103 閑話 人形姫の美食
○ シャルが魔王に囚われていた頃の話です。
魔界に朝が来た。
夜の間、ずっと、私を抱いていた魔王が、精も根も尽き果てて眠りに就く。
私は、気を失ったように眠る魔王を置いて、痛みにひきつる……疲れた体を引きずるようにして、寝室を出る。
寝室を出たところで、力尽きた。
床に身を投げ出す。
床にぶつかる……!
その寸前、柔らかな腕に抱きとめられた。
見ると、側仕えが、私を助けてくれていた。
ニッコリと笑みをくれ、声をかけてくれる。
「シャルロット様、いつもご苦労様です」
彼の声は……微笑みは、私の心を、いつも温かい優しい柔らかいものにしてくれる。
「……ただいま」
思わず、そう呟いていた。
心から想いが、声となって溢れだしたのだ。
○
服を脱ぎ、柔らかな温かさの、湯につけられる。
肌を一切刺激しない、優しい湯だ。
柑橘の爽やかな香りが、鼻腔を心地好くくすぐる。
心の重荷が、全て取り払われるようだ。
体が……心が、軽くなる。
ゆっくり、湯を楽しんだ後、綺麗に体を洗われる。
不浄が清められ、まるで私が穢れていないような気持ちにしてくれる。
もう一度、湯につかり、体を温めてから出る。
湯は綺麗に拭き取られ、可愛らしい野に咲く花を思わせる香油をつけられる。
性の匂いなど、微塵も残っていなかった。
私は、まるで新しく生まれ変わったような、清々しい気持ちで、側仕えに付き添われ、浴場を出た。
汗が引くのを待って、ベッドに滑り込んだ。
私は、泥のように眠りに就いた。
○
起きて、食事のため、席に座った。
正直、食欲はない。
なにも食べたくない、食べれない。
テーブルには、なにも置かれていない。
不思議に思っていると、側仕えが、小さなグラスに、一口だけの量の、食前酒を差し出してくれた。
……これくらいなら入る。
私は、食前酒を飲んだ。
甘酸っぱい……花の香りがした。
胃に落ちて、仄かな灯りが灯るよう。
それは、命の灯り。
ちょっと、元気が出た。
少しくらいなら食べようかな……。
という気分になった。
小さな丸い、愛らしい料理が、1皿だけ出てきた。
うん、これくらいなら食べられる。
私は、それを口にする。
歯でサクッとして、舌でフワッと溶けた。
油の風味がするのに、軽い。しかも少しも油っこくない。口で爽やかに綺麗に消える。
甘さと塩の辛さ……油の爽やかさが、口でひとつになって、ハーモニーを奏でた。
美味しい!
思わず心が大きな声をあげる。
じっくりゆっくり味わったのに、残酷にも、すぐに消えてなくなってしまった。
……もっと食べたい。
そう思った途端、目の前に一口サイズの料理の乗った、小皿が差し出された。
私は、驚きに、側仕えに振り返る。
側仕えが、ニコッと笑ってくれた。
心が嬉しさで、フニャっとした。
次の皿は、命の輝きで艶々とした色の料理だった。
口にすると、クニャとした。
楽しい!
私は、その食感に喜んだ。
舌に乗って、あまりの酸っぱさに、口の根元から唾液が、じゅわっと出てきた。
その唾液が、料理に絡んだ時、口いっぱいに旨味が広がった。
どこまでも奥が深い旨味だ。
……この料理も、あっという間に消えてしまった。
ことり……。
すぐに次の料理が、出てくる。側仕えが、私の心をフニャフニャにしてくれる笑顔で差し出してくれる。
次の料理は、濃い黄色のトロリと舌に絡む、濃厚な旨味で、ホロホロとした苦味があった。
旨味と強く結び付いた苦味で、仄かな感じが、可愛らしく愛しいと思った。
次の料理は、色鮮やかなスティック状の料理だった。
「辛いので、ご注意下さい。どうしても耐えられなければ、これを飲んで下さいね」
側仕えが、そう言って、飲み物の入った小さなグラスを置く。
恐る恐る口にして、歯でカリっと、小気味良い音がして、気持ちの良い歯ごたえがした。
それに喜び、舌に乗せた途端、激痛に似た辛味が私を襲った。
大慌てで、飲み物を口にする。すると……
「!」
私は、声もなく、驚いた。
辛味が、全て、極上の甘味を帯びた旨味に変わったのだ。
辛味など、もう、どこにもない。
私は美味に酔いしれた。
○
それからも、美味は続いた。
美しい幾つもの風味が鼻腔をくすぐり……。
可愛らしい……美しい見た目は、私の心を美しい愛しいものに作り替え……。
バリエーション豊かな食感は、食べる行為を、まるで遊びのようにワクワク、楽しくさせ……。
美味は、幾つも折り重なって、立体となって、大輪の華を咲かせて、舌を喜ばせ……。
極めつけに、側仕えの笑顔が、私の心をフニャッフニャッにした。
○
夢中になって、料理を食べた。
まるで、夢から覚めるように食事を終え、深い満足のため息をついた。
「では、シャルロット様……こちらにどうぞ」
側仕えが、手を引く。
私達は、秘密のドアをくぐる。
そこに、友達のクレアが、待っていてくれた。
掛け値なしの笑顔で……。
すぐに、クレアが、私に治癒の奇跡を使ってくれる。
魔王の乱暴で傷ついた体が一瞬で癒えていく。
ここに来る前に、十分に取った栄養が、体の修復の負担を余裕で担ってくれた。
……側仕えとクレアに、心からお礼を言った。
クレアが、ハッキリと、言ってくれる。わざと側仕えに聞こえるように……。
「安心して下さい。性病には感染していませんよ」
それを聞いてホッとする。
私は、娼婦のようなもの。
娼婦は、粘膜接触によって、病気に感染する率が高く、病原菌の温床になりやすい。
男は、娼婦と関係を持つと、病気の感染を疑われ、不潔であるとされ、女性が寄り付かなくなる。
良識ある男は、決して、娼婦と関係を持とうとはしないのだ。
……私達は、チラッと、側仕えの横顔を盗み見た。
……ちゃんと、クレアの言葉を聞いてくれた? 私、病気は持っていませんよ?
だから……。
……だから、なんだろう。
私は、王家の義務のため、今は、自分の心に気づくことをしなかった。
○
友達のキサラ、アリス、イリス、エミリーが、ティーセットを持って来てくれる。
なにも構えない笑顔で。
それに、どれだけ、私は救われたか。
側仕えも、ワゴンに、大量のスイーツを乗せて来た。
そうして、楽しいお茶会が始まった。
なにか意味のある話をするわけでも、役に立つ話をするのでもなく、ただ、楽しい。
あぁ……楽しい。
楽しい時間の終わりに、キサラ達から、改まって、魔王と王家から逃げて下さいと、頼まれる。
いつものことで、私は、丁重に断った。
私は王族。義務の放棄など、あり得なかった。
キサラ達の目に涙が浮かんだ。
でも、笑顔で言ってくれた。
「いつでも、私達のところに逃げて来てよ? シャルには、私達がついてるんだからねっ」
私は……嬉しくて、涙をこらえるのに、必死だった。
ひとつ、うなずいて、側仕えと一緒に、魔王城に帰る。
いいえ……私の戦場に向かう。
私は、王女。
人界の第15王女シャルロット。
魔王さえ狂わせる魔性の女……。
2020年10月19日 誤字修正しました。
2021年7月15日 誤字修正しました。




