18 イリス15歳、戦士
「それで、俺の新しい家族の名前は、なんて言うんだ?」
見違えるほど逞しく、そして、カッコよくなった幼なじみアベルが、娘達を覗き込みながら聞く。
愛情溢れる優しい目だ。と、思った。
「ああ……。カレラ、オードリー、ウェンディだ」
弱冠、どもりながらこたえる。
……緊張する。
アベルのやつ、カッコよすぎだろう。ドキドキし過ぎて心臓もたないよ。
そう、イリスは心の中で、理不尽な抗議をした。
「じゃあ、イーストエンドまで送ってくから、乗ってくれ…………って、無理だよなあ」
不思議なことを言って、苦笑するアベル。
「驚くな……って、無理か。ちょっと、びっくりさせてしまうけど、勘弁な」
そういうと、まず、野良犬を抱いたまま、ゴミの山を、天辺まで登った。
そして、いきなり消えた。
驚き取り乱していると、ひょいと再びゴミの山の天辺に現れた。野良犬は抱いていなかった。
軽やかな身のこなしで降りてきて、アリスをウェンディごと抱き抱える。
あっ、お姫さまだっこ! ……うらやましい。
まるで重さを感じさせない足取りで、足場の悪いゴミの山を登り、やはり天辺で一度消える。
同じように、エミリーもオードリーと共に運び、最後にイリスをカレラごと抱き上げた。
間近で見るアベルの横顔に、胸が高鳴った。
抱き上げる手が、限りなく優しい。
その所作の全てに、イリス……そしてカレラを大切にする心が見えて、泣きそうになった。
……男の人に、こんなに優しく大切に扱ってもらったことなんて、今まで一度もない。
男勝りなイリスは、乱雑に対応されるのが、常だった。
アベルに抱かれたイリスは、まるで自分が、か弱い女の子になったみたいな錯覚を覚えた。
……いや、そうだ。カレラ達を守れなかった。間違いなく、か弱い女の子だよ、あたしは。
イリスは、アベルの胸に、顔をよせた。
そして、生まれて初めて、娘を含めて、自分を強く優しく包み込むように守ってくれる男に甘えた。
いや、あたしは、最初から、アベルには、だだ甘えてたよね。ただ、それを傲慢にも、当然のこととして気付かず、感謝もしていなかっただけで……。
剣の才能もない弱い情けない男だって思ってた。でも、男の本当の強さは、きっとそういうものじゃなかったんだ。
あたし達は、最初から、アベルの強さに守られ、優しさに包まれていたんだ。
イリスは自分の、救いようのない愚かさに、小さく自嘲した。
○
アベル達は、ゴミの山の天辺に登りきり、さらに空中を歩いた。
驚いて目を見張るが、驚きは、それで終わらなかった。
突然、風景が変わり、上級貴族でも住んでいるかのような屋敷のエントランスに現れたのだ。
深い色合いの気品ある絨毯が真っ直ぐ奥まで敷いてある。
それを挟むように、何人ものメイドや召使いが恭しく頭を垂れ、出迎えていた。
魔力が、ずば抜けている。
戦士のクセで、そのメイドと召使いの実力を測って、驚きに息を飲んだ。
Sランク冒険者の魔法使いの魔力ですら、彼女、彼らの前では、まるで赤子だろう。
それよりも、なによりも驚きなのは、正面で、やや緊張した歓迎の笑みを浮かべて出迎えてくれる、イリス達と同年代に見える、神のごとき美しいふたりの少女と、それに控える落ち着いた初老の執事だ。
……格が違う。
この3人に比べたら、メイドや召使いの魔力など、蟻のようなものだろう。まるで、人と神を比べているみたいだ。
出迎えてくれた少女のひとり……耳が尖っているからエルフだろう……が、急いで駆け寄り、挨拶をした。
「アベルの、ご家族の方ですね。初めまして、アベルの第1婦人のキサラです。よろしくお願いします」
キサラと名乗った少女は、恋する女の子が彼氏の両親に交際の許可をもらいに来たかのように緊張して言った。
第1婦人!?
イリスは、密かに、アベルがすでに結婚していた事実に落胆した。
もうひとりの、位の高い巫女服を着た少女も、キサラと同じように緊張して、イリス達に平伏せんばかりに頭を下げ、言った。
「アゼル様……アベル様の第2婦人のクレアですっ、よろしくお願いしますっ」
緊張しすぎてどもるクレアに微笑みかけ、執事が恭しく挨拶した。
「アベル様にお仕えする執事のギブスンでございます。アベル様のご家族であれば、私どもの主人も同じ。どうぞ遠慮なく、ご命令下さい」
3人の大げさな出迎えに、アベルは苦笑して言った。
「まあ、アリスもイリスもエミリーも疲れてるんだし、先に休ませようよ。あっ、ご飯がいい? それともお風呂を先にする?」
あまりのことに、呆然としていたイリス達は、アベルの言葉に、声をそろえて言った。
「「「アベルの、お粥が食べたい」」」
アベルは驚いた。
「おいおい、ラプアスのお粥なんて、そんな美味しいものじゃないぞ?」
アベルの呆れるような声に、被せるようにイリス達は、言葉を重ねた。
「「「アベルの、お粥がいい」」」
アベルは苦笑し、降参と両手を挙げて笑って言った。
「りょーかい。じゃあ、お粥を作ってるから、その間にお風呂で汚れを落としておいで。カレラとオードリーとウェンディも、綺麗にしてあげるんだよ」
イリス達が、キョトンとし、顔を見合わせて、ニヤリと笑って言った。
「「「優しいアベル、気持ち悪い」」」
今度はアベルが、キョトンとして、戻ってきたいつもの調子に、すぐに、たまらなく嬉しそうな顔になり、
「ぬかせ」
と、言って笑った。
○
「あっ! 野良犬は?」
イリス達が、恩人の安否を口にすると、すぐにアベルがこたえた。
「野良犬って、ひどい言い種だな。あの獣人の子なら、心配いらないよ」
野良犬は、すでに介抱され、ベッドに運ばれて寝かされていた。
介抱を担当したメイドが、すすっと寄って、報告した。
「健康状態に異常はありませんでした。ただ、極度の体力低下が見られます。今は、ぐっすりと眠っております」
○
「じゃあ、お風呂だね。私達が、お手伝いします」
キサラが、両手を握りしめ、手伝いを名乗り出た。クレアも、ふんすっ、と、気合いを入れている。
○
娘達を綺麗にし、3人もお風呂で、こびりついた汚れを落とした。
湯船につかって、落ち着いた時、キサラとクレアが、3人に事の経緯を聞いて愕然とし、セインの所業に激怒し、3人と娘達の境遇に涙した。
「これからは、私達が、みなさまを守りますっ」
クレアが宣言し、キサラが何度も首肯した。
「ねえ、キサラとクレアは、どうやってアベルと結婚したの?」
アリスが聞くと、キサラとクレアも、アベルとの経緯を話した。
「キサラとクレアのほうが、あたし達より、大変だったんだ……」
エミリーが、同情の涙を流した。
「いいえ! 私達は、アベルと結婚できたので、不幸なんか、これっぽっちもないです。人生、丸儲けです」
キサラが焦って、そう言うと、
「丸儲けって……」
イリスの、笑いをこらえて震える声。
すぐに、浴場に、みんなの笑い声が満ちた。
○ アリス15歳、魔法使い
お風呂を出て、メイドが用意した清潔で極上の肌触りをした、ゆったりとした服に着替えて、談笑しながら、みんなでリビングに行く。
ほんの少しの時間で、キサラ、クレアと、急速に仲良くなった。
アベルは、すでに準備を終えて待っていて、ダイニングテーブルには、懐かしいアベルのお粥が、人数分、湯気を立てていた。
席に座り「いただきます」をして、食べ始める。
一口、口に含むと、滑らかな優しい舌触りを感じて、口がほころぶ。
しかし、次の瞬間。
口の中で、苦味と渋味が、ケンカして、うっとなる。
それに苦労して飲み込むが、胃袋の中で、旨いんだけど、クドい甘さに嫌になる。
吐息を漏らすと、息が酸っぱくて、鼻が辛くなる。
……不味い。
13歳になるまでは、こんな不味い料理が、主食だった。
お腹は膨れるが「不味い」と、アベルに文句ばかり言っていた。
涙が零れた。
あの頃、アベルは、怒った。でも絶対にアリス達を見捨てずに、食べ物を用意してくれた。
思えば、あたし達は、物心がついた後は、飢えたことがなかった。
……全て、アベルの、お陰だったんだ。
嗚咽が漏れた。隣を見ると、イリスもエミリーも同じように泣き、嗚咽を漏らしていた。
「懐かしい味です。アゼル様と、開拓を始めた時のことを、思い出します」
クレアが、懐かしさに目を細め、微笑んでいた。
「私も、矢に射たれ、死線をさ迷ってた時に食べさせてもらったわ。ああ……命の味がする」
キサラが、思い出に幸せを噛みしめながら、食べる。
アリスは、ようやく、わかった。
あたしは……あたし達は、アベルという大きな愛に包まれ、守られていた。
あたしは……あたし達は、それに気付かず、わがままばかりで、なんの感謝もせず、甘えきっていたんだ。
涙が止まらなかった。
「アベル……」
「なんだ」
「不味い(ごめんね……)」
アベルは、怒らなかった。それどころか、明るく朗らかに、
「本当に不味いな、これ」
と言って爆笑した。
「アベル、不味い(本当に、ごめんなさい)」
イリスもエミリーも「不味い不味い」と言っていた。でも、あたしには、それが「ごめんなさいごめんなさい」という謝罪に聞こえた。
「アベル……不味い(大好き……)」
○
お粥を食べ終わった後、全員の目の前に、ショートケーキが置かれた。
「口直しだ。俺の手作りだぞ」
一口食べて、全身に電流が走った。
「アベル……美味しい(好き。結婚して)」
○
そこで入り口が開いて、メイドに連れられて野良犬が入って来た。
亡羊とした目に、少しだけ命の力が戻ってきたみたいに見えた。
「もう、いいのか?」
アベルが、問うと、
「よくありませんが、なにか食べさせようと思い、起こして来ました」
アベルが、歩みより、しゃがみこんで目線を合わし、出来るだけ優しい声で聞いた。
「なにか、食べれるかい?」
すると、野良犬は、すんすんと鼻を動かし、テーブルの上にある、ケーキを指差した。
「あれが…いい」
すぐに、椅子と新しいケーキが用意され、食べ始めた。
野良犬は、体力の衰えで、フォークを使うことすら辛いみたいで、そのうち、担当のメイドに食べさせてもらっていた。
「あなたの名前を聞いていい?」
ようやく食べ終えた野良犬に、キサラが、優しげに問うと、
「名前…ない。野良犬って…呼ばれてる」
あまりのことに、アベルはキサラ、クレアと顔を見合わせた。
どれだけ、過酷な環境にいたのだろう。
「ねえ、あなたは、アリス様やイリス様、エミリー様を助けて下さったのですね? それは、どうしてですか?」
クレアが疑問を投げると、野良犬は、なんでもないように言った。
「困ってる人…助ける。…当たり前。なぜ助けた…なんて疑問…持ったこと…ない」
それだけ言うと、気を失うように、眠ってしまった。
椅子から落ちそうになるのを、担当のメイドが、如才なく支える。
メイドが、決意を秘めた瞳でアベルを見て、要望を伝えた。
「アベル様、この子の世話を、私にお任せ下さい」
まるで「命をかけて守ります」といわんばかりだった。
「任せる。できれば、素敵な名前も、つけやってくれ」
メイドは、最敬礼した。




