって、肉体が完全にハイエルフ……半神になった……正確には人間の肉体からハイエルフの肉体に再誕したの。そのことによって、延命したのね。……耳は……外見は変わらず人のままだけど。本質はガラリと変わったわ。まったくの別物よ。
夜闇のハイエルフとは、半神。古の闇を司る神の血を引く、ダークエルフの王族のことよ。イーステリア辺境伯爵家の伝承を調べたら、詳しいことが分かるかも……。私に分かることは、夜の闇の神が司るのは死よ。そして、アベルの精を受けることで、再誕の力も得た……。クレアがポコポコ人を生き返らせているのは、そういうことね。
ちなみに私……母は美の女神だけど、父方……天界エルフの王族は、古の光の神の血を引いているわ。
私達……二人で1セットなのよ。
ちなみにアベルは、すでに人間を超えて、ドラゴノイド……竜人になってる。だから、心配しなくても、私達を置いて先に死んだりなんかしないわ。
クレアは、衝撃の告白に、ただ、呆然とした。
後で知ったことだがイーステリア辺境伯爵家では、クレアのようにダークハイエルフの先祖返りで、魂の大きさに肉体が耐えられず死んでしまう子供が生まれることがあるという。クレアの病は、イーステリア辺境伯爵家の血筋固有のものだったのだ。
……肌が黒いわけではないが、夜闇を身に纏っているので、ダークエルフである。そこを区別して、夜闇のハイエルフと呼ばれる。
「もしかしたら私の子供も、私みたいに病気で苦しむことになるの……?」
クレアが辛く泣きそうに言った。
「もし、そうなっても大丈夫。アベルだったら、絶対、なんとかしてくれるわ」
もし、先祖返りが王族ではなく、闇の神、光の神そのものだったら……世界樹の葉でも治らない。それでも、アベルだったら、どうにかしてくれる。
キサラとクレアは、アベルへの絶対の信頼に、安心して微笑んだ。
「でも、光の神と闇の神か……まるで古の神々によるユーフォリアの創造神話ね」
神としての位階が上がり、新たな神々に役割りを譲り、ユーフォリアより高次の次元に旅立った古の神々……。
ひょっとすると私達がアベルの子供を産むことによって、新たな神話が始まるのかも知れない。
○
そこにサンドイッチの乗ったワゴンを押して、アベルが帰って来た。
キサラが甘えて「アベルが食べさせて」と、可愛くおねだりする。
そんなキサラに、クレアが控え目に便乗して、目を瞑り、小さく口を開ける。
アベルは、そんな妻達の愛らしさに優しく微笑んで、満足するまで食べさせてあげたのだった。
○ 村人サイド
アゼルが去った後、村長が村娘達に言った。
「お前達、ご苦労だった。……不快な思いはしなかったか?」
村長の、そんな言葉に村娘達は、全員、首を横に振って激しく否定した。
「とても紳士的で、優しかったよ」
「そうそう「決して君達が魅力的じゃないわけじゃないんだ、すまない」って感じさせてくれたし」
「一人一人、目を見て「不自由はないか? 無理はしていないか?」って、真剣に聞いてくれるんだもの……。恋人だって、あそこまで優しい言葉、かけてくれないわよ」
「それに、あの、あたし達を、心から心配してくれてる真摯な目! ……嬉しくて涙が出ちゃう」
「ねえねえ、領主さまに見つめられると、なんだか心がホッとしない?」
「するする! 凄く安心するよね。……なんだろう……温かいっていうのかな?」
「極上の果実酒まで、頂けたものね。あれ、なかなか手に入らないんだよ?」
「あんなに優しい領主さまだったら、お手付きになったって、一生、幸せになれるわ」
「でも、第1婦人と第2婦人、一筋って感じだよね~。羨ましいっ」
「身持ちが堅いところも、素敵よね~」
「「「でも、いいかげん誰にでもいいから、手を出してくれないと不安よね~……」」」
○ キサラとクレアサイド
「でも、そろそろ貴族連中が婚姻の政略に動き出すわよ?」
「アゼル様は馴染みのない女性は、神経的……生理的に抱くことが出来ないですから、政治の道具で結婚なんて出来ません。もう、二人……。いえ、最低3人、妻が欲しいです。アゼル様の繊細な心を守る、アゼル様が心から安らげる、素敵な妻達が……。非常に残念ですが、私達ふたりだけでは、アゼル様を守り切れません」
なぜ、キサラとクレアが、アゼルを守れないか……。それは、妻でありながら、夫であるアゼルの子供を産んでいないからである。
夫の子供を産めない妻の、社会的立場は、極度に悪くなる。
離縁を宣告されても、文句が言えないほどだ。
まだ、キサラがエルフであり、クレアが伯爵令嬢であることで、社会的地位が有利に働いているが、世間の目が、どうなるか……。
決して、楽観は出来ないのである。
2020年8月1日 ストーリー上の矛盾点を修正しました。
2021年1月6日 読点を整理しました。




