愛しいという心
それは、「恋」。
小さな卓を挟んで、先生と四方山話を為て居る。
いつの間にか先生の消息を知る友人も無く、途絶えて既に四半世紀が経っていた。
今まで何の音沙汰もなかったのだが、何故、故郷から遠く離れたこんな片田舎で出会う事が出来たのだろう。その時は只この奇跡に感謝するのみであった。
家は直ぐそこですから、と先生を自宅へと招き入れた。
今、何をなさっているんですか、と尋ねると、何とかやっているよ、と応える。重ねて尋ねると、絵を描いているんだ、と言われた。
初めは何と応えられたのか良く聞き取れ無かったので、失礼ですが今何と仰いましたか、と先生の方に顔を寄せた。
嘗て、この様に間近に先生の貌を見た事があったであろうか。否、無かった筈だ。遠くから眺めているだけで満足だった。
四半世紀という歳月も、先生の面差を変える事はなかった。そして夢にまで見た唇が今目の前にあった。引き込まれるようにその唇から目が離せないでいた。ずっと先生の事を想っていましたと告げてその唇に口付けたいと思った時、家人が帰ってきた。
私に対する文句を、玄関を入って来た時からずっと、隣の間に落ち着いてからさえもまくしたてている。長年の想いを遂げられ無かった事と、家人の吐く悪口を、先生に知られたく無い、耳にして欲しく無い、その様な気持ちも有り、無神経な家人に腹が立った。
家人は人から頼まれ、襖絵を描いて糊口を凌いでいる。だが、この度の依頼には苦心している様で、なかなか上手く描けずにいるように見受けられた。そうした苛立ち紛れの悪口雑言に辟易していた私は、苛々しながら、次の間に居るであろう家人に聞こえる様な声で、先生にお願いしてみたら、と言った。
すると先生は雑作も無いと言った風情で次の間へ行き、さらさらと襖に絵を描いていった。流石に絵を生業に為ている人は違うと感心為ていると、描き上がったところで、それではまたと、先生は挨拶をされ、腰を上げた。私は先生を見送ろうと、玄関を出ようとする先生の後姿を追いかけた。名残惜しさに、その後ろ姿が見えなくなっても、いつまでも去って行った方角を見つめて立ち尽くしていた。
その後、先生を見掛ける事はなかった。
今にして思えば、あれはもしや狐狸妖怪の類だったのではないだろうか。私の想いを知った妖が先生の姿を借りて現れたものなのか。あの時、口付けを為ていたら、私は妖に魅入られ、こうして此所に居ることは出来なかったかも知れぬ。そう言えば、家人はそういう物に敏感な性質である。だからあんな業とらしい態度を取ったのであろうか。
あの時の襖絵はどうなったのか。
尋ねても家人は応えなかった。