「夜来、風雨の声」その1
さざ波が聞こえる。
寄せては返す、静かな波音。
月明かりを浴びて、きらきらと反射する砂浜。
そんな静かな砂浜に一人の少女がぽつんと立っていた。
目には涙を浮かべ、何かを必死にこらえるように……。
「なぜだ……なぜこんなにも……」
そう少女が一層握ったこぶしを強くした瞬間。
「いつつ」
かすかなうめき声。
「あっ、どうも、はじめまして」
そしてこの場には似つかわしくない第一声。
突然空が光ったかと思うと、一人の少年が少女の前にいた。
そう、いたのだ。まるで最初からそこにありました、とばかりに。
あまりに突然の出来事で、ただぽかんと目を丸くするしかなかった少女。そして混乱の極みにあった少年、葵。
「(どこだ、ここ? どこだよおい! 走ってたら突然昼から夜になってました。そしてアスファルトが砂浜に変わってました。というか、お使いどうすんの? 受け取った商品は壊れたくさい。最後まで確認できてないから実際はわからんけど。いや、それより今のことだよ。この際、バイト代の減額は諦めよう。人生何事も諦めが肝心だ、うん。それより、なにより、ここは本当にどこだ? そして目の前にいるこの美少女は誰だ?)」
葵はそこまで一息に思考して眼前の少女に目を向ける。
月光を受けて輝く黒髪。そして桜色の小さな唇。
その桜色の唇がわずかに開かれる。
「お前は……何者だ?」
至極まっとうな問である。まっとうな問ではあったのだが。
涙をぬぐった少女にそう問われた葵は答えに窮していた。
名前、住所、通っている高校名? このあたりを答えておけばいいのだろうか。
だいたい、今の状況は普通ではない。
走っていたら見知らぬ土地にいて、目の前には泣いている美少女。
そんな状況で、果たして普通の自己紹介をしてもいいものだろうか。
葵が逡巡していると、少女は再び口を開いた。
「……名乗らずともよい。お前はどこから来た?」
「いや、どこからと言われてもねぇ……」
どうやら日本語は通じるらしい。ということはここは日本か。
では都道府県名でも言うべきなのだろうか。
そう考えた葵は。
「えーと、神奈川?」
と、戸惑いながら答えた。
しかし戸惑いの度合いで言えば、その答えを聞いた少女の方が大きかったであろう。
「か・な・が・わ?」
初めて耳にした言葉のさわり心地を確かめるかのように、少女は復唱した。
そして。
「いや、私の訊き方が悪かったか」
そう言うと、桜色の唇を結び、真剣なまなざしを葵へと向ける。
「ここがどこかわかるか?」
ああ、なんてきれいなのだろう。
憂い湛えた湖面の如き少女の眼差しに、葵は吸い込まれるような錯覚すら覚えた。
しかし、いつまでも見とれているわけにもいくまい。
そして葵は口にする。
「いや、正直に言ってわからん」
実に間の抜けた返答であったが、少女はさして気にした風でなく。
「……付いてこい。一晩の宿くらいは貸してやろう。どうせ泊まるところもないのであろう?」
そう言うと少女は踵を返し、ゆったりと歩き始めた。