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シオンノハナコトバ  作者: キリ
2/4

中編

ごめんなさい。その一言ばかり思い続けてきた。


自分の行いのせいで呪われてからずっと、周りは憐れむように百合姫を大切に大切に育てた。可哀想に、そんな目で見られる毎日は酷く息苦しくて、百合姫の心を傷つけてきた。けれどそれを表に出すことはしなかった。それをしてしまうことはあんまりにも自分が情けなくて惨めになるから。


いつ止まるかわからない時間。押しつぶされそうな毎日に泣いていたって仕方ない。

全部自分が悪いんだ。せめて笑顔で受け入れよう。



クルクルと足元から彼女の体を鋭い棘のある茨が縛る。心を止めたのはもう随分昔のことだった。



***


「ひ、姫様!!炊事場には入らぬようあれ程…!」

「いえ、これは私はやらねばいけないことです。なにせこれからは一人で生きていかなければならないのですから」

「し……しかしですね」

「お父様とお母様には許しを得ました。」

「お、お怪我などされては…」

「心配しないでください」


にこっと笑って切り傷だらけの指先を見せると、侍女は顔を真っ青にして後ろへと倒れていってしまった。

それに困ったように笑ってから、百合姫は出来上がった甘味をかごの中に丁寧に詰めていった。

今まで感じたことのない胸の高鳴りと、会えない時の焦がれるようなもどかしさ、百合姫は気がついていないかもしれないが、彼に会うときの彼女の笑顔はいつもの儚げなそれとは随分違っていた。


「紫苑…」


そっと胸を抑えて目を閉じる。浮かぶのは素っ気ない態度や、その後に気になってちろりとこっちを見る綺麗な瑠璃色の目。目が合うと決まって悪態をつくけれど、目が合わなければ照れくさそうにはにかんだりする。

不器用で、優しくて、どこか危うくて…

傍にいたいと心から思えるのだ。



しかし、そんな姫君の行動も黙認されていたが姫が15になってもう一年が経過する頃にはそれが咎められるようになってしまう。

姫の母君が姫の身を案じてとある山の寺に百度参拝して聞いたお告げによれば、姫の呪いは「愛するものからの口付け」で溶けるというのだ。百度の参拝で床に附してしまった母親の姿を見て、姫は自分の身の上を重く認識するに至ってしまった。


会いたい。紫苑とともに残り少ないであろう日々を共に過ごしたい。だけど、私の行動で周りが振り回されていく様を見るのはとても辛い。


「百合姫……私は貴女が心配なのです」

「お母様……」

「妖に誑かされ、これ以上不幸になどならないでください」

「わ、私は不幸などとは…」

「貴女がそうでなくもも、私は不幸なのです」

「そんな……それでは私は…」

「私は貴女の先を何時まで見られるのです?

1000年後、貴女は一人なのですよ?それがどれだけ辛く大変なことなのか、私にはわからないのです…それはとても恐ろしいことなのですよ」


母の言うことは最もなことで、出かかっていた言葉は飲み込まざるを得なかった。

確かに先の未来はわからない。怖いとも思うけれど、今この瞬間に悔いを残すことはしたくなかった。

なるべくは両親の言う通り過ごしてきたけれど、ようやく自分の意思でなにかをしたいと思えたのに、これはいけないことだったのだろうか。

百合姫は未だかつてない程迷っていた。



「貴女の呪いは貴女を愛するモノからの口付けで解けるそうです。貴女には結婚をしてもらいます…」

「ま、待ってください!そんな、私の気持ちはどうなるのです!」

「我が儘を言わないで…お願い…」


ポロポロと涙を流す姿に、百合姫は言葉を詰まらせた後、母の部屋を飛び出した。

空模様は百合姫と彼女の母の心のように泣き始めていて、遠くの山では青い光が空から地を貫いた。




ぐしゃぐしゃになりながら、百合姫は必死に森を走っていた。

仕立てのいい着物を重いからという理由で脱ぎ捨てながら、身分も地位も感じさせないような姿でただひたすらに走った。


「紫苑っ!しおんっっ…」


こんな風に感情的に泣いたのは初めてかもしれない。ぐしぐしと顔を擦りながら彼の名を呼んだ。いつ止まるかなんてわからないけど、お願いだから今ではないで欲しい。



ぶわっと強い風が吹き抜けた。目を細めて一歩だけ後ずさったか、すぐにはっとしてそこを見つめる。自分がもぎ取ったかぐやの実の大木。もう二度と実をつけることのないその木の傍で、いつものように手を合わせる背中を見つけた。

胸が締め付けられるように切なくて、もう動かないくらい痛い足でその背に近寄った。


熱心に手を合わせている彼の背に百合姫はトンと額を押し付けた。びくっと大袈裟なくらい身体を跳ねさせて、銀色の髪から雨粒を滴らせた少年が振り返る。

綺麗に光る瑠璃色の目が泣き出した小さな少女をきちんと認識して、焦ったように体をそちらに向ける。


「ど、どうしたのじゃ!?」


怪我をしたのか。いじめられたのか。辛いことでもあったのか。心配そうに声をかけ続けて、答えられないくらいしゃくり上げている百合姫の肩に、震える手を…


「っ……」


ぎゅっとその手を握って眉を寄せる。雨で濡れて冷えきった体も、そのせいだけじゃないだろう震える肩も、今だ泣き続けるその姿も、本当なら抱きしめて安心させてあげたいのに、この鋭い爪の生えた手では彼女には触れられない。自分は妖怪で、彼女は人間のお姫様だから。


「やっぱり………」

「はっ…!」

「私、貴方が好き…」


切なくて揺れた瞳で紫苑を見上げて、彼の握られている手にそっと自分の手を重ねた。

初めて触れる柔らかくて小さな彼女の手が怖くて、震え出してしまった紫苑の手を百合姫はきゅっと包みながら微笑んだ。


「怯えないで…私はあなたを傷つけたりしないから」

「ち、違うんじゃ…」

「紫苑…」


トンっと彼の胸に飛び込んで彼の心臓の音に耳を傾ける。お互いずぶ濡れで体温はほとんど雨で奪われているのに、なぜか温かいと感じられた。

紫苑は彼女の肩に震える手を添えて「お主はヒトじゃ…」とつぶやいた。


「お主はヒトじゃ…ワシは妖で、いつかきっと……傷つけてしまう」

「それなのに、本当は……本当は傍にいてはだめなのに、ワシは…………お主の幸せを願わなければいけないのに……」

ぽつりぽつりと語りかけて、震えている手で彼女の肩を強く掴む。彼女の幸せを願うなら、離れなけらばならない。随分前からわかっていた。傷つけられることを恐れていたんじゃない。傷つけることを恐れていた。




「ワシは、百合姫が好きで好きでたまらない…!」


絞り出すようにそう言って、その肩を離す。見上げる百合姫の目は涙に揺れながら、泣き出している紫苑をその目に映していた。



いつの間にか空は泣き止んで、傾いていた日差しがそっと辺りを包み込む。

呪われていることを初めて呪い、ヒトでないことを心の底から悔やんだ。


これはいけないことなのだろうか。





百合姫は母に結婚の話を飲む事を告げて、早々に自室へと下がった。

母は喜び、父も安心していた。それを背中に聞きながらぐっと胸に手を当てる。

「ごめんなさい」もう何度目かの謝罪だった。


手の中にある紫苑の花で作った小さな指輪。

これが最後の我が儘、と決意の表情で整えられた庭を見つめた。


百合姫の結婚相手は力の強い陰陽師の二番目の息子だった。

若く凛々しい顔立ちの錦木穗村と言う名の青年だった。

彼もまた強い神通力の持ち主で陰陽道を極めている身で、両親は彼にはじめから好意的だった。


「姫君の呪い、錦木の者としてではなく一人の男として解いてみせます」


微笑むその顔は、自信に満ちていて百合姫は控えめに微笑んだ。

「ごめんなさい」「ごめんなさい」そう心で称えながら、平静を装ってやりすごす。

どんなに素敵な殿方に言い寄られようと、どれほど安泰な未来を描かれようと、百合姫の心にもう迷いはなかった。



***


『この花は"忘れぬ草"どんなに長い月日が経とうとも、ワシはお主を忘れないと誓う。』


百合姫の小さな指に紫苑の花で作った指輪をそっと嵌めた。暖かくて優しくて、こんなに幸せでいいのだろうか。呪われた身でありながら、こんなに…

はらはらと落ちる涙。嬉しくて切なくて。今まで知らなかった感情に百合姫は戸惑いながら受け入れていた。


この先必ずどこかで自分の時は止まる。

紫苑の言葉だけが頼りで、でもそれは確かではない。

それでも目の前のまだ幼い妖に全てを委ねたいと心が高鳴った。


トクトクと鼓動するこの心臓。

ぐるぐると鋭い刺に雁字搦めにされていた彼女の本当の笑顔も、涙も、傷つきながら隠していた感情が解き放たれていく。

見えない茨がサラサラと枯れて灰になった。一度止まってしまっていた心が穏やかな色に

染まり、本来の無邪気で明るい姫百合のようにほころぶ。



『お、おい!泣くな!どうしたらよいか、わからんのじゃ!』

『紫苑っ、痛いよ』

『す、すまん!ちっと強すぎたか』


『そうだよ紫苑!女子の肌に触れるときは壊れ物を扱うより慎重でなくては!』


『ゲッ!アホ妖精……っ!てめぇはちっとは学習して、空気を読みやがれ!』


『一応ボクなりに一番気を使った場面で登場したつもりなんだけどなぁ』


『お前は出てこなくていいって言っとるんじゃ!』


くるくると回転しながら登場して、紫苑の頭の上に降り立った木の妖精モクは、ニコニコと笑いながら頭に雨よけにと乗せていたのであろう葉っぱをぽいっと投げ捨てた。ゴシゴシと彼女の目元を乱暴に拭っていた紫苑の鼻先にそれは見事に乗っかって、紫苑の怒りをさらに煽ることとなった、わーわーと変わらない彼の姿に小さく百合姫は微笑んで、彼と彼のくれた小さく大きな愛の形を見比べる。



愛おしくて、切なくて、


きゅっと胸を抱きながら「私も忘れない…」と呟く。


トクトクと鼓動するこの胸の高鳴り。

この気持ちはずっとずっと変わらない。


『 紫苑、 。』


ニコッと姫百合のように笑い。やいやいとじゃれあった体勢のままの紫苑は百合姫の言葉に目を見開いて、ぼぼっと顔を真っ赤に染め上げる。またもやモクにからかわれたものだから照れ隠しにモクをなぐりつけ「ワシだってなぁ!」と意気込んだが、同じ言葉は最後まで出なかった。

百合姫はそんな紫苑の姿にさえ心を奪われる。この日々が永遠なら良いのに。




***


真夜中、百合姫は必要最低限の物だけを持ち愛馬のあずきに跨った。

生まれ育った屋敷を見て、ぐっと喉をつまらせる。

今までずっと、まともに両親を喜ばせたことはない。幼い頃から好奇心だけは強く、そのせいで5つの時に自分の身を自分で呪わせてしまった。「ごめんなさい」心でも言葉でも称え続けてきて、自分の首を自分で絞め続けた。大好きな世界を壊してきた。


未来を想像することを止めて、今だけを生きていた。


それは虚しくて切なくて、苦しい。


後悔しないように笑っているのに、いつもいつも悔いばかりがちくちくと痛みを与えてくる。

でも、彼に会ってそれは変わった。

妖になる前も後も純粋に生きる彼は、私を受け入れ、共に笑ってくれて、辛い時には何も言わずに傍にいてくれた。これはちょっと違うかな…。傍にいさせてくれた。

彼のそばにいる時だけは、なんでか呪われてる自分を少しだけ好きになれた。

心の底から笑って泣くことができた。


だから「ごめんなさい」父と母に何度目かの謝罪の言葉を言った。


最後に心を殺してでも、両親の喜ぶ顔が見たかった。

ずっと影を落とすように沈んでいた二人の安心した顔を見たかったんだ。



「どこへ行くつもりなのですか」


手網を引いて進もうとした時。門の影から人が出てきた。声の主に続くようにゾロゾロと人が出てくる。

そして背中に聞こえてきたのは母のすすり泣く声だった。


「どうしてぇ………ぅぅっ」


その声に振り返ってから、門を塞いでいる人物に向き直る。



「錦木穗村様…」

「あの妖の話でも致しましょうか」


月が雲に隠れて辺りを暗くした。

なにか嫌なことが起こりそうだ。百合姫の頬をつつっと冷や汗が伝う。

心の中で紫苑を思いながら、きゅっと手と手を握り合わせて口をゆっくり開いた穗村を見つめていた。




錦木家は有名な陰陽師に隠れてはいるが、才能ある者が多く生まれる家系だった。

有名どころの家に養子に取られた長男の代わりに、錦木家をこの先栄えさせなければならない。その為には大きなことを成し遂げなければならない。




紫苑は木の上で薄い雲に覆われている三日月を見つめた。

そういえばヤツに拾われたのもこんな風に薄暗い三日月の日だった。


海月南天。それがあの住職の名であり、紫苑の忘れてはならない人物だった。

聡明で心清らかな優しい男で、荒んでいた心が浄化された。

「忘れられる事はこの世で一番悲しい事」とよく言っていた彼の横顔が、紫苑の記憶の中でもっとも色濃く残っているものだった。

言葉が喋れたなら「忘れられた事があるのか」と問いたかったが、それは叶うことはなく南天はこの世を去ってしまった。


彼が昔話と語っていた竹取の物語。竹の中から生まれた美しい姫君が、成長し数多の男から求婚されるが、姫君は男達に無理難題を突き付けて全てを蹴っていた。そのせいで、見た目とは違うと嫌悪され、人は彼女を避けるようになった。姫君はとうとう一人になってしまった。

しかし、その姫君はこの世界とは別の月の住人で16歳を迎えた時に今までのことを全て忘れて帰らなくてはならなかった。

その事を姫君の傍に護衛としてついていた青年にだけ告げた。

青年はそれでも姫君のそばを離れることはなかった。その時がきてもずっと。



その話をした後に決まって「このお姫様は怖がりだったんだよ。愛されても愛されたその日々を忘れてしまうから。」と言って笑った。その時からずっと、この話は作り話なんかじゃなくて事実なんだとすんなり理解するようになっていた。

愛とか別れとかそうゆうのがよくわからなかったから、その話はそこまで面白いとか悲しいとかの感想はでなかったが、その話をする南天の表情は辛そうなのに優しくて、温かかった印象を持った。


「……今ならわかる気がする」

『ひとり言?なになにどうしたの 』

「チッ……うるさい黙れ」


ぺいっと空気を読まずに飛んできたモクを手で払って、実を付けなくなったかぐやの木を見上げる。

「ん?…そういえばこの木…そんな昔の木じゃねーのに。なんでこんな成長早いんじゃ?」ふと気になってモクに聞くとモクはふわふわと木の方に飛んできて『そうだねぇ』と唸った。


『普通ならこの太さになるまで何百年と掛かるだろうね。』

「多く見積もっても60年前に植えた筈じゃ」

『それは絶対有り得ないよ。この木は100年以上前に植えられてる筈だよ』


紫苑また口を開こうとした時、ヒュッと紫苑の腕を鋭い矢尻が掠った。

モクを瞬間的にかばい、木の上から下を見下ろしてゾロゾロと気の周りを埋め尽くした陰陽師の集団に眉をぎりっと吊り上げる。


「何の用じゃ!」

「決まっているだろう」


キリキリと紫苑に狙いを定めながら、多くの弓が引かれた。その中心に立った穗村がギッと紫苑を睨みながら、手を下に下げる。


「妖を退治しに来た」


ヒュンヒュンと四方から放たれた矢が、紫苑の身体を掠めて傷つけていく。紫苑はモクを自分の身で守りながら大木から降り立って身を低くしながら、陰陽師の間をすり抜けていった。


『紫苑!ボクはいいから早く木に戻って!』

「ダメじゃ!あそこを壊したくない」

『で、でも!』

「うるさい黙っておれ!」


血が滲む腕を掴みながら、後方からの攻撃に耐える。

陰陽師が妖を退治しに来たのたしかに真っ当な理由だが、さして害をなしていない自分が狙われる心当たりが紫苑には一つしか思い当たらなかった。


「(百合姫……)」


ぎゅうっと胸をつかみ、手頃な木の影に隠れる。

息を整えながら発達した耳で足音を確かめる。3手程に分かれたのか、自分に近づく足音は3つ程だった。


『し、紫苑!このケガ、まずいよ!』

「…チッ」


懐に突っ込んでおいたモクが、紫苑の腕の傷を見て顔を青くした。

左腕を掠めただけなのに、そこからシュウシュウと煙が出て、まるでそこから生気が抜けているようで、紫苑はそこをギュッと掴み眉を寄せた。「こんくらい平気じゃ」と強がってはみだが、あんな攻撃をまともに受けたら確実に消されてしまう。



「妖!お前こんな話を知っているか?」


穗村は辺りを見回しながら声を張り上げる。青白くなった顔を手の甲で擦り、その声に聞き耳を立てる。ここで動くより、この隙になにか打開策を考えなければ。ズルズルとその場に座り込みごくりと唾を飲み込んだ。


「18年前の話だ」


――


とある武家屋敷に一人の男の子が生まれた。その屋敷の二番目の子だった。

本当なら喜ばしいことなのに、その子が生まれた途端にそれは崩壊してしまう。


月明かりに透けるような白い髪と、血液をそのまま映し出したような真っ赤な瞳。透けるような真っ白な肌。夫婦はあまりにも自身らの容姿に似ていない息子を嫌悪し、その子を隔離して育てることにした。

陽の光に弱いく弱視な少年は、逆にその環境が合っていて、不遇な環境に似合わず真っ当に成長し、心の清らかな性格を形成した。


そんなある時、5つ年上の兄が二又の銀色の猫を捕まえてきた。異形なその猫は人々に散々痛め付けられたせいで人を嫌い、悪さを働いていたらしい。

少年はその猫になぜだか自分と近いものを感じ、その猫をこっそり手当してエサを与えてやった。


『お前の目は青いらしいね。』


警戒して爪を立てる猫に構わず手を差し出す。猫は初めこそ戸惑っていたが、空腹に堪えかねて、少年からエサを貰うことにした。


少年の体には無数の蚯蚓腫れや痣があった。

少年も猫と同じで異形のせいでその身に理不尽な罰を受けていた。


『目は2つ。鼻と口は一つ、手足があって、生きている。お前とボクはよく似てる。』


猫には言葉は理解できない。だけど猫は少年の手をペロペロと舐めて、小さく掠れた鳴き声を出した。


少年は猫に笑いかけて、猫の足に付けられていた縄を解いた。

少年によって開かれた戸から月明かりが差し込んで、少年の白い髪と猫の銀色の毛をキラキラと輝かせた。


『行きな。もう悪さはしたらいけないよ』


猫は戸の前で一度止まって、少年を綺麗な瑠璃色の目で見上げた。

少年は月明かりのおかげでそれを見ることが出来て『とっても綺麗だ』と微笑んだ。猫は小さく鳴いて、自由になった足で地面を蹴った。


しかし、その猫はその数日後に再び捕まり殺され、少年はその猫を逃がしたことで重い罰を受けて耐えられずに死んでしまった。



―――


なんの話をされているのかまったくわからない紫苑は腕の傷を布できつく縛って、穗村の先の言葉を待った。わからないけど、その先に妙な胸騒ぎを感じていた。


「その猫はな、その赤目の少年の目の前で殺された。その死骸を目の前に置かれながら罰を受けて、心優しいはずの少年はおかしくなった。」


ドクドクと心臓が早鐘する。これは嫌な予感がする。聞いたらいけない。きっとこの先の話にいいことはない。耳を塞げ。そう頭で指令を出しているのに、震える手はそこから動くことはなかった。


「少年はその猫に取り憑いて妖怪になったんだ」


ドクッと心臓が一度大きく脈打ってそれから息を止めた。タラタラと流れる汗がポタっと土に落ちて、紫苑は口を塞いで息を整えた。バラバラとページを捲るように思い出さされる記憶。


―そこにいるだけで疎まれた日々。

距離が空かないようにと他人を嫌わないで無理矢理笑っていた。

それなのに父も母も全ての不を自分のせいにして、厄祓いとは名ばかりの惨たらしい行為を強いてきた。

本当は憎くて憎くて憎くて仕方なかった。

目の前に置かれた自分の未来を見て。理不尽すぎる現実を呪った。

この猫はただ純粋に生きたかっただけなのに。


そこから記憶が途切れていた。

気がついたら目の前に白い髪のあの日の少年横たわっていて。恐る恐る近づくいてその顔に触れ、あまりの冷たさに驚かされた。

そしてもっと驚いたのは、辺りがまるで嵐の後のように荒れていて、少年と自分の周りだけが円を描いたように綺麗で、この現実に言葉は話せはしないが言葉を失った。―


「ハァッ…ハァッ……っ!」

『紫苑!紫苑しっかり!』

「ハァッ……あ、ぅ……」


確にその後に南天に拾われたのだ。

息を吸い込んで、心配そうに見つめているモクに「大丈夫じゃ」となんとも情けない顔で言えばモクが『大丈夫な顔じゃないよ!』と突っ込んできた。ありがたいことにその突っ込みのおかげで少し笑うことができ、突然蘇った過去の記憶をすっと受け容れることができた。




目の前で倒れている少年は、文字通り真っ暗な目で地を見つめていた。そこにあるはずの目は無かった。

それもその筈で、少年が殺されたのはなにも猫を逃がしたからではなく。その身を売り払う為だった。日に弱く身体も弱い少年は珍しい病気を抱えて生まれた。その見た目も珍しく住む家に価値はなくとも、外の世界では価値あるものであったのだ。

その為こじ付けな理由をつけて殺し、万能薬か何かのためにもともと見えない目を奪われた。


少年はただ真っ直ぐに生きて、未来を歩みたかっただけなのに。世界はそれを許しはしなかった。


心の優しい少年はその髪や肌とは真逆の色を受け入れて、同じくただ生きたかっただけの小さな命と共鳴した。



全てを消し去って、全てを忘れて。ただそこにぽつんと座っていた。

目の前で横たわる見知らぬ亡骸に小首を傾げ、猫は血に染まった銀色の足でその場を去る。


しかし、猫に待っていたのは忘れた過去と変わらぬ暴力の日々だった。

猫は嘗ての日々を繰り返すように悪さに身を投じて「ナゼ? 」と繰り返し考えた。

過去と変わったのは猫に確かな自我があること。



そして猫はある人物と出会うことになる。


『目が覚めたかい?』


三日月が見えたと思ったら、視界にいっぱいにシワのある顔が近づけられた。

猫は驚いて飛び起きて、縁側から庭へと降り立った。逃げようとしたが、足首に縄が括られていてそれはできなかった。必死の抵抗は縄の伸びる所まで離れ、それを噛みちぎろうとすることくらい。


『すまないね。だけどこれ以上悪さをするのを放ってはおけないし、それに理不尽に痛め付けられるお前さんを見てはいられないから』


にこっと困ったように笑った丸坊主頭のその男。歳は大体40かそこらだろう。若い頃は爽やかな二枚目だったのではないだろうかと思わせる目元には、よく笑うのだろう笑いジワがついていた。


猫には男の言葉は理解できたが、その真意はわからなかった。だからこそ困惑し毛を逆立てて縄が足を締め付けるのにも構わずに後ろに下がり続けた。


『ふぅ……困ったものだ。』


男は庭に降り立ち猫の足に絡みつき食い込んでいる縄を解いた。猫はここがチャンスとばかりにジタバタと転がりながらその場を離れた。その坊主頭の男は『もう悪さはするんじゃないぞ』と言って見えなくなった二つの尾を見つめていた。


しかし、猫の悪さは留まることはなく袋叩きに合っている猫を見つけた坊主が助けたり、川に投げ捨てられて流れていたのを助けたり、数え切れないほどの悪事を働いてはその報復を受けていた。

小さな体には残酷なまでに生々しい傷が治らぬうちに与えられ、猫の体は普通ならもう動けないくらい痛めつけられていた。治癒能力の高さは猫が普通の猫ではないからだろう。


そんな性悪な猫も毎度毎度自分を助ける物好きな坊主に少しずつ心を開き始めていた。

見返り求めない、報復もしない。今まであったどの人間よりも人間らしい男は普通とは違っていた。普通なら人間らしく生きたりはしないから。


その男の名は海月南天(カイゲツナンテン)。元はとある公家屋敷の従者で、付き添っていた人物がいなくなったことを期に出家をしたという。


『お前さんは私とよく似ている。』

『この先もし大切な人ができた時、きっとお前さんは私と同じ道を歩むだろう。』

『いいか"紫苑"大切な人と交わした約束を破ってはいけないよ。男が一度できると言ったらやらなきゃならないのさ』


なんだか小難しい話になってきたな。よくわからんがとりあえず返事はしておくか。

綺麗な瑠璃色の目を細めて、紫苑と呼ばれた猫は小さく鳴いた。



その意味はまだわからなかった。…




そして今。穗村の口から耳を疑うような一言が放たれた。



ー海にたゆたう月を捕まえてきてー

そう言った月色の髪の翡翠の目をした齢15の麗しい姫はそう呟いた。何度も誰にでも言った意地悪な叶わない願い事。

愁いを帯びた姫は名をかぐや姫といい、

数多の有力な男達の求婚を全て間接的に断り続けていた。


しかし、姫を一番近かくで見ていた少年が、『その命、私が果たして見せましょう』とにっこり笑ってから、しばらく経ったある時小さな水瓶に、ふわふわと漂う不可思議な生き物を持ってきた。


ー海にたゆたう月ですよ!かぐや姫様ー


いつも変わらぬ満面の笑顔でその少年はその生き物を姫に差し出す。

かぐや姫は不思議そうに首をかしげそれに触れようと指を差し伸ばしたが、それを少年が既で止めて、その瓶を姫から遠ざける。


ーなにをするのです。無礼者!ー

ーかぐや姫様、これには毒があります。触れることはなりませんー

ー嘘つきめ。これは海面に映る月などではありません!ー

ーいいえ、かぐや姫様。これは海面をゆらゆらたゆたう月。海月です。姫様の願いは叶えました。ー

ー南天!あなたはいつからその様な屁理屈を…ー


その言葉は姫とそう歳の変わらない少年が、姫の口を人差し指でそっと閉じたことで塞がる。少年は後ろで一つに結った髪を揺らしてにっこり微笑む。背中には大きな月を背負って。


ーごらんくださいかぐや姫様。あの水瓶に海月と、月が共に揺らめいておりますよ。ー


南天と呼ばれた少年は海月に触れようとしたかぐや姫の手を止めたままの形で、水瓶を見つめていた。


ーあなたの抱える悩みも共に、私はあなたを愛します。あなたの心の痛みを私に少し分けてはくれないですか?ー

その言葉を聞いたかぐや姫は南天にすがりつく様に泣いて、泣いて、泣き続けた。

本当は寂しくて怖くて仕方がなかった。できることならここを離れたくはない。姫もまた南天のことを心から愛していたのだ。


二人は1年という短い時間を恋人として過ごし、最後の夜にかぐや姫は南天に約束を一つした。


それはとても簡単でとても難しいこと。

未来も過去も奪うくらい、とっても意地悪でとっても悲しい約束。


ー忘れないでー


そう言った直後、彼女は南天のことをすっかり忘れて月へと還っていった。

南天は託された不死の実と、永遠に続く約束を胸に16歳という若さで出家した後64歳で流行り病にて死去。



妙にしっくりくる一言。「海月南天は死に逆らいながら、愛する女を思い続けていた」。つまりはその身が滅んでも魂だけでこの世をさ迷う幽霊として存在し続けていた。

紫苑はそれを聞いてしばし動揺したが、これでかぐやの木のからくりが解けたと逆にホッとしていた。



しかし、ホッとしたのもつかの間で紫苑の耳に衝撃的な一言が届き、同時に紫苑の心を逆なでするほどの真っ黒いものを呼び覚ますような言葉を告げた。


「哀れな坊主を滅した時、アレは最後までこの世ならざる女のことを思っていた。哀れで滑稽で見るに耐えたものだ。」

「あの家に住み着いていた化け猫を始末するために調べていたらとんだおまけが付いてきたものだなぁ。」


ザワザワと体中をなにかが駆け巡る。穗村のセリフはやけに耳に張り付いた。理解はできてる。だけどその言葉一つ一つを解釈し直して、噛み砕く様に小さく小さくしていく。

まず、自分のせいで南天が殺されたこと。

南天を殺したのがコイツであること。その二つは相容れないような怒りと悔しさを生み出して、紫苑の中で留まりはしなかった。モクの静止の声も届かないくらい膨れ上がった憎悪は、しっかり刻まれているはずの大切な"約束"さえも消し飛ばし、紫苑を最初に妖になった時。自分の家族を消し去った時の姿へと変化させた。


雲に隠れた三日月に向かって叫ぶように泣く。地が避けるほど強く足を踏み込んで、二つに別れた銀色の尾で、森の木をなぎ払う。首にしがみついているモクが『やめて!やめてよ紫苑!』と泣きながら叫ぶも、白目をむいて見境なく破壊の限りを尽くす化け猫には届かない。


『紫苑!紫苑!どうしちゃったんだよ!こんなこと、やめようよ!ねぇ!聞いてるの?!紫苑ー!』


全身の毛を逆立てて、ただ「消し去る」ことだけを糧に、足元の小さな命を踏みつぶす。

あの時も同じで、ただ許せなかった。

勝手な理論と勝手な権力を振りかざして、無力で無抵抗な者を虐げる存在が。

だから「消したい」と願ってしまった。




「哀れな妖怪、すぐにお前も海月南天の元に送ってやろう!地獄へ還るのだ!」



全部忘れようともー。




カッ!と巨大化した紫苑を囲うように円を描くような光がその場を照らし、森の木をそのあたり全てを更地へと変えた。その中心で、元の姿に戻った紫苑がドロドロの姿で横たわっていた。


「他愛ないな。自我のない害獣になど負けはしない。お前のような妖に百合姫様は渡さぬ。」


スッと札を取り出し紫苑に向けて放つ。それは紫苑を囲うように四つの柱になり、そこから鎖が伸びて紫苑の肢体の自由を奪った。

うつ伏せのままの紫苑は、意識のないままずるずると頭を動かしながら、低く唸るように穗村に向かって「消す……消してやる」と口から血反吐を吐きながら言っていた。穗村は哀れみと軽蔑の目を向け「封印」と指を縦に切って、早々にその場を去る。


紫苑はその場でグンッと体が引き起こされ、立て膝を付くような形で封印された。

雲が完全に月を隠して、紫苑は一度空に向かってさけんだのち、そのままの形で意識を手放した。





→登場人物紹介


百合姫

好奇心の強い黒髪の公家のお姫様。

一人娘で大切に大切に育てられているが、目を盗み馬にも乗り、炊事場にも入る少しだけおてんばな所がある。不器用だけど紫苑のために料理を頑張っている。


紫苑

銀色の髪に瑠璃色の目。二つに別れた尾を持つ猫の妖怪。

人であった時は16歳。妖怪になってからは2年。南天と共にいた年月も同じく2年。見た目は12程の少年。精神年齢もそれくらい。実際は百合姫より2つ上になる。

とても若い妖怪で、擬人化が苦手。耳と尻尾は隠せない。

とても手先が器用。甘い物特にカステラが好き。



モク

木の妖精。ひょうきんな性格で紫苑をからかうのが大好き。自分がいくつでいつからここにいるのか自分でもわかっていない。だけどそんなことは気にしない。

だけど落ち着いた性格と豊富な知識を持っている。なんだかんだ紫苑に頼りにされている。




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