11 少女クレアと少年アゼル
天井の高い豪奢な部屋。
天蓋付きのキングサイズのベッドの上で、少女が、くぐもった咳をしていた。
明らかに異常な咳だ。
かすれたような呼吸音をさせ、必死で空気を喘ぐ。
たった、それすらも、少女にとっては、命懸けの重労働だった。
幼女というべき年齢の少女は、体を折り曲げて、必死に苦しみに耐えている。
少女は、芸術の神が造り上げたビスクドールのような容貌をしていたが、病魔に侵され、痛々しいほどやつれていた。
少女にとって、生きるとは、終わりのない拷問である。
どんな名医も、神の奇跡を行使する高位な神官も、この世のあらゆる薬も少女の病を癒すことが出来なかった。それらは、ただ、拷問の時間を長引かせるだけだった。
死んでしまったら、楽になるかな……?
神様、どうか、もう、終わりにして下さい。
何度、死を望んだことか。
でも、いざ死にそうになったら、死が怖くて「死にたくない」と泣く。
少女は、ただ、太陽の下で、思いっきり走ってみたかった。いいえ、歩くだけでもいい。
そして、愛する家族に元気な姿を見せたかった。
大切な家族に悲しい辛い顔をさせることが、なにより辛かった。
少女は、自分が情けなく、弱い自分が悔しくて泣いた。
家族の笑顔を見るまで、死にたくない。
泣いた……。
泣いて、命を乞うた。
「誰か、助けて……助けて下さい……」
○
イーストエンド村の東の森……ゴブリンの王国であるその森の東にイーステリア辺境伯の領地がある。
ユーフォリアの西の果てとされ、天界があるとされるナギア高地を巡礼する旅の終着点である。
イーステリア辺境伯爵領は、そんな巡礼者が多数押し寄せ観光地として賑わい、隣接するゴブリンの王国との緊張があるものの、繁栄していた。
イーステリア辺境伯は武人であり、義に厚く、なによりも人を大切にする仁の人であった。
とりわけ、家族を大切にし、高位な貴族でありながら、妾も愛人も持たず、たったひとりの妻を愛する愛妻家で知られていた。
その愛する妻との間に7人の子を授かり、幸せに暮らしていた。
たったひとつ、不幸があるとすれば、それは末娘のクレアが、不治の病であるということだ。
その、たったひとつの不幸が、伯爵家に陰を落としていた。
○
そんな伯爵領に、ある知らせが届いた。
ナギア高地の登頂に成功した冒険者が居る。
そして、その冒険者が登頂の証として『世界樹の葉』を持ち帰ったと言うのだ。
それは、500年ぶりの快挙であり、伯爵領は興奮に湧いた。
領主であるイーステリア伯爵は、その冒険者を居城に招いた。
伯爵の意図は、冒険者を労うことでも、誉め称えることでもなかった。
伯爵の意図……それは…………。
○
冒険者はアゼルという名の、地味な容貌の、成人になったばかりの少年だった。
アゼルは、伯爵の居城に招かれたが、謁見の間には通されず、伯爵よりも上位の貴人をもてなすための、応接間に通された。
そこには、伯爵がすでに待っており、アゼルを丁重に迎えた。
伯爵は、貴族の服を着ていたが、海賊や山賊と間違うような風貌をしていた。
伯爵は、どこか、追い詰められ、切羽詰まったような余裕のない真剣な顔をして、懇願するようにアゼルを見ていた。
戸惑うアゼルに、貴族でありながら挨拶もそこそこに、前置きもせずに、アゼルに頭を深く下げて、懇願した。
「世界樹の葉を譲ってくれ」
これは、道理の通らない無茶な要望だ。
世界樹の葉は、ナギア高地登頂を証明する、物的証拠である。
これがないということは「ナギア高地を登頂したなんて嘘だろう」と疑われても、それを否定することが出来なくなる。
なにより、世界樹の葉を王に献上すれば、栄達など思いのままである。地位も名誉も手に入る。一生、遊んで暮らせる金も手に入るだろう。
アゼルは、伯爵に顔を上げてもらった。
そして、ただ、真っ直ぐに、その瞳を見つめる。
アゼルは、ひとつ、頷いて伯爵に聞いた。
「……理由を聞かせて下さいますか?」
実際に見てもらったほうがいいだろうと、伯爵は言って、ひとつの寝室を訪れた。
その部屋は、喧騒に包まれていた。
これは伯爵も知らなかったようで、慌てて、メイドを捕まえて事情を聞いた。
「旦那様……クレアお嬢様の容態が急に悪化して……」
メイドは泣いていた。
伯爵は部屋に飛び込んだ。
中には、容態を確認する医者と、それを息を飲んで見守る家族の姿があった。
伯爵が医者に詰め寄ると、医者は辛い顔をして、首を横に振った。
家族全員がクレアの元に駆け寄った。
口々にクレアの名を呼び励ます家族に、クレアは、精一杯の笑顔を見せて、言った。
「おとうさま、おかあさま。おにいさま方、おねえさま方。ありがとうございます。家族みんなに愛されて、私は幸せでした……」
今まさに、消えようとする命。
そこに、光が輝いた。
それはアゼルが持った、一枚の葉だった。
アゼルが、葉をクレアの胸に置くと、葉は光の粒子となって、クレアを包み込んだ。
光が収まると、そこには、やつれていた顔に血色が戻り、完全な健康体になったクレアの姿があった。
クレアは身を起こし、自分の体の調子を確認して戸惑う。
咳は完全に治まっていた。
家族が呆然と見守る中、クレアはベッドから降りて立ち上がった。
…………そして、歩いた。
ずっと寝たきりだった、クレアが歩いたのだ!
寝室は静まり返った。
でも、やがて、喜びの爆発のような歓声が起こり、家族が、皆、クレアを抱きしめて、泣いた。
ひとしきり泣いた後、伯爵はアゼルに振り返った。
もらい泣きしていたアゼルが、満足げに伯爵に言った。
「冒険者がナギア高地を登頂したという噂は、デマだったのです。だって、証拠がないでしょう?」
「……いや、それでは道理が通らん。義理も果たせん」
「いいえ、私は男として最高の報酬を頂いております」
「報酬? ……それはなんだ?」
アゼルは満ち足りたような笑顔で言った。
「女の子の笑顔です」
○
時間は少し戻る。
ナギア高地から帰ってきたアベルは、今後の予定を、時の精霊とギブスンと一緒に相談していた。
場所は飛空船のリビング。どこか近未来的な雰囲気の部屋だ。ダイニングテーブルの上で紅茶が芳しい香りと湯気を立てていた。
『それで、飢饉はどうやって回避するつもりなんだい?』
時の精霊がアベルに言った。
「ナギア高地で手にいれた黄金色の草を育てるつもりだよ」
『どこで?』
「ゴブリンの森の南に不毛の大地があるでしょう? あそこの地下に水脈があるんだ」
水の精霊に聞きました。
「それを土の精霊に掘り起こしてもらって、畑を作る。規模としては、畑というより農場だね」
土の精霊に魔力を渡しました。
『いいじゃん、それで行こう』
時の精霊も乗り気だ。それに待ったをかけたのはギブスンだ。
「お待ち下さい。農場を経営し、そこで作った作物を流通させるには、人脈と社会的な地位が必要かと愚考します」
その言葉に、時の精霊が納得したように頷いた。
『そうかも。7歳の子供が村全体を養う程の食糧を持っているっておかしいもの。絶対、疑われる』
権力者に奪われて終わりだ。
それにアベルは、神々から隠れている身分である。極力、目立ちたくなかった。
もっとも、精霊に見放された神々に、探知能力があるかと言われれば疑問だが。
世界に魔力を循環させるのが精霊で、同時に情報も操作できるからだ。
分かりやすく言うと『届かない』『伝わらない』
通信販売で商品を注文しても、運送業者が届けてくれないようなものなのだ。
そして、パソコンやスマホが、ネットに繋がらないようなものなのだ。
万物に宿る精霊が、揃って、神々に対して口をつぐむ。そして、魔力を求められても渡さない。魔力不足で魔法の使えない神に、なにが出来るだろう。精霊は、魔力の元である神力、その神力の元である竜力を絶ってしまう。精神をユーフォリアにつなぐのが精霊なのだから。
神々はユーフォリアのなにも知ることは出来ないだろう。実質、神々は、精神世界に閉じ込められたようなものだ。
受肉し、ユーフォリアに降りて、魔法に頼らず、自分の足で、人々から情報を集める神もいるだろうから、油断は出来ないが。
閑話休題。
「人脈と地位を得るには、どうすればいいだろう」
3人(?)は考えた。
「まず、成人していることが前提でしょう」
ギブスンが言う。
『大人になれる道具があるよ』
時の精霊が応える。
「それで行こう。ボクの身代りのひとりに大人になってもらおう」
アベルがまとめる。
「履歴が必要です。素性が分からないと信用が得られず、人脈を築けません」
と、ギブスン。
『過去を作る道具があるよ。イーストエンドの村に昔から暮らしてたことにしよう』
と、時の精霊。
「じゃあ、ボクのお兄ちゃんで、名前はアゼル。職業は冒険者ってことで」
どんどん決める。
「ほほう、冒険者ですか。それは都合がよろしい。手っ取り早く功績をあげる方法がありますよ」
アベルと時の精霊がギブスンの言葉に耳を傾ける。
「ナギア高地の登頂に成功したとして、証拠品である『世界樹の葉』を王に献上するのです。貴族の位と、使え切れないほどの財産が手に入りますよ」
「貴族の地位があれば、商業権が容易に手に入りますし、財産があればゴブリンの森の南の荒れ地であれば、簡単に領地として入手出来るでしょう」
契約や手続きはわたくしにお任せ下さい。
悪魔は契約社会だから、この手の仕事が得意だと言う。
「世界樹の葉って、勝手にもらっていいのかな。なんだったらキサラにお願いして……」
そう、アベルが心配すると、ギブスンが笑った。
「アベル様が世界樹を復活してくださる以前ならともかく、今のラピータにとって、特に貴重なものではありませんよ」
ラピータでは、ご近所のおばあちゃんエルフが腰痛の治療に使うレベルです。
人間界では、小さな領地なら買えるほど、貴重なものですが……。
「そうなの?」
「はい。不治の病すら治すと言われ、権力者ならどれだけ大金を積んでも手に入れようとするでしょう。なにより天界に登ったという名声が手に入ります。英雄と称えられ、教会で聖人の認定がされ、社会的な絶対的信用も得られます」
「それで行こう」
3人が合意し、作戦が決まった。
2020年6月18日 一部修正しました。




