109 閑話 娼婦カチュアの末路
○ 105 ラプアシアの淫らな夜の前の話です。
アベルと結ばれて、私は目覚めた。
○
夕闇に染まる雲から、雨が降ってきた。
体の芯から凍らせるような、冷たい雨だ。
傘もない。
外套が濡れて、あたいの心のように重くなっていく。
ヤコブは来ない。
いつまで経っても来なかった。
完全に夜に落ちた空を見上げて、泣き笑いながら、あたい……娼婦のカチュアは呟いた。
「騙されちゃった」
あたいの声は、誰に聞かれることもなく、冷たい雨に染み込んだ。
○
カチュアは、アミナの村の、ちょっとだけ可愛い女の子だった。
村は、増えすぎた税金に、借金漬けになっていた。
……このままでは、家族全員、奴隷に落とされる。
カチュアは、性奴隷になるよりも、娼婦になる道を選んだ。
50歩100歩だけどね。
自嘲する。
村を出る時、仲の良かったリチャードが腕を掴んであたいを止めた。
「なに? アンタが借金を肩代わりしてくれんの?」
そんなこと、出来る訳がない。リチャードの家も借金まみれだ。
あたいの言葉に、身が切れるような辛い顔をして、リチャードは手を放した。
あたいは、振り向かずに、村を出た。
今の、あたいの顔を、リチャードに、見られたくなかったから……。
○
領地の都がある城塞都市に行って、娼婦になった。
でも、娼婦って言っても、娼館に入れるのは、それこそ、村一番の美少女だったアミナくらいのレベルでないと無理だった。
ちょっと可愛いくらいのレベルでは、娼館にも入れず、色街の路地で、外套一枚で立って、客引きをして、客を捕まえると、連れ込み宿に連れ立って入る。
街のチンピラをまとめる犯罪組織に高い上前を跳ねられ、手元には少しの金しか残らない。
その上、借金を返し税金を払うと、その日を暮らすだけで、いっぱいいっぱいだ。
体を売れる若い内はいいだろう……よくないが……体を買ってもらえない年齢になったらどうなるのだろう……。
考えないようにした。
あたい達には、明日がない。
○
娼婦は、思った以上に辛い苦しい職業だった。
アソコは擦りきれて痛くなり、気をつけていても、すぐ病気になる。なにより、好きでもない男に抱かれる気持ち悪さは、最悪だった。
娼婦という職業に誇りを持って、充実した日々を過ごす女の子も居るらしいのだが、少なくとも、あたいは、そんな奴を知らない。
そんなある日、あたいに優しくしてくれる商人のヤコブが言ってくれた。
「僕がカチュアを身請けするよ。でも、今の仕事が上手くいったらだけど……そうだ、カチュア、いくらか金を貸してくれないかな? そうすれば、身請けも確実になるんだ」
馬鹿な、あたいは、それを信じて、なけなしの金をヤコブに渡した。
そして、身請けの約束の日……約束の待ち合わせ場所に、ヤコブは来なかった。
○
あたいは、風邪を引いた。
「病気がうつるといけないから」と、娼婦……ストリートガールと呼ばれているが……の共同の家にも戻れず、あたいは、冒険者ギルドに来ていた。
冒険者を護衛に雇って、村に帰ろうとしたのだ。
村までの護衛依頼を受付嬢に出した時、憐れみの目で見られ、言われた。
「村は、オークの群れに襲われ全滅しました」
あたいの目の前が真っ暗になった。
目を瞑ると、家族や村のみんなの顔……そしてリチャードの顔が浮かんだ。
あたいは、失意を胸に抱いて、貧民街の路地裏で座り込んだ。
……熱が出てきた。
朦朧とする意識の中で「あたいは、死ぬんだ……」と思った。
「しゃあないかぁ……アハハ」
言ってから、叫んだ。
仕方ないわけがないじゃない!
あたいの人生は、いったいなんだったの!?
好きな人の腕を振り払って、好きでもない男に抱かれて、騙されて飢えて病気になって、野垂れ死に?
イヤだ!
あたいは、声の限りに叫んだ。
助けてよ、リチャード!
誰か、助けて!
○
その時、時が止まった。
路地の空に浮かぶ下弦の月が、血に濡れたように赤く、禍々しく輝いた。
月から……一滴、血が流れ落ちた。
血は、カチュアの前に降り、人の姿を型作った。
それは、男の欲望の全てを満たす、エロチックな肢体。少女の可憐さと、女盛りの成熟を奇跡のバランスで両立している、男の全ての正気を奪い、色で狂わせる、神憑りな魔性のオーラを身に纏った女の子だった。
「私は、シャルロット。あなたには、2つの選択権があります」
シャルロットと名乗った女の子は、指を立てた。そして、指折り、あたいに説明する。
「ひとつは、このまま野垂れ死ぬこと……」
シャルロットは、指折り話す。
「ひとつは、私の奇跡で、魔物……淫魔サキュバスとして生まれ変わり、私の家来として生きること……」
指を解いて、あたいを促した。
「さあ、選びなさい」
あたいは……溺れる者は藁を掴んだ。
こうして、あたいは、ラプアシアでシャルロット様の配下……サキュバスとなった。
○
サキュバスの仕事は、ラプアシアでの性犯罪の発生を未然に防ぐこと。
サキュバスは、性犯罪者の匂いに敏感で、事前に察知し、淫夢を見せることで、性犯罪を未然に防ぐことが出来た。
交代で、ラプアシアの影に潜み、女の子達を守る。
職務時間以外の時間は、人に化け、仲間と一緒に流行りのカフェでお茶したり、可愛い小物や服を買って歩いたり、地底大河の別荘で温泉に入ったりした。
皮肉にも、サキュバスになった途端、売春を一切しなくてよくなった。
ただ、性犯罪者に、淫靡な夢を見せるだけ。
誇りを持てる仕事に就き、生きる希望に満ちた……幸せな日々を送った。
皮肉なことに、魔物になった途端、人生が好転したのだった。
○
その日も、兎狩りに出た冒険者達を淫夢の餌食にした。
満足して帰ろうとした、その時。
「カーチャ……?」
あたいを愛称で呼ぶ、よく知った声が聞こえた。
振り返ると、そこに、オークの群れに襲われ、死んだはずのリチャードの姿があった。
生きててくれた!
驚き、望外の喜びに涙して感動に打ち震えた。
でも……そこで正気に戻った。
自分が何者かを、思い出した。
あたいは、とっさにフードで顔を隠した。特に赤く輝く魔物の目を……。
「カーチャ! カーチャだろ?! 良かった……生きてたんだ!」
喜びの声が、胸に痛い。
だって、もう、あたいは、人間じゃない。
薄汚れた元娼婦の魔物……淫魔サキュバスだ。
あたいは、逃げ出した……いや、逃げ出そうとして出来なかった。
その手をリチャードが掴んだのだ。
「……放してよ」
あたいの声が、震えていた。
「もう、二度と、放すものか!」
リチャードの声が、誓った。
「あたいは、汚れちまった……もう、人間すらやめちまった……もう、住む世界が違うよ」
あたいの、諦めきった言葉に、でもリチャードは、力強く言った。
「それでも、俺は、二度とお前を放さない!」
あたいは、無我夢中で、淫夢をリチャードに見せた。
眠り、淫夢に苦しむリチャード……。
でも、手が……。
あたいを掴む手が放されなかった。
あたいも、何度も、その腕を振り払ってしまおうとした。
でも……出来なかった。
出来なかったんだよぉ……。
あたいは、どうしようも出来ずに、ただ座り込んで、なにも出来ない子供のように泣いた。
そして、朝が来た。
朝日の中で、リチャードの手は、あたいを放していなかった。
あたいの心は……完全にリチャードに、捕まってしまっていた。
○
あたいは、主であるシャルロット様に、申し出た。
「好きな人が出来ました……人間の男です。添い遂げたく存じます……」
シャルロット様は……。
○
ラプアシアの街を見下ろす丘の上。
夕闇に染まる雲から、雨が降ってきた。
体の芯から凍らせるような、冷たい雨だ。
傘もない。
服が濡れて、あたいの心のように重くなっていく。
リチャードは来ない。
いつまで経っても来なかった。
完全に夜に落ちた空を見上げて、泣き笑いながら、あたい……ただの小娘のカチュアは呟いた。
「またかぁ……」
あたいの声は、誰に聞かれることもなく、冷たい雨に染み込んだ。
そこに、後ろから、傘が差し出された。
横には、あたいの想い人が寄り添う。
「遅くなってごめん。娼婦になるために村を出た時の姿に戻ってるから、戸惑ったよ」
そう、あたいは、生娘だった時の、人間の体に戻っていた。
体が戻った時、驚いて、慌ててアソコを確かめて、痛みに悲鳴を上げたよ。
シャルロット様が「気をつけて、あなたの体は完全に穢れない処女に戻っていますからね」と言って下さった。
あたいは、リチャードを見た。
こいつに……この、あたいが誰よりも一番好きな男に、綺麗な体を捧げることが出来る……。
もう……諦めきっていた、夢が叶うんだ……。
あたいは、感極まって溢れだす想いに突き動かされて、リチャードに抱きついた。
「許さない! 抱き締めて、あたいを温めろ」
リチャードは、泣いて喜んで、あたいを抱き締めてくれた。
もう……カチュアに降る雨は、冷たくなかった。
言わなくても分かるかな……?
カチュアは、105 ラプアシアの淫らな夜に出てくるサキュバスです。
2020年10月28日 追記しました。




