52 閑話 本当の笑顔
○ クレアが奇跡の聖女として活動を始めた初期の話です。クレア視点。
最近、私は辛い夢を見ます。
夫であるアゼル様に、こう言われる夢です。
「お前のせいで貴族になれなかった、金も手に入らなかった、聖人の称号ももらえなかった。その上、不毛の荒れ地に追放された。どうしてくれるんだ!」
私は平伏して、なんども許しを乞う。
そして、泣きながら目を覚ますのです。
目を開けると、心配そうに私を見る優しい夫の顔を見て、心の底からホッとします。
毎朝、この繰り返しです。
○
きっかけを、探します。
それは、私の、奇跡の聖女としての活動が軌道に乗ってきた頃のこと……でしょうか?
いっぱい働いて、貴族から寄進の名目で多額の金貨をせしめ、アゼル様に差し出した時のこと……。
アゼル様は、確かに喜んで下さいました。……ですが、私は、その笑顔に引っ掛かりを感じました。
まるで、作り笑いのような……。
……いいえ、きっと、気のせいです。きっと、額が足りなかったのでしょう。もっと、稼がねば……。
私は、時間を惜しんで働きました。
そして、より多くの金貨を、アゼル様に差し出しました。
これで、喜んで下さる!
……ダメでした。
どうしても、私が望む笑顔を下さいません。
私は、落ち込みました。
それからです……夢を見るようになったのは……。
○
そんなある日、アゼル様が、お茶に誘って下さいました。
忙しいのですが、夫の誘いに優先する仕事などありません。
私は、屋敷のサロンに急ぎました。
○
テーブルの上に、やや不恰好な、お菓子らしき物が温かな湯気を立てるお茶と一緒に置かれていました。
「なんとか、形に……なってないけど、味は保証するからっ」
夫が必死に言い訳をして、私にスィーツを勧めます。
私は、恐る恐る、それを口にして、驚きに目を見開きました。
甘い!
心と体が、喜びに蕩けるように甘いです。
体の疲れが……心の辛さが、吹き飛んで行きます。
私が、なにを悩んでいたのか……一瞬で忘れました。
私は、夢中で、そのスィーツ……ショートケーキを食べました。
そのスィーツは、私を天国に連れて行って下さいました。
……至福。
食べ終えて、悩ましげに、ため息をつきます。
驚くべき、体験でした。
心と体が大喜びで、子供のように、はしゃいでいます。
私は、満面の笑みを、夫に向けました。
……えっ!
夫が……そんな私の笑顔を見て、金貨では、いくら積み上げても見せて下さらなかった、私が欲しかった笑顔を見せて下さったのです。
……あっ!
私は、思い出しました。
夫は……アゼル様は、爵位よりも、使いきれないほどのお金よりも、聖人の称号よりも、私の笑顔を選んだことを。
夫が、私に優しく言いました。
クレア……。
悩んでないか?
無理してないか?
苦しんでないか?
辛くないか?
なんでも言ってくれ、夫婦なんだから。
最近、クレアは、無理して働きすぎだぞ。
ボクは、無理して苦しんでるクレアを見るのが辛いんだ。
なあ、これを食べてる間は、なにも考えず、休んでいいんだ。
一緒に休もうな。
私は、間違っていました。
夫が、最も大切にしているものが、なにかを忘れていたのです。
無理をした私が忘れていたもの……それは、笑顔です。
本当に、幸せな笑顔です。
私の思い違いで、夫の一番の大切なものを、奪っていたのです。
……涙が、こぼれました。
涙が、止まりませんでした。
私は、夫に、泣いて謝りました。
夫は無理をしないこと、笑顔を忘れないことを、私に約束させて許して下さいました。
○
約束は、もうひとつあります。
それは、1日に1時間だけ、二人でゆっくりスィーツを食べてお茶を飲む時間を作ることです。
夫であるアゼル様が、必ず、手作りのスィーツを用意して下さいます。
そして、私を、無邪気に喜ぶ子供のような笑顔にさせて、私の欲しい笑顔を見せて下さいます。
ダメですよ、アゼル様?
私なんかの笑顔で、お腹は膨れません。
もっと現実を、しっかりと見て、金貨を受け取って下さいませ。
見返りを求めない愛……捨て身の愛など、重すぎて誰も喜んで下さいませんよ?
私の笑顔を見て、そんな、なによりも嬉しそうな顔をしないで下さい。
……ごめんなさい。本当のことを言います。
私の笑顔を……私のことを、なによりも大切にして下さって、ありがとうございます。
本当は、嬉しいの……。
私……嬉しいです。
私……本当に、アゼル様が好きです。
私も、あなたの笑顔が、なによりも、大好きです。
○
追伸。
もう、辛い夢は、見なくなりました。
笑顔を忘れるような、無理もしなくなりました。
額は減りましたが、金貨を持っていくと、いっぱい、誉めて下さるようになりました。
そして、今、二人に、本当の笑顔があります。
○
アゼルは、お金より、笑顔が欲しい。
クレアは、いっぱい、貢ぎたい。そして、いっぱい、誉めて欲しい。
クレアが無理をして、アゼルに叱られたという、お話しでした。
2021年1月6日 読点を整理しました。




