13 少女クレア
○ 少し時間を戻る。クレアが救われる前です。クレア視点。
その日、ひさしぶりに私は体調が良かった。
父であるイーステリア伯爵が笑顔で優しく私に語りかける。
「世界樹の葉は、なにをしても、必ず手に入れる。お前はなにも心配せず、安心して待ってなさい」
その時、世界樹の葉を持った冒険者が到着したと知らせが来た。
父が急いで応接間に向かう。
しばらくして、この調子の良さが、嵐の前の静けさだったことを知る。
これまでの苦しみが児戯だったのだと思えるような苦しみが襲ってきた。
あまりの苦しみに気が遠くなる。気を失いかけて、更なる苦しみが、意識を引き戻す。それ以上の苦しみが押し寄せ、気が遠くなる。そして更なる苦しみが……。
どれくらいの時間が経っただろう。
見ると、家族みんなが辛そうな苦しそうな顔をして、私を見ていた。
やめて、私なんかのことで苦しまないで、悲しまないで……。
私の命は、きっと、今日、ここで終わる。
でも、せめて、家族には笑顔の記憶を遺したい。
私は魂すら磨り減らし、苦痛をねじ伏せ……、
……笑った。
間違いなく言える。
私は幸せだった。
そう、家族みんなに、感謝を伝えた。
みんなは……、泣いた。
死力を振り絞って、それでも、愛する人達の悲しみを拭うことが出来なかった。
……生きたい。
死にたくない。
誰か……、助けて……!
心が叫んだ。
果たして、私の前に男の人が歩み寄った。
手に、煌々と輝く命の塊のような葉を持っていた。
あれは……世界樹の葉!
私の命を救う力を持ったもの。
でも、同時に、英雄としての名誉も、聖人としての信用も、巨万の富も、貴族としての地位も思いのままにするもの。
どこか地味な風貌の、その男の人は、一切の迷いを見せることなく、それを私に使った。
…………なぜ?!
健康体になった私は、喜びの中にありながら、戸惑いに混乱した。
見ず知らずの私を、全てを捨ててまで、救う理由はなに?!
父もそう思ったみたいだ。
家族に揉みくちゃにされて動けない私に代わって、男の人に聞いてくれた。
報酬をもらってる?
世界樹の葉と引き合う報酬って存在するの?
それはなにかと父が問うと、男の人は、満ち足りた表情で、はっきり、こう言って退けた。
「女の子の笑顔です」
私は、愕然とした。
なんて愚かなのだろう。こんな愚かな人が、どうして今まで生きてこれたのだろう。
本当に救えないほどの、愚か者だ。
……でも。
なんて素敵な愚か者だろう。
この人は、この先、とても苦労するだろう。
私は、その苦労を分け合いたいと願った。
まるで、祈るように、願った。
○ 後日
「おとうさま。アゼル様は、今、どうされていますか?」
あれから、寝ても覚めても、あの人のことを考えていた。
「影」
父が小さく呟くと、突然、なんの前触れもなく、黒装束を着た正体不明の怪人が現れた。
手足が異様に細長い、痩せぎすの男だ。
父に促され、影と呼ばれた怪人が報告する。
「アゼル様は、故郷の村を追放され、不毛の荒れ地で雑草のような作物を育てております」
胸が傷んだ。
私の……私なんかのせいで!
私は意を決して、父に進言した。
「おとうさま、これはチャンスです」
父は、理解できないという風に、戸惑いの表情で私を見た。
「アゼル様ほどの男。必ずや、不毛の荒れ地を、緑溢れる豊かな土地に変えてしまうでしょう」
「一番苦しい今、手を差しのべて助けるのです。きっと、未来に大きな富の還元がなされるでしょう」
「苦しい時に、助けなくては、妻の資格を失います!」
言ってしまってから、赤面した。
そう、私は、あの人と添い遂げたい。
あの人が……、あの人だけが、私の唯一にして本当の男なのだから。
○ 閑話 不毛の荒れ地、開拓期(黎明期)
朝、日が昇ると、起きて、まず、夫であるアゼル様と農場の見回りをする。夫と一緒に歩けるのは、私の夢でした。幸せ。
帰ってくると、干し肉を噛り、同じく干し肉を煮出して作った塩スープを飲む。雑味の強い草の種で作ったお粥を食べる。
真正面から、夫の顔が見れて嬉しい。幸せ。
法律上は、まだ、婚約者ですが、夫でいいんです。
朝食が終わると、新しい農地に向かい、農具をふるい、土を耕し草の種をまく。水路から水を汲み出し、じょうろという農具で水を撒く。
貴族と違い、普通の民は1日2食が普通だと聞いていた話と違って、お昼ごはんが食べられます。父がたくさんの保存食……干し肉など……を融通してくれているお陰だそうです。
おとうさま、ありがとうございます。
干し肉を噛り、乾燥させた草の種を挽いて作ったパンもどきを食べ、水を飲む。
夫と水路の縁に、並んで座って談笑しながら食べるのが幸せ。
日が暮れる前に、農作業を終え、家という名の粗末な小屋に帰る。
でも、贅沢なことに、この小屋には、お風呂があるのです。
ナギア高地を登頂するほどの、伝説の英雄クラスの精霊使いである夫が、土の精霊で建物と湯船を作り、水路から水を引いて、湯船に水を張り、火の精霊でお湯を沸かしてくれる。土の精霊と水の精霊で下水道を整え、排水を出来るようにしてあるそうです。インフラと言うらしいです。
お風呂の準備が出来ると、恥ずかしいけど、夫と一緒に、お風呂に入ります。
恥ずかしいけど、すっごい、幸せ。特に背中の流し合いっこ!
夕食も、干し肉と塩スープ。それに乾燥野草の湯戻しが付く。夫と一緒に食べれるのが、幸せ。
夕食後は後片付けと、パンもどきの仕込みを、夫と一緒にする。共同作業が、幸せ。
眠る前に時間を作り、夫とふたりで、歴史や地理、経済や礼儀作法について、お勉強をする。
光の精霊に照らされた、真剣な夫の横顔を盗み見て、幸せ。
夜。シーツを被り、夫と一緒に眠りにつく。
「クレア……寒くないかい?」
夫はいつも、私を気遣ってくれる。
「大丈夫です。……でも、少し……少しだけ寒いですので、抱きしめて下さいますか?」
夫は笑って、優しく『ぎゅっ』て、してくれる。
泣きそうになるほどの大きな幸せを感じる。
私は知っている。
夫であるアゼル様が、なにか秘密を隠していることを。
誰よりも優しい夫が、私に秘密にしているならば、それがいいことだからでしょう。
でも、いつかきっと、打ち明けてくれる。
その時、私は、全てを受け止めます。
アゼル様……、愛しています。
ああ、おとうさま、おかあさま。お兄さま方、お姉さま方。クレアは、幸せがいっぱいです。
こんなに幸せで、いいのでしょうか?
○ 閑話 村の生活の変化。アベル視点。
村の男達が、女子供達を護衛しながら、採集を終え、村に帰って来た。その中には、当然、アベルも居る。
事件は採集した森の恵みの分配の時に起こった。
「えっ、どうしてこれっぽっちなの?」
アベルに分配されたのは、いつもの半分以下だった。
これじゃ、ボク達、飢え死にしちゃうよ。
村長の3番目めの奥さんの長男ゲリーが冷たく言い放った。
「お前が、追放者であるアゼルの弟だからだ」
村には、明確な『格差』というものが存在する。
兄……ということに過去を変えた……アゼルの失態で、アベルのヒエラルキーが、どん底に落ちたのだ。
とぼとぼと家路につきながらアベルは「どうしよう……」と呟く。
ほんの小さな呟き。でも、それに返事する者がいた。
「おう、ボウズ。困っているな」
少し粗野な言葉使いだが、世話好きする声音だ。
その声の主は、この村では見たことのない男だ。
手足が異様に細長いヒョロガリの、ナイフのように鋭い切れ長の目をした、知らない人。
「誰っ?」
「俺は影……いや、シンザブロウって言うんだ」
警戒するアベルに、男は、アベルにだけ見えるように懐から紋章付きの短剣を見せた。
え……? あれって。
同一存在であるアゼルの記憶にある。あれはイーステリア辺境伯の紋章だ。
「お館様の命令でな。アゼル様の弟であるお前を飢え死にさせるわけにいかないんだ」
そう言って、背負っていた大きな麻袋をアベルに手渡した。中には干し肉や穀物の粉、乾燥野菜などの保存食が入っていた。
やった! これだけあれば、アリス達を飢えさせないで済む。
「定期的に顔を出す。仲良くしようぜ、ボウズ」
シンザブロウとアベルは、握手した。
○ 閑話 飛空船セントエレメント
不毛の荒れ地。その上空に『見ても誰も気にすることが出来ない、記憶にも残らない魔法』をかけられた、空を飛ぶ船『セントエレメント』が浮かんでいる。
女王キサラのプライベートシップで、主に遊覧飛行に使われていたものだ。
個人所有のこじんまりとした豪華客船である。白地に金の装飾がされた優美な姿をしている。
中にはゆったりとした居住区があり、10数人のメイドと召使いが主の世話と船体の維持管理に働いている。
この船の主は、女王キサラの配偶者であり、次期国王アベルである。
アベルは、ここで、国王となるために、執事であり同時に教育係であるギブスンに教えを乞うている。
苦しい勉強の日々……。
かと思えばそうでもない。
極度の『知りたがり』であるアベルは、嬉々として勉強漬けの日々をエンジョイしていたのだった。
「本って、言葉って、なんでこんなに、愛しいのだろう。勉強、サイコー!」
○ 閑話 VS
アベルは緊張していた。
クレアに秘密のひとつ、飛空船の存在を明かし……絶対に誰にも言わないことという条件で……リビングで、対面していたのだ。
キサラとクレアが。
二人は、一通りの挨拶の後、真っ直ぐに向かい合い、しゃべらなくなったのだ。
……無言が痛い。
アベルはいたたまれなくて、ダラダラと冷や汗を流す。
ふと、二人が同時に柔らかな微笑みを浮かべた。
「アベル、私達、お風呂に入って来るね」
キサラがそう言って、クレアを引っ張って行った。
二人が去ったリビングのソファーで、アベルがくたくたと倒れ込んだ。
○
かけ流しの、豊富な湯量を誇る、古代ローマ風の大きな浴場。
「ここなら、遠慮なく話せるね」
服を脱いで、体を洗い、向かい合って湯船に浸かってキサラが言った。
その声は、親しい友人にかけるような、気安いものだった。
「はい、キサラさま」
どこか弾むような、クレアの声。戦場で友軍を見つけた戦士のようだ。
「キサラって呼んで」
微笑みをたたえた明るい声でキサラが言う。
クレアは、少し驚いて、すぐに笑顔になって、素直にこたえた。
「はい、キサラ」
「じゃあ、行くよ~」
「はいっ」
「「アベル(アゼル様)、大好き大会ーっ!」」
「「わーっ!」」
飛空船の大浴場に、女の子ふたりの、楽しげな姦しい、おしゃべりが響いた。
クレアは、尊敬しているというより、アゼルが、無償で人助けをすると考えて、破産しないように、妻となって、財布の紐を締めようと思っています。
ナギア高地を登頂出来る、500年にひとりの英雄とも思っていますが、寄り添って助けることを、結婚の目的にしています。
アゼルは、クレアの嘘……「私は幸せでした」……を、本当にしようとして、結婚しました。
愚か者と嘘つきの夫婦。優しすぎて愚かなふたり……。密かに作者の、お気に入りです。




