10 執事ギブスン
初老の男が、焦る気持ちを宥めるように、口髭を撫でた。
短い黒髪は丁寧に撫で付けられ後ろに流れ、同じく黒いカイゼル髭がぴんと立っている。
黒い燕尾服を纏い、直立不動で立っている。
世界樹の根に抱かれた、荒れ果てた王宮……その最奥の王の間。
男の名はギブスン。侯爵位の悪魔であり、女王キサラに仕える下僕だ。
悪魔は神に敵対する存在と思われているが、実は違う。神によって生み出され、人に試練を与える神の下僕だ。
ギブスンは主である美の女神に仕え、その愛娘であるキサラを、赤子の頃よりお世話をしてきた。
美の女神があの世に旅立った時、キサラを任され、ずっと見守って来た。
キサラ様と、一緒に行きたかった。
残り少ない護衛を連れて世界の救い手を迎えに行ったキサラは、王宮の地下……枯れ果てた世界樹の根元にある、空っぽの、神々の力を入れる結晶を守るようにギブスンに命じた。
補充の目処のない結晶など、放置すればいい。たとえ補充が出来たって、枯れた世界樹が生き返るわけでもない。
ギブスンはそう憎々しげに思うが、希望を捨てないキサラの想いを蔑ろには出来なかった。
「キサラ様は、大丈夫でしょうか……」
ギブスンと同じく、残された文官や家臣、召使い達が不安を口にする。
帰って来るのが遅すぎる……。
ギブスンの焦りが募る。
結晶など構わず、命令など聞かずキサラ様の元に駆けつけようか……。
そう思った時、王宮の外から喧騒が聞こえた。
ギブスン達が駆けつけると、王都の住人であるエルフ達が天を指差していた。
そこには暗雲を引き裂き、光の階段が地上……世界樹の根元に降り注いでいた。
その階段を、女王キサラを抱いた幼い少年が降りて来る。
まるで神話のような光景に、ギブスン達もエルフ達も息を飲んで見守った。
二人は世界樹の根元に降り立ち、キサラは少年に跪いた。
少年は世界樹に手をかざした。
すると、枯れ果てた世界樹がみるみる内に緑を取り戻して行った。
どこか少しだけ透けて見える世界樹。
そこでキサラが祈りの呪文を唱える。
すると、世界樹は溢れんばかりの光を放ち、少しだけ透けていた頼りなさが消え去り、確かな実在を示した。
世界樹の枝に、無数の果実が実る。
あれが全て、食べられるのか? 我々は救われるのか……?
無数の風の精霊達が舞い、次々と果実をもいでエルフ達に配って行く。
そのひとつが、ギブスンの手にも渡された。
恐る恐る口にする。
「…………!」
あまりの驚きに声もない。
「これほど美味しい実は初めてだ」
エルフ達は、そう口にした。
ある者は歓声を上げ、ある者は泣きながら、復活した世界樹の恵みを譲受する。
その幸せが全身を巡った。
そして確信した。我々は救われるのだ!
ギブスンは膝を折った。
文官も家臣も召使いも、住人であるエルフ達も、地面に膝をついた。
誰もが頭を垂れて、跪き、祈った。
キサラが立ち上がり宣言した。
「世界樹の実を、全ての部族に届けろ。食いきれないほど食べさせるがいい。そして伝えろ「もう、争わなくていいのだ」と」
○
王宮で盛大な宴が開催された。
争っていた部族が集まり、頭を下げて、女王に臣従を誓った。
女王は、これまでの争いの全てを不問とし、神々の食べ物である世界樹の実を、惜しげもなく振る舞った。
女王より上座に救い手である少年が座し、女王自らによって、民に紹介された。
少年は常に女王を支え、助けた。
宴は3日3晩続けられた。
○
「これでよしっと……」
世界樹の根元の地下で、結晶に100倍に薄めた竜力(つまり神力)を込めて、アベルは一息ついた。
空気を入れすぎた風船のように、破裂させないように、やたらと気を使ったため、10分も時間がかかってしまった。
「何人もの神様が集まって、何日もかけて込めるのに……」
驚きを隠せないキサラが呟いた。
○
王都は復興の兆しを見せていた。
神の力の結晶に、エネルギーが満ちたことで、神々が残した神器……便利な魔法道具や魔法生物達が動き出したのだ。
神のごとき万能のそれらを使って、復興は急速に進んでいた。
天使型の自動人形が瓦礫を撤去し、空を飛ぶ船が、いくつも頭上を行き来していた。
復興を視察するキサラとアベルの横を、小さい子供達が笑いながら走って来た。
キサラの前で立ち止まり、ちょこんと頭を下げて、屈託なく笑う。
キサラが返事を返すと、再び笑いながら、駆けていった。
その眩しい笑顔に、気分が幸せになる。
「もう、この国は大丈夫だね」
アベルが感想を述べると、キサラがビクッと一度だけ体を震わせた。
「……行ってしまわれるのですね」
身を引き裂かれるような、悲しみをこらえた声でキサラは言った。
アベルは、そんなキサラの瞳に映る心を読んで……。
一度頷いて、キサラに話しかけた。
アベルは手に、未来科学魔法の道具である『身代り人形』を出した。
突然現れたそれに、キサラが驚く。
「キサラ。これは『身代り人形』っていう、自分が何人も同時に存在できる便利な魔法道具なんだ」
そう言って、人形の頭の天辺にあるスイッチを押す。
すると、そこに、もうひとり、アベルが現れた。
新しく現れたアベルが、少し言葉につっかえながら、言った。
「ボクがこの国に残るよ。ほらっ、結晶に神力の補充も必要でしょ?」
キサラは不思議そうに、アベルの瞳を覗き込んだ。
嘘ではない。でも、本心を語っているわけでもない。
それが気になってキサラは真意を問うように見つめた。
少し小首を傾げて、上目遣いにアベルを見るキサラ。
その、ただの小さな女の子の瞳が、不安と期待に揺れていた。
……心の底まで見ようとする目だ。
アベルは白旗をあげるように、両手を上げて降参の意を示した。
「……本当のことを言うとね、君が心配なんだ。ずっと側に居させて欲しい」
キサラの目に、心の防波堤が決壊したかのように涙が溢れた。
溢れる感情のままに、キサラはアベルの胸に飛び込んで叫ぶように言った。
「私、弱いの! ただの小さな女の子なの! 不安だった、心細かった。アベルが居てくれたから女王で居られた。これからも、ずっと、守って欲しい。助けて欲しい。一緒に居るのはアベルがいいの。もう、アベルじゃなきゃイヤなの!」
アベルが、キサラを柔らかく包み込むように抱きしめて、耳元で囁いた。
「ずっと、一緒に居るよ」
モウ ワタシハ ヒトリジャ ナイ
心が幸せに充たされて、喜びの涙が止めどなく溢れた。
アベル……あったかい。好き。大好き。
キサラの呟きがラピータの空に溶けて行った。
○
本体のアベルが、そっと、その場を離れた。
厳密には、身代りも本体なのだが、それは今はいいとする。
空飛ぶ船を一台呼び寄せて、東の果ての草原を目指す。
「お戻りになられるのですか?」
運転手……ほとんど自動運転なのだが、ギブスンがそこに居た。
「実はわたくしも、あまねく遍在しておりましてですね……」
なにを言っているのか分からず、アベルは首を傾げる。
「アベル様の身代り人形と、同じことが出来るのですよ」
神力の結晶のバックアップが必要ですがね。
そう言って、朗らかに笑った。
「女王様の配偶者であられるアベル様の、身の回りのお世話をいたしたいと、参上つかまつりました」
ふと、飛空船に複数の人の気配を感じた。
意識を世界に広げて溶かし、飛空船に集中すると、そこに10数人のメイドと召使いが乗っていた。
「それでは、さっそく、アベル様……」
ギブスンが妙に言葉を溜めて、アベルに質問した。
「お世継ぎは、いつ頃つくられますか?」
アベルは噴いた。
「いや! ボク達、まだ子供! まだ子供だから!」
「おや? おイヤなのですか?」
「イヤじゃないけど……、まだ無理。絶対、無理!」
アベルの絶叫が、ラピータの空に響いた。
○ 閑話 エルフの結婚事情
「ねえ、キサラ。エルフの結婚ってどういうものなの?」
「えっ、普通ですよ?」
「うん、ソウダネ。じゃあ、質問を変えるね。キサラのご両親は、どうやって結婚したの?」
「父はエルフの王族で、美の女神であるおかあさまを魅了してしまうほど、見目麗しい方でした」
「そのせいでしょうか、周囲に子供を多く残すことを望まれて、おかあさま以外にも複数の女性と結婚していました。妾や愛人の数は、多すぎて把握できません」
「ああ、結婚と言えば、私も、産まれた時から、主神であるゼン様の10899人目の愛人になることが決まっていました」
「えっ!?」
「神々が精神世界に旅立たれて、幸い、その話はなくなってしまったのですけれど」
「良かった~。でも、さすが主神は桁が違うね」
「ふふ、そうですね。その点、アベルは普通ですから、妻は10人くらいで、妾は20人くらい。愛人は30人くらいになるでしょうか」
「えええっ!?」
「アベルはラピータの王になる方で、王と言えば最低それくらいは囲うものですよ。普通です」
「……キサラは、それでいいの?」
「なにがあっても、私達、いつも一緒よ。そうでしょう?」
(捨てられたら死ぬほど泣いちゃうけど……)
「……うん、そうだよ。なにがあっても、いつも一緒だ」
「うふふ。信頼と実績のアベルだもんね」
(アベルが私を捨てることなんか絶対ないって思えるもの)
「でも、キサラが愛人にならずにすんで良かったよ」
「おかあさまがゼン様のことを大嫌いで、娘である私を愛人にしたくなくて、私に大人にならない呪いをかけたのです」
「えっ!? そこまでしたの?」
「ええ……おかげで愛人にならずに済んだのですが、私はもう1万2千年以上も7歳のままなのです……」
「呪いは解けないの?」
「運命の人と出会った時に解けるそうです。だから、きっと……」
2020年8月21日 ストーリーの矛盾を修正しました。謝罪します。




